第二十四話:アンジェの過去ーおじさん編ー
ここから3話くらいはアンジェさんの過去話がずっと続くらしいぞ?
遠い昔の夢を見た。
私が子供だった時に住んでいた村は、今は黒雲平野と呼ばれている場所に近い場所だった。何の特徴もないのどかな田舎であることくらいしか特徴のない平凡な寒村で、裕福ではないけれど家族と共に平凡に暮らせていた。
だけど、そんな平凡な暮らしも、ある日突然壊れてしまった。悪魔の襲来によって。
「アンジェ、お前は井戸の中に隠れていなさい。いい? 静かになるまで絶対に上がって来てはだめだからね」
何かが焼け焦げるような嫌な臭いと、耳をつんざくような悲鳴に包まれながら、冷たい井戸の底でずっと震えていた。母に指示された通り静かになってから、井戸にかけられた梯子を上り終えると、そこには焦土が広がっていた。
今まで住んでいた家も、小さな畑も、何にもなくなっていた。
「お父さん……? お母さん……? 皆? どこなの?」
多分、地面に倒れている黒く焼け焦げた人形達が家族だったのかもしれない。泣いても、叫んでも何も変わらなかった。そのうちお腹が減ってきて、食べ物を求めてあてもなく彷徨い歩いていると、目の前に馬車が通りがかった。
「おね、がい……たす、けて……」
檻付きの馬車に乗っていた恰幅の良い大人は、足元に縋る私を汚い物を見るような眼つきで見下ろしていた。
「ちっ、"ここ"は小汚いガキ一匹だけか。まぁ、見てくれは悪くない娘なだけマシか。前に売り払ってやったクソガキよりは買い取り先を探すのには困らないだろう。よし、連れていけ」
「へいへい、雇い主様の仰せの通りにっと。こっちきな、ガキンチョ」
そして、わけもわからず手枷をはめれて、馬車の後ろの檻の中に押し込まれた。それでも、食べ物を貰えたことがとにかく嬉しかった。もしかしたら家族の事も一緒に助けてもらえるかもしれないと思って、思い切って大人の人に訪ねてみた。
「あの……私のお父さんとお母さんを探してくれませんか?」
「うるさい。クソガキは静かにしていろ!」
「ひうっ!」
いきなり檻越しに殴られて、怖くて、とにかく静かにするしかないって思い知らされた。
「あ~あ~、ガキンチョ。そっちのおじちゃんに話かけんのはやめとけやめとけ。この辺はまだ魔族の勢力圏内で危なっかしくてな、ピリピリしてんだよ」
「おじさんは殴らないの?」
「ああん? クソガキを殴る趣味なんぞねぇよ。それに俺はまだおじさんって年じゃねぇンだが……、まぁ老け顔なのは自他共に認める所だがな」
「おい、うるせぇって言ってるだろ!」
「へいへい、性格がお悪いこって」
そういっておじさんは、こっそりと私の手に焼き菓子をくれた。慌てて返そうと思って見上げると、おじさんは一指し指を口元に当てて「静かにするように」って仕草で教えてくれた。
それから、怖いおじさんが外で休憩している時に、檻の中からおじさんとお話することが私の日常になっていた。
「おじさん……私、これからどうなるの?」
「さぁな、運が良ければ優しい足長おじさんの元で働けるんだろうが、運が悪けりゃ……。まぁ、お前は結構悪運が強い方だから大丈夫だろ。なんたって生きてる。こちとらお前の前に、獣にハラワタ食いちぎられたガキの死体を6人程見かけてきてんだ」
おじさんと話をしていて何となく理解できたのは、私はこれから"売られる"ってことだった。わけも分からず悪魔に日常を壊されて、わけの分からない人に売られてしまう。そう思うと悲しくて、涙が出てきた。
だけど、大声で泣くと怖い方のおじさんに殴られるから、静かに泣いた。
「……おじさん、どうしてこうなったの?」
