第十話:大魔公会議
魔貴族を招集して開かれる大魔公会議に参加するため、少女と共に『魔族国中央区』に足を運んでいた。
そこに建てられた建造物一つ一つが巨大な豪邸であり、門の格子の先を覗きこめば緑の植物の迷宮が見えてくるような場所だ。石ころ一つ見当たらない程に丁寧に舗装された広い道路を進んで行くと、ネクリア様に手を強く引かれた。
「おい、ゾンヲリ、あまり周囲をキョロキョロするなよ」
ネクリア様に小声で注意され、周囲に視線を巡らせるのをやめる。
「はっ申し訳ございません」
ナイトメアと呼ばれる紫色の戦馬に引かれた優美な馬車が、前方から通りがかった。馬車の中には貴族悪魔、通称魔貴族と呼ばれる存在が見える。ここ、魔族国中央区は魔族の強者や魔貴族などの特権階級の者達が住まうための区間なのだ。
すれ違う手前、一瞬、馬車内の魔貴族と目が合った。その瞬間、声を出す事すらも忘れる程に怖気が走ったのだ。
「……っ」
"魔法"を知る者ならば、目で捉えずとも理解させられる。ソレは悍ましい程の膨大な魔力を身に纏っていた。以前殺した魔女の放つソレと比較するのもおこがましい程の差だ。
加えて、単純な生物としての強さでさえも人間や西地区の劣等と呼ばれる者達を大きく凌駕していた。人を二倍する程の体格を持ち、太い丸太のように逞しい上腕、その強大な肉体を空に飛ばす事を可能とする剛翼、竜尾の如く強靭な尾、そして何より、魔貴族は豊富な髪の毛を持っていたのだ。
今、仮に私がありとあらゆる手段を弄して全力で戦ったとしても、一切の勝機がないのは確定的に明らか。あの悪魔を一体討ち果たすには歴戦の兵士数十人の犠牲は下らない。
人と魔貴族との間にこれ程の差があったのかと、改めて痛感させられる。
「おい、ゾンヲリ」
意識の外から少女に声をかけられてしまった。
「……申し訳ございません。少し、考え事をしておりました」
ゾンビの身であるためか、恐怖に怯えて無様に奥歯を噛み鳴らしたり、身体を震わせる事はない。それは、ゾンビである事の数少ない利点なのかもしれない。
ネクリア様は周囲を見渡して誰も居ない事を確認すると、私の手を引きながら背伸びをしようとする。私はしゃがみ込み、聞く姿勢を取った。
「お前は一応私の従者枠なんだからしっかりしろよ。それと、何があっても妙な真似事だけは絶対するなよ。一瞬で消されるからな」
「……はい」
魔貴族という圧倒的な暴力を目の当たりにしても、ネクリア様は気丈に振舞えている。一方で私は、ネクリア様の為に力を振るうと決めておきながらこの有様だ。せめて、従者としての務めを果たせるよう落ち着いた振る舞いを心掛ける。
やがて、ひと際巨大な建造物が目に入った。
「着いたぞ。ここが会議場となる大魔会館だ。ゾンヲリ、ここから先は何があってもお前は一切口を開くな。いいな?」
「はっ」
少女と共に会場の敷居に足を踏み入れようとする。
「そこの者共、止まって階級と名を名乗れ」
突如、上空から呼び止められたので、声のする方向を見上げた。そこに居たのは、人には到底扱えない程に巨大なトライデントを手に持つ大悪魔だった。その者は空から勢いよく地面に降り立つと、翼による風圧が吹き荒んだ。それに少女は飛ばされないように堪えていた。
この存在が大魔会館の番人なのだろう。
「私はネクリア、大魔公だ。コレは私が作ったすぐに腐らない新型のゾンビ従者だ」
「これはネクリア様。失礼致しました。どうぞお通りください」
大悪魔はこちらに一瞥をくれると天空へ勢いよく飛翔していく。その様子をネクリア様はスカートを抑えながら見送っていた。
大悪魔は空も自由自在に飛べる。あの剛翼は飾りではないのだ。
「……私だけいっつも呼び止められるんだよな」
