第九十話:パーティーメンバーがいません
※またマジ君の側です
「レイア、レイア」
青年の戦士は慌てた様子で、マントにくるまりながら眠っている魔術師レイアの肩を揺り動かしていた。
「すー……すー……う……ん、んん……」
しかし、魔術師レイアは居心地悪そうに寝返りを打つばかりで目を覚ます様子はない。
「……何故だ。何故か私は今、非常に興奮している……いや、確かにレイアは男というにはあまりにも華奢で綺麗すぎるし、肩の感触とか何かすっごく柔らかいし……いや、いやいやいや、何を言っているんだ私は! レイア! 起きてくれ! 問題が発生したんだ!」
青年戦士マジは魔術師レイアの両肩を抱き、より強く揺り動かしながら顔を耳元に近づけて叫んだ。
「う……ん? え……? キャアアア!」
魔術師レイアが薄目を開けると、自分の真上に男がのしかかっていて身体に触れていたのだ。身の危険を感じて咄嗟に悲鳴をあげ、反射的にビンタを繰り出そうとした。
「落ち着いてレイア、私はマジだ。同性愛者ではない……」
……はずだ。と最後に小さく付け加えた青年戦士マジは、魔術師レイアのビンタをつかみ取って防ぐと、ゆっくりとその場を離れる。
「あ……ごめんなさい、ボク、寝ぼけちゃってたみたいだから、つい……」
ついつい女の子部分が出てしまった事を赤面しながら弁明しようとする魔術師レイアであったが、青年戦士マジは真剣な眼差しでレイアの事を見つめていた。
「それはいいんだレイア、今は説明している時間も惜しいから手っ取り早く状況を伝えるよ。野薔薇団が野営している方角から悲鳴が聞こえてきたんだ」
「それって、まさか……」
「うん、恐らく何者かから襲撃を受けているのだと思う。だから、私は今から襲撃者の正体を確認しに向かう。レイアは500を数えている間だけここで待っていてくれ、それでもしも、私が戻ってこないようならレイアは一人で本陣まで全力で逃げるんだ。いいね?」
「え、待って、どうしてそうなるの?」
「野薔薇団は魔術師20人含めて合計70人も居るんだよ? この戦力って、計画を立てた上で背後から奇襲さえ仕掛けられるのなら獣人砦を落とせる可能性だって十分にありえる戦力なんだ」
野薔薇団は、獣人砦を落とせるだけの勝算があるからこそ攻略作戦に参加しているのだ。勝算が魔術師頼みであるとはいえ、野薔薇団の個々の戦闘力は獣人兵士を上回っているのだから、不意の遭遇戦で同程度の人数でぶつかり合ったとしても敗北はまずありえない。
「野薔薇団が負ける程の戦力ともなれば、獣人軍の本隊、あるいはこの付近では確認されていない未知の強力な歴戦個体の魔獣がすぐそこに迫っている可能性が高い。そんなのに私達が遭遇してしまったらまず殺される」
「それなら、なおさらマジ君も一緒に逃げなきゃ」
「レイア、斥候はとても大切なんだ。何故なら私が戻って来なければその方角が危険である事だけは明らかになるからね。もし、敵が危険な魔獣一体だけなら逆方向に逃げれば安全である可能性が高くなる。これはもう、この先生きのこる人間を選択しなくてはならない。そういう段階の話なんだよ」
命の価値は平等ではない。死んでも代わりが幾らでもいる戦士よりなら魔術師が生き残るべきである。平民が生き残るよりなら高貴な貴族が生き残るべきである。劣る者より優れた者が生き、その先を繫いで行くことこそが生物に課せられた責務である。青年戦士マジはそれを全うしようとした。
「だからって、罪人のボクを差し置いてマジ君が危険な目にあっていいわけないじゃないか」
しかし、魔術師レイアにとっては受け入れられる理屈ではなかった。
「……大丈夫、私はこういった経験は何度かしているから。合理的に考えてもこの中で斥候をやれるのは私だけだし、見つからないように慎重に行動もする。それに、あくまで最悪のケースを想定しての話だから、野薔薇団の生存者から話を聞くか、明らかに危険な気配を察知したならすぐに戻るよ。約束する」
そう言い残すと、青年戦士マジは狼煙の上がっている方角へと全速力で走り去って行った。
「あ、マジ君!」
駆け出しとはいえ、戦士の健脚は魔術師のそれとは比較にもならない速度である。青年戦士の背中は、追い縋るレイアを置き去りにして夜の闇の中へと消えてしまったのだ。
「どうして……? どうして皆、ボクなんかの為に……命を張ろうとするの? おかしいよ、絶対」
魔術師レイアは秒を数える事もなく、慣れない足取りで狼煙の上がっている方角へと走り出したのだ。
