第十五話 淫魔の騎士
息を切らしながら走り、風俗街の裏路地までたどり着く。周囲を見渡せば極彩色の文字が看板に刻まれた建物が所狭しと立ち並ぶ。
「おい、ゾンヲリ。本当にこんな所でいいのか? お前ヤケになってたりしないか?」
「とにかく身を隠すならば勝手の知ってる場所に隠れるしかありません。その点此処は打って付けです」
風俗街は複雑で迷いやすく戦闘域が狭い地形だ。ここでならば騎士に取り囲まれ、一度に多人数を相手にしなくてよくなる。歴戦の風俗嬢として活躍していたネーアとしての知識も多いに役に立つ。
「そ……そうか、なぁ、私は本当に逃げて良かったのか? 何かやれることもあったんじゃないかと思うんだが」
それは、仮とは言え領主としての責任から来る言葉なのかもしれない。
「ネクリア様にあの混乱を治める事はできましたか?」
別の地区へと続く道は逃げ惑う魔族でごった返しになっていた。中には人の波で踏みつぶされている者さえもいる。皆、自分の命は惜しい。戦意のない者達を無理矢理戦わさせる程の支配力は今のネクリア様にはない。用兵をする技量だって恐らくないのだ。
少女には酷な話だが、この場において私含めてやれる事は何もない。嵐が過ぎ去るのをただ震えて待つ事くらいしかできない。少女は戦えず、以前の奴隷の身体ならまだしも、今の身体では私も満足には戦えない。
「いや……そうだな」
鬨の声が響き渡る中、金属の擦れる音が近くなってくる。敵が近い。
「背後から追ってが数名来ています。すぐそこの物陰に隠れましょう」
「あ、おい」
少女はいきなり引っ張られて驚いたのか声を上げる。それを無視して建物間の狭い隙間まで少女の手を引いて連れ込む。説明をしている猶予はなかった。
「静かに……」
少女はコクッと頷くと息を殺して私と一緒に物影に潜む。
ガチャガチャと音を立てて目の前を通り過ぎるのは騎士風の男三名。だが、そんな者達など気にせず呑気に客引きをする淫魔や品定めするハゲの者。
戦地であるというのに危機感がない者もいる。
「ん、何だぁ? お前ら」
「デーモンは皆殺しだ」
その一言が発せられると同時にハゲのデーモンを剣が穿った。
「ぐあああああああ!」
3人の騎士は寄ってたかってハゲのデーモンを滅多刺しにしていく。ハゲのデーモンも多少は抵抗するが、既に先制攻撃で致命傷を負っている。反撃に勢いがなかった。
「ちょっと何?貴方たち」
「きゃああああああ!」
惨劇を目の当たりにした売り子の淫魔達の悲鳴が響き渡る。逃げる者、足が竦んで動けない者、非戦闘員のできる行動はたかが知れていた。
「ぞ……ゾンヲリ……」
「シッ……静かに……」
不安そうに怯えて袖を掴む少女と共に、行われる虐殺を淡々と眺める。
「お、お願いです。命だけは助けてください。何でもします」
逃げ遅れ、正しく状況を理解した淫魔の一人は騎士に対して命乞いをする。この場においてそれが最も効果的な方法だと思う。武力で叶わないのなら情に訴えかける他にない。
「おい……どうする?」
「上は容赦はするなと言っているだろう」
「だがしかし……民間人を殺すのが正しいのか?」
「つべこべ言うな。コレも悪魔だぞ」
2名の騎士は口論しだしたのだ。それもそうだ。見た目は美女でしかないサキュバスを切り殺すのは勇気がいる。そして、口では討伐に賛成派の騎士の方も乗り気ではないようにみえた。
「お前らがやらないなら俺がコイツをやる。見たくないなら見張りでもしてろ」
それまで沈黙を保っていた3人目の騎士が名乗り出たのだ。
「……分かった。ルーカス、頼んだ」
「ついて来い」
「いや、お願いです。どうか助けて! 騎士様!」
淫魔の髪を引っ張りながら、裏路地の奥地へ消えていく騎士の一人。去り行く手前にルーカスの横顔に浮かんでいたのは、薄ら笑い。
涙目で懇願する淫魔を目の当たりにして冷静な思考を保てる者は少ない。ルーカスと呼ばれた騎士は己の欲望に気づけてはいないのだ。 最初から最後まで、連れ去れた淫魔はルーカスだけを見ていた。
「ルーカスが淫魔を始末するまでの間、見張りを続けるぞ」
「こんなのが本当に正義なのか? こんなんじゃ俺、銀狼騎士団の事やめたくなっちまうよ……」
「馬鹿な事言ってないで汚れ役を買って出たルーカスに感謝しろ」
それから暫くの時が過ぎた。結局、ルーカスと呼ばれた騎士が戻ってくる事はなかった。
「遅い…… 様子を見に行くぞ」
「ルーカスは功労者なんだ。無事でいてもらわなきゃ!」
騎士二人も遅れてルーカスの後を追い、路地裏の闇に消えていった。ふと、ずっと押し黙っていた少女が袖を強く引いたのであった。
「ゾンヲリ、今ならここから抜け出せるんじゃないか」
「いえ、もうしばらくここで待ちましょう」
すぐに先ほどの騎士二人が戻ってくる。恐らくは成り行きを見届けたのだろう。
「こんなにも淫魔と俺達との間に意識の差があるとは思わなかった!」
