第九話:絶対自由
※文字数的な都合により前話はやっぱりマジ君と絡ませない事にしました。
「ぐへへ、俺と一緒に呑もうぜ?」
酔っぱらった男がエルフに絡みだした。
「結構だ」
「あ? こっち向けよ、淫売エルフの分際で、すました顔しやがってよ」
「はぁ……分かった。なら外で二人っきりになろう。誰にも見られない場所でな」
「へへ、話が分かるじゃねぇか、素直な女は嫌いじゃないぜ」
男はエルフと肩を組み、尻に手を回しながら酒場の外へ出て行った。
「おいおい、さっきエルフと一緒に出てった奴、路地裏のロッキーだろ。やべーぞ」
「悪行に見かねて正義感でロッキーに喧嘩売った奴もいるが、何だかんだであのクズ野郎強いからな……」
「一昨日も新人の女冒険者を路地裏に連れ込んでたのを見かけたぜ? 可哀そうだがあのエルフ、終わっ――」
酒場の男達がエルフの未来を口々に語っていると、突如何かが凄まじい勢いで叩きつけられるかのような衝撃音が鳴り響いたのだ。
「おいおい、何事だよ」
そして、再び酒場の戸口をくぐってきたのは、派手に返り血を浴びた黒衣のエルフだった。
「覗き見してオカズにしようと外を見てきたんだが……ロッキーの奴、路地裏の壁にめり込んでノびてたぜ?」
「……あのエルフの目を見て見ろ。人殺すのに何の躊躇いもなさそうだぜ」
「……やべぇなアレ、近寄らない方がいいな」
もはや、自分からエルフと目を合わせようとする男は誰も居なかった。
「お客さん、酒場の雰囲気が悪くなるから暴力沙汰は困るよ。それと、壁の分は弁償しておくれよ」
酒場のマスターは困った表情を浮かべながら、席に着いたエルフに話しかける。
「すまない、こうでもしなければ中々分かってくれない者が多くてな。ミルクを頼む」
酒場のマスターが木のカップに注がれた生温いミルクの中に白い粉末を入れようとした時。
「"砂糖"は嫌いなんだ。そのまま出してくれないか」
「はいよ」
指摘され、酒場のマスターはバツの悪い表情を浮かべながらミルクを差し出した。エルフは無表情のまま一口含むと、舌の上で何度か転がした後に喉に通した。
「で、お客さんみたいな"ワケアリ"が何の用でこちらに? 当然、二階で踊り子する気があるわけでもないんだろう?」
「ああ、"かよわい"亜人女性が一人で安心して泊まれる宿屋を探していてな、ここで4件目になる。たった今、別の店を探さなくてはならなくなって困り果てているわけなんだが、な」
「だったら元獣人奴隷収容区の方にでも行きな。こっち側は人間様専用の区域なんだよ」
「そうか、迷惑をかけたな」
エルフはカウンターの上に銀貨に似ている貨幣を2枚置くと、ミルクを残して酒場から立ち去って行った。
「はぁ……嫌よねぇ、ああいうの。どうして亜人ってこうも野蛮なのかしら」
「エウシリカ……、君も"かよわい"女の子だから気を付けた方がいいよ。あれは他人事じゃないから」
「はぁ? マジのクセにこの私に説教する気?」
「一人でお酒飲んだら実はいけないお薬が混ぜられてて、目が覚めた時には見知らぬ場所で裸になっていた……。なんてこの界隈じゃよく聞く話だよ。私もこれに関しては何の特徴もない平凡な男でよかったと心から思えるしね」
「そ、そうなんだ……(ドキドキ)」
魔術師レイアは、男装していて本当によかったと改めて実感したのであった。
「ま、まさかアンタ、私にイヤラシイ事するつもりでしょう。イヤラシイ」
「いや、誤解だよ。それと、今は目立つからあんまり声大きくしない方が……」
〇
(見つからないね……。泊まれそうな場所)
「そうだな」
こうして街中を歩けば、エルフや獣人に対する風当たりの強さを肌で実感させられる。戦いに勝ち、奴隷解放を成し遂げたとはいえ、獣人達にとっては依然として息苦しい街のままだった。
明日からゾンビと仲良く触れ合えと言われて頷ける人間がそれ程多くはないように、人が"変わる"為には多くの時間を要する。いや、どれだけ時間があったとしても変われない、許せない領域というのはあるものだ。
