5:黒雲
「千草色の瞳はセンタジア王族の血筋である証だ、代々その瞳は王の器として民に認識されていた…王と言っても愚王のだがね。それになんといっても異常なまでの呪文適性が君の素性を証明している、遥か昔、呪文によって栄えた一族―――ヴェルキア族、その末裔が王族となったこの国の王のね」
「嘘だろ…こんな女の子が…まさか…」
「特に高いとされているのが重力系呪文への適正だ―――ぬかったね。あんな見通しのいい場所、しかも王族への恨みがたまりにたまったスラム街で自らの素性を明かすような事をするなんて。力の差を見せつけ、この街で発生し得る可能性があるクーデターを事前に阻止しに来たのかな?」
状況は一見して最悪だ。
自分がわざわざ助けて連れてきた少女がデンタパークの誰もが憎い王族のうちの一人、それもこの年にしてあれだけの呪文をいとも簡単に使いこなせる人物だ。ルクスから伝わってくる緊迫した空気からもそれが冗談でも大げさでもなく真実であることが伝わってくる。
自らの勝手な判断でこの状況に陥った愚かさ、未熟さが今はただただ憎い。
「―――だが」
ルクスの剣が輝きを増してゆく。月明りもない夜のスラム街、本来ならば少し遠くでさえ見えるか怪しいこの時間帯だが、剣の眩い光によって煌々と照らされる。
ただ輝いているだけではない、目には見えないが何か大きな力が膨張しているのが肌で感じる。
「君も不運だったね。武力での制圧が君の目的ならば―――君は決して僕を倒すことが出来ない」
「おにいさん」
「―――?」
完全にルクスのペースに呑まれていると思っていたこの少女だったが、―――なぜかあの興味深い微笑から、今度は漫勉の笑みを振りまいてきている。
「ルカ何言ってるのか全然わかんないよ!?青髪のおにいさんあぶない!その剣おろして!んん!?なんで光ってるの!?そういえばこれ!ええ!?おにいさん魔法使い!?」
「―――」
「―――」
「ルカねーさいしょ悪い事したのかなーって聞いてたんだけどねー。お兄さんの言ってる事全然わからなかったよー。はじめに呪文の話されたときはそんな人初めてだったからルカのこと人知ってる人かと思ったけど!おにいさんが言ってる『おーぞく』?もよくわかんないけど凄い偶然だね!そっかぁ~ルカと似てるのかあ~」
物凄い勢いで捲し立てる少女をよそに、ルクスとトーマは唖然とする他なかった。
少女の笑みが変わった瞬間はルクスの話が図星だったのだろう当たりをつけていたのだが。
「―――驚くべきことだな、嘘の気配がまるでない…。それだけ特徴の一致点を持つというのにも関わらず、か」
「驚いたのはこっちだよ!?いきなり剣こっちに向けてきたり意味が分からない事ずっとしゃべってきたり!」
「すまなかった、と一応謝っておこう。なら君は一体…」
「それはねールカにもわからない!いいから剣おろして!それから『君』とか『女の子』じゃなくてちゃんと名前でよんで!『ルカ』って呼んで!!!」
「お、おっと、すまない…とりあえず無礼を詫びさせてもらおう、ルカちゃん。こちらは―――」
「『ルカちゃん』じゃないでしょーー!『ルカ』って呼んでって言ってるの!子ども扱いしないでよね!!」
「す、すまない。じゃあ改めて、る、ルカ、こちらはトーマくん、そして僕はルクス、ルクス=バーリアルだ。改めて謝罪させてもらいたい、まずはいきなり大変な無礼を働いたこと…そ、それから…ル、ルカちゃんと呼んだこと…を」
「そうだね!悪い事をしたら謝る!それすっごい大事だね!偉いぞいい子だ!クスクス!!」
なんとも奇なる光景だ。あの人を試すような挑戦的な態度しかとらないルクスが他人に翻弄されている姿など見られる日が来るとは夢にも思わなかった。
クールビューティルクスの面影がだんだんと薄れていく。
それにしても―――。
「クスクス…て、ぷっ」
「なんだいトーマくん。何かおかしい事でもあったかい?」
「どうしたトマトマ!なにがおもしろいの!?」
「トマトマ!?」
ルクスのあだ名を馬鹿にしたからバチが当たったようだ。
台風の様な少女は驚くべき勢いで先ほどまでの緊迫した空気を綺麗に打ち消していく。
これが少女の―――ルカの作戦によるものなのか、もしくは地でこれなのかは不明だが、敵意は全く感じられない。
