第六十九話:何が始まるんです? 大惨事革鞣し大会だ
修正したバージョン。※なお、グロ注意警報
夜行演習での戦利品の処理をする為に、ブルメアを連れて兵舎の空き倉庫前まで来ている。
「うっ、手伝うとは言ったけど、こんな所で何する気なの?」
倉庫を封鎖しているかんぬきを外して内へと踏み入れば、籠った獣と鉄臭さが吹き抜けていく。壁積みされた麻袋からはしっとりと赤黒い染みが滲んでおり、その液体が血である事はもはや疑いようもないのだと、ブルメアも察しているのか、少し引き気味に見える。
「先日狩り尽くした夜狼から剥いだ毛皮の"後処理"を今日中に全てやるつもりだ」
亡霊部隊に軽くはやらせたものの、肉や脂を綺麗に削ぎ落としているわけではない。この状態で放っておけば毛皮はすぐに腐ってしまい、折角の夜戦隠密用の装備も臭いのせいで使い物にならなくなる。
「……もしかして、この部屋内に積まれてるの全部?」
「ああ、全部だ」
「えぇ……」
ブルメアは明らかに嫌そうな顔をしているが、それも当然か。
皮剥ぎやそれをなめす仕事とは、一言で言ってしまえば臭くて汚くて苦しいものだ。血脂は衣服に付着するし、腐りかけた不衛生な肉にその手で直接触れなくてはならない。それ以上の汚物であるゾンビ慣れしている少女はともかく、ゴキブリ達に纏わりつかれる程度で発狂できるブルメアには中々辛い作業だろう。
それもあって、ブルメアにやらせるのは作業台に生毛皮を乗せさせるくらいに留めるつもりだ。
「フリュネル」
「なーに? ゾンヲリのご主人様?」
その場にパタパタと翼をはためかせながら具現化したのは、小さく可愛らしい風精の子フリュネル。いつも食い意地を張ってるこの幼女の持つ力こそが本命だ。
「食事をしたいか?」
「うん! 食べてもいいの? 食べてもいいの?」
「いいぞ。それも皮は全て残して肉と脂だけを食べていい」
フリュネルは大きく目を見開いては喜びを露わにする。ゴキブリはおろか、岩盤すらもいとも容易くかみ砕くフリュネルにしてみれば、毛皮に付着した生肉を食べるくらい朝飯前といった所だろう。
「やったー! ご主人様、大好きっ!」
「こらこら、フリュネル、いきなり抱き着くんじゃない。まったく、仕方のない奴だな……は、ははは」
小さなフリュネルを手甲を握りつぶせる少女の怪力で力いっぱい押しのけるわけにはいかない。そう、これはフリュネルに配慮しているのであって、決して嫌そうなフリをしつつも幸運を噛みしめているわけでは……。
(……なぁゾンヲリ。私の身体使って一晩越しておいて、随分といいご身分だな?)
脳裏に響いてくるのは、静かながらも底冷えするような少女の声音。
眠らぬ私にとって夜番や徹夜はいつもの事だが、少女にとってはそうではない。喉奥からこみ上げる吐気やら、全身に重くのしかかってくる気だるさやら、節々至る所からくる痛みに耐えながら活動するのは、普段から極限に身を置いてる戦士だからこそ成せるのだから。
……心身共に酷く疲れている時、人の機嫌とは悪くなるものであり、それは少女も例外ではない。
「……フリュネル。離れなさい」
「はーい」
フリュネルからの拘束は解かれ、少し、いや、かなり名残惜しい気持ちを抑え、少女に次善の策を提案しなくてはならない。
「ネクリア様、お疲れでしたらここから先の作業はまたブルメアから肉体をお借りしようかと――」
(疲れているのは確かだが、勿論それは却下だ)
「はい」
早々に作業場まで毛皮を運びこみ、生毛皮にこびり付いた肉片やら固まった脂を、短刀で隅々まで丁寧ながらも素早く削ぎ落としていく。時折、ブルメアが足を止めて興味深そうに背後からのぞき込んでくるのがどうも気になる。クセとはいえ、無防備に背中を見せ続けているのは良い気分ではない。
「さっきから、なんだ?」
「あ、ごめん。やっぱりゾンヲリってばすっごく手慣れてるなって思って」
「戦果を腐らせているようでは戦士は務まらない。貴女のように、森で生きるエルフも似たようなモノだと思うがな?」
魔獣を狩るのも戦士の仕事の一つだが、大体の問題事は戦いが終わった後の方にこそ起こりうる。今回の戦利品である毛皮の処理についても例外ではない。
毛皮は純粋な皮の部分は腐りにくいが、こびり付いた肉や脂、臓腑から漏れ出た血などが腐敗を加速させる。故に、これらの除去をどれだけ早期に完全に行うかどうかが素材の品質に左右してくる。
「うん、でも私はお手伝いくらいしかしたことないから、一から見るのはこれが初めてかなぁ」
(ま、その点は直接皮剥ぎまでしたことのある私の方が経験豊富って事だなっ!)
