第三十話:魔王リリエルのセイ活
イリス神によって救世主として地上に遣わされた熾天使、それが今は魔族国の魔王リリエルとなった、か。
「ネクリア様、何故、熾天使リリエル様は"魔王"となったのでしょうか? 救世主として地上で活躍してきたのならば、少なからず人望はあってもおかしくはないように思えますが」
「実際、魔王様には人望はあったらしいよ。それこそ、イリスそのものよりも魔王様が信望されてきたわけだし、色んな理由で"迫害されてきた"者達がリリエル様を頼りに集まって他民族国家ができあがったくらいだし?」
「それはもしや、エルフやコボルトも含めて、でしょうか?」
「うむ。建国初期の頃はちょくちょく住んでたらしいよ。まっ、今は見る影もないけどさ」
……今の魔族国は人間ならば素っ裸になって首に値札をぶら下げていないといけない場所だ。"悪魔"以外には非常に住みにくい環境だろう。
100年も生きられない短命種族ならば世代を跨いでしまえばリリエルも統治者の一人、つまり先祖にとって恩があるだけのただの他人だ。そして、各々が利益を求め出せば何らかの軋轢は生まれる。種族、寿命、力、文化や風習、全てがバラバラの烏合の衆が一つの場所に集まって上手くまとまりえるだろうか。
種族の等しい人間同士でさえも、国を分けて憎み合い争うというのに、だ。
「時間と共に魔族国から去って行った者達がいる、というわけですか」
ならば、力ある悪魔達が利益や権力を独占し、政争に敗れた者達は従属するかその場所から去り始めるのも自明の理だろう。
「まぁね。ウマが合わなかったり、元々は迫害されてきたような者同士で集まってるわけだし、魔族国の"外"にも居場所なんてないし、恨んでたりすることもあるわけだからさ……」
食うに困り、居場所を失った者達の末路は単純だ。奪わねば飢えて果てるだけ。そして、奪うならば奪える相手から奪うしかない。強大な魔力を持つ悪魔と人間、どちらから略奪しやすいかを考えれば、そんなものは一目瞭然だろう。
「一部の者達が山賊化して略奪を働くようになった。そして、その被害をイリス側がリリエル様の仕業と吹聴し、"魔王"に仕立て上げられた。ということでしょうか?」
山賊と言っても、上級悪魔級にもなれば単騎で小さな都市程度なら蹂躙できる程度の暴力は持ち合わせている。抵抗できる力を持ち合わせていなければ、もはや災害といっても差し支えないか。
「ま、実際はもっと複雑なんだけど……大体は合ってるかな」
「……では、魔王リリエル様には人間に対し侵略の意図はなかった……。と」
「むしろその逆。魔族の大半は力こそが全て、強い者には従えって脳筋思考だけどさ、だからこそ魔王様はそういう連中に最強の力を示しながらとある"欲望"で一か所にまとめて押しとどめてきたんだ」
「とある欲望といいますと」
「色欲。というかさ~ゾンヲリ、魔王様はエッチすることしか頭にないから。それはもう私でさえもドン引きするくらいだし」
「えぇ……」
……確かに、魔族国内は色々と性におおらか過ぎる所が見受けられたが、それは暴力や支配衝動を色欲に転化させるためだったのかと考えれば色々と辻褄が……
などと言われても納得できるか! い、いかん、思わず言葉が漏れそうになった。
「魔王様の血族だけで今の魔族国の人口の9割以上を占めてるって言ったらそのすごさが分かるか?」
魔族国は私が見て回ることのできた西地区だけを見ても獣人国以上の規模はあるのが明らかだ。そこに住んでいた者達全てが、元々は魔王リリエルただ一人から始まったのだと考えると、その性活がいかに凄まじいものあったのか……。
一言で称するならば"大淫婦"。全ての淫魔達の母。それが魔王リリエルなのだろう。
だが、ネクリア様を見ているとそれもあながち間違いではないように思える。やはり、血は争えないのだろうな。
「ええ、しかし、凄まじすぎて想像がつきにくいですね」
「そうだな~、例えば公務に飽きたら全裸のまま脱走しては路上でいきなり身分性別問わずに大・乱・行を始めるなんて毎日のように行われてたからな~。それと、どこかで喧嘩が始まれば駆けつけてきて、お前らそんなことするくらいなら今すぐ私とエッチしろ! が決め台詞かな」
「……なんと言いますか、流石はネクリア様の祖先ですね」
そう、思わず呟いてしまった。
「あ? それはどういう意味だ? ゾンヲリ」
急にテント内の温度が下がった。凍てつくような魔力の波動が腐敗で熟成しつつある私の肌を刺してくる。少女の眉間に浮かんでいる青筋、見据えてくる瞳には静かな怒りが滾っているのが見て取れた。
