第二十七話:懺悔
「うあああああああああああ!!ごめんなさい!ごめんなさい!赦して下さい!」
「落ち着け、シスター。悪夢は終わっている」
「……あ、れ……あなたは……? わた、し、は一体……? さっきまでのは……全部、ゆ、め?」
目の前に立っていたのは、コウモリの翼と黒くて細長い尻尾が特徴の女の子? その可愛らしい姿に全く似つかわしくないような剣呑とした雰囲気を纏っていて、鋭い眼光で私を見据えていた。
「そうだ。先ほどからシスターが見ていたのは、ただの悪夢だ」
夢の中で懺悔し続けていた少女は……私? なら、今が現実……? でも、夢にしてはあまりにも鮮明で、生々しすぎる現実感があった。過去の記憶や夢のことをはっきり思い出そうとすると、頭が痛むし吐き気もしてくる。心が……思い出すことを拒否してる。どうして?
思考が上手くまとまらない。 なんだかけだるくて、とにかく気持ち悪い。それに……。
「身体が……動かない」
手足が縛られている。それだけじゃなくて、力を入れて拘束を引きちぎろうとしても、身体が意思に反して動いてくれない。まるで、まだ夢の中にいるような……そんな浮遊感が残ってる。
「今のシスターの四肢は一時的に麻痺に近い状態になっている。だが、案ずることはない。しばらくすれば元通りに動けるようになるだろう」
麻痺……? そうだ、麻痺なら奇跡で治せる。直ぐに祈りを……。
「神よ、ふぐっ!?」
「話が終わるまでは余計な真似をするな」
祈りの口上を述べようとした時だった。急に布きれを口の中に詰め込められてしまう。
「んん!? んん!!」
異物を吐き出そうとしてむせてしまう。だけどもがくこともできず、今は大人しくしているしかないのだと思い知らされた。
「"奇跡"は使うな。こちらも容赦できなくなる。次はないぞ?」
神への感謝と祈りの言葉によって奇跡は発現します。淫魔少女ネーアはその事も熟知していて、私に奇跡を使わせる隙を与えてはくれない。
「ケホッ……そう、ですか……私は、捕まったのですね」
「状況を理解してもらえたようだな」
夢の前の記憶はもはや朧げですが、遠くからネーアと呼ばれた淫魔の少女のことは観察してきました。誰にでも優しそうて、活発で、それでいて笑顔が素敵な女の子……だったと思います。なのに、今目の前に居る方はまるで別人。
それは、復讐を志して異端狩りや魔女狩りを熱心に行う"執行者"の方々にそこはかとなく雰囲気が似ていて、冷たそうで、威圧的で、目的の為ならば非道も問わない、そんな凄みすらも放っていて……。
仮に、全力で今のこの方に抵抗したとしても、最後にメイスを振り下ろした時に覚えていたような勝利の確信は……もてませんでした。
「……私を、どうなさるおつもりでしょうか?」
こんな質問しなくても、これから行われることについて想像がつきます。
「こちらの質問に素直に答えてもらえるならば、手荒な真似をせず解放することを約束しよう」
それは嘘です。だって、これは異端審問の際には必ず行われるやりとりです。早々に仲間を売るか罪を認めれば罪や拷問は軽くする。そうやって自白を促すのは拷問の常套句ですから。
「では……それは出来ませんと言ったらどうなさるおつもりですか……?」
身体も、純潔も穢されてしまうのでしょうか。それとも、四肢をもがれてしまうのでしょうか。ですが、それくらいの試練ならば私は耐えられます。神も、赦しては下さいます。死に至るとしても、神の徒として死ねるのならば……私は本望です。
だから、私は恐ろしくはありません。決して、屈したりしません。
「"アンジェ"、その場合は不本意だが貴女以外のシスターに口を割ってもらうことにしようか」
そんな私の決意をあざ笑うかのように、淫魔少女ネーアは悪魔的な選択を私にゆだねてきたのです。
「……え?」
一瞬、理解が追い付きませんでした。どうしてネーアは私の名を……? いえ、それよりも……。
「"見る限り"、貴女に対し単純な苦痛を与える事は無意味だろう? ならばまだ、貴女と違って"痛み"でも十分に話を聞き出せそうな相手から話を聞く方が手間もない。これはその為の確認だ」
ああ……この方は、私と"教会"を正しく理解した上で、私を追い詰めようとしているんだ。
「やめなさい! 彼女達は何も知りません! そんなことをしても無意味です。責め苦を負わせるのならば私だけで十分です」
今の教会で働いている彼女達は本当に何も知りません。教会の暗部も、司祭様の事も。ただ、純粋にイリス様を信じて奇跡を会得するに至った人達なのです。だから、教会の守り手として、せめて彼女達の事だけは私が守らなくては。
「ああ、それが聞けて良かった」
