P.6 rain
高校二年生になっても、僕たちの生活は相変わらずな日々だった。
僕たちの高校は、クラス替えというイベントがない。例えば、1−Aの生徒は皆、2−Aとなり、3−Aとなる。
“他クラスとの交流を大事にする”というより、“同じクラスの生徒と、三年間を通して親睦を深める”というのが、この高校のモットーであるのだ。
「もっと、たくさん友達を作りたいのに、この制度じゃあんまりだ」という声もあるが、僕は逆に、この制度で良かったと思っている。
一年経つたびに、新しく友達関係を築けるほどの余力はないからだ。
僕の生活は、一年生の頃と比べても、変わったところはなかったが、周りを見渡すと、皆、少しずつではあるが、変わり始めていた。
仁は、テニス部を辞め、短距離ランナーとして本格的に陸上部へうつった。僕と同じ部活じゃないことに、今でも悔いているみたいだが。
僕も、仁がテニス部を辞めると聞いたときは、とてもショックだったが、精一杯応援すると仁に言ったし、僕もテニス部で一生懸命練習して、必ずやあの練習試合のリベンジを果たすことを誓った。
翔太は、プロの料理人になりたいと思ったのか、最近、料理の本を学校に持ってきて、休み時間などを利用して、読むことが多くなった。
あのカレパ以来、お婆ちゃんに料理を教わり、今では、ほとんどの家庭料理がつくれるとか、つくれないとか。
今度、翔太の家に遊びにいったとき、早速何かつくってもらおう。
真之介は……依然、バイトの面接の連敗記録更新中であった。
バイトの面接で、なぜそんなに落とされてしまうのか、オタクグループで話をしていたのを聞いたことがあった。
他人のことになると、熱くなる性格の真之介。実は、バイトの面接中もその性格上、面接者が質問しているのにも関わらず、逆に質問をしてしまうというのだ。
気づいてみると
「相手のことを知るっていうのは良いことだけど、まず、相手が質問をしていることに気づこう」
と、毎回言われて、その都度、バイトの面接に落ちるのだという。
そりゃ、落とされるわけだ。それでも真之介は
「ぜーったい、受かってみせますぞ!!」
なーんて調子で、諦めては全然いないようだった。
むしろ、落ちれば落ちるほど、やる気が出てきている様子だった。
あの雑草のような“しぶとさ”には、誰も勝てやしないだろう。
そして、山下カノン。
カノンは、すでにクラスの中にとけ込んでいた。空手部の吉沢愛莉と、同じ音楽部に所属している山本桜と、グループを作っていた。
もちろん、友達はそれ以外にもたくさんできていた。
転校生って、最初の頃は、珍しいというのもあり、いつもよりも人が多く寄ってくるものだ。
だが、時間が経つにつれて、その“珍しさ”というものに慣れ、落ち着きを取り戻す。
だが、カノンの場合は、全くそんなことはなかった。いや、むしろ、最初の頃よりも、カノンの周りには人が多く集まるようになっていた。
授業の時でも、休み時間や昼飯の時でも。放課後の時だって、カノンの周りにはたくさんの友達が集まっていた。
さすがは、カノンとしか言えなかった。
カノンは、ガキの頃から、小学生とは思えない行動力があって、社交的で。誰とでもすぐに仲良くなることができた。それも、当たり前かのように簡単にやってみせるのだ。
カノンの表情はいつも純粋で、元気で、温かいもので。
仁と似ているところが、カノンにはある。
それは、“他人を偏見しない”ということだ。
虐められっ子だろうが、不良っぽい人だろうが、カノンにとって外見とは、どうでも良いことなのかもしれない。
だから、僕もあの時、カノンに出会えて、本当に良かったと思えることができたのだろう。
カレパの時、カノンと一言話しただけ。
それ以来、僕とカノンが話すことはなかった。僕から話しかけることもなく、カノンからも話しかけてくることは、一度もなかった。
もちろん、カノンが話しかけてくれるのを待っていたわけではない。
僕から、何度も喋りかけようとした時はある。
だが、カノンは、いつもたくさんの友達に囲まれていた。そんなカノンに、喋りかけられる隙は見あたらなかった。
そうしているうちに、僕たちは高校二年生となっていたのだ。
月曜日の朝。
目が覚め、時計を確認すると、時間は7時を過ぎていた。
学校からはそんなに遠くないので、7時30分ぐらいに家を出れば間に合う。
いつもなら6時には起きているというのに、今日は、7時過ぎまで眠っていたようだ。
僕は少々夢の余韻に浸り、その後、学校に行く準備を始めた。
まずは、カーテンを開けた。
天気は、雨雲が空を一面覆っていた。7時過ぎまで眠ってしまった理由がその時分かった。
いつもなら、日の光で目覚めるのだが、今日は太陽が出ておらず、体がまだ起きる時間じゃないと判断したのだろう。
