第八十話:プレイグブリンガー
※視点がしっちゃかめっちゃか変わります。
「話には聞いていたが、太陽が雲や崖に隠れて見えなくなった途端に随分と暗くなってきたな」
獣人征伐軍の先遣隊の一人が思わず誰かがそう呟いた頃には、設置されている手入れの施されていない燭台や先遣隊が手に持つ松明に灯された微かな火の光に頼らなければいけなくなる程に、周囲は闇に満たされつつあった。
「これではまるで洞窟だな。こんな場所は早々に駆け抜けてしまいたい……が」
「おい、向こう側を見てみろ。灯だ! まさかあれは……獣人共の砦かっ!」
「こんな場所に砦だと? 事前情報で全く知らされていないぞ」
予期せぬ敵との邂逅に、先遣隊の声が慌しくなる。だが、それも先遣隊の斥候が砦の戦力を確認して戻って来た頃には、焦りは次第に失笑へと変わっていった。
「はっ、推定される防衛戦力がたったの三百だと? まぁ、確かにこの場所じゃ同時に戦えるのは百人程度とはいえ、肩透かしもいい所だな」
「しかも砦はまだ建造途中で、敵将のコボルトウォーロードと思わしき特徴的な銀鎧の存在も確認されている。しかもそいつは土木建築作業の指示を出して声を張り上げてるときたか。どうやらよっほど兵士集めに難儀しているらしい。だからこんな場所に突貫で砦を作ってるんだろうよ」
「ふっ未開な蛮族らしいじゃないか、この調子じゃこの一山は楽に終わりそうだ」
楽勝可能であるという空気が先遣隊達の間に広がる。
「……なぁ、これはチャンスだぜ? 後続待たずに突っ込んじまわないか? 今なら俺達だけでも大将首含めて手柄を全部独り占め出来るかもだぜ?」
数百人規模の傭兵団であれば、目の前にある獣人砦の防衛戦力も十分に上回る。目の前にチラつく大将首さえ討ち取ってしまえば戦いはそれで終結し、後はお愉しみと夢の時間だけになるという寸法である。主力である後続の千五百が集まってから戦闘が始まればリスクが減るが、当然一人辺りの取り分も大きく減る。
「……今ならあの"飛竜狩り"を出し抜けるかもな」
羅漢団の団長は固唾を飲みこんだ。
こんな楽な戦場で他の傭兵団や冒険者に一番槍を譲ってしまえば、それこそ出番が二度と回って来なくなる可能性すらもあった。もしそれを許して戦果が殆ど得られなくなってしまえば、この戦の為に今まで準備してきた装備や食料は無駄になり、団員に支払う金も工面出来なくなる。逆に、傭兵団単独で獣人を打ち破ったという名声が得られるならば、傭兵団のさらなる発展と成長にも繋がる。
「羅漢団はこれより砦に一斉攻撃を仕掛けるっ! 団員共は、俺に続けぇ! 突撃ィイイ!」
羅漢団の一声を皮切りに、続々と別の傭兵団も負けじと一斉突撃の号令を上げ始めた。
―――――――……
戦闘の経過は先遣隊側が極めて優勢になっていた。既に門は開け放たれ、味方を蹴飛ばしてでも砦内に雪崩れ込もうとする人の列が出来上がっている。情勢は既に決していた。
「全軍、この砦は放棄して退却だ!」
重低な角笛の音と共に、コボルトウォーロードとその指揮下にある部隊は一斉に砦の裏口側へと消え去っていく。
「ハルバ様っ、コボルトの将軍さん達が逃げ始めちゃってますよ」
ハルバ達と慎重派の先遣隊は、一歩下がった場所で事の成り行きを見守っていた。
「イサラ、俺様が"上のアレ"だったなら、崖でも適当に切り崩して落石を引き起こしてるとこだぜ。それであの馬鹿共を圧し潰し退路を断ってやった後に、一匹ずつ膾切りにしてやるとこなんだが」
圧倒的な身体能力を持つハルバであれば、岩壁を大剣で切り裂くような芸当も容易に成し遂げられる。同時戦闘可能人数が百人程度の道幅では落石の効果も絶大、それこそ百人が一斉に圧殺されるような被害がでてもおかしくはない。
無論、ハルバが崖上を気にして前に出ないのは、地形利用や伏兵による強襲を警戒しての事である。