「ま、世の中ってのは大概理不尽なモンで出来てんだよ。俺もちょっと前までは人気絶頂モテモテの冒険者だったってのによぉ。高々一回飛竜討伐のヤマで本物見てビビって仕事をしくじったせいで何もかも失くしちまってな。今じゃこの通り、非合法の奴隷商人の下働きでもやらねぇと仕事にすらありつけず、ロクに飯も食えないただのさえないオッサンになっちまったって有様よ」
よく見ると、おじさんの右腕は石膏のような物でがっしりと固定されていて自由に動かせない状態になっていた。食事している時や煙草を吸ってる姿もどこかぎこちなくて……。
当たり前のようにあった物をある日急に無くしてしまうのは、"当たり前のこと"なんだって、思い知らされた。でも、そう思うと少しだけ楽になれた。
おじさんのお話を聞いてると、自分だけが特別に悲しいわけじゃないんだって思えたから。
「おじさん」
「あぁん?」
「どうか私を、買って下さい……お願いします……なんでもしますから……」
見ず知らずの人に買われるのは怖かった。私に優しくしてくれたおじさんならきっと酷いことはしないって打算もあった。だから縋ったんだ。
「んな無駄金銅貨1枚だって持っちゃいねぇよ。ガキンチョの境遇には同情はするが、そこは自分でなんとかしのぎな」
「そんな……」
「それとガキンチョ、後学の為に教えといてやるが、どこぞのクソ野郎に骨の髄までしゃぶり尽くされたくなけりゃあ、他人様の前で"なんでもします"なんて軽々しく口にすんじゃねぇぞ。余裕のない姿を見せりゃあそれだけ足元を見られて無理難題吹っかけられちまうからな」
それからのおじさんの言葉は殆ど耳に入らなかった。頼れる人はもういないんだって思うと。ただひたすら悲しかったから。
その日の夜、外でおじさん達が話し合っている会話が聞こえて来た。優しかったおじさんの方が珍しく怒ってたんだ。
「おいおい、契約と違うぜ。明後日には街に戻るんじゃなかったのかよ?」
「ふん、このまま女のガキ一匹連れ帰っても赤字だ。 せめてあと3人は性奴隷に使えそうな女奴隷を探す」
「いやいや、次の村跡まで"安全"な道で進むにゃここから3日はかかるぜ、帰りや奴隷の分も考慮して往復で10日分の備蓄なんぞ残っちゃいねぇ。奴隷共々餓死すんのがオチだぞ」
「"近道"を通れば往復3日で済むだろう」
「馬の倍以上の速度で追っかけてくる暗爪獣の生息域を真っ直ぐ突っ切ろうってか!? おいおい、勘弁してくれ、命がいくらあってもたりねぇよ」
「バラック! それを何とかするのが貴様の仕事だろうが!」
「ならアンタのその太っ腹に免じて追加で銀貨10枚の特別手当を出してくれませんかねぇ? 契約通りの報酬だと俺の方が赤字になっちまう」
「特別手当だと? そんなもの払えるか!」
「ああ、そうかい。 ならせめて、今日までの護衛分の日当を払っては下さいませんかね? 付き合いきれねぇよ」
「途中で仕事をやめるクズに払う金があるとでも? "近道"を通って奴隷を"最低4人"確保して帰還できなければ貴様に払う金など銅貨一枚もないわ。なんなら貴様の罪を告発してやってもいいのだぞ?」
「……OK。俺に選択権はない。そういうことだな? ご主人様?」
「ふん、分かればいい」
話の中身は分からなかったけど、多分、凄く危ないんだってことだけは分かった。 その後、おじさんが馬車の中に入って来ると、長い黒い布と手枷の鍵を檻の中に放り込んできたんだ。
「おじさん……これは?」
黒い布切れは湿っていて、非常に強い香りが漂っていた。多分、魔獣除けの香草の匂いだったんだと思う。
