第百話:流し切りが完全に入ったのに……
獣人戦君は、赤黒く濁った大剣を地に寝かせるようにして構え一呼吸を置くと、オウガを見据えた。
「ふむ、【地走り】か、獣人戦君め、これまた随分と珍しい構えを使いおるの」
老将ゲートルドが獣人戦君を訝しんだのには理由があった。大剣とは、その重量に任せて敵を叩き切るための武器である。故に、大上段に構えて振り下ろすという動作が最も威力に優れ、薙ぎ払いは範囲に優れる反面重量によって振り回され、切り上げに至っては重量が欠点となり十分な威力が出せなくなる。
大剣を下段に構えるというのは、それだけ異端になるのだ。
「あの巨人の化け物は飛竜狩りの【流し切り】を受け止めたんですよ? あんな事して一体何を――」
刹那、獣人戦君が大剣の握りを強めた時、その場から姿を消した。凄まじい削岩音と共に土埃のカーテンが巻き上げられ、獣人戦君はその中に溶け込んでしまったのだ。
「ぬぅ! 目潰しとは小癪な」
オウガは、正面から迫る砂塵の竜巻を何食わぬ顔で片手で受け止めようとしたが、姿を晒した大剣に纏わりつく異質から危険を感じ取り、即興で切り上げを真横に跳んで避けたのだ。
「死に晒せやオラァ!」
これは、飛竜狩りの後方攻撃も躱すという咄嗟の機転も利かせている。
「チィ、仕留め損ねたか」
すかさず戦士二人はオウガへ肉薄し、左右からの挟撃を繰りだそうとしたその時だ。
「いかん、皆は耳を塞いで口を開け――」
オウガからその兆候を読み取った老将ゲートルドの指示は決して遅いわけではない。だが、指示を聞いてから行動に移してるようでは手遅れである。
「GOAAAAAAAA!!!!」
身の毛もよだつような超振咆哮。その大気を揺るがす程のけたたましい怒声と共に振り下ろされる反撃の剛拳は大地を粉砕し、粉微塵と化した石礫は縦横無尽に炸裂する。
「ああああ!? ああ!? アアアアアッ!」
オウガを囲んでいた兵士や魔術師達は一斉に地べたに倒れ伏し、血の吹き出る耳元を抑え海老反るようにして悶絶していた。そして、聴力と言葉を失い、声にならない苦悶の声を上げる者達でその場は溢れかえる。
そう、たった一度の咆哮、ただそれだけでオウガ包囲網はたちまち崩壊した。
「ぐぁぁ、これが先に送り込んだ討伐隊が全滅した原因かよ……」
「ひぃ……まだ耳がキンキンする。寝っ転がってる人たちは!」
「案ずるな、鼓膜が破れた程度なら一月もすれば治る。このままの状況を維持だ」
「無理言うなよ……吠えながら攻撃されたらどうにもならない。こんなのとどうやって戦うんだよ……」
咆哮を予見して凌げた者達からも動揺と恐慌が広がる。耳を抑えなければ後ろから鼓膜を破壊され、耳を抑えれば武器など構えてはいられない。戦う資格を持たぬ弱者達の戦意を挫き一斉にふるい落とす攻防の一手、それが超振咆哮だ。
「ふむ、魔術師達に攻撃魔法を詠唱待機をさせて最悪の事故を引き起こさなかっただけマシととらえるべきじゃな。まだ立てる者は負傷者の救護をしつつ戦線を離脱せよ、これでは包囲も無意味じゃ」
オウガを囲んでいた兵の半数が戦闘不能となり、残りの半数の戦闘不能者をその場に置き去りにしなくても撤退が可能なギリギリの状況、即ち全滅に陥っていた。
「おお……この程度で全滅してしまうとは。ククッ人の器とはなんとも脆く儚い……そう思わないか? 魂の因果を喰らいし呪を宿す者よ」
距離をとって仕切り直したオウガは、獣人戦君の持つダインソラウスを警戒しながらも、不敵な笑みを浮かべてみせる。
「下らん。所詮借り物の力でしか戦えぬ者同士が、そのような問答をしたところで滑稽でしかない」
獣人戦君は、耳の中が裂ける痛みを初めから無視していた。その程度の痛みの増加など、もはや獣人戦君からしてみれば誤差の範疇に収まってしまう。
「……今さら聴覚など失った所でさして問題にはならないが、深淵の人でなしの意を汲むのが些か面倒だ。……これ以上お前と不毛な問答を続ける理由も生かしておく道理もない。次は確実に滅殺す」
「クク、その枷で雁字搦めとなった肉体でどうやって殺してくれるというのだ? 既に種も割れておる。次にまた土埃を巻き上げて奇襲を仕掛けようと無駄よ」
