第二十九話:サキュバスの祖
侵略者たる悪魔と人間の戦争、この対立構図は大陸中の人々が認知している事実だ。100年以上にも渡る長き戦争の矢面に立ってきたのは人間の国家の中では最大規模の勢力圏を誇るヴォイオディア魔導帝国。
その辺境にあたる鉱山都市においても、悪魔は決して相容れることのない"不倶戴天の敵"という共通認識が多少の程度の差はあれど広まっている。むしろ、これは"常識"と言ってもいい。
また、常識を定着させるにあたって一役を買ってきたのがイリス教会だ。国境を問わず全国的に教会を設置し、そこで奇跡による治療活動を行うと同時に勇者や聖職者達が人々を困らせてきた悪魔を討ち果たすという神話や叙事詩を語って来たのだ。
そうしてイリス教の活動の正当性を裏付けてきたのが"悪魔"という絶対悪な存在だった。
しかし、先ほどのネクリア様が言った「悪魔の産みの親がイリス」であるという発言は、イリス教会の根幹を揺るがしかねない危険な真実だろう。なんせ、自分で産んだ悪魔を人間と争わせておきながら、自分で悪魔を討ち滅ぼす"神話"を作っているのだから。
これを一言で形容するならば自作自演の茶番、実に馬鹿馬鹿しいという言葉に尽きる。
尤も、ばら撒いた黒死病の終息の為に特効薬を配って回ってる私達も、あまり人の事を言えた義理ではないか……。
「ネクリア様、何故イリスは自分で産んだ悪魔を排しようとしているのですか」
生み出した悪魔の制御が困難になったのか。あるいは、英雄伝説の成就の為には英雄に倒される"悪役"が必要だったのか。あるいは……邪推すればキリがない。が、案外行き当たりばったりなのかもしれないな、私達のように。
「う~んそうだな、その経緯をゾンヲリに説明するには、今の"大陸史"を理解する必要があるんだけど……。少し長くなるけど聞く?」
「はい」
「まず、お前達"人間"の大陸紀元は何時頃だったと思う?」
「それは、イリス教の創世記に記されている"722年前"が原初の人間の始まりではなかったということですか?」
「うむ、それは今からおよそ2千年と7百年くらい前になるかな。その時の死食によってアビスゲートが完全に開ききり、深淵から"鬼"の一族が大量に雪崩込んできたんだ。そして、オウガ達は大陸全土を瞬く間に侵略し尽した。これがお前達人間の始まり、通称、鬼の時代と言われているものだなっ」
オウガ、征伐軍との戦いの最中に突如現れた凶悪な巨人。そして、原初の"人間"であったと言われている存在だ。人間の中には飛竜狩りのように"人間離れ"した者が時折いるが、その理由はオウガとしての闘争本能や力を引き出しているからとも言われている。だったか。
いずれにせよ、人工的に作られた一体だけでもあれだけの脅威で暴力的な存在が、異界から軍勢を成してあふれ出し地上を覆い尽くすか。それが、千年に一度訪れる死食の日による必然の死の一端だ。
「そして、人間紀元から千年後に再度発生した死食によって、今度は龍が到来し、地上を支配していたオウガの末裔と龍との戦、龍鬼戦争が始まったと言われている」
「ネクリア様、その戦いの結末はどうなったのでしょうか?」
「ギィルガワロスが言うには龍と鬼は"千年"近く戦い続けて共倒れになったらしいよ。双方の神も滅び、加護を失った事で龍は叡智や部位を失い、鬼は力を失い種族として急激に退化し始めたんだ。それが今のお前達の形、人間と竜という形に落ち着いたんだと言われてるな」
「千年戦争ですか。話で聞く分には全く実感が沸かない途方もない話ですね」
そういえば、以前ベルクトから聞いたコボルト達の歴史において、龍とはオウガによる支配からの解放者であり、それに準えて最強のコボルトには"竜王"という称号を与えられるようになったという経緯があったな。
いや、それより……。
「いや待って下さいネクリア様、二度目の死食による龍の到来から千年が経った……? まさか、今から722年前にも?」
「そう、お前達から数えて3度目の死食が発生したのさ。そうして千の天使を率いてこの世界に舞い降りた新たな神が、イリスってわけ」
「しかし、だとすれば当時の龍や鬼達が黙っていないのでは?」
「まぁ、その頃には強い龍や鬼も個体数は両手で数えられる程にまで減ってしまってたらしいし、"魔王様"が仰るには多勢に無勢による一方的な蹂躙だったらしいよ。実際には大陸全土制圧までに十数年も必要としなかったらしいし」
そうして龍と鬼による千年の戦は天使の襲来によって幕を閉じた。しかし、見方によってはそれは悪い事ではないようにも思える。
「しかし、イリスや天使達によって地上は掌握されてしまったのだとすれば、何故今イリス教などという回りくどい事をしているのでしょうか?」