「ガキンチョ、明日の夕方以降はその黒い布を頭から被って全身を隠してろ。死にたくなければ何があっても朝になるまで絶対顔を出すなよ」
「おじさんは、どうして私にくれるの?」
「本当は雇い主様のために念のため用意しておいたブツなんだが、気が変った。マヌケにはいくら口で説明しても無駄だ、一度自分の身で痛い目に遭わねぇ限り学習できねぇんだよ」
翌日、日が落ちてきておじさん達が野営の準備を始めたのを見計らって、おじさんから貰った鍵で手枷を外して黒い布を被って待っていた。
「それじゃ、俺は外を一回りして見張ってくる。一応ここに馬は残しておくが、何かあったらこれに乗って逃げてくれよ」
「ふん、言われるまでもないわ」
おじさんは見張りに出かけるフリをした後、こっそりと馬車の檻の中に入って来たんだ。
「おじさん?」
「シッ、気付かれるから静かにしろ。そろそろ"奴ら"の時間帯だ」
「うん……」
すると、バラックおじさんは檻を閉めた後に黒い布を被って私の隣に座り込んだんだ。辺りもすっかり暗くなって、外を照らしているのは赤い星の光だけ。馬車の中はもう真っ暗で、直ぐ近くにいるはずのおじさんの姿も全然見えなくて。ずっと息を殺しているのも息苦しくて、ついおじさんに話しかけようとした時だった。
「おじ……」
「ガルゥアアアア!」
突如、恐ろしい獣の咆哮が聞こえた。
「ッヒィイイイイ化物! ヒッヒギャアアアアア! ア"ァ"ァ"ア"ア"!」
怖い方のおじさんの悲鳴と、痛々しさを感じさせるような馬のいななきが聞こえてくる。
「ヒッ」
「シッ」
思わず声をあげそうになったけど、おじさんが手を握ってくれたから耐えられた。
それから、肉が引き千切られるような嫌な音が聞こえてきた。草花が倒れる音や、何か大きな物が地面を強く踏みしめる音が沢山近づいてくる。恐ろしい化け物の唸り声が、吐息の音が、何も見えない闇の中から聞こえてくる。
そして、化け物同士が互いに争い始めるんだ。けたたましい咆哮をあげて、近くにある木々も薙ぎ倒して。
もう、気が狂いそうだった。泣き叫びたかった。でも、私の手を握ってくれているバラックおじさんの手も震えてる事に気付いて、少しだけ冷静になれた。おじさんも怖かったんだって思うと、何だか安心できたんだ。
しばらくすると化物達は立ち去っていった。静寂の中ではおじさんと自分の心臓の鼓動がやけにうるさくて、とにかく落ち着かなかった。
「油断して気を抜くな、ヤツらが去った後に"掃除屋"もやってくる」
「……うん」
夜は長かった。何かが這いずる音が聞こえてくる度に恐ろしくなって、その度におじさんの胸に必死にしがみついていた。
朝日はすごく眩しかった。多分、この日以上に太陽の光に感謝した日はない。檻の外には夥しい量の血で地面が染められていて、その上に白骨だけが残っていた。馬車を引く馬も、怖い方のおじさんも、何処にもいなかったんだ。
「ふぅ~~~、何とか生き延びる事が出来たなぁ! ムカツク野郎もくたばってサッパリしたぜぇ。ざまあぁみろってんだ! おい、ガキンチョも覚えとけよ? 金の切れ目は縁の切れ目って言うんだぜ」
そう言って大げさにはしゃぎ回るおじさんの姿がまるで同い年の子みたいに見えて、少しおかしかった。」
「よ~し、さっさととるもんとったらこんな場所おさらばといこうぜ。おい、ガキンチョ、とりあえずお前もテントから手当たり次第に使えそうな物と水と食い物を探してこい」
すると、おじさんは堂々と死体の遺品漁りを始めていったんだ。それが良くないことだって何となく分かってはいたけど……何よりもお腹が減っていた。
