P.7 それぞれの夏休み
気づくとすでに7月も中旬。
本格的な夏の暑さが、僕たちを襲い始めていた。
だが、あと数日で、待ちに待った夏休みが訪れる。それまでの辛抱だ。
夏休みは、7月中旬から8月いっぱいまで。およそ1ヶ月半の長期休暇である。
夏休みが終わると、高校二年生である僕たちは、修学旅行というイベントに突入する。
「ってことで、くじ引きで班決めはすることになりました」
いっちーは、そう言うと、くじ引きの準備をし始めた。
今日は、修学旅行の班決めを行う日。もちろん、班を決めるにあたって、色々な案が出されたが、結局、いっちーの独断で決まる形となった。さすが、いっちー……
「くじ引きかよ……」
僕は、一人、愚痴っていた。
そもそも、くじ引きって、ちゃんとした決め方じゃない気がする。
友達で班を組むようにすれば、みんな納得するに決まっている。
友達がいないやつのことを考えて……とは言うが、むしろ、虐められた経験がある僕から言わせてもらえば、大きなお世話だ。
くじ引きをしたところで、結局、虐められっ子が班に入ったとき、「えええ」っというリアクションをする奴は、必ずいるのだから。
だったら、友達だけで組んでもらった方が、どれほど助かることか。
「内藤氏。一緒の班が良いですね!私は、そう願っておりますぞ!!」
僕の隣の席の真之介が、いつものテンションで話しかけてきた。
高校二年になってすぐ、席替えがあった。
僕は、一番ど真ん中の席になった。ある意味ハズレと言うべきだろうか…。
毎回僕の隣の席は仁だったのだが、運もそうずっとは続かず、仁は真ん中の後ろの席になった。その代わりに、真之介が僕の隣の席になったのだった。
「うん、だが断る」
僕は、裏表のない満面の笑みで真之介に答えた。
「ひ、ひどいじゃないですかぁ〜、内藤氏!」
「てか、内藤氏……じゃなくて、“かえで”で良いって」
真之介っていうのは、どうしてこうも、「〜殿」とか「〜氏」と付けたがるのだろうか。それが、一つのアドバンテージとでもいうのか。
僕はため息を一つし、班が決まるのをじっと待っていた。
班はだいたい1班につき4人から5人程度で決まる。
男女関係なく、くじ引きで決定するので、男だけのグループにもなれば、女だけのグループにもなる。
また、男が一人で他全員女ってケースももちろん考えられる。それこそ僕にとっては死のグループと呼べるだろう。僕は、それだけにはならないように願っていた。
班分けがされ始めた。いっちーが、チョークを持ち、黒板に書き始める。
教室は、歓喜の声や、ため息をつく者など、様々な感情が入り混ざっていた。
僕は、食い入るように、黒板を見た。
−第3班 内藤楓、内山信輝、吉沢愛莉、根本遥−
「マジかよ……」
なんて、微妙なメンバーだ。というのも、喋ったことのある奴が、誰一人としていなかった。
「あぅあぅ……内藤氏とは、離れてしまいましたか……ションボリです。」
真之介が残念そうに、そんなことを言った。
「つか、真之介は誰となったんだ?」
僕がそう言うと、とんっと、肩を後ろから叩かれた。
「俺たち!」
僕は後ろを振り向くと、仁と翔太の姿がそこにはあった。
「え……、俺たちって?」
僕がそう聞き返すと、仁と翔太は目を合わせクスッと笑った。
「いつものメンバ」
「ちょ……マジかよ……」
僕はその事実を否定しようと、黒板を再び見た。
−第1班 秋山翔太 岡田真之介 宮本仁 山下カノン 山本桜−
これは、まさかの展開だった。
翔太も仁も、それにカノンだって、同じ班なのか……
この現実から僕は逃げたくなった。
「私もショックです。内藤氏と一緒の班ではないなんて。」
僕と一緒にショックを隠しきれないでいたのは、真之介だった。
