第四十三話:悪い鬼
千年に一度、紅き星が太陽を喰らう年が訪れる。空は血の色に染まり、その年に生まれた全ての生命は死に絶える。森や作物は枯れ果て、川や湖は緑や赤に濁り浮いた魚の死骸で埋め尽くされ、魔獣でさえもその死からは逃れることは許されない。
屍の山の中から生まれ出る不浄を焼き尽くす太陽の光は無く、腐った水を口にすれば病魔に冒され、植物達が与えてくれる実りも無く、生ける者達は残り少ない食糧や資源を巡り殺し合った。空も川も大地も、全てが紅き血の色に染められた。
それでも人々は何とか生き残った。ある者は共を喰らい、ある者は死んだように眠り続け、ある者は暴力で富を独占することで何とか生き繫いだのだ。
だが、紅き星の災厄はそれだけでは終わらなかった。
地獄の門より"鬼"達が溢れ出てきたのだ。
古木の丸太を思わせる剛腕で一撫でされてしまえば石で築き上げられた城などいとも容易く崩れて落ちる。その"暴力"が、一斉に生き残った者達を襲ったのだ。本能のままに、無差別に、手あたり次第に女は犯され、男は喰われ、ありとあらゆる物を、文明を破壊し尽くしていった。
コボルトは穴を掘って地の底に隠れて暮らすことで難を逃れたが、エルフは弓をとって鬼と戦うことを選んだ。しかし、鬼の屈強な筋肉は矢を弾く、仮に刺さっても瞬く間に傷は癒えて元通りとなった。力の差は、始めから歴然だった。
エルフ達は犯される同胞達を鬼のエサにしながら、ただひたすら逃げ惑うことしかできなかった。
その年、ただ一人だけ紅き星のもたらす"死"に抗って生まれた者がいた。丸太の槍で串刺しにされ死に絶えている女エルフの腸を突き破り、一人のエルフが産まれたのだ。
後に"アルヴェイオ"と名付けられることになったそのエルフは、生後すぐに襲い掛かってきた飢えた獣を素手で引き千切り血肉をそのまま喰らって生き繫いでいた。そこに鬼に犯された妻の死体を供養しに通りがかったエルフに拾われることになる。
その後月日は流れ、血に染まった空は元の青色に戻り、大地に生えた草木が花を咲かせるようになったが、鬼は依然として暴れ狂いエルフ達を犯し回っていた。
アルヴァイオは異常とも言える速度で成長し続けた。アルヴェイオが齢にして6歳になる頃には、既に集落を守るエルフの戦士達を差し置いて最も強靭な肉体の持ち主となっていた。エルフにしては珍しく、弓矢よりも己の肉体や鬼達が同士討ちして残した黒鉄の武器を使うことを好んだ。
〇
「っておとぎ話があってね~ここまでがアルヴェイオが生まれた所のお話なの」
死食の年に起こった出来事はエルフ達の間には口伝として残っていたのだな。いや、エルフ達にしてみればまだ1代か2代しか過ぎていない話なのだから"当事者"なのかもしれない。
そして、話の流れから察するに、アルヴェイオの親は"鬼"なのだろう。つまるところ、始まりのハーフエルフだ。
「……子供に言い聞かせるおとぎ話にしては少々……というよりかなり血生臭すぎる話だな」
「それでね、ここからが鬼狩りのアルヴェイオのカッコ良いところなんだからちゃんと聞いてね! ゾンヲリ」
「……ああ」
その後ブルメアが語った方の話は"かなり長かった"割には私にとっては大して面白くも無かった。まぁ、よくある陳腐な物語の類型だ。
鬼が集落を襲ってきた所を成長したアルヴェイオが撃退し、鬼に犯されそうになった女エルフと恋仲になって結婚する。その後、もっと狡猾で強い鬼が現れ、アルヴェイオの不在を狙って集落を虐殺し、アルヴェイオの目の前で妻を犯してよがり狂わせる様をまざまざと見せつけた後に殺害するという、ネクリア様風に言うならば悪辣な"寝取られ?" に怒り狂って復讐鬼と化しつつも妻の死に際の遺言を守る形でアルヴェイオが千年間鬼を滅ぼし続け、"小さなエルフの森を守った"という話だ。
はっきり言って胸糞の悪さしか感じられないのだが、一方でブルメアは琴線に触れて感極まっている様子だった。
「千年間ず~~~っと好きな人を想い続けるって素敵だよね!ゾンヲリ!」
あ~~~……そこか。
つまるところ、ブルメアはアルヴェイオの"妻"の方に感情移入していたのだ。胸やけしそうになるくらい甘々な他人のラブロマンスやら会話劇の方には全く興味を持てなかったのでブルメアの熱演劇の9割9分程は適当に相槌をうって聞き流してしまっていたのだが。