(ねぇ、もう遅いし、外に戻ろう? ほら、私も最近は野営や野宿も慣れて来たし、むしろそっちの方が安心できるような気もするし……」
「やはり、人間が恐ろしいか?」
(うっ……そうかも。というより、これ以上この街にいたらもっと人間嫌いになりそうだし……)
エルフは高級娼婦という認識があるのか、淫売だの売女だの散々な罵倒を浴びせかけられるし、一晩過ごせる場所を聞けば娼館に案内される。挙句の果てには先ほど壁に埋めた大男のように、堂々と猥談を持ちかけてくる輩までいる始末だ。
「では、次で最後にしよう。それでダメなら臨時野営地まで戻ろう」
(うん……またさっきの男みたいな人間に襲われたら嫌だし)
臨時野営地は都市に収容しきれない獣人や傷病者達を格納しておくための場所だ。当然のように黒死病患者や四肢欠損し傷口が腐り始めてるような者達が大量に放置されているので疫病の温床と化している。はっきり言って、衛生状態は最悪だろう。
だが、そんな場所の方が遥かにマシだと言える程度には、ブルメアは人間に対して"恐ろしさ"を感じ始めている。
「確かに、さっきの男は危なかったな」
(ふ~ん、私にはあっさりやっつけてたように見えてたけど……ゾンヲリでもそう思う事あるんだ?)
「加減する余裕もなかったので一撃で気絶させなければならなかった程度にはな。もし、投げ損ねて腕でも掴まれてしまえば、そのまま押し倒され、成すがままにされる程度には筋力に差があった」
あの男には、身体能力の差で女の身体を持つ私を完全にねじ伏せられるという"確信"があったのだ。だからこそ、絡まれてしまったのだと言えるのだが。
(でも、どう見ても私の方が力強かったよね? ぶぉんって男の人を空中に投げ飛ばしてたし)
「私の使った"空気投げ"は、相手の勢いや力そのものを威力に変えているのであって、単に力任せに投げつけているわけではない」
強者が弱者を蹂躙するのに"戦技"や小細工を一切必要としないように、単なる力の差だけで戦いの優劣が定まるならば、人が魔獣に勝てる道理はなくなる。限度はあるが非力には非力なりの戦い方があるのだ。
「だが、素手や体術を用いるのはあくまで最後の手段だ。覚えておいて損はないとはいえ、コレに頼らなくてはならない状況そのものは極力作らない方がいい」
(その割にはゾンヲリってば結構使ってるよね。体術)
「そう言われると弱いな。とはいえ、短刀や弓を扱って敵を一撃で戦闘不能に陥れるとなると、気絶ではなく殺害せざるを得なくなる。それを望むわけにもいくまい」
(いっつも魔獣の首とか嬉々としてねじり切ってたりするし、それを私達にも何度も何度もやらせたりするクセに、今さらそんな事言われてもなぁ……)
ブルメアはむくれたように文句を言ってくる。素手による殺害は、最も生々しさを感じさせる残酷な殺し方の一つだ。魔獣を相手にこれを慣れてしまえば、敵を殺せる土壇場で"剣筋が鈍る"ような出来事は防げる。
私が亡霊部隊にやらせた、敵に不必要な慈悲をかけて殺されない"戦士"を養成するための教育の一つでもある。そしてそれは結果論から言ってしまえば、無駄に手を汚させただけの不必要な教育だったのかもしれない。
「すまなかった」
(謝らないでよ。もう、私だって前の戦いで何人も射殺してるもん。多分、訓練してなかったら矢が逸れてたと思うし……、そしたらきっと、獣人達がもっと沢山魔法で焼かれてた)
前の戦いでは、日喰谷を進むベルクト軍の進軍を援護させるために、崖上に配置したブルメアには魔術師を狙撃してもらっていた。それが、ブルメアにとっての初めての殺人だった。
「これからはもうやらなくて良くなる。辛い訓練も、人殺しもな」
(またそんな事言うんだ。どうせ、但し書きでハルバさんについて行けばって話だったりするんでしょ?)
「ああ、そうだな。それで貴女は、今よりも不自由も理不尽もない生活に戻れるだろう」
(でもね、ゾンヲリ。それって本当に自由って言えるのかな?)
