第七十八話:少女の日常
※割とセンシティブでヘベーな内容を含んでおります。
獣人国軍が設立した野営地は四区に分けられている。前線で実際に戦う兵士階級の者達が主に休息をとる兵士区、労働者や屯田兵といった前線では戦わないものの軍の支援や戦災復興する者達の集う労務区、復興を待つその他大勢の難民達が質素な生活を営むための生活区、そして……。
「うう、苦しい……だ、誰か……」
「腕がァ……!腕が腐って……」
少女の戦場が第四の区画、"隔離区"だ。獣人国の薬学や魔術の水準では、疫病や大きな怪我を治療する事は出来ない。そして、不衛生な環境下での怪我や死者は疫病の温床となり、新たな病症者を増やしてしまうために隔離されなくてはならない。
ようするに此処は、何かしらの理由で動けなくなってしまった者達が、残り僅かな命の灯火が消える瞬間まで、じっと痛みに耐えて待つためだけに存在する場所だ。
戦おうが戦わなかろうが食べ物がなければヒトは簡単に飢えて死ぬ。黒死病にかかれば3日と持たずに全身が壊死して血を吐いて死ぬ。戦で肉体を欠損すれば破傷風にかかり身体が腐り落ちて死ぬ。今は"まだ"この区画の住民の数は百人にも満たないが、その数は明日以降、日が経つにつれて加速度的に増加していく。それが戦だ。
しかし、これでも少女の活躍のおかげで大分マシになっている。百人中百人が例外なく死ぬ世界で、十人くらいは助かる見込みが出てくるのだから。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ」
「ううっ……」
地べたに這いつくばって血を吐いている獣人、全身から毛が抜け落ち、腕や足にはドス黒い黒痣が浮かんでいる事から、恐らくは黒死病の"末期"と呼ばれる状態になっている。黒死病は伝染るので、自分から進んで声をかけるような好き者は少女くらいだろう。
故に、はぐれた少女を探すのにはそれ程苦労はしない。
「もう、足や腕に痛みがやって来ないんです。淫魔の娘さん、私は、助かるんでしょうか?」
ある日少女に聞いた話だが。少女曰く、「黒死病は末期になってから特効薬を投与しても助からない。だから早期の診察と投与が必要だ」と。【生命活性】で癒せないかと問えば、「傷口や病だけを癒せるそんな都合の良い"奇跡"は私には起こせない」と。だから、「人間の聖職者共が使う"奇跡"は嫌いだ」と。
「ごめん、ここまで症状が進行してしまっては、もう……」
「そう、ですよね……。もう、私の事は……ゴハッ」
獣人の吐血が少女の白い肌を穢し、それで獣人はこと切れた。
献身的に獣人に尽くしていた少女に近寄ろうとする者は誰もいない。何故ならば、黒死病は伝染る病だからだ。同じく黒死病に感染していた者でさえも、その後は少女を恐れ、まるで汚らしい物を見るように避けて通ろうとする。
「なんだ、ゾンヲリか、現場の視察が終わってたのなら早く声をかけろよなっ」
振り向き様に見せる血塗れの笑顔と、薄っすらと伝う涙の痕にはなんとも痛ましさを感じさせる。
死霊術師の少女には病への"耐性"がある。それは別に淫魔だから、大魔公だから身に着いているわけではなく、あのような死など日常のように、それこそ腐って捨てる程に見届けて来たが故に、後天的に獲得してしまった少女の性質によるものだ。
一つの命が救われる美談の裏では、何十という命が無情にも消える話がある。良い話とはむしろ珍しい部類なのだ。少なくとも少女にとっては。
だからこそ、少女はゾンビである私とも平然と接する事が出来る。改めて、そう思わせられる。
「お辛くはないのですか?」
「……一人で孤独に死んでしまった魂ってのはどうしても視えちゃうから放っておけないんだよ。それに前からやって来た事だし、もう慣れてるよ」
誰からも見捨てられ、誰からも疎まれ、地力ではどう足掻こうが助かる見込みもなく、苦痛の海の中を溺死するその瞬間まで、ただひたすらに怯えて生きていくしかない。そんな彼らが最期に何を想うのか、死霊術師である少女だけは知っているのだ。
「もしや"1年前"からもですか?」
「それよりもずっともっと前からかな。魔族国の西地区だって私が錬金術でワクチン開発するまではほんと大変だったんだぞ! その時なんかこの格好のまま外にでかけたら皆して私を見て逃げ出すせいで、変装して偽名でも使わなきゃ客引きだって満足にやってらんなかったんだからさ」
ワクチンだとかいう錬金術用語について聞いても仕方がない。1年前の魔族国と帝国の戦が最も激しかったと言われるが、それよりもずっと前からも人間と魔族は互いに殺し合いをしている。その間、少女はこういった場所に出向いては、幾多の死と向き合ってきたのだろう。
「おい、神妙な顔してどうしたんだゾンヲリ、私の顔になんかついてるのか?」
「いえ、お顔にべったりと血が付着している以外には特にございません」
少女に気取られるようでは私もまだまだ甘い。
「むむ、じゃあまたちょっと水辺で顔を洗ってくるよ。まだ急患が10人残ってるし、血が付いたまま診察してちゃ怖がられちゃうからなっ」
「はい。行ってらっしゃいませ。ネクリア様」
