第七十話;石ころも磨けば案外光る
鍛冶職人の親方は、工房の受付台の上に乗せられた麻袋の中から一つ乾いてある毛皮を一つ取り出した。
「少し確認するぞ」
「構わない」
親方は肉面を指でさっと押し、臭いを嗅いで腐敗の有無を確かめた後、何かに納得したかのように、ほうと息をついて見せた。
「なるほどな、最近やたらとウチに毛皮を卸しに来る輩が多くなったのかと思えば、これは全部嬢ちゃんの仕事だったというわけか」
入手に命がけの魔獣の毛皮を好き好んで取りに向かう者というのは限られている。それに、剥ぎ方一つにもクセが出てくるのだから、全て同一人物によって後処理された毛皮ならば看破されるのも当然か。
だからどうしたという話でもあるのだが。
「……それで、依頼は受けてもらえるのか?」
「うちでは一応鞣し加工も請け負ってるからやれん事もないが、どちらかと言えば仕立屋に頼むべき仕事だと思うンだがな?」
上等で綺麗な革服が欲しいのならば、確かに仕立屋に頼むべきだろう。だが、いま求めているのは防具としての機能性のみ。夜間迷彩効果と此度の戦いにだけ耐えうる程度の耐久性が得られるのなら、どれだけ見た目が不格好だろうと問題ない。
所詮、兵士やゾンビと同じく消耗品でしかない。
「貴方の腕を見込んでお願いしたい」
「嬢ちゃんに言われちゃあ悪い気はしねぇ。だが、"売り"と違って加工依頼にゃ代金がかかるのが相場なんでな。急ぎの仕事ともなれば相応に出すもん出して貰うぞ? 最近はこちとらもちっとばかし無駄に繁盛しすぎてそこそこ忙しくなってな」
「ほんと最近になるまではクワの製造依頼すらやって来てなかったってのに、珍しいですよねぇ」
やり取りを見届けていた弟子獣人が、首を傾げては呑気にそんな事を漏らしていた。
「馬鹿言え、鍛冶師が忙しくなる理由ってのは大体ロクでもない事だって相場は決まってンのよ」
戦争が始まる。それはつまり、私以外にも武具を欲する者達が増えるという事を意味する。
「じゃあ親方はどうしてこんな人の不幸でしか儲からないような仕事続けてるんですかね……」
「ええいうっさいわ! 若造はさっさとこの袋を燻室に運んどけ」
「へぇい」
弟子獣人は受付台に置かれた毛皮入りの袋を手にし、奥へと持ち去っていく。
「では、依頼は受けてもらえるのだろうか?」
「本当はCが良いんだが、加工に余った素材で手は打っておいてやる」
「感謝する」
「どうせ"近頃の騒動"は嬢ちゃん絡みなんだろ? "大魔公"ネクリア様よぉ」
元老会議の一件で、既に大魔公が戦争に関与している事は周知されており、その大魔公が淫魔であるという特徴だけを見て、少女が大魔公である事を直接結び付けられる者も珍しくはなくなるだろう。
遅かれ早かれ、少女がただの少女で居られる時間は失われていく。
「……だとしたら、どうすると言うのだ?」
「どうもしねぇよ。ただ、儲けさせて頂いている一介の鍛冶屋如きにゃあ、数少なくなっちまったお得意様がこれ以上精霊様になっちまわないことを暇な時に祈るくらいしかできねぇもんでな」
この鍛冶屋の打った武器を振るうのに相応しい戦士は、この獣人国においては数限られている。それこそ、大剣を振るえるのは竜王くらいであるし、合成弓を使うくらいならば投石した方が遥かに命中精度が高くなる有様だろう。
石や木の枝を削って作った程度の簡素な槍を持って戦列を組む事になるであろう、大体数の民兵にとっては"今の所は"全く縁のない話なのだから。
「そうか、親方の祈る時間を潰してしまって申し訳なかった。これからはもっともっと忙しくしてしまうが、どうか許して欲しい」
「嬢ちゃんは大物だな。じゃなければ、余程の大馬鹿野郎だな」
「それ程でもない」
「褒めてないぞ、嬢ちゃん」
後処理現場に残してある毛皮の運び込み作業も終え、一休憩入れてる最中に、鍛冶屋に赴いたもう一つの目的をすますべく、碧風石を小物入れから取り出して見せた。