―――……
「200、201、202」
青年戦士マジは、走りながら小さく秒数を数えていた。
「……また、私は間違ってしまったのかな……。いや、でもこれが一番合理的なはずだ。はずなんだ」
明らかに一人旅に慣れていない魔術師レイアをあの場に置いていくのには相応のリスクがある。孤独に耐え切れずパニックを起こす、500を数える間に別種の脅威から襲撃される。そういったリスクもありえなくはないのだから。
「……! そこに居るのは誰だ」
狼煙の大本まで目と鼻の先という辺りで、深い茂みが揺れたのを青年戦士マジは見逃さなかった。
「お願い、助けて!」
中から飛び出してきたのは野生の野良魔術師だった。えらく狼狽していて、明らかに冷静さを欠いたまま青年戦士マジに抱き着いたのだ。
「大丈夫だ。落ち着いて。君は確か、前にクエストボード前で会った子だね……、一体何が起こ――」
「早く逃げなきゃアイツに殺されるの! だからっ」
柔らかな感触を受け、普段であったのなら役得と思う青年戦士マジであったが、有事の際にはそんな事を言ってはられない。
「大丈夫だから落ち着いて、騒ぐと敵に見つか……」
錯乱する魔術師女性を落ち着かせようとしたその頃、青年戦士マジは周囲を取り囲む気配を感じた。
「伏せて」
「キャアッ」
青年戦士マジは魔術師女性を無理矢理地面に押し倒すと、そのすぐ真上を石礫が高速で通りすぎていった。そして、青年戦士マジはすぐに起き上がり、気配のする方向を向いて盾を構えたのだ。
「3人、いや4人か、お前達は何者だ。グッ」
青年戦士マジが質問を投げかけても、返事は背後からのスリングショットで返される。マジは構えた盾で防ぎ落すと、それらは姿を現した。
両目の潰された夜狼の背に跨る黒衣を纏う黒騎手、闇に溶け込んでいるのかよく目を凝らしても全容は掴めず、まるで、亡霊に出会ってしまったかのような不気味さを醸し出していた。
「馬鹿な、何故獣人が魔獣を使役している? こんな事が、ぐうッ」
青年戦士マジにめがけて次々と石礫が射出され、それを弾き落とす度に皮の盾がガチガチと音を立てる。
「グアッくそっ、徹底して私を遠距離から仕留めるつもりか、それにこの連携は、ぐうっ」
肩に鈍痛を受け、青年戦士マジは苦悶の表情を浮かべる。
スリングショットを盾で防がれるや否や、狼の背に乗る亡霊達は青年戦士マジの真横や背後に積極的に回り込むべく茂みの中を高速で移動していた。接近戦を仕掛けようにも、機動力で狼の足に追いつけるわけもなく。青年戦士マジは防戦一方を強いられていたのだ。
青年戦士マジが一人でやれる事はと言えば、襲い来る石礫から頭部を保護するくらいである。
「そうだ、君は動けるかい? 魔法を……」
「いやあああああああ! 誰か、誰か助けて! 死にたくない!」
魔術師は錯乱していて戦意を完全に失っていた。目と耳を塞ぎこみ、ただただ小娘のように恐怖に怯えきっていたのだ。
――私一人でこの場から逃げるだけなら、この子を囮にさえすれば……
そんな思考が、青年戦士マジの脳裏をよぎった。元々他人でしかなければ、後ろ指を指して悪口を言ってきた女である。戦力どころか足手まといにしかならない状況では、見捨てる事こそが最も効率的な判断だと言える。
「はぁ……、やっぱりこれ、私の悪いクセだよな……」
青年戦士マジは、魔術師女から庇うようにして盾を構えつつ、じっと敵を見据えていた
――スリングで狙いを定めている間だけは狼の足が止まる。つまり、動きを止めた相手だけを注意すれば石礫は凌げる。
迫り来る幾つもの石礫を盾で受け流しながら、冷静に、慎重に、亡霊達の動きやクセを分析していた。
――しかし、狼の動きがどこか単調でぎこちない。騎手と魔獣との連携が上手く取れてないのか? いや、その割には包囲と遠距離攻撃の戦法はしっかりと徹底されている。なんだ……この違和感は、私を仕留めるだけなら狼をけしかければそれで済むはずなのに。いや、今はそれよりも重要なのは……。
「君、お願いだからしっかりしてくれ! 当てなくてもいい、とにかく【ファイアーボール】を詠唱してくれるだけでいいんだ。そうすればこいつらを追い払えるかもしれないんだよ!」
ファイアボールの至近弾でも獣人相手であれば十分な威圧効果になる。狼の単調な軌道なら、先読みで十分直撃も狙える。青年戦士マジにはその確信があった。
「いやぁああああ!」
しかし、青年戦士マジが呼びかけても、怯える女は派手な悲鳴をあげるばかりで、戦意を取り戻す様子はなかった。