「まぁ、実際には殆どまっ平にする勢いでこっ酷くやったらしいからね。言っちゃあアレだけど、当時の人間達からは相当恨まれたんだよ。だから、イリスは"容姿が比較的人間に近かった"とある熾天使に使命を下したんだ」
「容姿が人間に近い……?」
今どき天使を想像すれば、頭に天使の輪を浮かべ背中に白い翼を生やした美男美女といった所だろう。だからこそ、その言葉に違和感を覚えてしまった。
「ああ、そうか。お前達人間の知ってるような第三世代型の天使と違ってさ、イリスの眷属だった"初期型"の天使ってのはどっちかって言えば異形のモンスターだぞ。翼なんてついてなかったり、全身に触手生やしてたり、頭が三つ生えてたり、雌雄同体で生殖器が複数あったり、全身が目玉で覆われてるスライムみたいな連中がゴロゴロいる」
「……どうも聞く分には"悪魔"に近いという印象ですね」
「実際、そいつらって今は悪魔だし?」
少女はそんな重大な事をサラっといって見せた。
「で、話は戻すけど、地上に降りたとある熾天使がイリスに言い渡された無茶ぶりって何だったと思う?」
地上を蹂躙したのが"化け物"であったとするならば、責任を全てそいつらに押し付けてしまえばイリスそのものは綺麗でいられる。そして、比較的人間に近い者であるならば、何となく好感を持ちたくなるというのが人の性だ。
「分かりやすい悪役となる異形の天使を討たせたのですか」
「半分正解、率直に言うならイメージ回復のために"救世主"活動をやってもらったってわけ。それでその熾天使はもの凄く頑張ったらしいよ? 手当たり次第に優しく手を差し伸べたり、魔法で色々何とかしてあげたりしたのさ」
……なんとなく、今の私達とやってることは大差ないのかもしれないな。
「でさ、その熾天使は救済活動の最中に地上で色々な人と触れ合っていくうちに、色々と愛着持っちゃったりするわけ。それで、つい好きになった人間とヤっちゃったんだよね。一回エッチしちゃったもんだから、それからはもうタガが外れたようにドハマりしちゃったらしくてさ、勢いで子供まで産んじゃったわけ。ま、きっとストレスとか溜まってたんだろうけどさ」
「……なんとも返答に困る話ですね」
なんというか、話の中身が一気に所帯じみてきたというか、生々しさがこもり始めているのは気のせいなんだろうか。いや、よそう、これ以上勝手に想像をしても混乱するだけだ。
「で、この事に一人キレた奴がいるわけ、それはもうマジギレ」
「あぁ……それがイリス、と」
「そ、その熾天使はイリスお気に入りの情婦でもあったからさ。ようするに寝取られだよ寝取られ。ゾンヲリだってさ、私が他の男とアレしてたり幸せなキスとかしてたら嫌だろ?」
少女は何かを期待しているかのように、チラチラと流し目をしていた。
「ネクリア様……? どうしてそこで私に振るのでしょうか? 厳密にはその熾天使とネクリア様では大分事情も異なるように思えますし、淫魔であるネクリア様が他の殿方と性交渉しているのは"いつもの事"では? 幸せだというなら祝福も致しますが……」
「グッ……コイツ……。お前の爪の垢を煎じてイリスが飲んでたら今どき歴史が変ってただろうな」
流石に腐った死体の爪の垢を飲むのはイリスに限らず大抵の者は願い下げだと思うのだが……それを言うのは野暮というものだろうな。
「それより続きだけど、イリスはこの事件をかなり重くみたのか、当事者の熾天使を永久追放の後の粛清刑にしただけでは飽き足らず、人間に対して一定の強い感情を持ち合わせている天使達や、容姿が不細工だったり、イリスに反抗的な兆候を見せる天使達もまとめて永久追放し始めたのさ。 その数なんと総勢666体。当時の全体の3分の2だったってオチ!」
「なんとも荒唐無稽に思えますが、その666体の天使というのがまさか……」
「うむ、それらの生き残りが魔族国の飛天魔ベリアルや中央区に住んでる貴族階級悪魔達。ちなみに救世主としての役目を与えられた熾天使というのが魔王様、すなわちリリエル様だ。それに加えてリリエル様の娘達が私達サキュバスなんだぞっ」
魔王様が産めよ増やせよ~で増えたのがサキュバスやレッサーハゲの者達である
なお、基本的に世代を跨ぐほど魔王の血が薄まって弱くなり、混血を繰り返して何世代も跨いで人間とかとあんまり大差なくなってきた者達が劣等階級と呼ばれる者である
故にプライドの高い始祖や純潔悪魔から"劣等種"と蔑まれていたりいなかったりするらしい
が、始めから兵器や強者として作られ完成している始祖悪魔組と違って混血組は不完全であるが故に"成長する"という特性を持ち合わせている。
なお、始祖組は兵器としてイリスに使われる前提で設計されているために、極特殊な例外を除いて成長できないようになっている。イリス自身を超えられないように意図的に強さに"上限"が設けられているからだ。どちらかと言えば、その可能性を危険視したという説もあるらしい。