「なんだ、真之介。僕に対する嫌みか?」
「そんなことは決してありませぬ!私は内藤氏と……」
僕は、真之介の言葉をそれ以上聞くつもりはなかった。
本当にショックで、真之介の会話についていく余力はなかったからだ。
別に、僕の班のメンバーに不満があるわけではなかった。
ただ、誰とも喋ったことがないメンバーなだけに、今後の展開が全然読めない。
それに対し、1班は、楽しい修学旅行が保証されているも同然だった。
「そんな卑屈になんなって。班つっても、抜けてそっち遊びに行くから」
「感謝しろよな〜」
仁と翔太は、慰めながら、そう言ってくれた。
その言葉が、僕の唯一の救いだった。ありがとう……やっぱり、持つべきものは友なんだね…
…
「私も、もちろん遊びに行きますぞ!」
「うん、だが断る」
夏休みの事前指導も無事に終わり、僕たちは夏休みに入った。
夏休みに入っても、僕は学校に登校していた。というのも、部活の練習があるからだ。
夏は、部活の練習にもってこいだ。なぜなら、風や雨など、天候に左右されることが限りなく少ないからだ。
夏休みの部活は自由参加だったので、出なくても良いことになっている。だが、部活に行かないと、特にやることもない。
それならば、テニスの練習をしに学校に行った方が、暇潰し程度にはなるだろう。
僕は、そう考えたのだった。
もちろん、仁や翔太も、あと数ヶ月後に行われる大会のために、部活練習に励んでいた。
部活が終わる時間が一緒の時は、仁たちと一緒にゲーセンに行ったり、ファミレスで食事をし、部活での愚痴話をすることもあった。
そんな毎日が僕は楽しかったし、とても充実しているなと感じることができた。
だが、夏休みに入ってからというもの、カノンの姿を見ることはなかった。
カノンは今何をしているのだろうか。僕は、その想いが日に日に増していた。
「じゃあ、今日も練習試合やるぞ〜」
テニス部顧問の小林先生だ。
夏休みに入ってから、練習試合を多くするようになった気がする。
やはり、大会がだんだん迫ってきたからだろう。
僕は、同じクラスの田端洋平と、ダブルスを組んだ。
田端洋平。最近、テニス部に入部したばかりの奴なのだが、結構、動ける。
仁と比べると、少々劣るが、それでも素晴らしい運動神経の持ち主だった。
性格も、なかなかの奴で、ちょっと真面目なところが多い気がするが、それでも、頼りになる奴ではあった。
仁が、テニス部をやめてからは、僕は、この田端とダブルスを組むようになった。
僕と田端は、準備体操を入念に行いながら、他の生徒のダブルスの試合を見ていた。
いつものように、七原・小早川ペアは余裕の勝利を飾っていた。
そろそろ、僕らの出番か
僕たちは準備体操をキリの良いところで終わりにすると、テニスコートへと向かった。
相手は、2−Bの安田・上島チーム。
七原・小早川チームより強くはないが、なかなかの強さだ。油断はできない。
僕は、コートに入ると、相手チームを見つめ、集中力を高めた。
僕は、目を開けた。
「うわっ!」
「うぉっ!」
僕の目の前にいたのは、巨大な大男……ではなく、小林先生だった。
「内藤〜。人がせっかく、保健室まで連れてきてやったのに、目を開けた途端“うわ!”は、ねぇだろ?」
小林先生は、少々ご立腹のようだった。
「すみません。つい、成り行きで……」
「どんな成り行きだ。」
僕は気づくと、保健室のベッドで寝ていた。
とりあえず、ベッドから起きあがろうと上体を起こしてみる。
「いてっ……」
頭部に激痛が走った。
「おいおい、無理するな〜。派手に転んだんだから、もうちょい寝とけ〜」
小林先生は笑いながら言った。
まるで、僕の怪我をあざ笑うかのように。
転んだ……?
