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後編:血より紅く

「――何が起きたって?」


 朝一番に飛び込んだ報せに、ヴォルフラムは自分の耳を疑った。冷水を浴びせかけられたような気分で、目の前の机に置かれた報告書に手を伸ばす。


「武装した騎馬部隊が王都へ突入、議長を人質に議事堂に立てこもった――だと? ふざけるな、四月馬鹿はまだ一ヶ月以上先だ」

「……しかし、既に議事堂が制圧されて――」


 部下の言葉を遮るように、地鳴りのような爆発音が三度、営舎の窓ガラスを揺るがした。爆弾――そう断じるに足るだけの衝撃。

 ヴォルフラム・ツー・リンデンベルクは、決して真面目な男ではない――しかしながら、状況に対応できないほど無能な人間というわけでもなかった。爆発音を耳にして、即座に非常時であるということを理解できる程度の器は持ち合わせている。


「軍令本部からの命令はどうなっている。反乱なら、征討の命令が出るはずだ」

「何一つ来ていません。恐らく、本部にも反乱軍が突入して、命令の伝達を阻害しているものかと」


 ヴォルフラムは唸った。命令がなければ動くことはできない。


「せめて、どこの部隊かは分からないのか」

「それが、各部隊からの脱走者で構成されているようです。現在、行方不明になっている兵士をリストアップしているところです。中には近衛からも反乱に加わったものがいると――」

「クソっ、もういい――」


 苛立ちに任せて、乱暴に掴んだ書類を机に叩きつける。それを屑籠に放り込もうとしたときに、執務室のドアが勢い良く開いた。

 ノックぐらいしろ、といつもなら言っているところだったが、ヴォルフラムにそのような余裕はなかったし、非常時に礼儀を優先させている場合ではないということも、十分に理解していた。そして何より――入ってきた人物が血まみれになり、息も絶え絶えであったことが、彼に平時の常識を捨てさせていた。


「おい、どうした――」


 部屋に入ってくるなり倒れ込んでしまった兵士の左腕を掴んで持ち上げようとして――ヴォルフラムは、その兵士の肘から先が、既に失われていることに気付いた。刃物の傷ではなく、強力な銃で撃ち飛ばされたような格好だった。

 あまりにも凄惨な光景――しかし、彼は目を逸らさなかった。軍人としての覚悟がそうさせたのではない。一人の人間として、目の前で消えかけている命の灯火から目を離せなかったのだ。


「軍医を呼んでこい! 早くしないと――」

「いや、結構です。隊長」

「結構なわけがあるか。死んじまうぞ」

「これを届けるまでは死ねないと思っておりました――ですが、もう終わりだ」


 残った右手でポケットの中を探り、血に塗れた羊皮紙を一枚取り出すと、兵士は静かに目を閉じた。ヴォルフラムは震える手でそれを受け取り、丁寧に開いていく。


「本日明朝、騎兵連隊所属の正騎士及び、騎士学校生徒隊、合計約八百五十名から構成されるとみられる集団が王都へと突入。うち三百名が中央議事堂を選挙し、居合わせた警備兵及び議員を射殺。二百名は商業ギルドに乱入してこれを包囲、自警団との激しい射撃戦の末にギルド長を射殺。残る三百五十名は軍令本部を強襲、いずれも死者多数――それ以上の状況は一切不明」


 淡々とした言葉遣いだったが、その文字は激しく震えていた。


「反乱を企てた兵士の所属はまちまちであるが、中央議事堂を強襲した将校の中に、自ら指揮官と名乗った者があった。その者の名は――」


 その先を目にしたヴォルフラムは、奥歯をぎりり、と噛み締めた。

 ありえないことだ。許されないことだ。

 嘘だ、と否定することは容易い。昨日は言っていたじゃないか。そんなことは嘆かわしいと。空想の王権を支持しているだけの、まやかしに踊らされた馬鹿者だと。

 だが――彼は同時に、それらを愚者として笑うこともできないと言っていた。尊かったはずの誓いを曇らせるものを許しておけない、と。

 ヴォルフラムはそれを否定しなかったし、笑いもしなかった。ただ彼らしいと受け止めた。

 それがこの結果を招いたというのか。有り得ないと断じることもできない。彼は滅多なことで、冗談を言わない男だ。孤独な英雄としてそこに有り続けた彼の、数少ない理解者のつもりでいた。だから昨日は酒坏を交わして語り合ったのではないか。


(――昨夜のあの言葉は、遺言だったのか)


