第九十六話:没落令嬢
※その胸は平坦であった。
「ふむ、お前がゾンヲリに大火傷を負わせてくれたとかいう精霊魔術師か」
魔術師レイアの元に二度目の食事を運んできたのは獣人ではなかった。小さな少女、それも蝙蝠の羽と黒くて細長い尻尾が特徴を持つ、明らかにこの場にそぐわない存在である。
「あ、貴女は……悪魔!?」
「私の名は元大魔公ネクリア、本来なら……やめとこ。どう見ても私の方が身分低そうだし……」
淫魔少女は勝手に蝙蝠の羽を垂らしてしょんぼりしていたのであった。元大魔公という偉大なる役職を明かす事によって決定的な上下関係を叩き込むという少女式処世術が通じてる相手と言えば、名も無き戦士や浮浪者同然のおっさんくらいである。
しかも魔術師の才を持つのであれば、現少女より明らかに身分が高い可能性もある。故に、少女は敗勢になる前に決断的戦略的撤退を選択したのだ……!。
「な……屍麗姫ネクリアが、どうしてこのような場所に」
「あ~~、うん、色々説明するのも面倒だから端折るけど、今の私は人畜無害で家畜小屋に泊まるのにすら苦労している文無し家無し少女さ」
少女を自称する淫魔少女は、無い胸を精一杯に張りながらキメ顔をしてみせた。それを見て色々と察してしまった魔術師レイアは、すっかりと毒気を抜かれてしまう。
「はぁ……」
その後、淫魔少女はおもむろに魔術師レイアの元まで近づくと、じっと顔を覗き込んだのだ。
「あの、何でしょうか?」
「ん、良く見ると私好みな美形だな、しかも結構美味しそうな精気も感じる……ジュル。なぁなぁ、どうだ……? 今なら誰も見てないし、ちょぴっとだけエッチしてみないか? 私はこう見えても結構尽くすタイプだから、今なら色々頑張っちゃうぞ♡」
ここ最近エッチ日照りも続き、欲求不満が溜まるに溜まっていたせいもあってか、淫魔少女は久しぶりの特上の獲物を見つけては口元から涎を垂らしていた。
「あの、ボク、女です」
「えぇ……お前女なの……? 私よりもまっ平だからてっきり中性風美男子なのかとばかり……」
淫魔少女は自身と魔術師レイアの特定部位を相互に見比べた後に、勝利を確信するかのような笑みを浮かべた。これまで淫魔少女は、道行く女性に出会う度に勝手に勝負を挑み、勝手に敗北しては勝手に自信を消失するという不毛な闘いを繰り広げてきた。
そう、淫魔少女はここにきて、ようやく自分でも勝てる相手を見つけたのである……!。
「ボクの場合はさらし巻いてるだけです。本当はもうちょっとありますから! ……多分。というより、そもそも無理矢理なんて嫌ですからっ」
「むぅ、ただの淫魔ジョークにそこまでムキにならなくてもいいじゃないか、流石に合意もせず無理矢理ヤる非生産的なエッチは私も嫌いだし」
「もう、一体何なんですか……貴女」
魔術師レイアは完全に呆れたようにため息をついたのであった。
「じゃあさっさと本題に入るか、お前ゾンヲリに触れられただろ? だから、はいこれ」
少女が革製のポーチから取り出して石台の上に置いたのは、藁にくるまれた丸薬である。
「これ、何ですか?」
「黒死病に対する免疫力を高め、治療する薬さ」
「え……? えぇ……? あの、話の意味が全く理解できないんですけど……」
魔術師レイアはそもそも黒死病が発生しているという事実すら認知していない。故に、敵であるはずの少女が黒死病の治療薬を与える理由を全く理解できないのである。
「ほら、今は獣人国内に黒死病が流行ってるからさ、一応念の為に飲んどいた方が安全だぞ」
魔術師レイアは丸薬を手に取って臭いを嗅いだり、軽く押しつぶしてみたりする。
「……いや、ボクを騙そうとしても無駄ですよ、これはきっと淫魔の体液か何かを混ぜた秘薬で、ボクに飲ませて操ったり何か恥ずかしいことをさせる気でしょう?」
「……何故急に、その薄っぺらい創作本に出てきそうなしょーもない妄想に思い至ったのか理由を問い詰めてやりたい所なんだが……、人の精神を破壊したり判断力を鈍らせるならともかく、思い通りに操る薬なんて私にだって作れやしないぞ」