「……隊長が悪魔とは二人以上で対峙しろと言っていた意味が理解できた気がする。もう淫魔共には容赦せん。このまま進むのも危険だ。一度本隊に被害状況を報告しに戻るぞ」
「はっ」
騎士二人の瞳に宿っていたのは悪に対する憎悪。もはや、彼らに見つかれば命乞いは通用しないだろう。大通り方面へと戻っていった。
「……行きましょう」
「うむ」
隙間から出て、ルーカスと呼ばれた騎士の向かった方向へと進む。その先には、逸物を丸出しにしたまま絶命している男が横たわっていた。げっそりと頬が痩せこけており、まさに栄養失調と言った所だろう。
「ゾンヲリ、エナジードレイン食らうとお前もこうなるからな?」
「え、ええ」
私にドレインされる程のエナジーが残っているのか甚だ疑問が残る。そもそも、そんな事をしたがる淫魔なんて世界広しと言えど一人もいない。
それより、目の前の死体を利用してこの窮地を乗り切る方法を思いついた。
「ネクリア様」
「何だ、ゾンヲリ」
「この人間の身体を頂いてもよろしいでしょうか? もしかすれば役に立つと思います」
騎士の身体を奪う理由は3点ある。
一つ目は単純に現在の腐りきったカイルの身体で戦うよりはマシである点。
二つ目は装備含めて敵と同じ見た目になれるという点。
三つ目は見つかってもルーカスと同じ手を使って少女を連れての離脱が可能な点。
敵に対する対処法の選択肢が広がるのだ。
「……なるほどな。なら悪は急げだな!」
数分間の詠唱の後に【ソウルスティール】を受け、【ネクロマンシー】によって再び新鮮な肉体へのゾンビ転生を果たす。転生直後、言いようのない多幸感と倦怠感と脱力感で満たされていた。絶頂のまま絶命できるエナジードレインの余波なのかもしれない。
……こうやって死ねるのならばある意味幸せなのかもしれないが、死に姿を見られる事を考えると非常に不幸せな気がする。
どうも最近は死という感覚に対して麻痺してきている気がする。
「ほぉほぉ……顔はブサイクだけどソイツは中々良い形をしているな」
「ネクリア様? あの……?」
冷静な顔で身体中を凝視され評価されてゆく。私は飛び起き、急いで散らかってる服や鎧を着込み、以前使っていた大剣を腐乱死体から回収して背負う。
「何だゾンヲリ、別に今更恥ずかしがる程の仲でもないだろう?」
確かに内臓を曝け出して見せるほどの関係ではあるのだが。忘れそうにはなるが、腐っても少女は淫魔。"そっち方面"に関しては私より歴戦の強者なのだ。
「……お前。何か凄い不名誉な感情を私に抱いてないか?」
「いえ、そのような事はございません」
今の自分の装備を確認する。武器は鎧通し、大剣、安価な金属製の長剣、質のよくない金属製の鎧、兜、小手、脚当て、足具…防具としては申し分ない。腰には雑物入れと小物を吊り下げるためのチェーンベルト。これならば1対1なら十分に戦える。
……何故かこの大剣があると落ち着くのでずっと使っている。
「なぁ、ゾンヲリ、これからどうする?」
「夜までは路地で凌ぎ、その後は西門出口を目指しましょう。包囲網を抜けられば外に出られる可能性があるかもしれません」
「……ここを、私に領地を捨てろって言うのか?」
「はい。外への脱出に望みを託しましょう」
制圧部隊が完全に地区内に入り込んでしまえば門の見張りは薄くなる。真夜中になれば追っ手も撒きやすい。
「どうしてもこのまま耐え続ける手はないのか?」
少女の言う事は最もだ。援軍が来るまで耐える方が現実的かもしれない。だが、今回の襲撃が仕組まれた物であるならば話は別だ。
魔族国に損害を与えた責を負わされるのは間違いなくネクリア様になる。ゾンビロードの西門を開け放ち、敵を受け入れるように仕向けた裏切り者。それがベルゼブルの筋書きなのだろう。真相や事実はどうあれど。
態々自国に敵を踏み入れさせる魂胆は分からないが、こうでもしなければ戦争に出ないネクリア様を排除できないのかもしれない。
「今の段階でネクリア様が魔族国に留まる事自体が危険なのです。敵は騎士だけではありません」
「そうか。そうだったな…… 私はこれから、どうすれば良いんだろうな……」
少女は深くうなだれる。少女の身に余る地位と境遇が少女を圧し潰そうとしていたのだ。
「ネクリア様」
「なんだよ。ゾンヲリ」
「私はネクリア様の味方です」
「……ちょっと卑怯臭いな。お前」
設定補足
・サキュバスの尻尾
猫ふんじゃった症候群でググってみると案外面白いかもしれない。
トカゲとかは自切したりするからどうでもいい部位と思われがちですが。
尻尾って意外と敏感だったりするらしい。
それがぷにぷにしていて自在に動かせる程の神経が通っているのなら猶更かもしれない。
そして、そんな弱点とも言えるような部位を他人に触れさせるというのは勇気のいる話。
そう考えるとネクリアさん十三歳が可愛くみえて……こない?そうですか……