次に着替えをし、洗面所へと向かった。
顔を洗い、鏡で自分の髪の毛を見た。寝癖はあったが、許容範囲内だな。
そして、朝食を食べに、階段を下り、台所へ向かった。
僕の朝食はいつも、コンビニのパンと、苺牛乳だった。
この朝食でないと、どうも一日を元気に過ごすことができない。
今日のパンは、メロンパンであった。昨日食べたばかりの、メロンパン。
ちょっと気持ちはブルーであったが、苺牛乳さえあれば大丈夫。
時刻はすでに7時40分だった。ちょっと、夢の余韻に浸りすぎたのが原因だろう。
雨雲が少々不安だったが、このぐらいなら大丈夫だろうと、折りたたみ傘は持たず、鞄だけを持ち、僕は急いで学校へと向かったのだった。
今日も、何事もなく一日は過ぎた。
放課後。いつもなら、この時間帯、部活でテニスウェアに着替え、部室へと行くのだが、今日は雨で自主練習になった。
基本的にテニス部は、雨が降っていたり、風が強い時は、自主練習に切り替わる。
自主練習とはいっても、筋トレや走り込みをするわけではなく、事実上の帰宅ということになる。
僕は鞄に教科書を入れ、帰る準備に取りかかった。
高校一年生の時だったら、仁と一緒に帰っていたが、仁はもう陸上部にうつり、一緒に帰ることはできなくなった。
陸上部も同じ外のスポーツではあるが、天気が悪くなると、学校に建てられている筋トレルームみたいなところで、下半身強化を行うらしい。
仁は、スポーツに対して本当に真面目で、晴れている日も、雨の日も、体調があまり優れないときも、決して部活を休んだりはしなかった。
一人で帰るのは、ちょっと寂しいな……と感じながら、帰る準備を終わらせ、下駄箱へと向かった。
靴を履き、外に出た。
外は思った以上に強い雨だった。
「やっちまった……」
迂闊だった。
折りたたみ傘を持ってこなかったことに気づいたのは、この時だった。
この日の朝。空は確かに雨雲が覆っていた。
だが、このぐらいだったら大丈夫だと、僕は折りたたみ傘を持たずに、学校に来てしまったのだ。
学校から、家までの距離は、徒歩20分のところ。それでも、この雨の強さじゃ、風邪を引いてしまう。
どうしたものかと、考え、思い浮かんだのが、図書室で雨宿り作戦だった。
図書室に行くのは、決まって夏と冬だ。
僕らの学校は、教室に冷暖房はない。
だが、唯一、図書室だけには冷暖房が完備されており、夏では涼しく、冬では暖かい。そんな快適な場所を図書室は提供してくれる。
僕と翔太と仁は、冬と夏だけ、決まって図書室に行くのだった。
だから、この5月。図書室に行くなんて、考えもしなかった。
だが、仕方ない。雨が少し弱くなるのを見計らって、帰るとするか。
僕は、そういう決断に至ったのだった。
図書室は別校舎に設けられているが、歩いて1分ぐらいで到着する場所にあった。
僕は、鞄を傘の代わりにしながら、図書室へ向かった。
図書室に着いた。僕の服は、思った以上に濡れていた。
僕は、鞄に着いた雨水をハンカチで拭き、図書室の中へ入る。
図書室は、さすが別校舎として建てられているだけあって、とても広い。
一階だけじゃなく、二階、三階まであるのだ。
一階は、主に勉強に使われる参考書や、数ある小説が連なっている。
二階は、資料など、多くの古本などが置かれている。
三階は、PCルームとなっていて、誰でも好きな時間にネットを見たり、調べものをしたりすることができるようになっている。
僕は、一階で待機することにした。
とりあえず、雨が少しでも落ち着いてくれればそれで良かったからだ。
今日は、雨のせいもあって、人の出入りがいつもよりも多く、図書室の雰囲気は、どちらかというと賑やかな感じだった。
図書室に入って何もしないのもあれなので、僕は小説を適当に選び、席に着こうと、空いている席はないか辺りを見回した。
すると、偶然にも、山下カノンの姿があった。
カノンは一人、真剣になって、ノートに何かを書いていた。
僕は、まさかカノンが、図書室にいるとは思わなかったので、不意をつかれた形となった。
僕の視線のせいなのか、カノンはすぐに、僕の存在に気づいた。
「あれ、かぁくん?」
「お、おう。」
カノンの向かい側の席に座った。なんか、ぎこちない。
「なになに?かぁくんは、人生について興味があるの?」
「んなわけねぇだろ。」
カノンがそんなことを急に言うもんだから、僕は瞬時に、的確なツッコミを入れ、自分が持ってきた小説を開けようと表紙を見た。
−人生について本気出して考える本−
……いや、何かの間違いだろ。
僕は、もう一度、自分が持ってきた本の表紙を見た。
−人生について本気出して考える本−
なんだ、このタイトルは。
まるで僕が、人生について本気を出して、考えようとしているみたいじゃないか。
