第十六話:神殺しもまた一興か
「すー……。すー……」
藁の敷布団の上でブルメアは寝息を立てていた。私が肉体から抜け出た事によって、ようやくブルメアは心身共に休息を取る事が出来るのだ。
「しっかしさぁ、態々戦死者の死体なんか使わんでも私に入ってればいいだろうに。第一、痛いだろ」
投石による全身の打ち身、石の槍で滅多刺しにされ穴だらけの胴体、死後から3日は経過して適度に腐り始めている戦死者の身体。その身体能力は平均的な征伐軍兵士と同程度であり、黒錆の大剣ダインソラウスを振るうには両手でも筋力不足気味だ。
しかし、だからこそ夜通しで素振りにするには丁度いい。
「苦痛のない身体にあまり慣れてしまいますと、いざという時に差し障りますので」
あえて苦境に身をおき、肉体を限界まで、かつ効率的に使い潰す術を学ぶ訓練。尤も、これはただの自己満足の気晴らしでしかない。痛みも戦いもない夜は退屈だ。何かをしていなければ、どうしても雑念ばかりが浮かび上がってくる。
「ふん、損な奴っ。よっと」
少女はさり気ない様子でとてとてと近寄り、地べたであぐらの姿勢をとっている私を座布団代わりに尻に敷くと、真後ろを見上げるようにしながら体重を預けてくる。
「それじゃあ、始めに市長の件から報告を頼むよゾンヲリ」
ずっとその姿勢だと首が疲れないだろうか。と、心配になってしまう所なのだが、これも少女の愛嬌だ。
「では、結論から申し上げますと、やはり市長はただの捨て駒でした」
市長暗殺に至るまでの顛末を伝えた中で、とりわけ少女の興味を引いたのは密偵の女魔術師が作成した魔法陣に関してだった。
それは、薬物によって市長をオウガ化させ、その原因が呪術であるかのように見せかけるだけに作られた何の効果もない偽装魔法陣だった。しかし、一つだけ私の注意を引くには十分すぎる理由があった。
「なぁ、ゾンヲリ。密偵の魔術師が作った魔法陣とやらが、本当に私が魂呼びに使っている魔法陣と似ていたのか?」
私に魔法陣の中身を理解できる程の魔術的教養があるわけではない。が、魔法陣に使用されていた幾何学模様や魔法文字は少女が死霊術を行使する際に使っていたものと一致していたし、文字配列の傾向も酷似していた。また、精霊魔法儀式などでよく使われるような魔法陣とは全く異なる体系なのだ。
故に、精霊魔術師が一目見ればそれを呪術用のモノであると認識してもおかしくはない。
「ええ。ですが、私の目からですと"似ている"とまでしか……」
「魔法陣はさ、魔法文字の位置が一個ずれるだけ意味が全く変わってくるし、その土地の性質に合うよう計算して術式を組まなきゃいけないんだ。にわか知識で模様を真似ただけじゃ絶対に効果は正しく発揮されないんだぞっ」
一般的に魔法陣は魔法発動を補助する為に使われる。環状の再帰構造の中に特定の魔素を集め、指向性を持たせ、増幅させる事により、自身の能力以上の魔法の行使を可能とする。らしい。
ようするに、魔法発動に必要な魔素を周囲から効率的に収集する力場が魔法陣だ。
尤も、これはあくまで【精霊魔法】における魔法陣の効果であって、死霊術やその他体系の魔法も同じであるかどうかは分からない。戦士である私からすれば、敵の魔法陣は可能ならば真っ先に破壊すべき対象であり、破壊が困難であればその場を支配している魔術師の攻撃範囲からは全速で離脱すべき、という理解が精々だ。
「しかし、密偵が言うには、帝国の魔術師のオルヌルとやらは術式を正しく理解しているようですが」
「いや……、それはにわかに信じがたいな。まだ、オカルトに傾倒して勝手に死霊術と名乗ってる可能性の方が遥かに高いぞ。ってかそもそも、現存している死霊術の知識は私の一族が管理している死霊秘法書の複製しか残されていないはずだし」
少女が手に持って見せてくれた皮装丁の厚書。死霊秘法書に記された死霊術は魔族ですらも"禁忌"としており、一部の者以外にはその本質は秘匿されている術法だ。
「ああ、だけど。もしもアビスゲート経由で"アレ"と接触したのならあり得なくはない。かも」
「アレというのは……」
「名前も姿も知らない。というか多分ないし、何にでもなれるし、そいつが一体だけかどうかも怪しい。闇と混沌より這いよる無貌の神の化身さ。一言で言えば、ひじょーーーーに悪趣味な奴だよ」
「神、ですか」
「あ、一言で神と言っても混乱するか。私が言ってる神とは、人間がよく崇拝しているような宗教偶像なんかとは全然違うぞっ。世界法則や秩序そのものを司る力を持つ存在を神と呼ぶんだ。まぁ、ゾンヲリにとっては"魔神"と言った方が馴染み深いかもしれないけどなっ」
"魔神"。圧倒的な力を持ち、気まぐれで天変地異にもなる大厄災を引きおこし、単体でいとも容易く国すらも亡ぼしてしまうような理不尽そのものだ。
「魔神……ルーシアのような存在が他にも居るというのですか?」
"教会"によって魔神と認定されている者の中で、最も悪名高いのが龍魔隷嬢ルーシアと"魔王リリエル"だろう。……これはそこいらの教会で働く修道女ですら知っている一般常識だったりする。尤も、つい最近まで魔族国の王の名前すらも知らなかったというのは案外恥ずかしい話だ。