確かに、自由を謳歌するにはある種の責任を求められる。完全な自由を得るためには、その他大勢の自由を切り伏せていかねばならない。私は少女の自由の為に、少女の剣として、この戦いに参加してきた数百という人間を切り刻んできた。そう、それがたった一人の自由の為に積み上げられた屍の数だ。
完全な自由などと、到底割に合うものではないのだから。
だから、大抵は自身にとって善良な"誰か"に自身の自由を全て預け、"誰か"に許された範囲の自由を妥協しながら謳歌しようとするのだ。多少不便にはなったとしても、自由を預けた"誰か"が自分の代わりに全ての責任を背負ってくれるのだから楽なものだ。
それが、支配されるという特権だ。
「完全な自由をその手に納める事の出来る者とはほんの一握りだ。そして、それが出来るのは飛竜狩りのような自由な男だけだろう」
(私はそうは思わないよ。ゾンヲリ)
薄暗くなった大通りを進めば、元奴隷収容区の門は開かれていた。奥には未修繕のボロ屋が立ち並び、くたびれた人々が背にもたれかかっているし、生理的嫌悪感を増幅させる臭いが鼻腔を掠めていく。
やはり、期待出来そうな場所ではなかった。
「私や、ネクリア様に付いてきた所で、末路に広がっているのは地獄のような光景だけだ。あまり聡明ではない選択はするべきではないと私は思うがな」
これから先を見越せば、大魔公である少女という火種がどこまで燃え広がるのかは未知数。勝ち続ければ勝ち続ける程、敵は際限なく強大になり続ける。そんな泥船に乗り続けるというのはもはや狂人の域、実に馬鹿げた話だろう。
(だったら、どうしてゾンヲリはネクリアの為に無茶ばっかりするの? 別に、私の身体だって自由にしてくれてもいいのに)
ブルメアの身体を借り、少女を見捨てて延々とジャガイモ畑でも作って生きる。そんな選択をするのが本来は賢いのかもしれないが。
「ネクリア様が私に光を与えてくれた。それだけで理由など十分だ」
結局の所、私には剣を振るう以外に脳などない。争いの中でしか己を見出す事の出来ない生粋の人殺しから剣を奪って何が残る。とっくに肉体が腐り落ちてるであろうかつての殺人鬼であった私や、ゾンビと化した今の私に味方する者はいない。あれほど煮え滾っていたはずの龍に対する憎悪でさえも、今となってはどこか他人事で見ている。
何も残りはしない。空っぽだ。剣を振るい、全身を貫く痛みがある間だけはそれを忘れていられる。だから私は、魂が燃え尽き果て、身体が動かなくなるその瞬間までただひたすらに少女の敵を切り伏せ続ける。
ようするに、ただの思考停止だ。
(私だって、ゾンヲリと同じ理由だよ。ゾンヲリは薄暗い地下牢の檻から、風が吹く外の世界に連れ出してくれたから、それにいつだって自由に選ばせてくれたもん)
地下牢の一件で私がやった事と言えば、口煩い奴隷を黙らすついでに脱走するための囮にしただけだ。
「前も言ったが、それは貴女が勝手に助かっただけだ。私に感謝をするのは筋違いというものだろうな」
(ほら、ま~た。ゾンヲリはイジワル言う。だったら、どうして私達に"歩幅"を合わせてたの? ゾンヲリだったらさっきみたいに屋根の上をビュンビュン進めばすぐに街の外に出れたのに)
「ネクリア様がそのように望まれたからだ。他意はない」
(ゾンヲリって、肝心な時にいっつもネクリアのせいにして誤魔化すよね。じゃあ、どうして部隊の皆庇って火傷おったり、自分だけ無茶苦茶に突っ込んだりしたりするの?)
「人数稼ぎにもならない兵士を犬死させるような特攻作戦を態々選択する必要性も合理性もなければ、犠牲が出ないに越したこともない。使える命は可能な限り長く上手くに使う。当たり前の話だ」
(だったら、私の事だって使い潰せばいいでしょ? 手伝うって言ってるんだもん。ゾンヲリって素直じゃないもんね)
「……いい加減煩いぞ」
(分かってよ。ゾンヲリのそーいう所、皆すっごく心配になるんだから……)
「貴女に心配されるほど私は弱くはない。余計なお世話だ」
なお、無能兵士数十人の為に一騎当千をロストするリスクを考えないものとする。
というとんでもないハンデ背負った状態で詭弁合戦に勝てるわけもなく、ゾンヲリさんは黙り込むのであった。




