第九話:誰も選ばないという権利
※前のお話が大分サイコだったらしいので大幅に手直ししました。
奴隷市場を抜けて人気のない路地に入りこむと、年季の入った古い建物の前へと辿り着いた。店内に踏み入れると、汗と唾液を乾燥させたような臭いに腐ったような死臭が入り混じったような空気で満たされていた。
軽く店内を見渡すと、商品と思わしき容姿の優れた少年少女達が檻の中に繋がれており、精気の抜けたような瞳でこちらをじっと見つめてくる。首に値札が下げられていたことから、ここも人を"商品"として売り買いする場所なのだろう。
「いらっしゃいませ」
奥の受付から声をかけて来たのは奴隷商のデーモンだった。頭にはターバンを巻いていて、恰幅が良く、商売人特有の胡散臭い笑顔を浮かべていた。
「これはこれは、ネクリア様ではありませんか。毎度御贔屓にして下さり誠にありがとうございます」
ネクリア様は受付台をよじ登って顔だけをひょっこり出すような形で交渉に入った。……ネクリア様専用と思わしき台座が用意されてる辺り、この店とネクリア様の関係の深さが伺い知れる。
「今回も世話になるぞ。奴隷商」
「それでは、"いつもの通り"戦士の死体6人分でよろしいでしょうか?」
「いや、今回は別件で来たんだ。今日死にたてホヤホヤで活きの良い死体はあるか?」
ホヤホヤする程湯気の立つ死体……焼死体か? しかし、活きの良い焼死体など成立するのだろうか? 確かに黒こげになるまで炭化してしまえば腐敗は気にしなくても良さそうだが……。
などと一瞬だけ脳裏に浮かんだのだが、単なる慣用句を気にするのは野暮なのだろうな。
「おや、ネクリア様が鮮度を重視なさるのは久方ぶりですね。もしや、ゾンビの活用研究に進展でも?」
「うむ、そんなところだな」
「ご希望は"鮮度"だけでよろしいですか?」
「ん、そ~だな~。予算は1万Dくらいで、なるべく強くて、死ぬ直前までは健康で、それで……できればイケメンだと嬉しいな」
「おや……、ネクリア様、もしや屍体性愛にでも目覚めましたかな?」
「なっ馬鹿を言うなっ。いくら私でも流石に屍姦は対象外だってのっ。あんまりふざけた事を言うともう利用してやらないぞ」
ネクロフィリア、と聞いて淫魔イルミナとのキス騒動の件を思い出す。サキュバスにとっても異常性癖扱いなのだから、ゾンビ同士でしか成立させようがなく思える。
しかし、ゾンビは死んでいるが故に生理活動も停止している。絶世の美女であるサキュバスの面々を見て一切反応出来ないのだから、ゾンビ同士ですら成立しえない性癖がネクロフィリアなのだろうな。
ようするに、私には全くもって縁遠い話だ。
「おっと……詮索が過ぎましたな。そうですね……そのお見積り条件ですと、本日の見世物剣闘試合で死亡した元魔導帝国騎士辺りを5千Dでいかがでしょう?」
「ん、それでいいかな」
「毎度ありがとうございます。それでは商品を持ってまいりますのでそちらのソファーでお寛ぎ下さい。それと、ネクリア様には廃品回収の件で毎度御贔屓頂いておりますので、よろしければ前回同様にそちらの檻の中にいる愛玩奴隷から気に入った者を一人お持ち帰りして下さっても構いません。それではごゆるりと……」
そう言い残すと、奴隷商のデーモンは裏手の方へと消えてしまう。
「あ、おい! 奴隷商!」
すると、檻の中の奴隷達の目の色が変わった。
「僕を買って下さい。必ずお役に立ちます」
「私を買って下さい。何でもしますお願いします!」
「……お願……します」
「ご主人様ぁ……どうか私を選んでくださいぃ……」
