第九十三話:濃厚接触
※征伐軍側の風景をお送りいたします。
征伐軍司令官ゲートルド率いる軍勢は、日喰谷という天然の要害とそれを利用しての包囲殲滅陣を警戒して一時的に侵攻を中断していた。その一方で龍王ベルクト率いる獣人軍はと言えば、兵士の質と装備が圧倒的に劣るために反転攻勢を仕掛けられず。両社は互いに睨み合いを続けて一夜が過ぎていった。
「おいおい、司令官様はいつまでコレ続ける気なんだよ?」
「明日には再侵攻を開始するそうだとよ」
「炊き出しなら格安で飯が食えるとはいえ、これがあと2,3日続いたら困るぜほんと」
「駄獣の食事用意するのだってタダじゃねぇんだからよぉ……」
征伐軍側の野営地では、待機を命じられた事によって傭兵達や冒険者達からも不満の声が上がり始める。金も稼げない命がけの戦いとは、彼らが最も嫌う仕事である。そんな傭兵達を他所に、野営地内をせわしなく駆けずり回る青年の姿があった。
「司令官にクエストの失敗報告をするためには、途中で放棄した人達にも状況を証言してもらう必要があるんだけど……はたしてどれだけ生き残りがいることやら……」
青年戦士マジが探していたのは野薔薇団の生き残りである。獣人側の密偵としての務めを果たすにしても、生存者同士で口裏を合わせなければ情報の信憑性は落ちてしまう。しかし、数千人という人間の集団の中から、いても高々十人未満の生存者を探すのは途方に暮れるほど大変な作業である。
走り疲れた青年戦士マジは近場で休める場所を探すべく外れに出ると、先着で木陰で休んでいた女魔術師と目が合った。その魔術師のローブの裾がボロボロにすり切れてしまっており、表情はまるで幽霊にでも出くわしたかのように驚愕していた。
「あ……アナタ。生きてたんだ……」
「えっと、君は……あの時の子か」
「あ、あの……その……」
女魔術師はバツが悪そうに言葉を濁していた。なんせ、自分を必死に守ってくれたはずの青年戦士を置いて、真っ先に逃げてしまった張本人なのだから。
「そっか、君は助かってたんだね。良かったよ」
「え……? あ、うん。助かっちゃったみたい」
しかし、青年戦士は女魔術師の逃亡の責任を追及するでもなく、安堵していた。それを見て、女魔術師も安堵して見せた。
「ところでアナタ、一体どうやってアレから逃げ切ったの?」
「あ~、私の場合は運が良くてたまたま見逃してもらっただけ、かな……」
「そう……アレを倒したわけじゃないのね」
青年戦士マジに秘められた力がない事を確認すると、女魔術師はあからさまに興味を失くしてしまう。
「それより、君に聞きたい事があったんだよ」
「何?」
「野薔薇団と一緒にいた人達はどれくらい助かったのかな?」
「多分、無事にクエスト失敗の報告が出来たのはアタシだけ、他の子達は……知らない。きっと皆アレに殺されたのよ、皆……」
惨劇を想起し、女魔術師は震える身体を抱いていた。
「わかった。ありがとう、それじゃ私はクエスト失敗を報告しに司令部に向かうよ」
青年戦士マジも、それ以上は関わるまいといった風に事務的に話を切り上げようと女魔術師に背を向けようとする。
「待って、丁度いいし、アタシとパーティ組まない? ほら、アナタって、結構機転利くみたいで他の男よりは信用もできそうだし」
「折角だけど遠慮しておくよ」
「貴族で魔術師のアタシの方から組もうって言ってあげてるのに? なんで?」
パーティ編成の主導権は魔術師や高い名声を持った者が握る。逆に、弱い戦士にはパーティを選べる権利というものは殆どない。何故なら、供給過多になりがちな戦士という役回りは基本的に厳選される立場にあるからである。
女魔術師が青年戦士マジを評価した項目はただ一つ、信用である。
命をかけてまで見ず知らずの人間を守ってくれる都合の良い戦士は珍しい。しかも、見捨てても文句一つ言わない。だからこそ、顔も実力も平均点かそれ以下の青年戦士マジを選んであげたのだ
「逃げる最中に森に大事なものを置き忘れてきてしまったんだ、それを取り戻すのに付き合わせては君に迷惑をかけてしまう」
「いいよいいよ、それくらいなら待ってあげるから」
女魔術師には、青年戦士マジの些細な我が儘くらいなら許せる気概もあった。
「……私には、君が安心して魔法を唱えられるように守ってあげられるだけの力がないんだ。組んでもお互いに不幸にしかならないよ。それに、魔術師はもうパーティにいるから」
それまでやんわりと遠回しに断ってきた青年戦士マジであったが、明確な拒絶の意思を示したのだ。
「は? なによそれ」
「ごめん、はっきり言うね。命がかかってるんだ、仲間を置いて逃げるのは仕方ないって思うし、私はそれを責めるつもりはないよ。でもさ、もう一度背中を任せようとは到底思えない。私もそうだし、何より仲間の命もかかってるんだからさ」
青年戦士マジが女魔術師を評価した項目もただ一つ、信用だった。
「アンタだって仲間置いて逃げたんじゃない。だから今ここにいるんでしょ」
「ああそうさ、私は恐ろしさに屈して仲間を置いて逃げたただの卑怯者さ。だけどこのまま卑怯者で居続けるつもりはないよ。ここで君と口論しててもしょうがないし、私はもういくよ。失礼」
「あ、ちょっと、待ちなさい!」
青年戦士マジは女魔術師を置き去りにして野営地の人込みに溶け込んで消えてしまった。
「なによ、それ……全然意味わかんないんだけど」
女魔術師からすれば、青年戦士マジは理解不能な存在だった。戦士なんて頼んでもいないのに寄ってくるし、多少我が儘を言っても許してくれるどころか好意をよせてくるし、挙句の果てには自分から積極的に貢いでくれる男だっている始末。
「なんでアタシがここまでこけにされなきゃいけないのよ、納得できないわ」
女魔術師にとって何よりも気に食わなかったのは、まるで役立たずだと言われたような気がしたからだ。確かに、当時は赤騎士によって仲間が次々に血祭にあげられて行く様を見せつけられて恐怖から気が動転していたし、暗い闇の中で心細かったせいで冷静な思考を保てなかった。
しかし、普段通りならファイアーボール一発も撃てないなんてことはあり得ない。女魔術師の本当の実力はこんなものではないのだ。
「はぁ……やめよやめよ。そう、あんな奴別に……全然気になってるわけでもないしっ」
女魔術師は言い訳のように自分に言い聞かせながら、朝食をとろうと炊き出し場に向かった時の出来事だった。
「ゲホッゲホッ」
「きたねぇな、スープに唾飛ばすんじゃねぇよ」
「わりぃわりぃ、谷底はちっと冷えるせいで風邪ひいちまったかな」
そんな食欲の失せるようなやりとりを目の当たりにしたのである。
「う……あれを食べるのは、嫌ね」
汚いおっさんの唾が入ってるかもしれない食べ物なんて生理的に受け付けない。そんな考えが女魔術師の脳裏を掠めた頃。
「ゴハァッ」
炊き出しのスープの中へと盛大に血反吐がぶちまけられたのだ。
なお、黒死病は感染力が非常に強い病気です。ゴッホマンは複数いるので……炊き出しなんかやった日には……。
追放系メソッドを若干取り入れてみる。そんなお話なのさ。