ひとまずそのことに安堵し、ルクスを見やる。
「―――そうだね、トーマくん。とりあえず彼女の―――ルカの安全を確保しなくてはなるまいね、僕たちに同行させるのはあまりにも危険だ。…いくらルカに呪文の適性があると言えど…だ」
「そうだな、ルカ、お前身寄りは―――」
そう言いながらルカの方へ視線を投げると、―――ルカは今までで最高の笑顔をこちらへ向けてきて。
「なになに!?危険!?同行!?そういうのルカ大好きだよ!一緒に行きたいな!ルカね…帰る場所とかそういうの…無いから…」
「…そうか、だが…」
「いいんじゃないのか、ルクス」
身寄りのない寂しさ。それは誰よりも一番にルクスが感じていた。
いまからルカを預かってくれる場所を探すとして、それ自体にどれだけかかるのか、―――そしてそこでルカが馴染めるのにどのくらいかかるのか。
「これから、養子として預かるところを探すのも時間がかかるだろう、それにまだ幼いが、ルカの力は本物だ。俺らの目的のためにも同行させていいんじゃないか?」
「だが…トーマ…」
「なにより、一人の寂しさってのは、俺もわかるからな」
「…」
ルクスがルカの身を案じるのは当たり前の事だろう。
それは一般的に考えても、かつてのルクスの身分を顧みればなおさらのことだ。
それを聞いていたルカは期待の眼差しをルクスに向ける。
「―――わかった…。ルカ、君の同行を認めよう。トーマくんの言う通り、僕たちにも時間が無いのは確かだ」
「―――」
それを聞いたルカは感極まって今にも泣きだしそうに眼をうるわせ始めた。
「クスクス大好きーー!」
「なっ、ルカ、少しは淑女としての振る舞いを…」
「そんなの知らないもーん!やりたいならルクスがやればいいでしょ!」
「僕がやったらそれはそれで問題が…いや、そうではない、降りてくれ、ルカ」
「ぶー、はーい」
ルクスに抱き着いたルカは唇を尖らせて降りた。
そして、ルクスは乱れた服を整えると少し目を鋭くして。
「―――それでは、少しトラブルはあったが、―――今よりこれからの計画について説明しようと思う」
場の空気が引き締まったのを感じてルクスも背筋を伸ばす。
「まずは、ルカにもわかるように最初から説明しようと思う」
「はーい」
ルカが声を出すたびに場の緊張感が抜けていくが、それを再びルクスが締めなおして。
「僕たちの大きな目的は、デンタパークの再興、それから―――大帝国センタジア、それの陥落だ」
「おーおー!すごいすごい!凄いぞ!かっくいーー!」
「…まずはそれを理解した上で話を聞いて欲しい。…その、悪いが。ルカ、少し黙っていてもらえると助かる」
「えー、つまんないのー、はーい」
流石のルクスも我慢しきれなかったのだろう。そもそも、騎士に子供のおもりの任務などないだろうし。
「では、気を取り直してだが…。僕たちの大きな目的はそこにある」
「そこまでは前に聞いた通りだな。俺が気になってたのはその先の話、これからの具体的な計画だ」
「まあそう急かないでくれ、順を追って説明しよう。まず僕たちが置かれている状況だが、君たちはどう把握している?」
「どう…ってそのまんまだ、スラム街デンタパークに拠点を置く貧乏人三人組、だな」
「そうだ、そしてこの状況では僕たちは何もすることは出来ない、いつか君に言った通りここは大きな『鳥籠』だ。逃げることも許されず、自由に生きることは認められていない。まずは、この街から、いや、この国から出ることが最初の目的だ」
「だけど、この街はここからも見えるように四方を巨大な壁に覆われてるんだぜ?空でも飛べない限り逃げ出すなんて…」
「だったら、飛べばいいんだ」
「は?」
「月に三度来る食料支給便、その存在は君たちには身近なものだろう。―――最初の目的は貿易便の奪取だ。外界に出る手段は他にもあるが…。最もリスクを負わずに外へ出る方法はそれだと僕は考える」
「四方を覆う壁にはその対策として固定砲台が無数に置かれてたはずだぞ。それはどうするんだ」
「それはルカが全部落とすよ!ちょちょいのちょいだよそんなこと!」
「僕だって砲弾くらい切り落とすのは容易い、その点に関して、問題は皆無と言っていいだろう」
「な、なるほど」