「えぇ……、でも、ず~~っとこっちを視てますよね。アレ……」
しかし、依然として崖上から覗く者は静かにハルバ達を見下ろしている。
「俺様の天才的頭脳によれば、十中八九コボルトの退却は"釣り"で、砦の先で罠を張ってやがるな。でなければ"上のアレ"がとっくに動いていなきゃおかしい場面だってことだ」
ハルバの視点からすれば、"崖上に存在する強力な予備兵力"が未だに静観を保っているのがあまりにも不気味過ぎた。また、あまりにも理路整然と砦を放棄していくという獣人達の不穏な動きが、より一層怪しさを際立たせている。
「ハルバ様……周りに残ってる人達も随分減っちゃいましたね」
先遣隊の7割は退却した獣人を追撃しに向かい、砦を確保する為に残った人数は先ほどの戦闘で出てしまった負傷者を含めても三百前後。ハルバであればその気になれば全て切り伏せられる程度の兵力しか残っていない。
「これは、ちっとばかし面白くねぇ展開だな」
ハルバは現状を省みて歯噛みする。突撃組は何らかの罠に嵌められているのは確定的に明らかだが、残留組の戦力も都合よく分断されてしまっていたからである。
そして、止まっていた状況は一気に動いた。突如、上空からハルバ達を目掛けて黒い岩の塊のような物体が高速で飛来してきたのである。
「はっ、案の定コレを狙ってやがったか! だが甘ぇ、こんなもん切り伏せて――」
ハルバは向かってくる黒い塊を咄嗟に寸断しようと大剣を構えた。
「いけないハルバ様っ! それに触ってはっ」
「んおおっ?」
エルフのイサラだけは飛来してきた黒い塊がどのような物かを知っていた。何故ならば、先ほどから漂っている"黒い風"の元凶の正体がそれだったからだ。
―――――――――………
〇
「あのさ、ゾンヲリ。一つだけ言わせてもらっていいか?」
「何でしょうか、ネクリア様」
淫魔の少女は何時になくご立腹な様子である。ゾンビウォーリアーは何となくその理由も察してはいる。
「私はさ、こんな事をする為に【リジェネレイト】を開発したわけじゃないんだぞ」
淫魔少女が【生命活性】を施しているのは、かつて"ヒトであった物"だった。無論、既に死んでしまった物体の生命力を活性化させても、傷が治ったり蘇ったりするような効果はない。いうなれば、本来の用途とは全く異なる間違った魔法の使い方をしているのだ。
「それでも、どうか施術を続けて下さりませんか?」
「意図的に"黒鬼"を作り出して何をするのかと思えば、黒死病爆弾にするだと? ゾンヲリお前が今何をやろうとしてるのか本当に分かってるのか?」
ヒトは死後、鬼へと変貌を始める。始めは腐敗の初期段階である青鬼に、次が体内の臓物が腐る事で体内に腐敗ガスが溜まってブクブクと膨れ上がり、表面全体が暗赤褐色の変化していくという過程を経る事で赤鬼となる。そして、腐敗の最終段階となるのが、体表が醜く黒色に変色し、融解した肉から湧き出る腐敗汁で全体がグジュグジュの悍ましい姿となり果ててしまった状態が"黒鬼"である。
また、かつて淫魔の少女は黒死病の特効薬の原料となる抗生菌を培養する為に【リジェネレイト】使ったように、黒死病そのものを引き起こす菌も条件さえ整えば培養できた。毒も用法次第では薬にもなるように、本来はヒトを救うための薬であっても死を導く毒へと変貌を遂げる。
そうやって黒死病爆弾を精製する際に生まれた副産物が"黒鬼"となるのである。
「はい、ネクリア様。ですがそれが彼らの遺志でもあるのです」
ゾンビウォーリアーが指し示した"彼ら"とは、列に並ぶ首の無い死体達である。既に器の主である死霊は残滓すらも残さずに滅殺されており、少女に何かを語り掛けるような事はない。
