2:不運不運幸運
今振り返ると本当にどうしようもない人生だった。
物心ついた時にはすでに両親からは捨てられていた。
このスラム街では、自分が生活するだけでも手一杯、ましてや子供の世話をしている時間も食料的にもとてもそんな余裕はない。そう言った理由から子供を授かっても手放してしまう無責任な親がこの街には多くいた。そんな状況を把握している上で行為に及んだのだから父親も母親も同罪であると同時に、罪深い。
だから、小さい頃からずっとスラム街の端にある身寄りのない子供が集まる孤児院の様な場所で暮らしていた。「トーマ」という自らの名前すらもそこで決められたのだ。
そこには自分と同じくらいの――年齢で言うと十歳から十八歳くらいだろうか、そんな子供たちが五、六人一緒に暮らしていた。
孤児院だからアットホーム?当然そんなわけもなく、スラム街で安定した生活なんて望める訳がない、各々が幼いながらも徒党などを組んだりして、知恵を働かせ、窃盗や詐欺などをして孤児院のために立派に生計を立てていた。
あまりに幼過ぎるものは孤児院の取りまとめ役の中年男性がよそから奪ってきたものを提供していたのだが。
だが、そこまで幼い訳でもない自分は当然何もしないわけにはいかなかった。
しかし、徒党を組むにもある程度の信頼関係が成り立っていないといけない。
折角危険を冒してよそから盗んできたものをそのまま奪われる危険性、さらには捨て駒にされて命の危険だってあるのだ。
気心知れた仲間など当時はおらず、そのような理由もあったため、一人でどうにか生き延びていこうと決意をした。
スラム街―――通称「デンタパーク」と呼ばれるこの街は、帝国の一部であるため気持ち程度に月に三度大量の食糧の支給がある。
大量といったのはあくまで総量の話で、決してデンタパークの総人口が一か月三食満足に食べられるような量は入っていない。
まずはそこの食料争奪戦で勝ち抜くことがここで生きていくための最低条件なのだ。
食料が支給された瞬間支給所は混戦と化す、そこである程度食料を入手できればとりあえずはいいのだが、少年の力でその混戦を勝ち抜くのはまず不可能だ。
策を講じなければならないのは火を見るより明らかだった。
そこで思いついたのが、混戦を勝ち抜いて食料を手に入れることが出来た者の帰路を狙っての強奪だった。油断しているそこに漬け込む、完璧な作戦だ。
最初の数回は「誰でも行けるだろ!」的なノリで襲い掛かったが大抵タコ殴りにされて痛い目を見るのがオチだった。
幾度となく支給戦に行っていると食料調達戦で毎度のごとく手を汚さず食料だけをを持ち帰る少年が一人いるのを発見した。体格も自分とほとんど変わらず、年齢も同じくらいだっただろうか、今回の作戦を実行するにこれほど都合の良い相手は他にはいなかった。決め手は最悪の場合でも自分は痛い目を見ないだろうという激甘な理由だったのだが。
次の支給日当日、やはりいつもの様にその少年は現れ、華麗に食料だけを調達すると、自らの手は汚さずにすぐさまその場を後にした。
そして、こちらはこちらで計画通り支給所から程離れた場所で強奪を試みた。
しかし、流石は混戦を勝ち抜くような猛者、基礎体力で敵う訳もなく強奪は失敗、後ろから忍び寄ったのにも関わらず、後ろに目が付いていたのかという反射神経で腕をつかまれ投げ飛ばされた。予想以上に鍛えていたようで、それなりに痛い目を見ることになった。
その後は食料調達に向かうたびにその少年を見つけては勝負を仕掛けていた。
負けたままでは流石に悔しいので自分でも体を鍛え始めた。孤児院の年上に組み手を頼んだり、街を走って基礎体力を上げたり。
しかし結果は全戦全敗。全くもって勝ち筋など見えてこなかった。
そんな風にして月に三度の食料支給日―――決戦日を十回ほど迎えた頃だろうか。
少年が自分と徒党を組もうと言い出したのは。
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鼻をつつく香ばしい香りで自然と意識が戻ってきた。
覚醒して目を開けるとそこは見覚えがまるで無い天井だった。
「お、目覚めたかい?よく寝たねえ」
台所で料理を作りながら青年があの透き通る声を投げかけてきた。
