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第四十二話:名前で呼んでください

 

 まるで時が止まったかのように、周囲は静まり返っていた。ブルメアは私に矢を突き刺す勢いに任せて全体重を私に預けきっている状態で固まっている。


「あ、あれ? 私、投げられてない?」


 そして、私の胸に矢を突き刺した張本人はこの調子で返り血を浴びたまま呆けている始末だ。


「……まったく、目は最期の瞬間まで閉じるなと言ってるだろう。殺し損ねていれば反撃を受けるし、本当に相手を殺していたらまた木から墜落してるところだぞ」


 本来、相手にトドメを刺した瞬間が一番危ういのだ。


 それまで気を張り続けているので心理的に気を抜きやすいのもそうだが、肉の鎧で武器をからめとられたところを他者から攻撃を受けないとも限らない。特に、私のようなアンデッドや昆虫種のように弱点を潰したり致命傷を与えても一定時間動ける生命力をを持つ敵ならばそのまま反撃を受けかねないのだから。


「ってことは私、ゾンヲリに勝っちゃったの……?」


「ああ、おめでとう。と言っても私から景品や報酬は何も出せないがな」


「じゃあ、お願い一つ聞いてくれる?」


「可能な範囲でならな」


 金品や宝石の類を要求されるだけで済むなら易いものだが。十中八九そうはならないと予感は告げていた。


「えへへ、じゃあ、今度からは私のことを"貴女"じゃなくてちゃんと名前で呼んでください」


「……」


 名前で呼べ、か。


 これまで意図的に避けてきた事を指摘されては痛いな。もはやブルメアは保護すべき対象と言える程には弱くはない。むしろ、単純な戦力として見た場合私達の中ではほぼ最強なのだ。とはいえ、戦士として見るにはまだまだ防御面の技術が未熟すぎて背中を預けられる程信を置けるわけではないのだが。


「……やっぱり、ダメ?」


 そのように不安そうに見つめられると困る。いや、何を迷う必要があるのか。彼女は覚悟しているのだろう。この為にこれまで散々してきた忠告を全て無視してまで、これだけの努力してみせたのだから。


 共に"地獄に堕ちる仲間"として認めねばならない。のだろうな。


「ブルメア。お前は勝ったのだから、戦士ならばそういう顔はなるべく見せるな。例え味方であったとしてもな」


 名を呼んだ瞬間にブルメアの長く尖った耳がピクりと動いた。本当に感情が表に出やすい。


「今呼んだ? 呼んでくれた?」


「ああ、呼んだぞ。これで満足か?」


「ねぇゾンヲリ、もっかい呼んで」


「ブルメア」


「んふふ~もっかい!」


 まるで初めて玩具を貰ったばかりの子供のように、ブルメアは無邪気な笑顔を浮かべてそう言ったのだ。


「ブルメア」


「もっかい!」


「あまり調子に乗るな」


 このままブルメアに会話の主導権を握らせると私までずるずると引きずり込まれてしまう。


「ううっ……別に怒らなくてもいいのに……」


 しゅんと垂れ下がった耳が感情を表している。本当に分かりやすい娘だ。奴隷化差別や争いの絶えないこんな時代にさえ生まれて無ければ、これはブルメアの短所にはならなかっただろうに。


 記憶に残るかつての私は、今の彼女のように笑えたのだろうか? いや、もしもそうだったらなら私は私では無かっただろう。


「全く、これではまるで子供と変わらないな」


「……どうなのかなぁ? 私って子供なのかな? ゾンヲリ」


 なぜ、そこで自分のことに疑問符が付いてくるのか。いや、自分のことを分かりきってる者など実の所それ程いないのかもしれないな。私自身もそうなのだからな。


「何故そう思うのだ?」


「あのね、ゾンヲリ。ちょっと前に私ってエルフの村に住んでたのは知ってるよね?」


 正直、エルフにとっての"ちょっと前"がどれくらい前を指すのか私には推し量れない。ブルメアが市長に捕まってた期間が最低でも1年以上経ってる事を考えると、それすらも"ちょっと前"の出来事に混ぜられてしまっていることになるのだから。