その言葉を聞いて、私が"自白してしまう"という罪を犯した事に気付いた。彼女達が無関係であるという情報を淫魔少女ネーア与えてしまったんだ。
「ああっ……」
「無論、私達も無関係な人間を巻き込むのは本意ではない。だからこそ問う、何の意図があって私達を狙った。それも暗殺という形でな」
「それは……」
どのように言いつくろったとしても、この方の道理を覆す手段は私は持ってはいません。何故なら、私が一方的に"何の悪事も働いていない"この方をいきなり殴りつけたのは事実、なのですから。
"執行者"と教会の正義を語って説き伏せることは、もはや自白するも同然です。
「……では貴女の立場に配慮し、今すぐに教会に行って"司祭"とやらから話を聞きにいくとしようか。尤も、情報不足であるが故に多少強硬な手段も使わざるを得ないだろう」
ああ……ダメだ。教会の守り手である私が不在のままでは、この方の襲撃を止められません。司祭様をお守りすることもできません。
私がこのまま黙秘を貫けば"無関係な人間を巻き込む"と脅しをかけているのです。それはつまり、私の判断が……無関係な人達を殺すのも同然……です。
「……あなたは、私に犠牲になる者を選べと仰るのですか? 教会か、無関係な者達か」
「そうだ」
この方は、私に"罪"を犯させるためにこのような問答をしているのです。選択肢を奪い、与えておきながら、どちらを選んだとしても結果的に罪を犯し、私に神を穢させているのです。
「っ! ……あなたは、惨い方です! 悪魔! 人でなし!」
我慢できず、感情のままに叫んでしまっていた。
「勘違いしてもらっては困るな。選ぶのは貴女だよ。シスター」
「もうこんな問答やめてください! 私に罰を与えたいのならば好きにしなさい! だから、私に選ばせないで……」
「……シスター次第で誰も血を流さない"穏便"な対話になるかもしれないと言っているだけだ。それとも、その道は一切あり得ないとでも?」
ああ……ダメだ。そんな希望、嘘だ。嘘に決まっている。この方の話をこれ以上聞いてはいけない。なのに……私は希望の誘惑に縋らずにはいられなくなっていた。
……イリス様、司祭様、どうかお赦し下さい。私は……少しでも救える者は救いたいのです。後で必ず罰はお受けします。だから……。
「では、どうか約束してください。この暗殺に無関係な者達には決して手を出さないと」
「約束しよう。シスターの協力に感謝する」
私は悪魔と契約を結んでしまった。そして、全てを、洗いざらいに吐き出してしまった。
暗殺のこと、司祭様のこと、魔滅の銀槌といった教会の暗部のことも全部、一度話を始めてしまうと自分ではもう止められなくなっていた。知っていることを一つ吐き出すにつれて、身体が楽になっていく気がしたのだから。
「最後に聞こう。シスターの望みはなんだ?」
「どうして、そのような質問をなさるのですか? 私はもう用済み、なのでしょう?」
虜囚となって尋問を終えた者の最期は教会で何度も見届けてきました。だから、私もそうなるのだと覚悟は決めていました。
なのに……。
「始めに言ったはずだ。素直に協力してもらえるのなら解放するとな」
この方は約束通り私を拘束している縄を切ったのです。
悪魔が約束を守るなんて信じられなかった。信じたくもなかった。
「……そんな!?」
「シスターが何を不思議に思っているのかは知らないが、交渉の場で騙し討ちばかり使う輩を信じろなどと言われて信じることなど到底出来ないだろう。これは誠意に対する当然の対応でしかない」
それなら私達教会が異端者や魔女に対して行ってきた苛烈な尋問とその後の仕打ちはどうなるのですか? 自白すれば罪を軽くすると説きながら、その後火刑に処してきた私たちは……。
「……私をここで自由にすれば、私は教会の守り手として貴女の前に立ちはだかりますよ。それでも?」
「武器を手にして立ちはだかりたいと言うのならば、好きにすればいい。私はそれを止めるつもりはない」
「……え?」
「お節介焼きなシスター殿には二つ程大きな借りがあったな。ならばその借りを返すのも道理。確か、貴女の信仰している教義に言い直せば"目には目を、歯には歯を"だったか? まぁいい、ともかく貴女の"躊躇い"がなければ血はもっと流れていたのだからな」
「あっ……あぁ……」
"目には目を、歯には歯を"とは、過剰な復讐を諫めるためのお言葉です。ですが、それともう一つの意味があります。誰かから親切を受けたのならば同じような親切を返しなさいというお言葉でもあるのです。
私は膝をついてしまっていた。私はこれまで、そんなことも守れてはいなかった。
「では……あなたに慈悲があるのでしたら、一つお願いがございます」
「聞こう」