会場内に踏み入れた時、少女はそんな愚痴を小さく漏らした。少女の顔をうかがってみれば、緊張で強張っていたのだ。歩く時の動作もぎこちない。
その理由は、廊下ですれ違った他のサキュバス達を見てすぐに理解した。
「この通路臭くないかしら」
「臭いわね。一週間放置して腐ったオルゴーモンのような臭いがするわ」
この淫魔共はネクリア様を目にすると鼻をつまみながらクスクスと冷笑してみせたのだ。
条件反射で利き腕を上げ、剣を引き抜こうとしてしまった。減らず口を叩く淫魔の腸を引き裂いてやろうとな。
だがそれは、ネクリア様の望みではない。
「いやよねぇ、ゾンビ臭が移りそう」
ネクリア様は背後からの嘲りに目もくれず、前へと進む。奥歯を噛みしめながら、ただひたすらに耐え忍んでいたのだ。
そうして、幾度となく嘲笑と侮蔑の矢面に晒されながら、会議室と思わしき部屋の前にまで辿り着いた。
「……こくん」
少女は固唾を飲みこんだのが聞こえた。
扉越しからでもはっきりと理解させられる程の圧倒的な威圧感。その正体は、貴族悪魔すらも遥かに凌ぐ魔力の奔流が渦巻いているせいだろう。
このような気配を発する存在に対して人の身で挑むのは、無理だ。
「いくぞ」
自分に言い聞かせるような呟きと共に、少女は小さな手で扉を押し開いた。
会議場内には円卓の席に着く二体の男女の悪魔が見える。その悪魔の横には従者と思わしき貴族悪魔が直立不動で立ち、会場の壁際には警備兵と思わしき武装した上級悪魔が並んでいる。
「一番遅く入場とは随分と偉くなったものだな? 劣等種」
言葉を発した女悪魔は、天を穿つ角を生やし、竜翼と竜尾を備えていた。そして、下着同然の恰好で小麦色の肌を露出させながら、四肢の至る所には紋様が刻み込まれていた。
その瞳は自信に満ちており、弱者を蔑んでいた。
「い、一番遅れてきたことは謝る。す、すまなかった」
少女は気圧されながら謝罪を述べ、頭を下げる。
「よいではないですかルーシア。所詮は人数合わせに過ぎない低俗なサキュバスです。ここにいた所で何も変わりませんよ。まぁ、少々部屋が臭くなるのが難点ですがね」
嫌味を述べた男は、金の刺繍が入った貴族服で身を包んでいた。これまでに見かけたデーモン達のような強靭な肉体ではない。むしろ、優男に近い。ネクリア様基準で言えばイケメンに相当するだろう。
一見温和そうな表情の裏に見えるのは、確かな悪意。
「違いないな。さっさと座れ。劣等種」
「……わかった」
少女は円卓の空いている長椅子に座り、私はその真横で直立する。少女の背中は重圧で押しつぶされそうな程にか細く、儚かった。
「体調の優れない魔王様を除いて、役者が全員揃った所で会議を始めるとしようか。議長はこの私、ベルゼブルが務めよう」
大魔公を除く全ての悪魔達の意識は円卓に集中しており、無駄口を叩く者など一人もいない。だがそれだけに、小さなネクリア様はこの厳粛な場で浮いてしまっていたのだ。
「さて、普段忙しい君達に今回態々集まってもらった理由は、別に一々言わなくても良いと思うが一応言っておこうか。これより攻め込んで来る帝国軍共に対する対応についてです」
「ふん、下らん。そんなモノさっさと攻め滅ぼして燃やし尽くせば済む話だ」
ルーシアは話を真面目に聞く気はなく、議題をバッサリと切り捨てた。しかし、ベルゼブルは深々と溜息を吐いたのだ。
「はぁ……それがそうも言ってられないのですよ。そこの雌豚の父親といい、脳味噌に筋肉しか詰まってないトカゲといい、偉大なる四大魔公でありながら、人間如きにむざむざと討ち取られるという恥を晒してますのでね」