しまったぁ……。素直に本音を漏らしすぎた……。こ、ここはソウルコネクトによる読心も警戒しつつ素直に謝罪しなくては。
「い、いえ、私はネクリア様が誰それ構わず脱法的公然猥褻吸精行為を働くような淫乱ドスケベビッチであるなどと、一瞬足りとも思っては――」
その刹那、少女の右拳が視界から消えたのだ。
その時思った、"誰それ構わず"というのは誤りで、ネクリア様は"お金持ちで強いイケメン"としか超合法的健全前後左右行為をしない……と訂正しておくべきであった……と。そうすれば……ネクリア様の清純潔白さを損ねない言い方に出来たな……と。
無論、これは私の罪であり、落ち度。ならば甘んじて受ける他になし。
「ぐぼあっ!!」
腹部を臓物や骨ごと貫かれる感触。少女が無意識から発した右ストレートは音速を超え、最高速から繰り出される騎乗槍突撃の如く冴えわたるキレ。
それはまさしく、敵を一撃で葬りさるに足りえる必殺の一撃であった。相手がゾンビでなければ、だが。
「流石に怒るぞ、ゾンヲリ。私だって相手くらいは選ぶんだからな!」
「はい、申し訳、ゴバッ! いません。ゴフッ! ゴボッ!」
穴の開いた胴体と口元からは古くなった血液がびちゃびちゃと溢れ出てくる。その返り血が派手に少女のドレスを汚してしまっていた。
「ってうわっ……ごめん、ゾンヲリ。そこまでやるつもりは全然なかったんだ。なんだか体が動きすぎて……」
「はい、血が溢れ出ているだけですので、ネクリア様はお気になさらず。そんなことより、折角のドレスがまた汚してしまって……」
「いや、そんなことは気にしなくていいから」
少女は血に塗れた右拳と私の腹部に開けた風穴を見ては落ち込んでしまっていた。
「ネクリア様、身体が動きすぎてしまったのは……恐らくネクリア様が今まで"あまり使って来なかった力"を、私がネクリア様の身体で使用してきたせいだと思われます」
「どういう意味だ?」
「私の戦いの記憶を、体が先に覚えてしまった状態なのかと……。ブルメアにも兆候が見えてました」
「ふぅん? ブルメアにも同じようなことがあったんだな」
「ええ、明らかに"異常"、あるいは神懸かり的な戦闘感覚の習熟度合でした」
その事が良い事であると断じる事は出来ない。人は無意識に肉体に制限をかけて日々を過ごしているが、熟練した戦士ならばその制限を取り払って武器を振るう事が出来る。
だが、肉体への制限とは、本来は必要だからこそかけられているのだ。魔法使いが全力の魔法を何度も連発できないように、戦士も全力で技を振るい続ければそのうち肉体が耐えきれなくなる。
そして、私の場合はゾンビとして長く在り続けているせいか、"壊れる前提"で身体を動かしすぎている。いや、壊れても動かそうとしているのだから、生者の感覚とはかなり乖離している。
無論、ネクリア様やブルメアの身体を扱っている時は気をつけてはいるつもりではあるのだが……。それでも戦闘になってしまえばそうも言っていられない。
「ん、アイツってどこかぼけーっとしててほわほわしてるからそうは見えなかったけどなぁ……」
それはネクリア様が言えることなのだろうか……。と、ソウルコネクトされていないことを祈りながら口には出さずに思うだけにしておいた。
「訓練もしてこなかった者が、初めて武器を手に取ってから僅か1週間足らずで単独で魔獣を撃破するだけではなく、断崖絶壁を道具も使わず登りきる程ですから、まともではありません」
正直に言ってしまえば、私は彼女がどこかで諦めてくれると侮っていた。だが、今となっては私が課してきた無理難題をことごとく地力で乗り越えてしまっているのだ。もはや、教えられることも殆どなくなってしまうくらいに。
「恐らく、ブルメアがこれからも戦士としての修練を欠かさなければあと10年、いや数年足らずで生前の私など超えてしまうでしょうね」
彼女は戦力として見れば非凡だ。だが、私にとっては数年という時間は長すぎる。
「で、ブルメアがそれだけ凄くなってしまった要因が、お前が憑依してきたせいだってこと?」
「恐らくは、それ以外の要因は思いつきませんでした」
「ふぅん? それじゃ私の身体がゾンヲリの形に覚え込まされているって感じ?」
「ネクリア様……その表現にはいささか語弊があるように思えますが……」
ツッコミ役が不在なせいですやすや寝ているアンジェさんほったらかしのまま脱線に脱線を重ねて収拾がつかなくなってしまう今日のこの頃