「ルーシアも一応古い龍神の末裔だったりするけどさ、どちらかと言えば"この世界"の土着神である火水土風の四大精霊の方を先に想像してほしかったぞ。例えば、"精霊魔法"なんかは四大精霊の力の一部を引き出して使ってるんだし。ようするに、"魔法"は星神の権能によって作られた法則なの!」
この世界? 土着神? 星神? 全く馴染みのない概念の登場に思わず困惑する。というより、少女はさらりと色々な事を知り過ぎているのではないか。
「ね、ネクリア様、では先ほど仰った無貌の神とやらは、もしや死霊術の力を?」
「うむ。アレは死霊術の権能そのものを司る神ではないが、知識をもたらそうとするんだ。そしてそれを受け取った者は……」
少女は肌身離さず身に着けているネクロノミコンの複製に視線を落とした。
「知識に溺れ、周囲を盛大に巻き込んで破滅させるんだよ。無貌の神はそういう演出を楽しむ神なのさ」
「それは、中々に悪趣味、ですね」
「私のご先祖様達だって無貌の神によってもたらされた死霊秘法書の原典を解読し、無害な複製を製造するにあたって多大な犠牲を払ってきたんだし。オルヌルとかいう人間一代如きに原典を使いこなせるワケがないの」
少女が手に持っている複製は、原典から無害な知識を抽出して作られた物なのだとすれば、原典を解読する際に有害な知識を得てしまった者達の末路は……。多大な犠牲者達の一人に入ってしまうのだろう。
「ま、今私達がこの件についてこれ以上考えても仕方ないんだけどなっ。そもそもこれってただの憶測だし?」
「そうですね」
確かに、少女の今の話はただの憶測だ。だが、記憶の片隅で引っ掛かっているのは地下霊廟で深淵の深き者共が滅ぶ間際に放った言葉だ。
「既ニ贄ノ準備ハ整ッテイル。愚者共ニヨッテ多クノ魂ハ捧ゲラレ、アノ御方ハ間モナク降臨成サレルデアロウ」
これは、近いうちに深淵の神の登場を示唆する言葉だ。一応念頭におくべきだろう。
「ネクリア様、無貌の神を滅ぼす方法はあるのでしょうか?」
「あ~滅ぼすのはまず無理……にしても化身を退けるのは割と簡単だと思うぞ。 まず、"眷属"ならともかく、神そのものが通るには今の星辰の状態からなるアビスゲートはあまりに狭すぎるんだよ。だから、今のゲートでも通れるような自身の"影"を代わりに"この世界"に送り込むのさ」
「では、ゲートが開ききっていないうちはそれ程強力ではない。と?」
「うむ、前回閉じたゲートじゃ精々最弱のディープワンと同程度の"影"を送り込むのが精々かな。影さえ見つければ私の【ソウルイーター】を付与した武器で叩きってやれば精神霊体に直接攻撃を加える事もできると思う」
つまり、アビスゲートが完全に開ききる前に存在する全てのゲートを破壊し、暗躍している化身も抹殺すればこの件は解決可能である。ということか。
「まぁ、アレが本当に厄介なのは強さそのものよりも持っている"知識"や"精神性"と姿形が"変幻自在"である点だから、探して見つかるようなものじゃない気もするけど……。例えばゾンヲリ、生前のお前を知ってる人間が今のお前を見つけられるか? っていう問題に近いし」
特定の形を持たない相手を探しだすのは困難だろう。だが、接続点となるアビスゲートを閉じて回っていればいずれ遭遇できる可能性は高い。何故なら、アレの目的が神の降臨ならば、必ずゲートを閉じて回る私達の妨害に動かざるを得なくなるからだ。
その時を狙って殺せばいい。
「なぁゾンヲリ、お前ちょっとウキウキしてるだろ」
「そうですか?」
「うん、してる。その黒痣だらけの顔でニヤつかれると正直気持ち悪いぞ」
「神殺しもまた一興かと思いまして」
「ゾンヲリ~、そんな事よりまずヤる事が山ほどあるだろ~。私なんて黒死病の特効薬の錬金にかかりっきりで死体の埋葬には全然手が回ってないんだからさぁ」
「では、そちらは今夜中に私が片付けておきましょう」
その中には私がこの手で斬殺し、糧にした名も知らぬ人間もいるだろう。埋葬のついでにその名も知る機会もあれば、その名を知る人間と関わる機会もいずれはあるだろう。その際に、"覚えていない"などと言うのはあまりにも残酷な話だ。
訓練はその後でいい。
「ああそうだ。忘れる所だった。頼んでいた例のブツは"教会"から買ってきたよな?」
「ええ、勿論です」
※次回、回想という形式でブルメアさんボディで教会に入った所まで時系列が若干戻ります。はい、後付けです。本当に(ry
無貌の神……一体なにらーとテップなんだ……
なお、こちらの御方は本来は地下霊廟時点で出すつもりであったりなかったりするらしいが、当時のサクーシャは設定が煮詰まってなかった(というか色々な意味で畏れ多い)せいで出せなかったらしい。
巷ではゲームキーパーの化身だとか、とりあえずシナリオでは全部コイツが悪い的な便利な扱いにされてしまう御方ですが、案の定この作品でもそういう扱いであったりなかったりするらしい。