何とも心強い相棒達だ。
「ただ、一つだけ問題があるとすれば、―――それは、次の食料支給便は、もうこの街に来ないということだ」
「―――!?なんでだ!」
「なんでだなんでだ!?」
驚愕するトーマをよそに、どこか余裕のあるルカの声が重なる。
次の食料自給便は来ない、そんなことはあるわけがない。デンタパークはセンタジア全土から迫害されているとはいえ、未だ領土内にある。隔壁に阻まれた絶壁の街、食料の支給が無ければ生きていくことは出来ないだろう。そうなれば責任が問われるのは他でもないセンタジア王だ。みすみす領土を手放すような事、する訳がない。
「それは次の食料支給日当日、―――僕たちは、いや、この街のすべては不可視の何かによって押しつぶされ、無に還るからだ」
「それは―――、まさか!!」
「そうだ、だからここへ君を連れてきた。上を、見たまえ」
そう言われ三人は空を見上げた。
そこには夜でもわかる分厚い黒雲が――――ではない、あれはデンタパークの空をすべて覆うような巨大な文字が塗りつぶすように落書きされている。
「あれは…一体…」
「アレは、大規模呪文を発生させるために必要な巨大術式だ。デンタパークを丸ごと飲み込むほどの術式ともなれば、発動までに最低でも一週間といったところか。発生したのは今さっきなのだが、兆候はあった。その前に動きたかったのだが、初動が遅れたようだね」
「うわあ…すごいね…これ…」
「…ちょっとまて、ルクス」
ルクスはその事実をはじめから把握していたということだ、少なくとも、自分と出会ったその時には既に知っていたはずだ。だからあの時急いでいると言っていた訳なのだら。しかし、それが意味することは―――。
「…お前、それを知っていて、ルカをこの街に残すって言ってたのか、さっき」
「もちろんだ」
「ふざっ…けんなよお前!自分の命じゃなければ他人がどうなったっていいのか!この街を救うのがお前の目的じゃなかったのかよ!」
すなわちルクスはルカをこのまま街に残して見殺しにしようとしたのだ。
ある程度把握はしていたが、この男の考えには毎度背筋を凍らせる何かがある。
そんな考え方、もはや血の通っている人間ではないだろう。
「ああ、確かに僕はあの時君にそう言った。だがこうも言ったよ、『死んでいった無念な人々が報われるように』とも、時期の指定はしていない。仮にここでルカが死んでしまってもそれは必要な犠牲だったのだろう。まあ、重力を操る彼女だったら、もしかしたら生き残ることが出来たかもしれないけどね」
「…お前…」
「…」
あまりの衝撃に、ルカはもはや口を利くことも出来ない様子だった。
ルクスの悪魔的思想に、もはや二人は口出しのしようもない。
「僕とて、そこまで考え無しではない。仮にルカが僕らを行動を共にしても結末は同じだろう、そう考え提案したまでだ。しかし、こうして協力者になってくれた以上、その結末は僕が命を賭してでも阻止しよう。それだけは、揺るぎないものとして約束をしようと思う」
「そんなので納得できるほど―――」
「うん、いいよ、わかった」
反論するトーマを制止し、ルカが一歩前へと出る。
「クスクスの考えてること、ルカはやっぱり大嫌いだけど、けどやっぱり本当の事だもん。信用は―――するよ」
今までにない落ち着いた声でトーマを嗜めるように、ルクスに言い聞かせるようにルカが言葉を紡ぐ。
「ルカ…」
「だから、クスクス。続きを話して」
「ふむ、思ったより話がわかるのだね。君は。いいだろう」
そう言うとルクスは手を空に掲げると―――再び眩く輝く剣を顕現させた。
「あれの元となっているのは無数の飛行船だ、当然のことながらいくら超常の力である呪文でさえ、空に文字など書く術は持たない。よって―――あれを半分、いやその半分で十分だろう、一角さえ削れば呪文は正しく機能しないはずだ」
そう言われ上空に浮かぶ巨大な文字をよく見ると―――確かに見える、その数、数千、数万にも連なる信じられない量の飛行船が。
「最初の目的はこの巨大な『鳥籠』から出ることだ。だが、そのための前準備として僕たちがこれより行う作戦は―――」
「今より一週間以内、その期間内にあの飛行船の一角を墜とし。この街を救うことだ」