僕は、記憶が一部欠如しているようだった。
先生の話によると、ボールに追いつこうと必死に走ったところ、コート上に転がっていたボールに足をとられ、転倒したのだという。
そのまま、背中から倒れた僕は、頭を強打し、意識を失い、現在の状態……というわけだった。
「内藤、足は大丈夫か?」
「え?」
僕は、足を動かしてみる。少々痛かったが、捻挫とかにはなっていないようだった。
「おかげさまで、無事でした」
僕がそういうと、小林先生は安心した表情を見せた。
「これからは気を付けるんだぞ。足を怪我したら、テニスなんてできやしないんだからな?」
「はい、気を付けまーす」
僕がそう言うと、小林先生は、満足そうによしよしと頷いた。
「じゃあ、明日も練習頑張るんだぞ!」
小林先生は、そう言い残し、保健室を後にした。
僕は、氷で頭を冷やしながら、頭痛が治るまで、もう少し寝ていることにした。
夏の猛暑と、蝉の鳴き声で、僕は目を覚ました。
保健室のベッドから外を見ると、空は夕陽でオレンジ色に染まっていた。
僕は、体を起こす。頭痛はしなかった。
保健室にある時計を見ると、時刻はすでに5時をまわっていた。
「いっけね。寝過ぎた」
少しだけ休んでいこうと寝たつもりが、2時間ぐらい眠ってしまったみたいだ。
こんなところで、グダグダしていられないと思い、僕は保健室を出た。
「?」
保健室を出ると、かすかに楽器の音が聞こえた。
「この音は……ピアノ?」
カノンかもしれない。
僕は、ふとそう思った。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなり、音のする方へと向かった。
そして、辿り着いた先は……
“音楽室”
この学校にも音楽室があったんだと、この時初めて知った。
というのも、授業では音楽という科目は選択授業なのである。
僕は、選択科目のうちの“書道”をとっていたので、音楽室に入ったことが今まで一度もなかった。
それに、音楽室は、この校舎の3階にあったのだ。
一年生は1階に。二年生は2階に。三年生は3階と、教室が配置されているので、無論、音楽室を見ることも今までなかった。
少し古そうな作りのドアだ。僕はそのドアを開け、中を覗いた。
そこにいたのは、ピアノを弾いているカノンの姿だった。
僕は、音楽に関して、ほとんど無知である。
だが、カノンが弾くピアノの音色は、とても良い響きで、力強いものであると感じることができた。
カノンは夏休み、この音楽室で、ずっと練習をしていたのだろうか。
カノンがピアノを弾く姿は、とても綺麗だった。
僕は、その光景をじっと見つめていた。
「君は誰だい?」
ふと、男性の声がしたので、僕は驚いた。
音楽室から、一人の男子生徒が、現れた。
カノンのことしか頭になかったからなのか、男子生徒がいることに、初めて気づいた。
カノンも、その男子生徒の声で、僕の存在に気づき、ピアノを弾くのをやめた。
「かぁくん!?」
カノンは、かなり驚いた様子だった。
「ちっす」
僕は、軽く手をあげた。
「君が、楓くんか。山下さんから話は聞いてるよ」
その男子生徒は、にこっと微笑んだ。
「こちらの方は……堺俊一先輩。私の練習に付き合ってくれてるの」
カノンがその男子生徒の紹介をした。
堺俊一。男である僕からみても、とても魅力的な人のように感じた。
ただ、格好良いだけじゃない。とても優しそうで、大人びている。
堺先輩を見ているだけで、自分がめちゃくちゃガキであるような感覚に陥った。
「はじめまして。楓くん。3−Dの、堺俊一です。よろしくね」
「あ、どうも……」
僕と、堺先輩のやりとりを見ていたカノンは、恥ずかしそうな表情を見せた。
「堺先輩、ごめんなさい。かぁくん、人見知り激しいから」
「とても良い子そうじゃないか」
堺先輩はそう言うと、また笑顔をみせるのだった。
なんか、自分が負けているようで悔しかった。
「それにしても、意外だな。音楽室で楓くんに会えるなんて。思ってもみなかったよ」
「いつも、ここで練習しているんですか?」
僕が、堺先輩に尋ねた。
「そうだね。山下さんは、夏休み、毎日ここに来て、練習をしているみたいだよ」
「しているみたい?」
「ああ、俺は受験で忙しいから、毎日は来られないんだけどね。」
堺先輩がそう言うと、カノンは少々照れ笑いをした。
「私が、無理を言ってお願いしたの」
「全然無理なんかじゃないさ。逆に、楽しいよ」
「そんなそんな。」
カノンは、あの温かく純粋な笑顔を堺先輩に見せていた。
「いやいや、本当さ。山下さんは、のみこみが凄く早いしね。」
「そんなに誉めたって、何も出ませんよ?」
そこに、僕の居場所はなかった。
カノンと堺先輩だけの時間。二人だけの居場所が存在しているかのようだった。
僕は、なぜだか分からないけど、とても変な気持ちになった。
悔しかったのか、悲しかったのか……何とも言えない、複雑な気持ちだ。
僕はこの日から、夏休み中、音楽室に行くことは一度もなかった。