「それは嘘です。淫魔は人を魅了して自在に操り、その、沢山いやらしい……事をする種族だって聞いてます。帝国魔導院で見た蔵書には、淫魔の体液には感度を数千倍にして如何わしい事しか考えられなくなってしまう効果があるって記されていましたから!」
魔術師レイアは紅潮しながら顔を背けた。
そう、魔術師レイアは読書家で耳年魔でむっつりである。故に、帝国魔導院に在籍している淑女や紳士達のみが閲覧を許されるという魔導書から得た知識と経験については人一倍に、ある。
「アホか! テンプテーションするならともかく、私の体液自体にそんな効果があってたまるか」
「え、そうなんですか?」
「はぁ……、そんなに薬が怪しいのなら私が先に飲んでやるから」
淫魔少女は一粒の丸薬をつまんで呑み込み、ペロりと舌を出して見せたのであった。
「これでどうだ? コイツだってそこそこ手間暇かけて作ってるんだぞ?」
「う、うう……」
魔術師レイアはおずおずとしながら丸薬を一粒つまむと、目をつむってひと思いに飲み込む。
「……? あれ? 本当になんともない……?」
「いや、さっきからそう言ってるじゃん。どれだけ信用ないんだ」
淫魔少女はぷんすこと頬を膨らませ、威厳のない怒りをあらわにしていた。
「だって、魔族に捕まった人達はその……色々酷い事されて、助かっても精神が病んでしまった人も少なくはないって聞いてますから」
「ああ……、確かに、あながち間違っては……いないか。見ず知らず同士の男女ペアをマッパに引ん剝いて一つの部屋に閉じ込めておいて、エッチするまで一切食事を与えないようにして成り行きを観察するという下品な見世物小屋もあったりするからな……。いや、これでもまだマシな方なんだけどさ」
「え……えぇ……」
「って、私はヤッてないからな! 勘違いするなよ! あんなの使ってるのは魔族の中でもキワモノの変態揃いだから一括りにしないでくれ。大体、お前達人間の中に居る変態共だって捕まえたウサギとか獣人の交尾の様子を観察しては生命の神秘だとか言ってありがたがってる連中がいるだろ!」
淫魔少女がかつて術の被検体を購入する際に通っていた奴隷市場の中には、そういった見世物小屋が点在していたりする。そして、通り道にあるのだから嫌でも淫魔少女の目についてしまうのである。
魔術師レイアは、これ以上に藪をつつき続けても蛇しか出てこないのだと察したのであった。
「あ、はい。それで結局、ボクをどうする気なんでしょうか」
「何って、黒死病の予防が済んだのなら後は戦いさえ終われば開放するよ。元通りの生活になるかどうかまではまだ分からないけど。捕虜への不当な虐待は私がゾンヲリに命じて徹底的に禁じさせてるし、破ったらソイツに厳罰を与えるから安心していいかな」
亡霊部隊は、原則としてゾンビウォーリアーの命令に徹底服従という条件下で加入を許されている。その規律を破った者は、一人で百人をも切り殺す圧倒的な暴力によって直々に厳罰に処される。そして、その暴力の真の支配者こそ、淫魔少女ネクリアであった。
「どうして捕虜にそんなに良くしてくれるんですか? ボクが言うのも変だと思うんですけど」
「欲を言えば、これからはお前達人間にも友好的に協力して欲しいからかな。これはそのための布石さ」
布石の名は飴と鞭作戦。別名は北風と太陽、あるいはSMプレイである。
ゾンビウォーリアーが暴力と恐怖を徹底的に刻み込み、不安に駆られた者達を少女が優しく接する事で心を開かせるという淫魔的人心掌握術がとられている。
「それはとても難しいと思いますけど」
「まぁ、そうなんだけどさ……でも、これは必要事項なんだ。人間……というか帝国は必要以上に刺激したくはないし、獣人国が冬を乗り切れるだけの食糧をすぐに用意するには人間の商人辺りからの協力だって得なきゃならない」
現状の獣人国内の食糧生産能力はほぼ皆無にも等しい。奴隷農場を開放したとしても、鉱山都市はともかく獣人国内全域を賄えるだけの食糧は得られない。だからと言って鉱山都市内の資源を獣人だけで独占すれば、既に居住している人間達からの憎悪を買う。