「ああ、確か、あなたの故郷は"風の森"だったか」


「その時の私ってね、身長がフリュネルよりちょっと大きいくらいで、同い年の男の子とかとよく遊んでたりしたんだ」


 フリュネルの大きさはネクリア様より少し小さいくらいだ。つまるところ、ネクリア様と同じくらいだった時期がブルメアにもあったのだ。ちょっと前にな。


「でもね、私だけどんどん身体が大きくなっちゃって、同い年の男の子もどんどん追い越しちゃって……大人の人と変わらなくなっちゃったの」


 女性に具体的な年齢に関わる情報を聞くのは失礼どころか万死に値しかねない失言になるのだが。この際は詳細を聞かないことには……な。


「一つ聞きたいのだが、エルフは何年で大人になるのだ?」


「100歳から200歳だって聞いたことある」


「ブルメアは?」


「15歳……くらいだと思う」


 だと思う? 何故そこで自信がなくなるのだ? いや、まて、重要なのはそこではない。15歳でこの体型なのか? 人間と比較しても少しばかし成長しすぎてる部位もあるが。


 今のブルメアは成人女性と殆ど大差ない。大差ないのだが……実の所、私は内心ブルメアを妙に子供っぽいところはネクリア様に近いとは思いつつ長命種族特有の特徴でもあると加味して最低でも20歳以上、大よそネクリア様と同い年くらいの女性のつもりで見ていた。


 だからなのか、目の前の空間がぐにゃりと曲がり、ガラガラと崩れていくような、そんな錯覚に襲われたのだ。


「どうしたの? ゾンヲリ」


 思わず足を滑らせて木からずり落ちそうになった。それくらいの衝撃だった。


「い、いや……なんでもない。気にしないでくれ」


 私は、自分自身が許せなくなりそうだ。


 内心ではブルメアのことを魅力的な大人の女性とは思っていた。だが、実際のところは許されざる禁忌(ペドフィリア)に二歩程踏み出しそうになっていたのだから。


 殺せるものなら私を殺してくれ、もう死んでるのだが。


「そうか、"混血"か」


 人間とエルフの特徴が混じったのだ。魔王リリエルと人間の混血である淫魔(サキュバス)も体格の成長は13歳辺りをピークに止まるらしい。これは主に人間の特性を引き継いだものだ。


 ものなのだが……やはり納得がいかない。


 だが、私はもう、ブルメアのことを二度と大人の女性として見る事が出来なくなってしまった。年齢など……聞くべきではなかったのだ……。


「うん……だから私ってもう大人になっちゃったのかな?」


「……騎士や貴族の家系ならば6歳から剣や乗馬や礼節を習い、10歳には従騎士として軍で働くこともあるだろうが、一般的には人間でも職に就いたり"特別な教育"を受けていなければ15歳はまだ子供の範疇だろう。尤も、たった今ブルメアは特別な教育を終えたのだから、"大人になった"と言えるだろうな」


 ブルメアが一人で生きていくのにもはや保護者は必要ないのだから。自分の身を自分で守れるならばそれは大人なのだろう。


「なんだか……全然実感ないなぁ」


「まぁ、そんなものだろうな。何年経とうが人の核はそう簡単には変わらないし、変われない」


「ゾンヲリも?」


「どうだろうな? 少なくとも、私は子供のころから死んで果てるまで変われなかった類の人間だろうからな」


 だから、私はこうして死に恥を晒し付けている


 よく、愚か者は死ぬまで治らないとは言うが、その言葉は誤りだ。愚か者は死んでも治らない。はた迷惑な輩になると死にぞこ(アンデッドに)なってからも面倒事や厄介事を振り撒き続けるのだから性質が悪い。