今の急患は10人で済んでるが、これが本日中に増えないとも限らない。最近少女がちゃんと眠れてはいない原因の一つでもある。
少女を見送り、付近にあるテントの中へと踏み入む。その中には赤錆びた鉄臭さと一緒に糞尿の臭いが混ざりあったかのような懐かしい臭いが立ち込めていた。そこらかしこに派手に血反吐がぶちまけられてはいるが、テントを汚した主達はまだ奇跡的に息が残っていたようだ。
「う、ゴフッ……うう……ゴフッゴフッ」
派手に吐血している獣人は目の焦点があっておらず、近づいても反応がない。代わりに、一つ隣で寝込んでいた者が身体を起こした。同じく黒死紋が浮かんでいる事から、既に"手遅れ"である事だけは知れた。
「何故、私達がこんな目に遭わなければいけないんでしょうか?」
彼らが天災や疫病に恨み節を言うのは間違っているのだろうか? 生憎私にはそれを切り伏せられるだけの力は持っていない。
「こうなったのも何もかも"ニンゲンのせい"だ。俺達がこんな目に遭っているのだって、元はと言えば鉱山都市を奪った人間の横暴のせいだろうが!」
破傷風を患って手足が腐り落ちてしまった元兵士と思わしき獣人の男は激情のままに叫びだす。
「……確かに、そのようだな」
それでも彼らには怒りを向ける先が必要だった。
「呪ってやる。ニンゲン共にはいつか絶対、俺と同じ目に遭うように呪ってやる。一時でも長く苦しみ続けるように呪い続けてやる。この身体が完全に腐り落ちたとしても! ガハッ」
死しても尚、憎悪をぶつけ続けると。
だが、死んでしまえばそれで全てが終わりだろうか? 否、肉体の死は始まりでしかない。魂その物が完全に消え失せるまでの永い時間を、生ある者を憎み続けるためだけに消費し続けるという、非業の死を迎えた者がアンデッドと成り果てるための通過点だ。ただ死ぬ事は救いにはなり得ない。
「……その望みが果たされればお前は満足なのか?」
「ああ、満足だとも」
衝動の赴くままに憎悪をぶつける、きっと少女ならばその道を選ばないし選ばせない。その理由も至極簡単な話、憎悪をぶつければ同じくかそれ以上の憎悪をぶつけられると相場は決まっている。ようするに不毛なのだ。
しかし、憎悪は"ぶつけていられる間"は救われる。私はそれを否定するつもりもない。
「そうか、ならばお前のその願い、私が代わりに継いでやろう」
「……俺らみたいな見ず知らずの病気もちで死にぞこないのクズの話を大真面目に聞こうとするだなんて、鎧のあんたは相当変わり者だな」
「私は変な奴、みたいだからな」
それに、少女ならばもっと真面目に話を聞いてしまうだろう。腐る程に余ってる死の一つ一つを一々真面目に聞いていては、また少女が顔を濡らしてしまうだろうから。
「なぁ、本当にやってくれるのか? 俺の恨みを代わりに晴らしてくれるのか?」
この男が本来憎むべき対象は私。ならばその踏み潰して来た憎悪を背負うのも勝者の義務。例えそれが、この男と同じような者達をこの先に幾百幾千と作り出す結果になるのだとしても。
……今まで散々やってきたことを、これからも続けるだけでしかない。
「ああ」
「ありがてぇ……それと、もう一つだけ、鎧のあんたの腕を見込んで頼みを聞いてもらえないか?」
「私に出来る事なら聞こう」
「この苦しみを終わらせてはくれないか?」
苦痛を終わらせる方法は二通りある。一つは苦痛を快楽に変える事、もう一つは苦痛の元を取り除く事だ。しかし、仮にこの男から死病を取り除けたとしても苦痛は終わらない。既に壊死して失われた腕や足は二度と戻らない。そして、そこに在り続けるという苦痛は永遠に続く。
「……苦痛の最期は死にあらず、決して楽になどなれはしない。それでも望むか?」
「そんなもん、死んでみなけりゃわかんねぇ、ゲホッだろ。少なくとも今を生き続けるよりはマシだ」
生への絶望という死に至る病を患ってしまったこの男を救う方法ともなれば、それこそ"奇跡"を与えてやる他にない。道理で少女が嫌うわけだ。
「そうか……わかった。ならば、せめて痛みを忘れ死の先へと逝け――」
終わってしまえば、5つの首無し死体がテントやその周辺に転がっていた。その後遅れてやってきた少女は、私の手に持つ深紅に染まったダインソラウスを見て、やはり悲しそうな顔をするのであった。
「ゾンヲリ、お前……」
「ネクリア様、たったいま急患を5つに減らしておきました。それと【ソウルイーター】をかけて頂く事は可能でしょうか、まだ後片づけも残っておりますので」
クソみたいなラブコメから一転してクソみたいに重い話になるのは稀によくある。でもこの話を描写しておかないと、次のゾンヲリさんの戦闘描写が意味不明になっちゃうので……仕方ないね!(殴
ふつーの神経してたら黒死病患者の吐血浴びたら生きた心地しないんだろうけど、ネクリアさん十三歳は強い疫病への耐性を持っているので平気です。ゾンヲリさんは疫病への耐性は持っていませんが気合でごり押ししてます。
つまり、同じ目に遭ってるわけなので遠からず元兵士君の復讐の呪いは成就されちゃったわけですね! めでたしめでたし(殴