「私は、死を望みます」
「……理由は?」
「私はこれまで、数えきれない程の多くの罪を犯してきました」
私が所属している教会の暗部は綺麗な事だけをやっていたわけではなかった。むしろ、汚いことばかりです。聖典には殺人をしてはいけないと書かれているのに、人殺しと呼ばれるような仕事で何度もこの手を血で染めてきました。悔い改めた者を許してもきませんでした。
「そして今、イリス様にも背いてしまった罪深い私に贖える方法は、もう……それしか……。だから……殺してください……お願いします」
「確か、"貴女の言葉"ではイリスとやらはどれだけ重い罪でも赦してくれる慈悲深い神なのではなかったのか?」
「それでも……私は自分を許せないのです。だから……」
「一つ言っておこう。死によって償える罪などない。貴女は単に、楽になりたいだけだろう」
イリスの教義では自ら命を絶つのは禁忌と言われています。己の死を望む行為は絶望に染まった魂の穢れを意味しますから。そして、穢れに染まった魂が主の御許へ行くことは叶いません。
……自分ではない誰かに、自分を殺してもらうように頼むなどと……自殺という行為を誤魔化すためのただの奇弁です。
「そうです……仰る通りです。私は浅ましくて……卑しい女です。ですがもう……楽になりたいのです」
自分よりも小さな少女の足元に食い下がっていました。
「……生憎だが、死によって楽になれることもない。その先に待つのは永劫にも続く痛みと苦しみだけだ。それでも望むと?」
「……はい」
私は、ずっと誰かに裁いてもらいたかったのです。
「そうか。ならばシスターの望みを叶えてやろう」
ネーアはテントの物置から一本の剣を取り出しました。それは黒錆の大剣、いえ、剣と呼ぶにはあまりにも分厚く長く、振り回せば天幕も突き破りかねない。
そんな武器を、ネーアは片手で軽々と持ち上げているのです。
「なぁゾンヲリ、ほんとにヤっちゃうのか? 何か後味悪すぎて嫌なんだけど……、ん? 分かったよ。しょ~がないなぁ」
どこか砕けたような口調で、ゾンヲリという方に問いかけている今のネーアからは、何故か先ほどまで纏っていた威圧感を感じませんでした。
「闇よりも暗き抱擁に包まれながら、罪過を犯せし虐げられし咎人に、深淵よりも深き安らかな眠りへと誘え【魂を砕く宵の剣】」
ネーアが呪文を詠唱し終えると、黒い霧のような禍々しい邪気が黒錆の刀身を包み込みます。
「……ぁあ……」
本能で理解してしまいました。アレに触れるのは、死ぬことよりも恐ろしい目に遭うことであると。全身の震えを抑える事ができません。
「これは貴女に完全なる死を与える剣だ。一振りで痛みも苦しみも感じる間すらもなく、魂ごと滅してやれるだろう」
喉元に切っ先が突き付けられた時、涙が溢れて前が見えなくなりました。
「それでも死を望むか?」
「……ぃ」
言葉が出ない。呼吸をするのも忘れてしまっていました。それ程までに、目の前にある"死"が恐ろしかったのです。
「恐怖で言葉が出ないのならば目を閉じていろ」
ここにきて、私は瞼を閉じることに迷っています。あれほど、覚悟してきたのに……。私はまだ、心の奥底では身勝手にも生きたいと思っているのです。誰かに救って欲しいと願っているのです。
それでも……瞼を閉じることにしました。
「……では最後だ。貴女を救う為に、己の身を投げうってきた者達に何か言い残すことはあるか? バラックや、貴女の家族らの命がけの献身を無為にすることに」
その時、忘れていた記憶が溢れてきました。家族のこと、バラックおじさんのこと。まだ、暖かかったころの記憶が。自分を犠牲にしてまで私に生きることを教えてくれた人達のことを。
「ぁああああ……ごめんなさい……。ごめんなさい……。ごめんなさい……。どうか、赦して下さい」
もう、抑えることができませんでした。ただの小さな子供のようにうずくまって泣きじゃくっていました。見上げると、ネーアは剣を降ろしていました。
私が目を閉じるのをやめてしまっていたから。
物理ダメージが効かない相手に精神攻撃は基本。
なお、威圧ロール中のゾンヲリさんの心境は下記の通り。
ゾンヲリ「殺すぞ……絶対殺すぞ……いいな? 殺すぞ……? 死んでもいいことなんかないぞ? それでも殺すぞ? これで最後だぞ……? 殺すぞ?(クソッ! 頼むから早く折れてくれ……)」
いくらゾンヲリさんでも恩人殺すのは流石に抵抗があったらしい。一度目の恩はポーション代金建て替え分、二度目の恩は舐めプ奇襲した件についてである。
なお、ゾンヲリさんの言った「目には目」などのイリス教語録はアンジェさんの記憶を追体験した際に聖典の中身を覚えた模様。案外マメである。