少女は軋む音が鳴る程に強く歯を噛みしめていた。それもそのはず、家族をこき下ろされて怒らない子はいない。少女は父の事を慕い、死霊術を引き継いでいるのだから。
「親父は間抜けなんかじゃない。負傷した魔王様を庇って殿を務めたじゃないかっ」
少女は叫ぶ。父の名誉を貶められた事に対する怒りを。だが……。
「おや、雌豚が何か喚いてるようですが、西地区の方言はきつくて聞き取れませんねぇ。ルーシア、なんと言っているのか教えてください」
「知らんな。下らん事で話題を脱線させるな、捻り潰すぞ。おい、劣等種。キサマは目障りだからもう喋るな」
心底どうでもいいといった趣のルーシア。この会議、まとまる気配が一切ない。単に愉悦したいだけで性根の腐った男悪魔、奢り高ぶった女悪魔。
どちらも可能であればバラバラに引き裂いてやりたい所だが。それをやり遂げる事は叶わない。私は弱く、無力だった。
「くっ……」
「おっと失礼しました。では話を戻しましょう。大魔公を討ち取り、魔王様に手傷を負わせた人間共はすっかりと調子に乗ってしまいました。魔導帝国を主導として、本来協力関係にない王国の銀狼騎士団やその他諸侯がそれぞれ手を組み、一斉に魔族国へと進軍を始めているという状況です。早ければ一週間後には魔族国より南に位置する平原……黒雲平野で戦端が開かれる事になるでしょう」
「面白い。では我自らが討って出てやろうか」
「まぁ、貴方はそう仰ると思ってましたよ。この戦いには私もベリアルを率いて参戦します」
ベルゼブルは先ほどまでは興味もないといった風だったネクリア様に対し、視線を向ける。
「な、なんだよ」
「それと、一応は現四大魔公の一人である貴女にも仕事をして頂こうと思いましてね」
「いや、西地区は1年前の戦いで上級階級兵士の大半は死んでしまってるんだ。もう私の所から出せるような私兵なんて一人も残ってない。戦いなんて無理に決まってる」
「あるじゃないですか。役立たずとはいえ、一応肉の壁になるゾンビと最低限は戦える劣等共が」
「ベルゼブル、お前……市民階級にまで戦いの前線に向かわせろって言ってるのか!」
劣等と呼ばれる階級は魔族国の中でも戦いに向かない者達だ。そのため、単純労働で国に貢献する事を義務付けられているのだそうだ。そういった者達を直接戦場に駆り出せば、西地区の生産力は落ち、貧困はより加速していく事になる。
「なに、私もそこまで鬼ではありません。あくまで我々が前線にいる間、魔族国の警護を任せるだけです。恐らくは主戦場にはなりませんのでご安心ください」
「今動いてるゾンビだって精々五十体かそこらだ。そんなの軍隊の前では無力も同然だよ。それに、今から死体なんて大量に用意できないよ」
ゾンビは弱い、以前殺した冒険者達によって引き起こされた被害を見れば明らかだ。数十体居たとしても、"そこに居る"だけでは簡単に屠られてしまう。最低でもゾンビを指揮したり、作戦を立てて運用しなくては使い物にならない。
「そう仰ると思っておりましたので、特別に私が私財を投げうって死体を千体程贈呈して差し上げましょう。一周間後までには人間共の進入路になり得る場所に配置しておいてください」
死体を千体用意する方が手間にならないだろうか。
「馬鹿な……ならどうしてもっと早く伝えてくれなかったんだ。いきなり死体だけを大量に渡されてもゾンビを一気に作るのだなんて無理だ。親父ですら日に百体も作れば疲れてしまうんだぞ」
ベルゼブルは呆れた様子で深々と溜息を吐いた。
「はぁ……魔族国の危機だというのに、出来ないだの、無理だのと文句ばかり……。皆が一丸となって人間共と戦わなければいけない時期にそれは、魔王様に対する背信行為にあたるのではないですか?」
「うっ……そんなつもりは……」