「ここは…どこだ…?」
「僕が隠れ家にしている場所だ、わけあってこの街に移り住んだけどね、こんなボロ屋しかなくてね。全くもって何もないんだね、スラム街って。材料さえあったら自分で小屋くらい作ることも出来たっていうのに」
「…ハッ、仮に材料があったとしても工具も何もありゃしないけどな」
「あははっ、もっともだ。まともにつかえそうなものはここにはないだろうねえ」
随分と饒舌な少年だ、緊張している自分に気を遣って紛らわそうとしているのか、ただのおしゃべり好きなのか。
それにしても歳と比べてこの落ち着いた立ち振る舞い、品のあるしゃべり方、いったいどこから移り住んだというのだろう。
青年は手際よく料理を終えると皿を二枚手近な机の上に置いた。
「ささっどうぞご賞味あれ。スラム街『デンタパーク』原産、その辺に生えていた雑草やなんやらを卵でとじたオムレツだ‼結構自信作だなぁ…」
「それ聞かないほうがよかったんだけどな…」
言われて机に向かうと、差し出されたそれは確かに中々美味しそうだった、焼き加減も完璧だったと言えるだろう、僅かに見える卵の隙間が若干半熟になっているのがわかる。
ここ最近まともな食事をしていなかった、人の手料理にありつけたのは孤児院にいた小さなとき位なものか。
卵の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「なあ」
「ん?」
「いただきます」
「召し上がれ」
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「はぁー旨かった‼とても雑草を使った料理とは思えないな‼」
「ふっふっふ、それは食べさせ甲斐があるってものだよ。料理人冥利に尽きるね。他にも色々作れるんだよ、特にこだわってるのは調味料かなぁ…」
「なに⁉ほかにもあるのか‼」
「あるともあるとも、調味料なんかは東の国で発明されたシャー油とか呼ばれるものとかね、他にも色々あるんだよ」
「ふむふむ、それにしても、食事がおいしいとここまで幸せを感じられるのか…」
冗談抜きでこの青年の料理は絶品だった。
かつて自分でも料理に挑戦したことはあったのだが、ろくな調味料もなく、そもそも料理の仕方すら知らなかったので結果は散々だったのだが。
「うんうん。こんなに喜んでくれるとは嬉しい誤算だね。ところで君、名前は何て言うんだい?」
「あぁ、そういえばまだ自己紹介もしてなかったんだな。俺はトーマだ。複雑な家庭の事情ってやつで性はないんだ。普通にトーマって呼んでくれ」
「そうなんだね。僕はルクス=バーリアルだ。ルクスと、そう気軽に呼んで欲しい」
そう言うと向かいに座っている青年―――ルクスは軽く身を乗り出し、手を差し出してきた。
「よろしく、トーマくん。あの時の借りを返す時、契約は満了だね」
「―――ッ⁉」
「言っただろう?売れるものは何でも売っておくのが僕の性分なんだ。物は売ったら見返りがついてくる。当たり前の事だろう?」
なるほど、つまりこういう事か。
俺はお前の命を助けた、助けたその命、果てるまで自分に捧げろと。なんとも単純明快でわかりやすい。果たしてこの手を取れば契約が結ばれるのか、いや―――
「もう結ばれてるんだな、その契約はすでに」
「ご明察、勝手だがそうさせてもらったよ。袖を少しまくってごらん」
言われるままに袖をまくる。そこに刻まれている「モノ」を見たら自分でも不気味な笑いがこみ上げてきた。
「ハハハ…なるほどな。これまたわかりやすい」
自虐的なその笑いの眼下、腕には朱色で無数の術式が書き散らされていた。
「ひどい怪我だったからね。治癒魔法をかけるときに衣服を脱がせたんだ。まあ、折角だと思って一応書かせてもらったよ」
「…一応。一応な。それで、ここにはなんて書いてあるんだ?死ぬまでお前のために尽くせか?面白い死に方でもしてこいか?命を救った代償だもんな。その位しないと割に合わないよな!」
「まあ、落ち着いてくれ、さっき言った通りこの契約には満了がちゃんと存在している、そこまで悲観的にならなくてもいい」
「これが悲観的にならずにいられるか!お前がとんでもねえサイコ野郎だったらあそこで死んでた方が幾らかマシだぞ!」
