第二話:尋問
市長鄭の地下牢獄、そこは鉱山都市市長の保有している奴隷を繫いでおくための場所だった。今もなお、干した魚介と年代物の汗が入り混じったような臭いが牢屋全体に立ち込めており、身体にべとっと纏わりついてくるようなぬめる湿気も合わさってか、ひどく生理的な不快感を覚えている。
以前少女やゴキブリの身体で立ち寄った時にはそれ程気にはならなかったのだが、風に敏感なエルフだから、あるいは、この場所に良い思い出のないブルメアならではの感覚なのかもしれない。
(はぁ……どうしてよりにもよってこんな場所に市長を捕まえておくのかなぁ……)
独房がある場所というは限られている。よって、人間をとらえておくにはこういった施設が再利用されてしまうのも必然だ。
「溜息をするくらい嫌なら素直に休んでいれば良かったのではないか?」
(だってネクリアは黒死病の人達の看病とかでず~~っと忙しくて動けないんでしょ? だったら私が頑張らないとね)
捕虜の送還、黒死病患者の介抱、都市の治安維持、解放した獣人奴隷の扱い、戦争が終結してからはやらなかればならないことは山積みになっていくばかりなのだが、こういう時に腐った肉の身体というのはすこぶる不便だ。
唯一顔が利き、ある程度周囲も誤魔化せるグルーエルの全身鎧も大破してしまっている以上、私が単独で動くとなると、何をするにしても面倒事が付き纏ってくる。よって、こうしてブルメアの肉体を借りなければ生け捕りにした市長の尋問にも出向けないという有様だ。
殆どがもぬけの殻となった監獄の狭い道を突き進むと、見覚えのあるハゲ頭がブツブツと獣人の看守相手に呪いの言葉を吐きかけている姿が目に映った。
「私を此処から出せと言っている! おっ……」
市長がこちらに気付くや否や、すぐに鼻穴がぷくっ大きく広がり、ねっとりとした視線で全身を舐め回すように視姦してきた。
(ううっ……)
背筋が凍る。冷や汗が伝い、全身に鳥肌が立つ。急速に喉も渇いてくる。この身体に刻まれた記憶が警鐘を鳴らすのだ。あの男から離れろと。
尤も、その程度の本能も御せないようでは戦士として半人前も良いところだ。当然の如くそんなものは無視して市長が投獄されている牢屋の前まで進む。
「ブルメアぁ、そういえばお前は痛めつけてやると悦ぶマゾだったなぁ……また私の調教が恋しくなったのか?」
(やめて――)
減らず口を叩く市長の胸ぐらを掴み、すかさず鉄格子にぶつけるように勢いよく引き寄せ、口腔の中に短刀を突っ込みいれる。
「あ、あが……」
「舌を切り落とされたくなくば下らない台詞を口走らないのを勧めるぞ? 理解したのならば黙って頷け」
上下関係を手っ取り早く分からせてやるにはこの手に限る。
いきなりの出来事に呆気に取られている獣人看守や動揺しているブルメアの事はさておき、さっさと本題に入ってこんな場所から立ち去るべきだろう。
「ゲェ……お前のその目……まさか、あの時のアレと同じ奴か」
「市長というだけあって流石に理解が早い。ではこれから行われる事についても分かるな? 無論、なるべく素直な方が私も手間がなくて助かるのだが」
看守から借りた牢屋の鍵で格子戸をあけ、その辺の部屋から拝借してきた血のこびり付いた指折りペンチを見せつけてやる。
「私を……尋問する気か」
「ああ、好きなんだろ? こういうの」
結果を言えば、開始から数秒で全面降伏という形で、市長は全部白状した。
市長から聞き出した情報で頻繁に出てきた人物が"オルヌル"という魔導帝国の宰相の名だった。聞く所によれば、表向きはゴーレムを使役できる程の優れた魔導士だが、その裏ではグールパウダーの製造といった違法錬金術に傾倒しており、それらの実験のために拉致した獣人奴隷を高値で買い取っているそうだ。
そして、今回の戦いで出現したグールのように、異形化させた人間を人造生物兵器として運用する為の実験も秘密裏に行っていた。通称鬼人兵計画と呼ぶらしいが、その実態がどうなっているのかまではこの男も知らない。
「……まさか、指の一本を折られる前に洗いざらいに吐くとはな」
「う、うるさい。これで私は開放されるんだな」
「ああ、私からの要件は以上だ」
元々、拷問を行う趣味はない。順番も後がつかえているのだから、私ばかりが占有してしまっては迷惑をかけてしまうだろう。
(待たせたな、後はこの男の事は貴女が望むまま好きにすればいい)
「え? 好きにすればいいって……どういう……」
(復讐、してやるのだろう? 今ならば短刀で死なない程度に全身を切り刻むなり、鉄球で全身の骨を潰してやるなり、目玉を抉り取ってやるのも自由だ。無論、ここで殺してしまったとしても問題はない。ちゃんと後で再利用するので安心してくれ――)
「いや、いやいやいや、ゾンヲリってば私の事なんだと思ってるのよ」
(何故だ? この男を憎んでいたのだからこそ力を求めたのだろう?)