「自領に引き籠ってぬくぬくと過ごしているだけの役立たずの雌豚でしかない貴女唯一の長所がそのゾンビ製造なのでしょう? 最低限その程度は働いて見せたらどうなんですか?」
「……わかっ……た」
ベルゼブルの顔に浮かぶのは愉悦。魔王のため、戦いのため、正論という名の暴力で少女を完全に言いくるめる。なるほど……性根が腐っているな。
「ふん、無様この上ないな。劣等種の使うゾンビ如きどうでもよい。ネウルガル同様、腑抜けで無能同然の味方など不要だ」
やり取りを見届けたルーシアは、呆れたようにネクリア様に対してヤジを飛ばした。
「私の事はともかく親父まで悪く言うのは止めろ!」
「ほう、劣等種の分際で私にたてつくか?」
「そもそもお前らが親父を見殺しにさえしなければ、死ぬ事だってなかったはずだ。魔王様も負傷しなかったはずだ。黙って見ていただけのお前らが親父を腑抜けと言っていいわけがないだろうが!」
ネクリア様は父親の事になると、冷静でいられなくなる。それ程までに、少女にとって大切な存在なのだ。しかし、そのような事情などルーシアにとっては関係ない。
ルーシアの目が据わった。
「少し、煩いな。身の程を弁えよ」
それは、明確な殺意だった。
突如大気は歪みだし、ルーシアの指先一点に凄まじい勢いで収縮する。
「えっ?」
「不味い」
ルーシアの腕が引いた。それを見て、私は翠玉の魔剣を鞘から引き抜きながら円卓の上に飛び乗り、ネクリア様の前に立つ。
「おい、ゾ」
ルーシアが薙ぐように一閃を引くと、【音速の暴風刃】が指先から放たれていた。音速の刃は空間を断殺しながら眼前に迫りくる。
それに対し、翠玉の魔剣を縦に振り降ろす。
「ンヲリっ!?」
対魔剣技『断空剣』、風の魔力を纏った魔剣であれば、風の魔法を引き裂く事も可能。そのはずだった。
「ぐあっ」
だが、魔剣はいとも容易くへし折れ、鎧ごと私の胴体を真っ二つに寸断した。だが、幸いにも血錆びた大剣を背負っていた。それでようやくルーシアの放った戯れの魔法を叩き割るに至ったのだ。
二つに裂けて割れた【ソニックスラッシュ】は、尚も勢いを残したままネクリア様を避けて進む。
「へっ? ウギャアアアアアッ!」
ソレは、己に暴力が降りかかる事を予測していなかった警備兵の胴体とその背後の壁すらも切り裂いていった。
上級悪魔達の動揺が会場内に広がった。
「ほぉ? 我が魔を一度は耐えるか」
「おい! おい! 大丈夫か! ゾンヲリ!」
少女は椅子から飛び降りる。そして、上半身を抱きあげられ、揺れ動かされた。喋って良いのか判断に迷ったが、この際、喋る事にした。
「ネクリア様、服が汚れて血の臭いがついてしまいますよ」
「馬鹿が、そんなものはどうでもいい」
少女は立ち上がり、大魔公達を睨んだ。
「ああ、最低限の仕事はしてやる。それでもう帰っていいか?」
「ええ、仕事さえして頂けるのでしたらご自由にどうぞ」
ネクリア様は両手で私を持ち運びながら、振り返らず会場を後にしていく。
少なくとも、少女を直接傷つけるような結末にならなかった事を感謝する。それだけで業を重ねてこの身体を手に入れた意味があったというものだ。
こんな魔族で大丈夫か?大丈夫じゃない。問題ばかりです。
設定補足
・断空剣
剣に風属性のエンチャントが施されている状態で実行可能。風の属性エネルギーを相殺して威力を殺す事が可能。という戦技のチュートリアル。
・【ソニックスラッシュ】
不可視の風の刃を音速で飛ばして対象を寸断する。一般的な詠唱時間は45秒くらい。
・魔剣アバランチソード
ほんのり冷気の風を纏う翠玉の魔剣。ある盗賊団はこれを使い、当身で数々の屈強な帝国兵を裸にひん剥いてきた。魔剣の中じゃ安物の部類。