第百一話:ゾンヲリさん死亡説
獣人戦君と化け物の両方が同時に沈黙した事により、征伐軍の混乱も収まりつつあったが、襲撃者達が残していった傷痕は決して浅くはなかった。
「ゲートルド指令、現在の被害状況を報告致しますと、戦死者426名、戦闘不能の重傷者244名、軽症者202名、消息不明32名、軍全体の損耗率は四割にもなります」
老将ゲートルドは被害報告を受けながら、担架に乗せられて行く重傷者や負傷部位を抑えてその場に蹲っている軽症者達に目配せする。
「全滅判定……か、まったく酷い有様じゃよ」
軽症者とは、オウガの咆哮によって鼓膜を破られ、スティックを踏む程度の手傷を負った者達である。すぐさまには命に関わる程ではないものの戦闘行動には支障をきたしてしまう。早急の手当てがなければ命に関わる程の手傷を負った者達が重傷者に区分される。
また、動けない人間を長距離運ぶとなれば二人がかりになる。およそ450名いる重軽症者達を安全な場所まで警護するには、倍の900名は動員しなくてはならない。故に、被害が四割を超えれば全滅にも相当するのだ。
「……特に、化け物に狙われた魔術師達の被害が深刻です。心身共に無傷の者を探す方が大変ですので」
従軍していた魔術師達の大半は帝国魔導院の現地実習生、つまるところ学徒兵である。
「現場を見てきたがもはや葬式じゃな。経験の浅いあやつらには、あの化け物はいささか刺激が強すぎる」
学徒兵は魔法で敵を殺傷するための術を学んできた。だが、実際に他者の殺傷を経験している者はそれ程多くはない。そこで、大した脅威ではない獣人を相手に、殺人と魔術の強さを肌で経験してもらうのが今回の演習課題になるはずだった。
しかし、実際に現れたのはあの悍ましき鬼である。顔見知りの学友達が次々と一方的に貪り食われ、凌辱され、人としての尊厳を奪われる様を見せつけられてしまった。必死に放った【ファイアーボール】も鬼には全く通用せず、ただただ己が無力であることを思い知らされたのだ。
「一月後には除隊や転属願いが殺到しそうですね」
「姦通死した者の中には大貴族のボンボン娘だっておるのだぞ? 全く笑えぬわ」
老将ゲートルドはいつもの小瓶から胃薬を2錠取り出してはボリボリと噛み砕く、薬の用法を守らないことを咎める者はこの場にはいない。
「……指令、今後はどうなさるおつもりでしょうか?」
「どうもこうもない。獣人国への侵攻は中止じゃ。休息を挟んだ後に帰投の準備をするように皆に通達しておけ」
「はっ、了解致しました」
伝令はその場から立ち去り、老将ゲートルドは次の懸念事項の元へと近づいていく。
「ところで飛竜狩りよ。その岩に埋まってる魔将の様子はどうなっておる」
「頭がい骨は完全粉砕、四肢は千切れ、胴体部に関しちゃペチャンコのミンチだな。ピクリとも動く気配はねぇよ」
凄まじい勢いで岩壁に叩きつけられた結果、内部から破裂したようにひしゃげたフルプレートメイルの中からは肉塊が漏れ出ており、もはや人としての原型すらも留めてはいない。それが、オウガの蹴りをまともに受けた者の末路だった。
「ふむ、こうなる事を理解していて、何故こやつは盾になったのじゃろうな」
オウガと三つ巴の状況となっても、片方の勢力を撃破したのなら残った者達同士でもう一度果し合いを続けなくてはならず、その点を無視して真っ先に全力を使い切るのは将としてはあまりに凡愚である。獣人戦君がその程度すらも考えに及ばない器ではないと、ゲートルドは訝しんでいた。
「んな事知らねぇよ。それより金の話だ。化け物二体ぶっ倒したんだから白金2枚は貰わないと割に合わねぇぜ」
「何を言う、魔将の方は勝手に自滅しただけじゃろう。化け物分だけで白金1枚と金貨20枚ってところじゃな」
獣人戦君は身を挺してオウガの蹴りを受けた事によって戦闘不能となっている。ゲートルドは飛竜狩りがトドメをさしていない点を指摘したのだ。
「あ?」
