時の風車
風が吹き抜け、風車を回した。
それと同時に自分の頭に乗っていた帽子が飛ぶ。
それを見ていた子供が帽子を追いかけていった。
暫くすると、その子供は帽子を持って帰ってきた。
「はい」
白い小さな手で背伸びをしながら差し出している。
丁寧に受け取って、腰を下ろす。
「ありがとう」
「ねえ」
女の子が純粋な瞳で私を見る。
「どうして帽子を取りに行かなかったの?」
少女の問いに、私は言葉を詰める。
自分の事でも分からないことはある。
正直に「なんでだろうね」と返すと、変なの。と言われてしまった。
帽子をかぶり歩き出すと女の子も横をついてきた。
「おじさん、どうしてここに来たの?」
「人に、会いにきたんだ」
「この先には誰もいないよ」
「ああ、知ってる」
風車の麓に何もないことはよく知っている。
だが、嘘をついたわけではない。
私は人に会いに行くのだ。
「おじさん、今日は雨が降るよ」
「そうなのかい」
「うん、引き返した方がいいよ」
「うん」
そうは言いながら私は歩くのを止めない。
そのことに気を咎めたのか、
少女は頬を膨らませて私に前にでて通せんぼをした。
「今から帰らないと間に合わないよ」
「急いで行くから大丈夫」
「すぐ降るよ」
「すぐ帰るよ」
立ちはだかる女の子の横を抜けて風車を目指す。
後ろから必死についてくる足音が聞こえてくる。
彼女には申し訳ないが、ここで引き返すわけにはいかない。
「どうしても行くの?」
「行くよ」
「そんなに会いたいの?」
「うん」
女の子は諦めたのかそれ以上何も言わなかった。
見たところ、彼女も雨具は持っていないようだが
このままついてくるつもりなのだろうか。
「帰りなよ、雨が降るんだろう?」
「おじさんが帰るまでついて行くよ」
「なんでついて来るんだい」
「教えたげない」
拗ねたようにそっぽを向きながらそう言った。
先程無理矢理通られたのが随分気に入らなかったようだ。
この子についてこられるのは困る。
きっと親も心配するだろうに。
私は子供の相手が得意ではないから
どう言っていいのか分からないが、親の心配は良く分かる。
この子はここで帰った方がいいのだ。
「私について来ると帰りが遅くなるよ」
「すぐ帰るんでしょ?」
「……親が心配するだろう?」
「平気だもん、ねえおじさん」
親のことを出せれて部が悪かったのか、少女は話を変えた。
「おじさんはどうしてここを知ってるの?故郷?」
「いいや、違うよ」
「じゃあどうしてここに来たの?」
「言っただろう?人に会いにきたんだ」
「その人がおじさんを呼んだの?」
「さあ、どうだろうね」
話をはぐらかされたと思ったのか、少女はまた頬を膨らませる。
子供特有の好奇心が彼女を動かしているのだろうが、
この先彼女が望むようなものは何もないだろうし、
それを知る術でさえ、彼女は持ち合わせていないのだ。
ついて来るのは時間の無駄でしかない。
雲が重くなってきた。
彼女の言った通り雨が降るのかもしれない。
「おじさん、風車に着くよ」
「うん」
気がつくと風車の麓まで来ていた。
大きな風車は風を受けてしきりに回っている。
その裏は崖になっていて、立ち入り禁止のロープが張ってあった。
「わあ、雨だ!おじさん、中に入ろう!」
少女に手を引かれ風車小屋の中へと入る。
中に明かりはなく、風車が回る音が響いていてとても落ち着けそうな場所ではない。
「ほらね、降ったでしょ?」
少女は得意気に言った。
自分も帰れないということを理解しているのだろうか。
「いつまで降るかな」
「この様子だと今晩は止みそうにないな」
私がそう言うと、少女は顔を暗くした。
先程強がってはいたが、やはり親が心配するのだろう。
小屋の隅に座って音に耳を傾ける。
ここで寝るのは大変そうだ。
「おじさん、人に会いにきたんでしょ?その人は?」
「ここにはいないよ」
「じゃあどこにいるの?」
「君は会えない」
そう、彼女には会えない。
少女は本当に拗ねてしまったようで、返事をせず家探しを始めてしまった。
こんなところに何もないだろうに。
「おじさん!」
少女が大きな声で言う。
「おじさんの名前ってトーマス・カーストン?」
突然名前を言い当てられてぎょっとする。
「どうして知ってるんだい?」
「これ、おじさん宛だよ」
そう言って少女は私に手紙を差し出した。
なぜこんな所に私宛の手紙があるのかと疑問が浮かんだが
私はその手紙を受け取り、中身を見た。
「こ、これは……」
「おじさん?」
読み進めるうちに涙が落ちてくる。
ああ、なぜこんな所にこんな手紙があるのだろう。
拝啓、お元気ですか
なんて変な話かもしれないですね。
この手紙を読んでいるということは、私は死んだのですね。
どうしてここに来ることを知っていたのか
不思議に思っていることでしょう。
私はそこに女の子がいることも知っているのですよ。
この手紙を書くことになった経緯を書いておこうと思います。
あれはまだ私が十歳になったばかりのことでした。
私の村は子供が少なく、いつも一人で遊んでいました。
あの日も、いつもと同じように一人で遊んでいたのですが
そこに四十歳くらいの旅人が風車小屋に向けて歩いていくのを
見つけたのです。それを見た私はこっそり後をつけました。
その後、旅人の帽子が突風で飛ばされ、それを拾った私は
私は帽子を彼に届け隣について行きました。
旅人は人に会うと言って風車小屋を目指していたので
雨が降ると忠告したのですが、結局私と旅人は
風車小屋まで来てしまいました。
私の言った通り雨が降り、私と旅人はその場から動けなくなりました。
その夜、私と旅人はそこで寝て朝になったら帰ろうと思っていたのですが
私が朝起きると、旅人の姿がなかったのです。
その時、子供の私でも分かりました。
彼は死んだのだと。
今の貴方なら分かるはずです。
何故、彼が死んだのか。
その風車は昔から時の風車と呼ばれ村の人から特別視されていました。
今貴方の前にいる女の子は、子供の頃の私です。
そして、私が子供の頃に会ったのは今の貴方です。
だから私はこの手紙を書こうと思ったのです。
ここに来た貴方が、どうか生きるように
私の死を悲しまないように、手紙を残したのです。
生きてください。
私は十分幸せでした。
さようなら、私の愛しいトーマス。
エミル・ベーカーより。
読み終わることには涙でほとんど読むことができなくなっていた。
そんな私を心配そうに覗き込む少女。
私は少女を抱きしめた。
「ごめんよ、少しだけ、こうさせてくれ……」
「おじさん……」
「私は馬鹿だ。いつも君に迷惑をかけて
本当に、私は馬鹿だ……!」
「そんなことないよ」
少女が私の頭を撫でる。
「ずっと、見てたから。
大丈夫、貴方は私が会った中で、一番の人よ」
その言葉に顔を上げると、彼女の姿は消えていた。
君は、それを伝えるためにこんな所まで……
雨の音が消えた。
外へ出るとすっかり雲は晴れ、綺麗な星空が浮かんでいた。
帰ろう。
後何年生きれるかは分からないが、きっと幸せに死んで見せよう。
安心してほしい。
「私も一つだけ言わせてくれ。
君と過ごした日は忘れない、幸せな日々だった。
……ありがとう」
柔らかい風が風車を回した。