獣人戦君が【地走り】を行った理由は二点ある。一つはダインソラウスを地面に預ける事によって重量を軽減して突進力を上げる事、もう一つは土埃の目くらまし効果を期待し、後方に回ろうとする飛竜狩りへの注意を逸らすのと同時に【ソウルイーター】の危険性を悟らせないようにする為である。
いずれも、オウガ相手であれば初回だからこそ機能しうる技だ。
「おいてめぇ、俺様無視して吠えてんじゃねぇぞ! イサラァ」
「は、はい。ハルバ様!【風膜】」
飛竜を狩る程の場数を踏んでいる二人は咆哮への対抗策を用意していた。音とは空気の振動によって伝わる波であり、矢すらも防護する空気の層を作り出す【風膜】を頭部を中心に厚くする事によってある程度屈折させている。
「ククッ……いいぞ。優秀な魂は幾ら貪り喰らっても食い足りぬ。幾ら血を飲んでも飲み足りぬ」
オウガは一度肉体の具合を確かめるような素振りを見せると、戦闘の構えをとり始める。それまでにあった慢心の一切が消え失せていた。
「ようやく身体も馴染んできた。お前達のその魂、まとめて喰らって糧にしてくれよう」
震脚一つで大地は悲鳴をあげ、叫べは大気は逃げ惑う。どれだけ鍛えた名剣も、どれだけ優秀な金属で拵えた防具も、鬼の前では無意味にも等しい。一挙一動全てが一撃必殺、当たれば終わりだ。
「で、まだ手は残ってるのかゾンビ野郎。いい加減肺や脇腹に血が溜まってイテェし、意識がトびそうなんだが」
「ある事にはある。出来れば使いたくはなかったが、この際はやむをえまい。一度きりだ、必ず仕留めろ」
「ち、偉そうにしやがる。あの化け物相手に最強の俺様が不覚をとるハメになったのは、元はと言えばてめぇのせいだぞ」
「……いくぞ」
一度目と同じように、獣人戦君と飛竜狩りは左右に分かれオウガを挟み込むようにして駆け出す。オウガはそれを見越して迎撃の超振咆哮を発し、大地を踏み鳴らす。
「GOAAAAAAAAAAAA!!」
立つ事も間々ならなくなる程の地震と聴覚を完全破壊する空気振動の同時攻撃にも戦士達は怯まない。
「おおおおおっ!」
獣人戦君の鬼気と共に放たれる渾身の地擦り残月は、空を切る。
「無駄よ」
オウガは獣人戦君の剣技を完全に見切っていた。一度目と同じにように、挟撃を受けぬように獣人戦君の側面へと回り込むと、無慈悲の鉄槌を振り下ろす。
獣人戦君は大剣で切り上げるという愚を冒している。姿勢が完全に伸び切っている状態では間髪入れず繰り出される反撃を回避することなど不可能。そのはずだった。
「間抜けが」
「なにぃ!」
だが、オウガが最も恐れていた魂砕きの呪が宿されたダインソラウスを、獣人戦君は手に持ってはいなかった。切り上げと同時にどこかへ放り投げ、初めからオウガの反撃に備えていたのだ。
そして、獣人戦君はすかさずオウガの両足へしがみついたのである。
「ぐお、放――」
「お前如きを殺すのに、魂砕きは必要ない」
即座にオウガによって獣人戦君は蹴り飛ばされる。その一連のやり取りが行われるまでに経過した時間は非常に短い。が、ハルバという男を自由にするには、あまりにも長すぎる隙を晒していた。
そう、獣人戦君の目的は時間稼ぎ、初めからオウガの足止めに徹していたのだ。
「てめぇの顔もとっくに見飽きたぜ。そろそろ死んどけや!」
ハルバの全体重を乗せた【流し切り】が完全に入り、オウガの胴体が一刀のもとに両断される。そうしてまもなくして、オウガの生命活動は停止した。
ドラゴンが人間ぶっ殺すのに火炎ブレスも魔法も必要ない。ただ叫ぶだけで戦闘不能にできちゃうという。ドラクエ風に言う所の1ターン二回行動をどのようにしてやるのかと言えば、雄たけびしながら攻撃したらよくね?っていう所に落ちついた。そういうお話である。
全体スタンor沈黙+小ダメージとかいうクソ技を、毎ターン二回行動の初めに先制してやってくるボスがいたとすれば、それはかなりのクソゲーなのでは? サクーシャは訝しんだ。
地味にイサラちゃんがちゃっかり咆哮から生き残ってますけど、一応ハルバ君の荷物持ちとしてついていけてる奴隷なので、実はそこいらの人間よりかなり調きょ……訓練されてます。