「『協力してくれ』だ」
「あ?」
「『協力してくれ』だよトーマくん。僕は僕の目的の為の協力者が欲しかっただけだ。ニュアンスによっては君のさっき言った『死ぬまでにお前のために尽くせ』と似ているかもしれないね」
「…やっぱお前鬼だな」
「そう言わないでくれたまえよ。時にトーマくん、君はは死ぬまでこの街で暮らす予定だったのかい?」
「…あぁ?あぁ、そうだよ。何か文句でもあんのか…?」
「いやいや、人の人生にケチつけられるほど僕は偉くもなんともないさ。この街で一生生きていく…大した愛国心、いや、郷土愛といったところか。その意思は尊い。ただね―――」
「―――それっていうのも『死ぬまでにお前のために尽くせ』ってのと同義じゃないのかな?」
「―――ッ!」
「こんなしみったれた街で一生を過ごす。地位も最低、名声なんて得られるわけもなく、死ぬか生きるか、毎日何かと戦い続けながら過ごす、そうして生き延びた先に待っているのは何もない、誰の記憶にも残らない、そんな風に生きるって奴隷と何も変わらないんじゃないかな?」
「…やめろ」
冷たい汗が流れる。本能がこれ以上聞いてはいけないと悲鳴をあげる。
「この街に生まれて君は何を得た?一体何をしてきた?この年でこうして1人で生きている時点で身寄りはきっといないんだろうね。育てる計画性もまるでなく産むだけ産んで後は放置。なんとも無責任だよね。君の方がむしろそれを感じているんじゃないかな?」
「やめろって…」
何かが決壊していく。この街の傲慢な常識。自分が当たり前だと思っていた非日常な日常、こうして指摘されて初めて憎いと思える。
「薄々感じていたんだろう?君は鳥籠の中での自由を味わっているに過ぎない」
「―――ッならどうしろって言うんだよ!」
堰が切れた。いくら変えようと奔走しても変えられなかったこの日常が、スラム街というどうしようもない状況が、すべてから迫害される孤独感が。
今まで誰にも理解されなかった全てを吐き出す。
「あぁ、そうだよ!毎日生きるために精一杯だ!こんな街!こんな人生!全てもう懲り懲りなんだよ!!俺だって……あいつだってそうだ!こんな街に生まれなきゃ!あんな奴らの下にいなかったら!まだまだ長生き出来たはずなんだ!まだまだ楽しいことがあったはずなんだ!!それをなんだ?鳥籠の中での自由?君の方がむしろ感じている!?当たり前だ!!俺が一番感じているに決まってんだろうがァ!!」
「…そうだろうね」
「あぁ!そうだよ!!…もう…もうおしまいなんだ。いっそあの時…」
「『死んでいた方がマシだった』かな?」
「…」
「悪いけどそれはもう許さない。契約は結ばれた。否応なしに君は僕の『協力者』になった訳だ。しかし、君がそこまで僕との契約を拒むというのなら君に選択肢をあげようと思う」
「…何を…」
「選ばせてあげよう、君はこの街で死ぬのか、僕とともに生きてみるのか。これが最後のチャンスとしよう、街と共に滅びることを望むのならその術式は消し去ろう。そんな意志で契約してもらっても力になってもらえそうにない。それならまるで意味が無い。好きな方を選ぶといい」
「…先に」
「うん?」
「…先に、お前のその『目的』とやらを聞かせてくれないか…?それは契約に反するとか言うなら無理強いはしない…インチキかもしれねえけどそれを聞かないと決められねえ…」
「なるほど。配られる前のカードの中身を覗く、決して褒められたことではないが、それで意志が固まるのなら仕方の無いことだ」
そう言うとルクスは立ち上がり、部屋の隅にある大きめな帝都センタジア―――この国の地図を勢いよく叩いた。
「僕はね。トーマくん、このしみったれた街、君が大嫌いなこの国をだ―――」
「一から作り直したいと思うんだ。誰もが笑って過ごせる―――今はエゴにしか聞こえないかもしれないけど、きっと今より幸せな人が増える。君や、かつての君の仲間や、この街に生まれては死んでいった無念な人々が報われるように。そんな国を」
「…!」
「改めて聞こうか、トーマくん」
ルクスの美丈夫がこちらを見て微笑みかけた。今は悪魔にも天使にも見えるその微笑みが。
「君はどちらを選ぶんだい?」
あらかじめ答えが決められている問を、ルクスは再び投げかけてきた。