千年の想いでやり遂げたのが"鬼狩り"ではな。
「どうだかな」
「むっ……ゾンヲリってばまたいい加減な返事してる。ゾンヲリから聞いてきたのに…… 」
ブルメアは膨れたように顔を覗き込んでくる。
毛ほども共感できない話に共感するフリをして見せるというのは難しいな。どう言葉を作ろうと白々しい反応は隠しきれないものだ。尤も、隠す気もさらさらないのだが。
とりあえず話を逸らすか。
「私にはブルメアがこの話が好きな理由が分からなくてな」
「うん、私も最初はそんなに好きじゃなかったよ? なんか怖いし」
「そうなのか?」
「うん、でもね。アルヴェイオってゾンヲリみたいな人だなって思ったら好きになっちゃったな。えへへっ」
……無意識なのだろうが、さらりとそういうセリフを言うのは本当にやめてもらいたい。心臓に悪い。いや、この身体の心臓は止まってるんだが。
「似ている、か」
「ほら、ちょっと前にゾンヲリ言ってたよね。故郷の人達のために"悪い龍"をやっつけようって頑張ってたんだよね」
龍殺しの話の詳細はネクリア様にしか語っていなかったはずだが……。ああ、そう言えば聞き耳を立てていたな。全部聞いてたのか、ネクリア様が途中で飽きて寝てしまったであろう奴隷剣闘士をやっていた下りの特に面白くもない話をな。
「悪い龍、か。私は故郷の為などという大層な理由で戦っていたわけではない。ただ、奴隷に落とされた腹いせに"仕返し"をしてやりたかったのだ。いや、相手なんて誰でも良かった。手にした暴力で暴れまわって八つ当たりが出来ればな。はたして悪いのはどっちなのだろうな?」
私の始まりの記憶。
血の色よりも紅く光る黒龍の隻眼に宿っていたのは、憎悪だった。焼け爛れ崩れ落ちる城を空から見下ろし、人の営みを獄炎の海に沈めていく暴力。私はそれをただ茫然と見届けながら何もかもを失い、奴隷として生きる事になり、憎しみのままに剣を振るい続けた。
そして、私もまた、憎まれる側となった。
コボルトにとって龍とは鬼による支配からの解放者だ。なんせ、竜王という名が残るくらいなのだから。また、鬼狩りを英雄として称えるエルフにとっても同じようなものだろう。
彼らから見れば、"悪い鬼"は一体誰になるのだろうな? 私の剣は、龍を殺すに足る程大層な理由があったのだろうな? 今となっては分からない。
だが、時折思うことがある。記憶に残るあの黒龍は、もしかすれば俺だったのではないかとな。尤も、仮に再び対峙する機会が訪れたとしても、それでもやはり俺は言葉ではなく剣を交わすだろう。所詮、俺はそれしか出来ない人間なのだから。
「でもほら、牢獄から私の事を助けてくれた時とか……」
「ブルメアの記憶には多少脚色や美化が入っているな。私は――」
「助けた覚えなんてないし、自分の為にって言うんでしょ?」
ブルメアは自信ありげに胸を張っていた。
「……はぁ、ならば同じことは何度も言わせないでくれ……」
「やだもんね。何度だって言うんだからっ。あ、そうだ。ゾンヲリの故郷ってどういう場所なの? 聞きたいな」
「……はぁ、そうだな。今は黒雲平野と呼ばれている場所だ。名前の通り、常に空は黒雲に覆われて陽の光が届かず、肌を犯す灰の雨が降り注ぎ、真夏日でさえも肌寒く、見渡す限りの辺り一面が砂と灰と破壊跡のクレーターしかない荒野だ。よって、周囲の環境を一切気にせず大規模破壊魔法を放つにはまさにうってつけの場所と言えるだろうな」
龍や魔族との戦いとは、大地を不毛の地へと変えてしまう程激しいものだ。魔素も枯れ果て、周囲の環境に宿る魔素を使って魔法を使えなくなる分、魔族のように元々高い魔力を有してる者でなければ強力な魔法を放つのは難しくなる。
また、木々や茂みに身を隠して接近するような真似が出来なくなるし、障害物を利用して魔法攻撃を凌ぐのも困難になる上、空から索敵して長射程から一方的に魔法攻撃を放つことも可能になる。
だからこそ、魔族は黒雲平野に人間との戦線を築いたのかもしれないな。そして、大地は多くの塩を含んだ血を吸ってさらに痩せこけ、壊れてガレキと化した魔導兵器は地中へ埋まって残り続け、焼け焦げた屍は灰と化し、より荒れ果てていくのだろうな。
「どうした?」
「もう、違うよ、そうなる前はどうだったの?」
