第七十一話:精液奴隷<スペルマン!>
「なぁ、ゾンヲリ……いい加減飽きないか? それ」
最初の頃は藁のベッドの上でうつ伏せの姿勢で枕を前に抱きかかえながら、蝙蝠の羽根と一緒に足をバタつかせて「ふんふん」と研磨作業を眺めていた少女ではあったが、次第に退屈になってきたのか、そのような心無い声をかけられるに至る。
「いえ、石磨きもやってみると案外楽しくなってくるものです。このデコボコを均すのが中々結構……」
時間を忘れて熱中できる作業があると"先の事"を考えずに済むのが利点だ。眠れない私にとって退屈とは病毒にも等しく、何もしないでいる位ならば剣を振るっているか魔獣狩りをしている方が気楽になれる。
「もう深夜だぞ」
しかし、少女が新しく雇った小間使いと言う名の護衛兼"精液奴隷"という無茶苦茶な設定で、餓死した獣人の身体を借りて異人宿に少女と同室に泊まっている以上、夜通しで大剣を振るっているわけにもいかず、スペルマンとしての役目もゾンビでは果たせないというのが悲しい所だろう。
いや、仮に出来たとしても鉄の掟に反する事は出来ない。渇望を厳しく律しなければ多くの同僚達と同様に自我を保てなくなるのだから。
「他に出来る事もありませんので、致し方なく」
「ならさ、この睡眠導入剤でも一度飲んで眠ったらどうだ? 明日にはベルクトの演説で"演出"もやらなきゃいけないんだろ?」
少女はそう言って小袋の中から丸薬を一つ取り出した。少女も割と不眠症に悩まされている時期があったのか、常備薬としていつも持ち歩いており、時折草花を摘んでは調合している事もある。
「いえ、私はネクリア様の護衛ですので、何時いかなる時も眠るわけにはいきません」
尤も、死の痛みで眠れるわけもなく、仮に眠れたとして次に目覚められる保証など何処にもない。
「……ま、いいさ。お前の病的な不眠癖もいずれは対処するとして、やっぱり気に食わないな」
少女はムスっとしたまま、私が磨いていた石ころを取り上げてしまった。
「何故でしょうか?」
「分からないのか?」
「はい」
「決まっている! 私以外の雌の為にな~に一生懸命プレゼント作ってるんだっ! こんなの看過できるわけないだろっ!」
何事も少女第一主義を貫き通す事で全てが上手く回るならそれが一番良かった。
「ですがネクリア様、親しき仲にも礼は必要です。彼女の命がけの献身には相応に価値あるモノを返さなくては――」
「ゾンヲリ、それ言ったら私はお前のダッチワイフになっても返せなくなるだろ」
ダッチワイフ……? 少女の発言傾向から、恐らく魔族国の淫魔特有の奴隷階級のようなものだと推測する。
忘れがちだが、私の記憶にある少女の最終相場は一晩45コバルである。また、この異人宿に一晩泊まる為の価格も45コバルだ。魔獣を狩って手に入れた毛皮やら獣人国軍から一時支給された軍資金を私的利用すれば、1年間は少女のスペルマンを続けていけるだけの銀を手にしている。
それまで獣人国が残っていれば、だが。そんな事はどうだっていい。重要な事じゃない。
「私はネクリア様からそれ以上の価値あるモノを既に受け取っておりますので」
「うっ……そうか?」
「そうです」
「でもそれはちょっぴり、寂しい気もするな。モノや金や魅了で縛ったヒトの心なんて冷たいだけだよ……」
「ですが、それなくしてヒトを動かせないのも確かです。己の身と心を粉にするだけで他者の力を使えるのならば、粉々に打ち砕いてでも利用するべきだと私は思います」
現に、指揮下にある亡霊部隊はそういった者達の集まりでもある。私の力を利用して"自由を得る"という目的を達成するために、彼らは己を滅して戦いの途に進んでいるのだから。
「ゾンヲリお前……いや、分かったよ。その魔石はブルメアの力を利用するために"仕・方・な・く"磨いている。つまりそういう事なんだな?