 視界がぐにゃりと歪むようだった。だが、目の前に記された文字だけはいやに鮮明で、容赦のない事実がヴォルフラムを追い詰めていた。


「陸軍第一騎兵連隊指揮官、アレクサンダー・フォン・グラディッシュ。議事堂を制圧し、『王権回復宣言』を発布――議会に対し、施政権の即時返還を要求した――これは重大な反逆行為であり、軍令本部はグラディッシュの征討命令を、全軍に対して通達する。本命令は至上命令であり、一切の抗命は認めない――」


 ヴォルフラムは、軍令本部から届いたその命令書を乱暴に握り潰した。認めることなどできない。だが、捨て置くわけにもいかない。ならば――優先すべきはどちらか一つ。


「……隊長、ご命令を」


 数秒の間。彼は目を閉じ、腰に提げていた拳銃にそっと触れ――右手を掲げて命令した。


「逆賊となったグラディッシュを征討する。軍令部からの至上命令だ――遂行するぞ」


 その表情は、どこまでも冷徹で。

 されど、解けゆく雪のような悲しみの色を、瞳の深くに帯びていた。





 全ての感情を殺して砲口を向け、休むことなく砲弾を浴びせる。砲兵の役目はこれだけだ。その先に立っているのが何者だろうと関係ない、砲の前に立ちはだかるなら、それらは全て許されざる敵だ。殺すことを躊躇わない。

その袖に、学生騎士であることを示す白百合の紋章があったとしても、知ったことではない。自分の弟と同じ年頃の少年が、ボロ布のように吹き飛ばされようとも、知ったことではない。彼らの目に、自分が忘れてしまった情熱が燃えていようとも、知ったことではない。

殺す、殺す、殺す――ただそれだけが、砲兵の役目だ。

 瓦礫の奥から、両手を上げた負傷兵が立ち上がる。

――だから何だというのだ。


「撃て」


 大地に積もった雪を吹き散らして、散弾が風を切り裂く。その直後、負傷兵の姿はその場から消えていた。蛮族の如き雄叫び。

 そうだ、いつもどおりだ。国境を越えて襲ってくる異民族も、地方で反乱を起こした貴族も、皆同じように殺してきた。その中には、さっき撃った学生騎士のような若い兵士だっていた。気にすることなんて、ないはずだ。

 ヴォルフラムは、ただひたすらに自分に言い聞かせる。殺せと命令されたから殺すんだ。相手だって小銃を持っていた。殺して何が悪いというのか。どんな子供でも、銃を持てば兵士に変わる。殺してはいけない道理などない。だから撃つ。撃って撃って撃ちまくる。そうして「英雄」になってきたのだから、その責務を果たさなくてはならない。

 爆音と硝煙に包まれているうちに、殺人への忌避感は薄らいでいく。始めて人を殺したのはいつのことだろうか、もうはっきりとは覚えていない。あの時自分はどう思ったのか。罪悪感は感じなかった気がする。仲間を生かしたいという思いか、あるいは仲間を殺された報復か。どちらかも分からない。だが、ヴォルフラムの精神は、何らかのロジックで殺人を正当化していた。今回だってそうだ。俺が撃つのは、突如として祖国を裏切った反逆者だ――砲撃を指示するたびに、自分の中にあった迷いが消えていく。

街のあちこちで響く轟音。誰かが同じように戦っているのだろう。なら、恐れることなど何一つありはしない。国家に対する務めを果たす、ただそれだけの機械になって撃ち続ける――そうしなければ、自分が壊れてしまうから。

 今の自分は、どんな表情をしているのだろうか、とヴォルフラムは感じて、ポケットに入れた小型ミラーに手を伸ばしたが――すぐに止めた。

 ――とてつもなく邪悪な顔をしているだろうことは、鏡を見るまでもなく想像がついたから。





 王国議事堂は無残な有様だった。度重なる砲撃で壁のあちこちが崩れ、荘厳な庭園のあちこちには榴弾の爆発で抉られた穴が開いていた。数時間前まで響いていた砲声は止んでおり、小銃の銃声一つ聞こえない。最初の騒ぎは賑やかなものだった。騎馬部隊を中心とした反乱軍が街の各所を駆け回り、軽歩兵で構成された初期対応班を徹底的に蹂躙し、一時は政府機関を麻痺させるに至った。だが――今や彼らの大半は捕縛、あるいは射殺されていた。

 そして――彼もまた、例外ではなかった。

 議事堂の最奥部――議長室の椅子に腰掛けて、アレクサンダー・フォン・グラディッシュは、突入してきた兵士たちを、軽く手を挙げて迎え入れた。


「……早かったじゃないか」

「貴様がグラディッシュだな?」

「ああ。私がアレクサンダー・フォン・グラディッシュだ」

「貴様を反乱の容疑で逮捕する」


 手首を縛られても、彼は特に抵抗する様子を見せなかった。ただ穏やかな微笑みを浮かべて、自らを拘束しにきた兵士たちを眺めていた。その笑みに不気味なものを感じた兵士たちは、少しばかりアレクサンダーから距離を取った。そのうちの一人が、腰に提げていた拳銃を引き抜くと、アレクサンダーの側頭部に突きつけた。