「俺を選びな子猫ちゃん。俺の逸物ならきっとアンタの夜を満足させてやれるぜ?」
檻の中の奴隷達の様相は様々だ。媚びへつらう者、同情を訴えかける者、救いを求める者、色々いる。……なんか一人変なのが混ざってる気がするが。
打算的な物事の見かたをするならば、商品達が熱心に自分を売り込んでいる理由の一つはネクリア様の"容姿"にあるだろう。自分よりも体格が小さく、可愛い女の子であり、そこいらの悪魔と比べれば遥かに優しそうに見える。
もしも私が"商品"という立場にあったのならばこの機会は逃さない。何が何でも媚びへつらう自信がある。
「……一人選べって言われても困るんだよなぁ。なぁ、ゾンヲリ、なんならお前が良さそうな奴を選んでもいいぞ」
「私が、ですか?」
「私は"懲りてる"からさ……。でも、ほら、無料だし、何か可哀そうだし、ほっとくってのもなんかなぁ……」
……先ほど神官女シィザに同情してしまったネクリア様のことだ。商品達からああも熱烈にせがまれては無下にもできず"拾ってしまった"のかもしれない。
しかし、今のネクリア様の御屋敷には奴隷と思わしき人間の姿は一人もいない。その意味は自ずと知れる。
「……では」
腕を覆っている手甲を外し、檻越しの奴隷にそっと手を差し伸べてみる。
「僕をえら……!? うわっ汚ねぇ!」
少年奴隷は咄嗟に握りかけた手を離して後ずさった。その反応はごく自然だろう。なんせ、腐りかけた私の手からは腐敗汁が滲んできているのだから。
だが、死霊術を扱うネクリア様の奴隷になるというのは、この汚物と長い時間付き合い続けなくてはならないことを意味している。この程度の事ですら取り繕おうとする姿勢を見せられないのならば、拾ったとしてもお互い不幸になるだけだろう。
「……」
それからも同じように檻の中の奴隷達に手を差し伸べていったが、結果は誰一人として手を握り返さなかった。あれだけ熱心に自身を売り込んでいた者達もすっかりと消沈し、元の木阿弥だ。
「ネクリア様、この中には一人もおりません」
私は誰も選ばない。ただ、道を進んだ先にあるモノを示してやるだけでいい。その上で道を選ぶのは彼らだ。
「んっ、そっか」
ネクリア様は軽く頷いた後、ごく自然に私の手を握りながらソファーの元まで引いていったのだ。外していた手甲を装備し直す間もおかずに。
「ゾンヲリ、ぼ~っと手なんか眺めてどうしたんだ? 座らないのか?」
その、さりげない小さな温もりが今の私には遠いモノなのだと改めて実感させられた。恐らく、今後私が人から触れられることはもうないのだろう。
ネクリア様ただ一人を除いて。
「私は立ったままで大丈夫です」
ネクリア様は隣の座席をポンポンと叩くようにして招いてくれたが、その厚意に甘えて大事な取引先の施設を汚すわけにもいくまい。
「ふ~ん、まっ、お前がそう言うならそれでもいいけどさ、買った死体持ち運ぶのはゾンヲリだからな? 後で疲れたなんて言っても聞かないからな?」
「ええ、勿論です」
その後、購入した死体を御屋敷の地下室まで運び、私は【ネクロマンシー】によって新たな肉体を手にした。この器は私の感覚で言えば弱者でしかない。それでも、先ほどまで使っていた腐りかけた戦士の身体と比べるならば遥かに恵まれていた。
ただ腐り果てるだけの私に、もうしばらくだけ時間をくれたネクリア様の為に、今一度剣を振るおうと心に決めたのだ。
なお、IF展開として奴隷の子がゾンヲリさんの手をとった話もあったのだが。
その後の修正が膨大になるという大人の事情から誰も手を取らなくなったらしい。
ごま塩程度に覚えておいて欲しいのさ……。