「もうそんな事どうだってよくなっちゃったもん。でも……折角だから」
ブルメアはてくてくと拘束された市長の前まで進むと、侮蔑に満ちた視線で見下ろす。そして……
「最低」
独房内に渇いた音が鳴った。
「ふご!? なぁにをするブルメア!」
ブルメアの平手をモロに受けてか、市長の首は真横に捻じれていた。
「あ、なんかちょっとスッキリしたかも。でももう触りたくもないかな……手に脂ベッドりついちゃって汚いし……」
そう言うとブルメアは、喚き散らす市長を無視し、平手に使った手を血拭き用の手ぬぐいでゴシゴシと揉んでいた。
「ほんと……馬鹿みたい、こんな男を怖がって、憎んでたなんて……」
ある程度戦士としての経験を積んできた今のブルメアなら、例え丸腰の裸だったとしても市長には負けないだろう。なんせ、夜狼くらいならば素手でくびり殺せるのだから、逆に正面から組み伏せて金砕するくらいは容易い。
(それで貴女は満足なのか?)
「うん、こんな場所、もう見たくも来たくもないし、早く出よ? ゾンヲリ」
これで、ブルメアの復讐は終わった。
来た道を戻り、空になった牢屋が立ち並ぶ地下通路に差し掛かった辺りでブルメアは立ち止った。
「あのねゾンヲリ」
(どうかしたのか?)
「市長が言った事、全然違うからっ」
ブルメアの性癖が暴露されてしまった事だろうか、私から言わせれば、何を今さらというべき話なのだが、非常に反応に困る。なんせ、私自身市長の言葉に納得しかけてしまっているのだから。
本人はほぼ無意識なのかもしれないが、辛い事に耐えきった後に褒めると、耳がピクピクとはねて嬉しそうな表情を浮かべるくらいに分かりやすい。それと、別にマゾは悪い事ではないと思う。痛く感じるよりは気持ちが良くなれる方が色々と得だ。何より、生きているという実感が得られる。
……経験上、私がこのように返答しても恐らくブルメアからの共感は得られない。寂しい話だが、性癖を否定しているのはそのことを隠したいという気持ちの現れなのだから、な。
私にもそういう時期があったから、わかる。だから私が返す言葉はこうだ。
(ああ、そうだな)
そう、この話題に触れない事こそが最適解だ。
「……何? 今の間はって……あの子達は?」
多少訝しがられてしまったが、来訪者達に気付いたブルメアの興味はそちらに移ってしまった。
(貴女なら見覚えもある人物が居るのではないか?)
「うん……あの子、向かいの牢に居た子だから、覚えてる」
すれ違うようにして独房の奥へと進んで行くのは獣人の少年、少女、兵士、人間の女と思わしき者の姿まである。
「ねぇ、ゾンヲリ、もしかしてあの子達、まさか……」
いずれにせよ、先ほどの私同様、独房に捉えられた市長に個人的な所用があるのだろうが。その中で一人、フードで顔を隠した女と思わしき人物とすれ違った際に、ふと、どこかで嗅いだ覚えのある香りがした気がする。
(それだけ市長と因縁のある者は多い。だが、少し、気になるな)
「気になるって?」
(さっきすれ違ったフード姿の女、瞳に"暗い感情"を宿していなかった)
「それがおかしなことな事なの?」
先ほどの集団は恐らく、軍法会議で私刑判決が下された市長に対する刑罰の執行を志願した者達だ。その多くは見てわかる通り、市長のコレクションにされたり移住食を奪われた元奴隷の獣人が殆どだ。もしくは単純に人をいたぶるのが楽しいという輩も混じっているだろう。
いずれも瞳には憎悪、愉悦、憤怒といった暗い感情が宿る。だが、フード女の瞳には、何の情感も籠ってはいない。冷え切っているのだ。それはつまり……。
(あのフードを被った女は私と同類だ)
必要あらば女であろうと何の躊躇いもなく機械的に殺人も拷問も出来る。そういう類の人種が市長に接触しようとしているのだ。
(……多少危険だが、貴女にお願いがある)
「ん、いいよ? ゾンヲリなら平気でしょ」
内容を説明する前に即答してしまうブルメアには、思わず苦笑を禁じえなかったのであった。
マゾなエロフからのビンタとか我々の業界ではご褒美なのでざまぁにならないのでは?
なお、今のブルメアさんが本気でビンタを繰り出した場合、貧弱一般人の首の骨が折れる模様
だって夜狼を素手でくびり殺せる程の筋肉が身についちゃってるからね!