 まったくもって、救えない話だ。


「そっか、ゾンヲリがそうなんだったら急いで変わろうとしなくてもいいんだよね、えへへ」


「私を参考にしようとするな」


「じゃあ、誰を参考にしたらいいのかな?」


「……」


 私の狭く短すぎる交友関係からでは答えなど出せるわけがない。ならば、ブルメアにとっての身近な存在、例えば親は……ダメだな。そもそも生きてるかどうかも定かではなく、ブルメアに奴隷という苦難を与えてしまっているので十中八九良い話にはならない。そして、ブルメアを追放処分にしたであろうエルフ達もダメだ。


 ならば……


「例えば、そうだな。好きな物語の登場人物とかはあるか?」


 物語の登場人物には大抵山と谷が用意されているものだ。主人公には何らかの試練が与えられ、それを乗り越えるなどして成長していく様子が描かれるものだ。


 つまるところ、ある種の理想像の体現ともいえる。陳腐ではあるが参考にするならそちらの方が夢と希望があるだろう。


「うん、あるよ! "鬼狩りのアルヴェイオ"」


 ……"鬼狩り"とは随分と物騒な名前が出てきたな。そして、この話題がブルメアのおしゃべりしたがり病に火をつけてしまったという失策であったことに気付いてしまった。


 それはもうウキウキと話したがっているのだから。


「……とりあえず、いい加減木から降りないか? いつまでもそうやってしがみ付かれていては降りるに降りられん」


 一先ず話題を別の事にそらそうと悪あがきをしてみることにする。これで先ほどの話を忘れて無かったことになれば僥倖ではあるのだが。


「あ、そうだね」


 降りた直後だが、ブルメアはすぐさま私の手を引きつつ手頃な木を背に腰かけようとするのだ。結局"また"こうなるのか。


 何というか、エルフの長話は冗談や洒落を抜きにしても本当に長いからな。


「~~♪」


 ブルメアはピタリと密着するように真横に座り腕を組んでくる。というより、さっきから距離が"近すぎる"。前々からずっと思っていたが、こんな態度をとられてしまえば私でない大抵の男が勘違いしても仕方がないだろう。


 ブルメアに自覚はあるのかないのかまでは分からないが、何というかこう、"極端"なのだ。そして、これはネクリア様と違って"作為"がない天然でやってるだけに実に性質が悪い。


「近いぞ」


「あ、ごめんねゾンヲリ。ちょっと近すぎたよね」


 ブルメアは拳の半分くらい尻を動かして距離を離した。


「それでね~」


 が、ブルメアが動かしたのは尻だけだ。腕は組まれたままだし、しばらくと持たずに離したはずの距離は再び詰められ、寄りかかってくる。こちらから尻を動かして退けようとするとすかさず距離を詰められる。


 言うべきか。言うべきなのだろうなぁ……。だが、同じことをすぐに二度も言うのは流石になぁ……。今さら過ぎる話だがまだ15の少女、人間基準に直せば下手すると6~7歳児くらいの人格か? を相手にあまり強い言葉を使ったり拒絶するわけにもな……。


 い、いかん、話の中身が全く頭に入ってこない。


「一つだけブルメアに頼みたいことがある」

「ん~なに~ゾンヲリ?」

「時間は余ってないから話は手短に頼むぞ」

「うん、任せてよ」


 ネクリア様曰く、本来エルフはかなり呑気でおっとりした性格であるとのことだが、その恐ろしさの片鱗を味わうハメになったのだ。

メンタルロリと体型ロリ、両方合わさると高確率で危険になるらしいな……

相手がロリと分かるや強きに出れなくなるのがロリコンのサガ(ただし欲情できなくなる)


しかしながら、今話でブルメアさんの訓練話は終わる予定だったのにまだ続いてしまった……。次でいい加減最後にします。はい。(毎回言ってる気がする)

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