「くっ……このままでは……不味い」
――確かにこの狼乗り達や厄介だが、私一人でもまだ耐えられている。つまり、この程度では野薔薇団の脅威にはならないんだ。もし、これ以上戦闘時間が長引けば、野薔薇団を壊滅させた何かが増援として駆けつけてくる危険性が高くなる。
顔などの急所は石礫の直撃を盾で防げても、その他の部位には容赦なく命中する。既に青年戦士マジは防具越しの痛打で全身打撲のような痛みに襲われていた。
「くッくそ、もう……腕が……」
防具から露出した部位に石礫が直撃し、血染みを浮かべながらも青年戦士マジは鈍痛に耐え立ち続けてきたが、そろそろ限界が訪れていた。
「無理はしないつもり、だったんだけどな……。ははっ……女の子の前で恰好付けてみたらこの様、か……」
青年戦士マジは、自嘲気味に己の軽率さを呪った。その時である。
【ファイアーボール!】
どこからともなく、燃え盛る火の玉が一発飛んできたのだ。
「うわあああ!?」
それは、移動中の狼乗りの付近に弾着する。爆風によって狼の制御を失った狼乗りの一人は地べたに叩き落され情けない声をあげた。
【ファイアーボール】を放ったのは、床に突っ伏して震えているだけの魔術師の女の子ではなく……。
「マジ君! 大丈夫?」
パーティーメンバーのレイアだった。
「レイア……どうして来てしまったんだ。だけど助かったよ、すぐに別の狼も狙って」
「わ、分かりました! うっ……炎よ!」
レイアの脳裏には暴走自爆した時の記憶がフラッシュバックしていた。突如強烈な頭痛に襲われ、滝のように冷や汗が流していたレイアだが、集中だけは切らさない。そして……。
【ファイアーボール】
「なに、詠唱が早い!? うわああああああ!」
ファイアボールの詠唱に通常ならば15秒から30秒はかかるところを僅か3秒で作り上げた火炎弾は、方向転換の為に足を止めてしまっていた狼乗りへの直撃コースをとっていた。
「よし、これで二人目を無力――」
青年戦士マジが思わずガッツポーズを取り始めたその時だ。衝撃波を伴う黒い暴風が一瞬で通りすぎ、【ファイアーボール】を刺し貫き消し去っていった。
「そんな、ボクの【ファイアーボール】がかき消された!?」
そして、その後も黒い暴風は何本もの樹木を容赦なく次々と薙ぎ倒していったのだ。
「どうやら間に合ったようだな」
その呻くような重低な声が響くと、場の空気が一層と重苦しくなる。そして、闇の中からぬらりと姿を現したのは、赤い騎士であった。
「ベルクト隊長! す、すみません、助かりました」
「他は全て始末してきた。残りはここだけだ」
野薔薇団の野営地方面から聞こえてきた悲鳴や喧噪も、今となっては静まり返っている。赤騎士の装備している鎧の塗料とは鮮血、即ち、本来は銀色であったそれが、夥しい数の勝利を積み重ねた事によって赤く染められているのだ。
「アイツだ。アイツが皆を、いやぁああああああああ!」
「あ、君!」
それまで突っ伏していただけの魔術師の女性は、赤騎士を見た途端に絶叫をあげ、そこにいた青年戦士マジを火事場の馬鹿力で押し出し、逃げ去ってしまう。
「ああ……、ヤバイなこれ、何がヤバイって言えば、未だにおしっこちびってないのが不思議なくらいにヤバイ……。逃げたあの子の気持ちがちょっと分かったよ」
今、青年戦士マジが対峙しているのは、たった一発の投擲攻撃で樹木を何本もへし折るような相手である。太い樹木とは、遮蔽物としてみれば下手な薄い金属板より遥かに優秀な物体であり、攻城兵器のバリスタで水平射撃したとしても、へし折れる樹木の数は精々一本が限度である。
しかも、通常は発動を目視してから回避など到底不可能な速度で射出されている【ファイアーボール】に対し、投擲攻撃を命中させるというでたらめな達人芸まで披露してみせた。
赤騎士が味方を守るために素手になったのは青年戦士にとってのせめてもの救いだが、それでもなお、戦いが成立するとは到底思えないレベルで実力差があるのは明らかであった。
獣人TUEEEEに思わせておいて、実はマジ君一人すらも倒せない獣人YOEEEEEEというお話。
次回、ゾンヲリさんとのデスエンカを成し遂げてしまったマジ君とレイアちゃんがリア充として爆散する……!?。
なお、若干ヨハネの四騎士風に寄せてみたらしい。白は支配と勝利の象徴、赤は戦争の象徴、黒は飢餓の象徴、ついでに青は疫病。ネクリアさん十三歳のドレスは藍色、なのさ……。