馬車に拾われてからも、おじさんが時折くれたお菓子以外は殆ど口にしていなかったから。
「うん」
魔獣に荒らされて支柱が折れてしまっているテントの中を探して回ったけど、殆どが食い散らかされてしまっていて、その中でも唯一食べられそうだったのが踏み潰されて泥や血がついた乾いたパンだった。
「おじさん、ごめんなさい。食べ物は何にもなかったです……」
私は、おじさんに嘘を言いました。
「チッ、仕方ねぇな。ほらよガキンチョ、最後の菓子だ」
「……おじさん、ありがとう」
「それと、今の俺は故障中でロクに戦えないからな。この辺での狩りには全く期待すんじゃねぇぞ。最悪、三日は飯抜きだ」
それから、おじさんに手を引かれながらひたすら歩き続けた。見渡す限りに広がる平野を進み続けた。
「おじさん、どうして森に入らないの? 食べ物や水だって見つかるかも……」
森なら隠れやすいし、不思議に思っておじさんに聞いた。
「確かに森や水辺には食い物があるけどよ、それを探してるマヌケを狙って魔獣は寄ってくんのよ。ま、睨まれたくなけりゃ食い物がない"安全な道"を通るしかねぇってこった。で、しかも魔獣ってやつは大抵目よりも鼻が効く。俺らが"今見えている先から"俺らの体臭を嗅ぎつけてやってくるって寸法よ。そんな中で頭とか尻を隠したって全く意味がねぇの。だから"近道"はやめとけって散々教えてやってんだがな」
だから、おじさんは香草や煙草を使って自分の匂いを消して歩いてたんだ。
「はぁ……匂い消し以外の効果は全く期待しちゃいなかったが、"念のため"に教会から購入しておいた魔物除けの香薬一つに銀貨5枚、それをガキンチョの分も併せて既に2個分使ってるっていうに、奴隷商人の野郎から回収できた金は高々10枚ぽっちの銀貨。はぁ……本当割にあわねぇ大赤字だぜ」
「おじさん、どうして私を助けてくれるの?」
だって、私を見捨てればおじさんは歩幅を私に合わせなくて良くなる。お金や食糧だって……。そんな中、私がおじさんに出来ることは何にもなかった。
そっか、……一つだけあった。
「あ~やめろやめろ。ガキのクセにいっちょ前に背伸びして悟った風にマセた真似してくれンのは結構だけどよ、生憎ぱいおつもロクにねぇガキンチョは趣味じゃねぇンだ。冗談抜きで10年早ぇんだよ」
「でも、それだと私、おじさんに何も返してあげられない」
「こいつは俺より先に竜に食われておっちんじまった大馬鹿野郎の言葉だけどよ。借りってのは返すもんじゃねぇ、次に送るもんだ」
「借りを送る?」
「ま、俺みてぇな冒険者って奴はよぉ、借りを返せるようになった頃にゃ大抵死んじまってるからな。だからよぉ、受けた借りは別の奴にお節介として送り付けて自己満足してやるしかねぇのよ。って言ってやがったけかな。ま、ようするにクソガキは人に迷惑かけんのが仕事で一々難しいことは考える必要ねぇってこった」
おじさんはそう言ってくれたけど、それでもやっぱり、返せるならおじさんに恩を返したかったんだ。
復活のツンデレモヒカンおじさん(ただし、時系列的には十数年前に飛竜に半殺しにされた後な模様)
アンジェさんがお節介焼きなのもモヒおじ元パーティの"恩送り"という文化を継承しての話であったりなかったりするらしい。
といった感じでモヒおじは幼女にだけは無駄にモテている……!
なお、アンジェちゃん(7歳くらい)の前に奴隷商人=サンが売り払ったクソガキがゾンヲリさん(奴隷剣闘士)であったりなかったりするらしい。
次回、いよいよ司祭が……出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。