「……どうした、連れて行かないのか」

「何故こんなことをした。答えろ」

「答えたところで、君たちは理解しないだろう」


 鷹揚な笑みを浮かべるアレクサンダーに、兵士は殺意をむき出しにして、拳銃の撃鉄を起こしたが――苦々しげな表情を浮かべて安全装置を掛け直し、それをホルスターに納めた。


「……正しい選択だ。私を撃っていたら、君も訴追の対象になっているところだ」


 兵士たちに連れられて、アレクサンダーは議事堂の門を出た。度重なる砲撃で抉れた庭園と、無残に吹き飛ばされた若い兵士たち。彼らの袖には、銀糸で縫われた白百合の刺繍。

 彼はその光景を無言で眺め――そして、目の前から走ってくる友の姿を認めた。





 一メートルほどの距離で、二人は向かい合う。

 先に口を開いたのは、ヴォルフラムだった。


「どうしてこんなことをしたんだ、アレックス」

「昨夜、君に語ったとおりだ。この国は腐っている」


 商業ギルドと癒着した貴族議会と、蔑ろにされる王権。そして、再び王家に権威を取り戻そうとする運動の存在。アレクサンダーはそれを、現実の問題として語った。


「……馬鹿馬鹿しいと、愚かだとお前は言った! 支持しているのは王家ではなく、王家の形をとった幻想だと!」

「ああ、幻想だ。だが、現実が常に幻想よりも尊いなどと、誰が決めた」


 およそ、一国の将らしからぬ言葉だった。ヴォルフラムはその場に暫し立ちすくみ、半ば喚くように言葉をぶつけた。


「お前は何にだってなれた! 軍を辞めて政治の道を選べば、この国を変えることだってできたはずだ! なのに、どうして!」


 ヴォルフラムは、自分の心中に渦巻く感情を整理できずにいた。憧れか、怒りか、羨望か、それとも絶望か――だが、そんなことはどうでもよかった。ただ悲しかった。昨夜語った言葉の裏を読めなかった自分の愚かさが、心の底から憎かった。

 あれは遺言だったのだ、と今更気づいた。だが、もう遅い。


「言葉だけでは何も変わらない。血が流れない理想に価値などない」

「……なら、何故あの夜俺に会ったんだ!」


 アレクサンダーはその言葉を聞いて暫し目を閉じ――普段と変わらない、淡々とした調子で答えた。


「……俺が俺でいられるうちに、最後の言葉を残しておきたかったから――」

「何を話している、歩け!」


 アレクサンダーの言葉が終わる前に、彼を拘束していた兵士は乱暴にその体を突き飛ばした。両腕を縛り上げられた状態では踏ん張ることもできず、その体は雪の中に投げ出される。


「おい、やめないか――」


 見かねたヴォルフラムは、彼の傍へ慌てて駆け寄った。控えていた兵士が静止しようとしたが、彼は腰に提げていた拳銃に手を掛けて威嚇した。


「……ヴォルフ、最後の頼みがある」


 囁くような声。


「フランツィスカを頼む――どこか、遠くの国に送ってやってくれ」


 それが、永久の別れの言葉となった。


 乱暴に体を引っ張り上げられたアレクサンダーが、憲兵隊の馬車に放り込まれ、鋼鉄製の扉の向こうに姿を消す。その様子を、ヴォルフラムは何もできないままに見送っていた。


(何故こんなことをした、と聞いたな。なら、俺はあいつのことを、何一つ理解できていなかったということだ。あいつが求めていたのは、きっとそんな言葉じゃない。国のために自分を殺すなど間違っている。ずっと、そう言ってほしかったのだろう――だから、俺のような人間と友情を結んだ。あいつ自身は気付いていないようだったが――)


 だが、もはや全ては手遅れだった。

 みるみるうちに馬車が遠ざかっていく。ヴォルフラムは、そこから動けない。


「なあ、教えてくれよ、アレックス――」


 流血に赤く染まった雪の上、ヴォルフラムは膝をついた。


「……どうしてお前は、俺を置いていったんだ?」

 

 天に響く慟哭は色を帯びていた。血よりも紅き、絶望の色。





 ――ある王国に、二人の愚かな英雄がいた。

 国の歪みを知りながら、己の歪みに気づかぬ者。

 友の歪みに気づかぬまま、それを見送るしかなかった者。

 これは歴史のひとかけら。意味などなさない、小さな反逆。

 世界の片隅に埋もれた、愚者の物語である――


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