了承の合間に、少女の表情が一瞬だけ沈んだ。恐らくそれは、少女が失意する程、私に大きな過失と失言があった事を意味する。
「はい」
慎重に、返事は選んだつもりだ。
「なら、良いんだけどさ」
そして、少女は少しだけ安堵していた、が。
「うー……うーっ! だけどやっぱり気に食わないから私にもアクセサリをなんか作れ!」
可能ならば少女に日頃の感謝を込めて、氷輝玉と金剛玉を煌びやかに飾りつけたアクセサリーを送りたい。
「ですが、大魔公たるネクリア様が身に付けるに相応しい程のアクセサリとなるとせめて"宝玉"が……」
こういった希少かつ名高い貴金属を集める為の苦労とは並大抵では済まない。それこそ、各方面最高峰の実力を持った戦士や職人が死力を尽くしてようやく作り上げられるものであり、単なる石ころ磨きをしているだけでは万が一にも得られる機会がない。
「あのさゾンヲリ、魔族国内で時折開かれる悪趣味な戦利品展示会とかで私は"そんな物"とっくに見飽きてるんだよ」
一蹴する少女。魔族国程の国力があれば、帝国貴族辺りからそういった最高峰の金品を強奪する事も容易い。本来、大魔公とはそれ程高い地位に君臨している存在なのだ。
「では、前人未踏の地でしか得られないような希少貴金属をなんとか――」
「はぁーーーー……。やっぱりお前、な~んにも分かってないんだな」
呆れかえるといった風に、少女は大きな溜息をついた。
「ぶっちゃけ無駄に光って高いだけの石ころなんてどうだっていいんだよ。欲しいのは気持ちなの!」
「気持ち、ですか」
「このリボンさ、親父の手作りなんだ」
そう言って少女は、ボロボロの小さなリボンを髪から解いてみせた。服装が変わり、ドラム缶風呂に入っている間ですらも髪型とリボンだけはいつも一緒だった少女が初めて髪をおろしている。
「汚らしいし不細工だろ? これさ、親父は普段寝る暇もなかったくらい忙しかったクセして、寝る間も惜しんで無駄にデカい手でぶきっちょに編んでたらしいんだよ。ほんと、馬鹿だよな……」
そして、少女はすぐに形見のリボンを髪に結ぶ。
「でもな、これが一番お気に入りなんだ」
少女はどこか寂しそうながらも努めて笑うように言いきった所が、印象に残った。
「……大事にしてる物にはさ、想いが宿るんだぞ? ゾンヲリ」
少なくとも、少女はそう信じていた。多くの死と魂の生末を見届けて来た死霊術師の少女ならば、そのような事があり得ないのは一番分かっているはずだというのに。
魂の抜けた死体など単なる肉の器か糧でしかなく、折れた名剣が魔術的作用を抜きにして再び一人でに動き出すような出来事も"万が一にも起こりえない"のだから、第一、そんな事がまかり通れば戦場は生きて動く鎧だらけになっている。
戦で散っていった生の数だけ、強い想いとは無常にも消え果てていくのが世の常だ。しかし、大抵の事実とは、語った所でヒトを尚更傷つけるだけなのも事実。
「では、ネクリア様には何をお送りましょうか?」
「そんなのお前が考えろ。ただし、"これ"の千倍はお前の頑張りを期待するからな! じゃあ私はもう寝る」
「はい。お休みなさいませ、ネクリア様」
少女は石ころを作業台の上に置くと、蝋燭の明りを消して藁布団の中に包まり、寝入り始める。
「う~ん、むにゃむにゃ……もうピザとミルクは食べられないよぉ……」
その後勢いよく布団を蹴飛ばし、足を開いては衣服やスカートを乱してみせたりと、寝相が悪い風を装い始める。無論、少女が本当に寝入ってる時はこんな寝相にはならないし、こんな寝言を言ったりしない。つまり、これはワザとやっている。
「……ネクリア様、夜遊びも過ぎると風邪をひきますよ」
恐らく、こうやって私に布団をかけ直させる事で作業妨害を狙っているのだろう。実際、作業に戻ると「チッ」と舌打ちが聞こえて来る始末である。
石磨きを続けて三年もすれば宝飾職人に成れるのかもしれないが、生憎私にそれ程の時間が残されているとは到底思えない。ならばやはり、少女に捧げるべくは夜空が白むまで磨き続けて翠光を発する八面体に加工した石ころではなく、勝利と栄光しかないのだろう。
嫉妬したり地雷踏んだり必要なのか必要ではないのか微妙に判断に困るお話。しかしながら、次話の演説はそれだけで3000文字余裕で超えそうになっているので結局分割してしまったらしい。
ネクリアさん十三歳の無防備に寝入ったフリをして襲われる作戦は洞察で完全に見破られる模様。
アダマス→アダマンタイト→ダイヤモンドの別読みなのでダイヤモンドリングがベース
アルマス=氷の刃とか言われてる→氷っぽい色をしている大宝玉
魔力増幅効果もそれなりに良い一級品なのだが、入手機会は殆どない。成金ぼんぼん世襲帝国貴族がたまーーーーーーーに手に入れられるくらいだが、その性能を正しく引き出せる事はまずない。




