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 それは、みぞれ交じりの雪の降る朝のことだった。

 センター試験二日目、一日目は何とか順調に乗り切って、その日も万全を期して予定より1時間早く家を出た。けれども雪のせいでダイヤは乱れ、駅舎の手前からもう異常な空気が張り詰めているのがわかった。

 シャーベット状の汚れた雪が積もったバスロータリー、びしゃびしゃに濡れた階段。人々の苛立った空気と不安そうなひそかなため息、張り詰めた緊張感が漂う駅周辺は、いつもより格段に人が多かった。

 改札口を入ったところで駅の係員が上ずったアナウンスを告げた。間もなく、三番線に上り電車が参ります。雪のため、大幅にダイヤが乱れています。お急ぎのところ誠に恐れ入りますが、車内大変込み合っておりますので、無理をせず次の電車をお待ちくださるようお願い申し上げます・・・・。

次の電車がいつ来るか、それだってどれだけ混んでいるかわからない。ホームにも人があふれている。ようやく来た電車に乗り遅れまいと、誰もが殺気立った。

僕も何とか少しでも余裕で着きたいと、ホームへの下りの階段を急いだ。

その時、少し前方で小さくあっと叫び声が聞こえた。細く高い、女性の声のようだった。一瞬人の流れが止まり、何かをよけるようにさあっと人波が分かれた。

僕は何とか波に乗りながらホームへ急いだ。目の端に、階段の一番下に倒れている黒いコート姿の女性がちらりと目に入った。人の頭と頭の間から本当にちらっと。首が少し変な角度で曲がっているような気がした。そして、コンクリートの地面に広がる、濃い赤い液体。

僕は目の端にそんな光景をとらえながら、人波に乗って気が付くと電車に乗り込んでいた。

僕の背後でプシューッと空気が流れる音とともに、電車のドアが閉まった。息が詰まりそうなほどの混んだ車内で身動きも取れないまま電車は走り出した。僕はほっとしていた。良かった、乗れた。これで遅刻はしなくてすみそうだ。その時は、そう思うことが当たり前だったし、周り中の人もそう思っているに違いなかった。


それから一年と半年が過ぎた。僕は、あの年の春無事志望校に合格し、大学生活をエンジョイしていた。ついこの間まで新入生気分だったのに、もうキャンバスには初々しさがにじみ出る後輩たちがあふれていた。

僕の所属する美術部の新歓コンパに瑞希はいた。まだ化粧っ気もない、ついこの間まで高校生でした、と顔に書いてあるようなあか抜けない、それでいてびっくりするほど色白で顔立ちの整った彼女は誰もが一瞬見つめてしまう。僕も例外にもれずその一人だった。しかも控えめでおとなしいけれど決して気弱でも暗くもない、落ち着いたしっかりした女の子だった。同じキャンバス内にある文学部かな、と思っていたら、僕と同じ法学部だった。

瑞希の第一印象は、「きちんとした子」だったが、ソフトドリンクを飲みながら、時々氷を口に含んでかりかりとかんで食べているのを見つけてしまった僕は、思わずうさぎみたいだね、と言ってしまった。すると瑞希は驚いて、うさぎも氷食べるんですか、と聞いてきた。僕は氷はどうか知らないけど、そうやって硬いものを口に含んでかりかり食べるところが何となくウサギみたいだと思ったのだ、と答えた。

それを聞くと瑞希は、ぱっと笑顔になった。それまで緊張感を捨てきれなくてこわばった微笑を浮かべていたのが、一気にほぐれた瞬間だった。

それから僕らは学内でも待ち合わせして昼ご飯を食べたり、休みの日に一緒に美術館巡りをしたりするようになった。


友達以上恋人未満の日々がどのくらい続いただろうか。季節は夏に移ろうとしていた。

その日の午後は二人とも講義がなく、少し遠出して隣の県の美術館まで足を運んでいた。夏至が近い六月の空も暮れかけたころ、僕たちは夕食をファミレスで食べることにした。

「瑞希ちゃんはどうして法学部なの?」

 僕は何気ないつもりで尋ねた。すると、瑞希は思いのほか改まった表情で身体を固くした。何か悪いことでも聞いただろうか、と僕が戸惑っていると、瑞希はうつむいてはいたがはっきりした口調でこう言った。

「検事になりたいの」

 僕は思わずそれはすごいや、と軽く笑うところだった。ドラマにでも感化されたんだろうか、ぐらいの発想しか僕にはなかったのだ。

「・・・どうして?」

 かろうじて軽口をたたかずにいたのは賢明だった。瑞希の表情は相変わらず硬かった。

「私のお母さん、ね、もう一年以上意識がないの。病院でずっと寝たきりで。なんでだと思う?」

 僕は、交通事故?とありきたりな答えを返した。けれども瑞希は黙って首を横に振った。

「駅のホームで突き飛ばされたの。誰がやったかわからない。雪が降って、すごく混んでいたから、滑ったのかもしれない。もしかしたら複数の人かもしれないし、自分でつまづいたのかもしれないって駅員さんは言ってた」

 僕は黙っていた。あの日のことが頭の中にフラッシュバックしていた。瑞希は続けて言った。

「だけど、ただ転んだだけなら、あんなにひどいケガにはならなかったはずなの。それに、ホームでしばらく放置されていたらしいの。いくら電車が遅れて急いでいたからって、目の前で人が血を流して倒れていて、誰も声もかけないなんてこと、ある?そこにいたたくさんの人たちは、その時何を見て、何を考えていたんだろう。私にはどうしてもわからない。目の前のことより、その先の、まだ現実になっていないことのほうがみんな大切だなんて。目の前の現実を素通りして、その先の何にそんなに意味があるっていうのかしら」

 瑞希は顔を上げてまっすぐ僕を見つめた。きっと僕に、強い同意と慰めを求めていたに違いない。けれど、僕は彼女の期待通りの答えをあげることは出来なかった。


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