だが、死体の状態は実に凄惨を極めていた。その全てが極限まで腐敗が進んでどす黒く変色した肉団子のようにブクブクと膨れ上がっており、常軌を逸した臭気を周囲に放ち続けている。しかし、ゾンビウォーリアーはそれを気にする様子も見せず、一つ死体を抱きかかえたのだ。
「おい、やめろゾンヲリ、すぐに【紫外線消毒】するからすぐにそれから手を放せ」
「もう既に私は感染しています。ですからお気遣いは……」
「だったら――」
淫魔の少女は最近常に特効薬を持ち歩くようにしている。それを差し出そうとするが、ゾンビウォーリアーは首を横に振って制止する。
「もしも次の一手が凌がれた場合、最悪私が彼の者と直接差し違えてでも"感染させる"しか勝機が見つからないのです」
彼の者とは、殺気をぶつけた際にそれ以上の鬼気をはね返して来た崖下の戦士の事である。
「お前がそうまでしないとダメな相手なのか?」
「はい。あの英雄の資質を持つ戦士を上回るのは、このグルーエルの肉体をもってしても難しいでしょうね」
グルーエルは、所詮は獣人という枠組みの中での英雄でしかない。ミイラに劣化してしまった肉体をどれだけ酷使しても、真の英雄相手では一対一で百度打ち合えば百度負け、手段を選んでいても負け、迷っていても確実に負ける。ゾンビウォーリアーにはその確信があった。
「じゃあさ、差し違えた後はどうする気なんだよ。おい、聞いてるのか? ゾンヲリ」
ゾンビウォーリアーは沈黙をもって少女に返答する。つまるところ"何も考えていない"のであった。
それからは肉の爆弾を一つ抱きかかえた状態で日喰谷の崖端に立ちながら、英雄の資質を持つ戦士を殺せる瞬間をただじっと待ち続けていた。
「お前のそういうとこだぞ……。私を本気で怒らせるのはさ……」
汚らわしい黒血で濡れた背中を、後ろでじっと見ていた淫魔の少女は聞こえないように小さく漏らした。
「どうやら下で動きがあったようです。機も熟しました」
大口を開ける日喰谷の底に目掛け、一匹の黒鬼が勢いよく投げ込まれた。その後、ゾンビウォーリアーは残る黒鬼を片手に抱き、もう片手で大剣を構える。
「その憎悪、その憤怒、生の全てを代償に、腐血の黒雨と化して彼の者共に、【黒死の病を導け】」
それは、魔法でもなんでもなかった。
目にも止まらぬ速度で放たれたただの剣閃によって爆ぜた肉の塊は、爆発四散して黒ずんだ体液を派手にまき散らし、それは黒血の雨と化して崖下へと降り注いだ。そして、一つ、また一つと、殉教者達は次々に雨に溶けて消えて逝く。
黒死病とは、三日以内に確実に死に至らしめる伝染病である。
始めはその場に居た者、次はその場に居なかった者も、時が経つにつれて徐々にあらゆる者を蝕んでいく。どれだけ運命に愛された肉体を持っていたとしても、どれだけの富と財を持っていたとしても、そこに特効薬がなければ何の意味も成さず、平等の死がもたらされる。
優れた筋肉は魔法にも相当するのだ。(意味不)
RPGではガバ耐性のボス相手に毒殺戦法なんてよくやる奴だったりなかったりする。ターン経過で自然治療しないタイプの毒だと延々防御して耐えてるだけで格上にも割とあっさり勝てるしね!
設定補足
状態異常:黒死病
凡そ3日程時間をかけて"割合ダメージ"でHPを0にする。
特効薬かご都合主義の奇跡でも使わない限り、永久的に自然治癒する事はない。
つまり、無対策で発症すればほぼ"確実に死に至る"。
なお、ゾンビは既にHPが0なので、最大HPが0(体が完全に腐り落ちる)になるまでは無問題(勿論苦痛はあるよ!)
また、発症から1日経過した時点で身体能力に猛烈な下方補正が付与される。
単体相手の実害や即効性は毒よりはマシだけど、"伝染する"分結構性質が悪かったりする。
先遣隊に黒死病を感染させる事で、征伐軍本隊にも伝染するようになり、獣人国を2,3日以内に攻略しないと甚大な被害が出始めるという割とエグめなDPSチェックが追加されたのが今回のお話である。