「覚えてはいない。だが、そうだな……。元々は緑豊かな土地だったとは聞いてはいる」
「そっか~、だったらまた元に戻せたらいいよね」
何とも無責任と言うか、能天気な言葉だろうか。無理に決まってるだろう、そんなこと。などと言うのも簡単だ。だが、千年の時を生きる事が出来るエルフならばそれが出来るだけの時間があり余ってるのかもしれないな。
「そうだな」
「またゾンヲリってば適当な返事してる。折角苗木植えたりするの手伝ってあげようかなって思ってたのにっ」
「……砂や塩の上に木は植えても全く育たないのは知ってるか?」
「もう、それくらいは私だって知ってるんだから。でもね、昔のエルフの森だって鬼に根こそぎ木を切られちゃって一本しか残ってなかった場所みたいだよ? でもね、皆でいっぱいい~~~っぱい頑張って苗木植えて育てたら森になったんだよ! だからゾンヲリの故郷だっていつか元に戻せるよ」
そのいつかをエルフの基準で語られても困る話だな。木が一本十分に育つまでに人間の寿命のおよそ半分が失われるだろうに。
「……はぁ。生憎私は木を切り倒すのは得意でも、木を植えて育てるのは得意ではなくてな。やりたいのならそっちで気が済むまで勝手にやってくれ。精々、苗木を植えた矢先に爆裂魔法の巻き添えを食わないように気をつけてな」
「むぅ……イジワル……。だったらさっ、ゾンヲリは何してもらったら嬉しい? 私でよかったら手伝うから」
「そうだな、ならば手短に話を終えてくれると助かるんだが」
「うーーーーっ!!!! ゾンヲリのイジワル! ひねくれてるよ! 私はただゾンヲリの助けになってあげたいだけなのに、あんまりだよーー!。うわーーーん」
ブルメアが泣き出してしまった。我ながら酷い言い草だとは思うが、まさか本気で泣き出す程だったとはな……。弱ったな……。
「すまない。だが、何も思いつかないのだ。私には、何も残っていないからな」
欲や望みは、無いことはない。だが、この死にぞこないの身で求めても仕方のない話だ。そして、求めてしまえば後がより辛くなる。失うことを恐れるようになってしまう。死にたくなくなってしまうのだ。
私は何も持たず、何も望まないからこそ、こうして居られる。
「……ウソツキ。ゾンヲリはいつもウソばっかだもん」
「いや、一つだけ、残っていたな。今の私の心残りが、そして、他でもないブルメアに頼みたいことが」
私がまだ、死ねない理由だ。
「何かな?」
「もしもどこかで私が敗れるような事があれば、その時はネクリア様のことを貴女に頼みたい。それでどうか、守ってやって欲しいのだ」
非情に不本意な話だが、今の私達の戦力の中ではブルメアが最強となりつつある。最強となったブルメアがネクリア様を守ってくれるのであれば、それはつまるところ、私が必要とされなくなる日が近いのだ。
「やだ」
「……どうも、先ほどと言ってる事が違うように思えるのだが?」
「だってネクリアってばずるいもん。だからやだ」
ブルメアはむくれたようにそっぽを向きだしてしまった。い、いつの間にこんなに険悪になっていたのだろうか。
「でもね、ゾンヲリがどうしても言うなら、お願い、聞いてくれるならいいよ?」
なるほど、交渉か。確かに無料で頼むなどと虫のいい話だ。ブルメアもそういう機転の利かせ方ができるようになったところは好ましいな。
「等価交換で済むなら易いものだ。何だ? 金か? 男か? 名誉か?」
「これからも、夜に色々と教えて下さい」
「と言われてもな。もう既に私からブルメアに教えられることは殆どない。弓の技術や精度に関して言えば既に私よりも勝っているだろう」
「だから、私に"剣"を教えて欲しいの。それだったらほら、ゾンヲリからいっぱいいっぱい教えてもらえるし!」
「それは、このダインソラウスを振るうという意味で言ってるのか?」
「うん」
「やめておけ」
「どうして? 使えるモノは何でも使えるようになれって私に言ったのはゾンヲリだよ?」
「確かに言った。だが、物事にも得手と不得手というものがある。私が弓を扱うのが苦手なように、ブルメアが大剣を扱うとなると多くのモノを犠牲にしなければいけなくなる。例えば、大剣を扱うのに必要な筋力と弓を扱うのに必要な筋力は全く別物であるし、貴女は近接戦闘になると動きの甘さが特に目立つ、さらに、私の剣は一般のそれと比べると応用が全く効かない。そしてなにより、大剣を習得するのにかける時間を弓にかけた方が貴女ならば圧倒的に強くなれるだろうに」