「これはあれだ。その……宿題で出されたの。」
「そんな宿題出されたっけ?」
カノンは笑いながら、僕にそう言った。
そうだった。カノンは、僕と同じクラス。そんな理由が、通じるわけがなかった。いや、それどころか、そんな理由をしてしまった自分が、とても情けなく感じた。
「カノンは、なぜ図書室に?」
「え?」
カノンが一人、真剣に書いていたものは何だったのか、視線をカノンのノートの方に向ける。
そこには、よく見ても分からない複雑な数式が書いてあった。
カノンは、照れ笑いをしながら、ノートを閉じた。
「ごめん。勉強の邪魔しちゃったみたいで。」
「ぜーんっぜん。そんなことないよ!」
カノンは笑ってそう言っていたが、本当に申し訳ないことをしたと思った。
音楽部に入り、ピアノの練習などで、勉強の時間がなかなか取れない。と、友達と話していたことを僕は偶然聞いてしまったことがある。
勉強の時間がなかなか取れない分、カノンは、勉強の時間をつくっては、コツコツと勉強をし、頑張っていたのだった。
一方、僕はただ雨宿りをしにきただけ。それなのに、カノンの貴重な勉強の時間を邪魔してしまったのだ。
カノンは、シャーペンを置くと、ぐっと背伸びをした。
「カレーパーティ楽しかったね!」
カノンは、急にそんなことを言った。
僕は、カノンのその一言で、気持ちが凄く安らいだ。
「あはは。そうだね。」
「かぁくんったら、冷まさないでカレー食べるから、むせてるんだもん。」
カノンも、あのハプニングを見ていたのか。
「あ、あれは、ちょっと油断しただけだって。」
「かなりの油断と見た!」
クスクスと、僕とカノンは笑いながら、カレパの話で盛り上がった。
雨ということもあり、図書室全体が賑やかな雰囲気だったので、話していても、別にうるさいと思われることはなかった。
カレパの話が終わると、僕たちは、何を話せば良いのか、お互いが分からない状況となっていた。
それもそうだ。カレパ以来、僕とカノンの間に、会話という会話はなかったのだから。
そんな雰囲気がとても嫌で、僕は、自分の持ってきた本を見る素振りをした。
もちろん、中身を見るなんてことはしなかった。ただ、ただ、沈黙しているこの空間から脱したかったのだ。
この沈黙を破ったのはカノンだった。
「久しぶりだよね。こうやって、二人だけで話すのって」
「そうだね。何年ぶりだろう。」
「小学4年生の時だったから……うーんと……6年ぶりだ!」
「もうそんなに経ってるのか」
「早いよね〜。」
本当に早いよ……。カノンと別れてから、すでに6年経ったのだ。
カノンと一緒に過ごした小学校の思い出は、忘れず残っているというのに。
「私、夢を見たの」
「夢?」
「そう。最近見た夢なんだけどね〜」
カノンは、まるで子供のように無邪気な笑顔をしながら、話を続けた。
「私ね。席替えで、かぁくんの隣の席になったの。」
「へぇ〜」
僕は、カノンが無邪気に喋るその様子を見ているだけで、とても癒された。
純粋で、温かい。とても心が落ち着く。今も昔も変わらないカノンが、そこにはいた。
「そしたら、かぁくん。また呆気ない態度するんだもん。」
「それはまた、困ったかぁくんですこと」
二人で笑った。
何がおもしろかったのかは分からない。でも、二人で笑い合った。その光景は懐かしく、とても楽しい、ひとときであった。
雨が大分弱まってきた。
カノンは、鞄にノートと参考書、筆箱を入れ、帰る準備にとりかかっていた。
「ねぇ、かぁくん。」
「ん?」
カノンは、帰る準備が終わると、席から立ちあがり、図書室の窓から外を見た。
「あの日も……こんな天気の月曜日だったね…」
「あの日?」
僕が、カノンにそう訊ねると、カノンは僕の方を向いて、うんっと、頷いた。
「かぁくんは、あの頃に戻れるとしたら……戻りたい?」
「え?」
カノンの質問に、どう返事をすれば良いのか分からなかった。
僕が黙っていると、カノンは再び話し始めた。
「あの頃に……。できるなら、あの頃に私は戻りたいな。」
僕は、なぜだか分からないが、ドキッと心をつかれたような感覚になった。
「あの頃に戻って……」
わずかな沈黙。
カノンは、一瞬表情を変えた。
「……ううん……じゃあ、私、そろそろ帰るね」
カノンは言葉に詰まった一瞬だけ、表情を変えたような気がした。でも、すぐにいつもの笑顔に戻ると、僕に手を振り、図書室から姿を消したのだった。
カノンが言っていたこと……。カノンが僕に伝えたかったこと。考えれば考えるほど分からなくなった。
ただ、僕の心拍数は間違いなく早くなっていた。
だが、この気持ちもまた、考えれば考えるほど分からないものだった。
カノンがいなくなった図書室で、僕は、窓から見える外に目を向けた。
雨は、まだ止むことはなかった。