仮に反乱を力で抑え付ければ人間達は外部に救いを乞う。そうやって武力介入を許すだけの大義名分を与えてしまえば、嬉々として圧倒的な武力を持つ開放者達が駆けつけてくる。故に、その隙を与えない温和な統治も必要不可欠であった。
「……? 別にそんな事しなくても、元大魔公である貴女なら魔族側から援助できるのでは?」
「いや、最初に今の私は文無し家無しの没落令嬢って言ったじゃん。その辺話すとなると、ほんと長くなるんだけど聞きたいのか?」
「ええ、その、お恥ずかしい限りですけど、今は貴女と話していると少しだけ安心できるみたいなので」
そして、月の位置が15度傾くまでの間、淫魔少女ネクリアと魔術師レイアの列伝が相互に語り継がれたのちに、最後はお互いに肩を組み合っていた。
「なんだか、ボクとネクリアって良く似ていますね……」
「いや、レイアも中々ハードな人生送ってたんだな……」
「はは……まぁ……」
元は令嬢でありながら、家は没落して国に追われ、魔術で事故を起こしてはトラウマを植え付けられ、何故か無償で助けてくれる人が居り、スケベ心を持っていた。
そしてなによりも、同じく胸が平坦である者同士で謎のシンパシーを感じ合っていたのだ。
「ただ、やっぱり心中としては色々複雑ですね。獣人達の事を思えば、ネクリアが言うように人間と獣人でお互いに手を取り合うのが理想なんでしょうけども……」
明日から人間と獣人はお互い仲良くしろと言われて仲良くできるわけもなく、それほどまでに獣人と人間との間の確執は深い。こうして事情を聞いた魔術師レイアでさえも、多少獣人に同情はできても未だに恐ろしさを感じずにいられない。
「ま、人々が納得してくれるようになるまでにはどう足掻こうと多くの血と汗と涙が流れるってゾンヲリは言ってたし、物事はどうやったってそう都合よくはいかないのは最近つくづく思い知らされてるところさ、でも……」
淫魔少女には不敵に笑って見せる。
「私はすごーーーく我が儘な奴なんだ。だから、レイア、私はお前にも協力を求めるぞっ。一人で草の根活動していたらエッチする時間も作れないからなっ」
「う~ん……、色んな意味でこの手を握っちゃって大丈夫なのかな……」
淫魔少女から差し出された手を前にし、魔術師レイアは勢いに任せて握りかけた手を引っ込めた。
「何も血生臭い事はやらなくたっていいんだ。ただ、ちょっとだけ獣人達の言い分も聞いてやった上で、他の人間達の事を説得してくれたら助かるんだよ。ほら、私はこんなナリだしゾンヲリはゾンビだし、獣人の上層部も話が分かるといっても獣人だから、どうしてもこういった場所でもないと対話すら成り立たずに問答無用で武器向けられちゃうんだしさ……。つまるところ、種族が人間の協力者ってそれだけで大きな価値があるんだぞ……ほんと」
「でも、ボク、罪人なんだけど……」
「私だって魔族国内では名指しで指名手配されるくらいの大罪人だけど知らんぷりしとけば問題ないぞ。大体、こんな辺境に追手をよこすような暇人いないって」
「あ、ハイ」
そう、少女は強かなのであった。
「でも、もう少しだけ待って欲しい……かな。その、せめてマジ君と相談をさせて欲しい」
ネクリアさんが現れるとどんな場面もどんなシリアスもシリアヌスに変わる。そういうお話である。
今稼働している亡霊部隊の人員数は精々50人前後、そんな中で自分達よりも恐ろしい人間を捕虜にして適切に管理するには一人辺り、3から5人くらい付けなきゃ不安でやってられない。当然、戦闘ほったらかしにして捕虜にかまけ続けているわけにもいかないため、ゾンヲリさんは捕虜にとるべき人間は必要最低限にするべく厳選していたりするという裏話が存在する。
その結果が数話前のアレになるわけだが……。ゾンヲリさん本人は存在を維持するために定期的な殺戮を行う事も強いられているので必要経費ともいえる。
また、ベルクトさん含んだ他の獣人部隊は、ゾンヲリさん程には兵士に徹底服従を強いてるわけではないため、捕虜の扱いは各自の部隊の風土や判断による。つまり、エロ同人みたいな展開が発生する可能性も否めない!