……何故、少女はそこで張り合ったのだろうか。というのは置いておいても、フリュネルの活躍が目覚ましい。子供が砂糖菓子を嬉しそうにペロペロ舐めるかのようにして、毛皮に付着している肉片を器用に食べていく様は中々壮観だ。
生前、道具がなかった時に私もやった事があるのだが、魔獣の生肉を口にすると腹痛と下痢が止まらなくなった覚えがある。尤も、だからと言って口にしないという選択肢はない。限られた食糧を摂取できるように胃を慣れさせるのもまた、戦士にとって必要な事なのだから。
天性の戦士としての素質を、フリュネルは持っているのかもしれないな。
(……ゾンヲリ。お前がどっかズレてるのに一々ツッコんでるとキリがないから黙ってようとも思ってたけどさ。一体どういう人生歩んできたら、アレを見てそんな感想が出てくるんだ?)
「よくある話ですよ。ただ、剣を振らない者には少しばかし縁遠いだけでして」
冷水で洗った毛皮を噛んで鞣す方法を知る程度には、剣の道を進むには"色々"と鍛える必要がある。
(はぁ……、恵まれ過ぎた自分の無教養ぶりに思わず泣きたくなるよ)
「ある物は全て使う。そうしなくては先に進めませんから」
一つ、完全に毛皮の処理を終えたので、次の工程に取り掛かるべく、まだ血の滴っている麻袋の中から必要な物を取り出した。
「ちょっとゾンヲリ、それ、何?」
「見れば分かるだろう? 夜狼の御首だ」
この場に総勢50匹分の生首を用意してある。尤も、景観上並べるのは流石に問題になるので袋詰めにしてある。
「ええっと、そうじゃなくて、何するつもりなの?」
わなわなと震えを隠さないブルメアを尻目に、作業台の上に夜狼の生首を置いて動かないように固定する。
「こうする」
そして、勢いよく短刀を生首に向けて振り下ろすと、頭骨は派手な音を立ててかち割られた。派手に飛び散った赤色の混じった液体が、後ろで成り行きを見守っていたブルメアの頬に付着する。
「!?ッ!!!!!!ッ!?」
声にならない声で悲鳴を上げ続けるブルメアを無視し、そのまま夜狼の頭に手を突っ込み、中にある"具材"をそのまま素手で圧し潰してのり状になるまで丁寧にこねくり回す。
(……血と脳漿液で手や衣服がベタベタなんだが……というか、一応聞いておくがこんなの混ぜ混ぜして何するつもりなんだ?)
死霊術師の少女は"この程度"では動じない。
「皮を鞣すための脳漿のりを作ってます。これを毛皮の肉面に塗りたくって日陰においておくと何故か日持ちしてしっとりしてくるんですよ」
(う~~……ん? いや、いやいやいや、明らかにそれはおかしいだろ。普通、エルウッド原木の樹液とかから溶剤抽出してやるもんじゃないのか? そうじゃなくても塩漬けで燻製にした方がマシだろ?)
少女の見識は最もであり、そういった様々な物資を用意して職人の技術で丁寧に鞣してもらう方が圧倒的に優れた物を作り出せる。だが、現実はそうも言ってられない。生物は日が経てば腐るし、周囲に都合よくエルウッド原木が生えているわけでもなし、仮に生えてたとしても枝やら原木を切り倒して持ち運ばせていては亡霊部隊に疲労が溜まりすぎる。
その点、この鞣し方は一点において非常に優れている。
「脳味噌なら敵を殺せば現地でもほぼ確実に手に入りますから」
彼らの死と屍を余す事なく利用する事もまた、勝者の責務だろう。
(……私は絶対こんなの肌に着けたくないんだが)
「ネクリア様……魔獣の素材でこしらえた装備やドレスなんて皆こんなものですよ。生け捕りにするか飼いならして人里で屠畜するか、事前に相当準備しなければ綺麗なまま入手する事なんて不可能ですから」
(なるほど、お前が童貞な理由がよーくわかったよ。こんなんじゃ雌が寄り付きようもないわなっ)
「……ネクリア様」
多少休憩を挟みながら、フリュネルが噛んだ毛皮に脳漿を塗りたくるという作業を50匹分終え、これを馴染みの鍛冶屋まで運びこむ事にしたのだ。
あるらしいっすよ? 脳漿鞣し。なお、脳漿液のなめし効果は科学的には眉唾と言われていたりいなかったりする。
多分数日の旅をしてダンジョンとかで魔獣狩って素材にするならこれ一択な気がする今日のこの頃。生物が一切腐らないファンタジー世界なら気にならないかもしれないが、この世界腐敗を描写しちゃってるからね……仕方がなかったりするのだ。
産業の深淵に触れると頭がおかしくなる事が稀によくある。
なお、皮を鞣すという仕事は、中世の職業的に言うと貴族は食いきれない量の食べ物を食うだけ食って吐いた食べ物を処理する吐物係や、道端にとっちらかった排泄物を清掃する仕事に並んで"最低の仕事"と言われていたりいなかったりするのさ……。
つまり、実の所嘔吐ダイエットは現代に生まれた新しい概念ではなかったりする。現代人は皆貴族様なのだ。ごま塩程度に覚えておいて欲しいのさ……。