飛竜狩りの眉間には青筋が浮かび、竜鱗の剥げ落ちたドランスケイスの柄が強く握りしめられる。
「……冗談じゃよ。お主がいなければ壊滅していたのは事実であるし、こちらの調査不手際も含めて白金3枚は支払おう。じゃが、とっくに予算も超えてるので今すぐには用意できぬ。一度都市に帰投してから改めて報酬について話すとしよう」
「ガハハ、ならばヨシッ」
「……お主はほんと自由で現金な奴じゃのう、ワシは失態を冒した以上、年貢も収めねばならんというのに」
老将ゲートルドは深くため息をつく。此度の獣人征伐任務の失敗において、総指揮官への責任追及は免れない。特に、将来の帝国の戦力を担うはずの魔術師団を壊滅させるという大失態は、ゲートルドに刑死を覚悟させるには十分な事件である。
「それじゃ、俺様はここいらで失礼するぜ。金はちゃんと払えよ~爺さん」
「分かったからお主はさっさと休むがよかろう。強がりも見苦しいぞ」
「ふん」
飛竜狩りは平静を装いながら、奴隷エルフのイサラと共に野営地を去っていく。それをゲートルドは見届けると、おもむろに護身用の長剣を引き抜き、物言わぬ獣人戦君のミンチに突き刺す。
「ふむ、まだ動けるとは思ったが反応すらもなしか。お主はあの化物やグール騒ぎについて何か知っているようじゃから聞きたい事もあったのじゃが。……続きはあの業突く張りにでも聞くとするかのう」
此度の獣人国征伐は当初の計画段階では過剰戦力にしかならないと試算されていた。鉱山都市市長から渡された事前情報も楽観的で、今回登場した未知の脅威に関しても一切触れられていない。
「もし、あやつがそこの化物と関わっているのだとすれば、看過はできぬ」
今回の戦の裏に潜む大いなる悪意の存在。その付近には間違いなく鉱山都市市長が関わっているのだと、ゲートルドには予感があった。
「ところで、隘路防衛を任せた下士官の奴からの定時連絡はまだ来ぬのか?」
「はい、昨晩から一度も連絡が来ておりません」
木々の間に陽光が差し込み始める時刻、にもかかわらず下士官からの連絡が一切ない。無論、徒歩にして一日の距離はあっても、少数が早馬で移動する分には半分以下の時間で往復も可能である。
「……あやつめ、夜に一度や二度くらいなら定時連絡をすっぽかしても大事ないと思っておるな? やはり戦争を舐めとるじゃろ……。いや、まさかな……」
ゲートルドは常々疑問を感じていた。何故、獣人の切り札とも言える戦力であるはずの獣人戦君が、単独で乗り込むという使い捨てのような戦い方をしているのか。何故、報告にあった魔獣を使役する獣人が出現していないのか。
現在置かれている状況と与えられた情報を刷り合わせると、ゲートルドは一つの結論に思い至る。
――まるで、こやつこそが時間稼ぎのための囮であるかのような……
「ゲートルド指令、大変です!」
「なんじゃ、藪からぼうに」
「谷の防衛部隊への定時連絡に派遣していた伝令が、魔獣を使役する獣人部隊に襲撃されて全滅しておりました!」
――ワシら本隊を足場の悪い湿地林に誘い込むのが獣人戦君による演出だとすれば、伝令を襲撃するのは本隊をなるべくこの場所に止めておくことが狙いか。ならば奴の戦い方にも合点がいく。
「……なる程、完全に理解したぞ。全軍に通達せよ。休息は中止じゃ。早急に防衛陣地にまで戻って残存兵力と合流した後に鉱山都市への帰投を開始する」
終始後手後手のゲートルドおじさんですが、これでも割と感が良い部類な気がする今日のこの頃。裏では下士官さんも結構頑張ってるけど、情報アドバンテージを完全に取られてちゃあエスパーでもなければどーしようもない。そんなお話なのさ。
なお、ミンチ化したゾンヲリさんは頭部も損壊しているので、嗅覚も聴覚も視覚も味覚も完全に失われているので読唇術すらも使えてません。辛うじて生命感知で気配察知できても肉体がミンチじゃ言葉を発しようがない。
よって音声で何かを問いかけた所で返事しようがなかったりするのさ……。