「ところで、この石をCで買い取ってもらう事はできないだろうか?」
「んん、これは風魔石か。ここいらで見かけるには珍しいな」
「黒死病の特効薬を採取しに北の水源地に向かった際に偶々鉱脈を発見したのでその一部を削ってみたのだが、何か武具に使えたりはしないだろうか?」
「いや、これは武具には使えない。嬢ちゃんには悪いが買い取る事はできないな」
「何故使えないのだ? 魔剣の原料くらいにはなると思ったのだが」
魔石は精霊魔法を扱う者にとって利用価値はそれなりにある。はずだ。カイルと呼ばれた戦士が所有していた翠玉の魔剣も、これに近い材質の剣だったと記憶している。
「嬢ちゃんよ。獣人国で"風"の魔剣に用がある奴なんて一人として居ないのさ。これより安くて軽くて性能が良い素材であるコバルト製の武具と比べると、見栄えしか取り柄がないんではどうにもな。第一、単純に魔石を武具に加工出来るだけの量を買い取れるだけの金はウチにはないんでな。一部だけ買い取ったってクズ石にしかならん」
ルーシアの【戯れ】を受けて呆気なく折れる程度には信用性に欠ける材質であるのは否定できない。それを抜きにしても、風の精霊魔法を用いる獣人はいない。それは、魔法触媒としての価値も一切ない事を意味する。また、何の機能性もない宝石は時に儀礼用の装飾に使われる事もあるのだが、それは金も資源も満ち足りている者が手を出すべき道楽であり、貧困に喘ぐ獣人達にとっては全くといっていい程縁のない話であるといえる。
例え希少であっても、手にした所で一切得のしない石ころに金を出す愚か者はいない。商売は、お互いに利益がなければ成立しないのだから。
「そうか、それは少し、困ったな」
思わず無意識に蝙蝠の羽根が垂れてしまう。
「嬢ちゃんならそんな石ころ売らんでも、毛皮とって売れば稼げるだろうに、何故それを売りたがるんだ?」
「あのエルフに送る報酬にしたいのだ。故に、この石の価値を金に換算する必要があると思ったのだが」
「ああ、だったら石をそのまま渡せばいいじゃねぇかよ」
親方の意見が最もだろう。だが、一度返されてしまった以上、何か別の形に変えなくてはならない。
「このままでは親方が先ほど言った通り、単なるクズ石もいい所だ。貰ったところでかさばる荷物にしかならないのだろう?」
「物の価値は人それぞれだと思うが……。ああそうだ、ならピカピカになるまで研いでから渡せば良いんじゃないか?」
「なるほど、一理ある」
くすんだ部分を光沢が出るまで磨いて綺麗にすれば、石の大きさは掌台より大分小さく出来る上に宝石としての価値も上がる。それにコバルトリングメイルに使う輪の一つでも拝借して何とか括り付ける事が出来れば、指輪かイヤリング辺りのアクセサリーに変えられるだろう。
ブルメアは風の幼精フリュネルを使役する身なのだから、アクセサリー類は魔力感応性を高めるための魔法触媒として活用する事も十分可能だ。
「まぁ、余った研ぎ石くらいならやらんこともないが、どうする?」
「一つ、貰えないだろうか? それと出来れば――」
そうして鍛冶屋の親方から貰った研ぎ石は、タダで貰っただけに既に大分使い込まれており、ヤスリにするにはあんまり適してはいなかった。が、少女に今晩の外出を禁止されてしまった以上、やる事には困らなさそうだ。
指輪に加工するのは、いくら女性的な思考を読むのを苦手とする私でも流石に何かマズい気がするのは理解できる。そこで、同程度の加工難易度で済むイヤリングにする事でこの問題を回避する事にした。
いくら鈍感系が極まってるゾンヲリさんとはいえ、結婚指輪とか連想されそうだったので流石に空気を読もうと慎む今日のこの頃である。しかし、それがどこかズレているのは仕様であったりなかったり……。