「分かってるよ。でも、それでもやりたいの」
「何故だ?」
「だって、ゾンヲリが"私を使う"ならその方がきっと動きやすくなるよね?」
「……私に身体を使われることの意味、ちゃんと理解した上で言ってるのか?」
「知ってるよ。寿命が無くなっちゃうらしいし、危ないし、痛い思いいっぱいするし、死んじゃうかもしれないんだよね?」
「ああ、そして、既にブルメアの肉体の枷は外れている。もはや私が宿って肉体を制御する意味は殆どない」
私は他者の肉体を利用する際には一時期的に枷を外して無理矢理身体能力を底上げしている。私はこのことを"扉を開く"と呼称しているが、それと全く同じことを既にブルメアはやっているのだ。あくまで"無理のない範疇"での話だが。
この無理のない範疇でおさめるという話であれば、私とブルメアでは身体制御能力に差は殆どでない。私がゾンビ状態のときにやってるように、"後の事"を一切考慮せずに関節の健が千切れる勢いで無理をすれば別だが。
それは、本来ならば文字通りの切り札、一度きりの必殺技だ。それを無理矢理連発するとなると、生者の肉体では死や恒久的な肉体の欠損を対価にしなければならない。つまり、論外だ。
「それでも、私はゾンヲリには私達の中に居て欲しいなって思うよ。だって、そうしないとゾンヲリはいつも自分を傷つけようとしてる。ワザと……だよね?」
「なるほど、よく分かっているな」
「だって、ずっとずっとゾンヲリの事見てきてるんだよ? 分かるよ」
「だが、それで剣を覚えることにどうしてつながるというのだ?」
「ゾンヲリにはもっともっと自分の事、大事にして欲しいなって思うから」
どうやら、ゾンビ状態の私は高々15の少女に気遣われなくてはならない程に痛々しく見えるらしいな。だから、生身に押し込んでまで戦い方を変えろと言われるわけか。
「でも、ゾンヲリはネクリアを戦わせたくないんだよね? だから、私を使って欲しいの。 私だったら別に、"気にしない"……よね?」
期待と不安を織り交ぜたような声音だった。口では気にしないでいいとは言うが、本当は気にして欲しい。そういった感じの調子だ。
これに対し、私がどのような答えを返しても正解にはならないのだろう。気にしないと言えば、私はブルメアの主張を認めてブルメアを全面的に利用することが正しくなるし、否定してしまえば私の甘さが露呈し、ブルメアをつけあがらせる結果になるだけなのだから。
「はぁ……全く……、その小賢しい言い回しを一体どこで覚えたのやら……」
「ぜ~んぶゾンヲリが私に教えたことじゃん。ウソばっかりつくのが悪いんだよ?」
「ならばこう言うしかあるまい。 私はブルメアがどうなろうと知った事ではない。リスクも散々説明した。それを承知し覚悟した上で身体を貸すというのなら骨の髄まで利用させてもらうだけだ。この答えで満足か?」
「……ううっイジワルだよ……」
「ふん。今日を生き残れたらまた嫌という程毎晩徹底的に痛めつけてやる。わざわざ自分の得意の分野を捨ててまで剣を覚えようというのだ。今までのような手温いやり方で済むと思うなよ?」
「っ! うん! 頑張るからね!」
「……はぁ、なぜそこで嬉しそうに返事するのやら……」
「だって、ゾンヲリってばウソツキだもん」
全く、敵わないな。これでは。
差し込む日差しに照らされるブルメアの笑顔は私には眩し過ぎて直視できるものではない。
「朝だ。野営地に戻るぞ。今日は忙しくなる」
「うん」
ブルメアを背にして野営地への道を行こうとすると、ブルメアはすぐ隣に駆け寄って来ては腕を組みに来る。わざとやってるのか? これは。
「? えへへ」
思わずブルメアの方に視線を送ると、それに気づいたブルメアははにかんで見せる。
「近いぞ」
「あ、ごめん」
おかしいな……気が付けば7000文字だ。なのに全く展開が進んでいないし、言わせるはずの台詞に到達してないぞ……一体どうなっt(殴
ということで次回からは司祭フェーズに入ります。はい。テンポもブン……ブン……なところをブン……シェイッハァ……ブン……くらいになるようにします。はい。




