P.3 再会
「はぁ…はぁ…」
僕と仁は、今朝も、部活練習の最後の締めくくりである、走り込みの最中だった。
「今日は、やけにきついな……」
僕がそう言うと、仁はクスッと笑った。
「まぁな。さすがにプラス5周はきついぜ」
僕たちの校舎周りを走ると、丁度、1周1kmの計算になる。それを、今日は15周走らなければならないので、簡易計算すると、15km走らなければならないことになる。
「仁、ほんと……申し訳ない。」
僕のミスだった。昨日の練習試合。僕が綺麗なスライスを打ったあと、試合はどちらに傾くか分からない展開となっていた。しかし、僕が綺麗なスライスを打てたのは、あれが最初で最後だった。他のショットは、全て失敗し、相手のチャンスボールとなってしまったのだった。流れは、完全に1−Cへ傾き、そのまま6−3で終了。
そして、今朝、プラス5周という、ちょっとした虐めにあっているのが、僕たち1−Aコンビなのだ。
「なんで、謝んのよ?」
仁は、当たり前かのように、そんなことを口にした。
僕は、少々拍子抜けしてしまった。
これじゃ、僕が、ちょっとした勇気を出して仁に謝った意味がない。
「いやー……うん。僕が、調子にのって、できもしないスライスにチャレンジしちゃってさ。だから……」
「なんつーか」
僕が、言いたいことを全部言う前に、仁は珍しく、話を横切った。
「俺は、昨日の試合。かなり楽しかったぜ?楓は、どうよ?」
「楽しかった。負けて悔しかったけど。」
僕がそう言うと、仁は、またクスっと笑った。
「だろ?俺も同じ気持ちだぜ。確かに、負けて悔しかった。でも、後悔はなんもない。失敗を恐れて、何もチャレンジしないより、全力で戦って、チャレンジして、最後の最後まで諦めないで。それで駄目でも、あの時、ああしておけばよかった、なーんて、気持ちにはならないだろ?」
「僕がミスしなきゃ、勝てたかな……ってのは、後悔じゃないか?」
「楓は、全力じゃなかったのか?スライスがうまくいかなくても、ゲームセットになるその時まで、挑戦し続けたのは、最後の最後まで諦めようとはしなかったからじゃないのか?」
「もちろん。」
それで良いと言わんばかりの表情で、仁は、走るスピードを少し速めた。
僕は、仁の背中を見ながら、昨日の試合のことを思い出していた。
確かに、僕は、あの綺麗なスライスショットを打ったあと、絶対に最後まで諦めない。まだ、試合はここからだと思った。
スライスがうまくできなくても、諦めようとはしなかった。試合を終えて、負けた時、なんか熱いものがこみあげてきた。でも、後悔なんて微塵も感じなかった。むしろ、清々しい気持ちになったぐらいだ。
試合後の仁は、悔しがっていたものの、確かに、すっきりとした晴れた表情であった。
「楓」
仁は、後ろにいる僕に、声をかけた。
「ん?どうした?」
「俺、ああいう、マジになった楓は久しぶりに見たぜ。」
そんなことを急に言われるもんだから、僕は、どう返事をすれば良いのか困った。
「い、いや〜、どうにかしちゃってたのかな。珍しくマジになってたのに、全然うまくいかないし……ほんっと、格好悪いよな〜」
つい、本音が出てしまった。
何に対しても本気を出さなくなっていったのは、いつの頃からだろう……
いつも、これぐらいできればいい。これ以上しなくても良いだろうと、自分に境界線を張り続けてきた。境界線を張り、危ない橋を渡らなければ、誰になんと言われることもない。失敗など恐れることもないのだ。
だが、昨日の試合は、明らかに、本気を出している自分がいた。
本気を出して、その挙げ句、全然スライスショットは決まらない。相手に流れを譲ってしまい、敗因をつくってしまった。なんて格好悪いのだろうと、そう思った。
そんな本音がつい、言葉として出てしまったのだ。
「俺は、好きだぜ?ああいう楓も。」
そう一言だけ、仁は言った。
「お前に言われても、なんか嬉しくねぇな」
二人で、大いに笑った。
あと、4周。まだまだ、先は長いが、もっともっと走れそうな気がした。
朝のちょっとした休み時間。クラスでは、昨日のテレビの内容についてだとか、今日の放課後、何しようか。だとか、そんな会話でわいわいと少々うるさく、でもどこか安心できる雰囲気だった。
「内藤氏、私も参加して良いのですか!?」
髪の毛が妙にテカテカしていて、ごっつい輪郭。なのに、顔のパーツは童顔という、なんともおかしな奴。こいつの名前は、岡田真之介。
悔しいが、僕と同じ年齢だ。
オタク集団の中心人物で、休み時間、真之介の周りには、同クラス他クラス問わず、いつも多数のオタクが群がって……もとい、集まっていた。
オタクという属性で偏見は持たないが、僕は、あまり多人数で集まるのが嫌いな性格なので、今まで真之介とは、あまり話す機会がなかった。
むしろ、真之介が、何度か僕や仁、翔太に話しかけてきたことはあったけど、こちらが、話かけたことはないだろう。
それぐらいの仲なのに、どうして、今回、僕から話しかけたのか。
というのも明日、カレーパーティを翔太の家で開くことになり、カレーパーティに参加するメンバーを増やす係に、僕が選ばれたからだった。
比較的、誘いやすい真之介に声をかけたのだが、少々、僕は後悔をした。
カレーパーティをすることになったのは、仁・僕・翔太の会話からだった。
ある休み時間。僕は仁に、カレーを奢ってくれと、冗談で言った事があった。
すると、翔太がいきなり
「よし、カレーパーティやるぞ!」
と、言い出したのだ。
カレーパーティは、以前にも翔太の家で、行われたことがあった。
カレーパーティと言っても、翔太のお婆ちゃんが作るカレーライスを食べる。ってことなんだけど、それが半端なく美味いのだ。
今回も僕と翔太と仁の、いつものメンバーでやるつもりだった。
だが今回は、人数を多くしてみるのも楽しそうだな。ということで、ジャンケンで負けた僕が、人事担当になったわけである。
真之介は目をギラギラさせながら、僕に視線を向けていた。
「あ、ああ。良かったら、どうかな……と思ってさ。」
「もちろんですとも!内藤氏の誘いとなれば、火の中、水の中、地獄にだって行ってしまいますぞ!」
「アハ、アハハ」
きっと、真之介は翔太と気が合うなと、ひしひしと感じた。
朝の会が始まった。チャイムが鳴るのと同時に担任の磯辺美雪、通称、いっちーが教室へと入ってきた。
いっちーは、かなり美人先生だ。
ボン、キュッ、ボンの三大要素をクリアし、顔も見とれるほど美しく、男子生徒には、一番人気の先生といっても、過言ではない。
性格はさっぱりしていて、優しくは…ないな。
「みんな、おはよー。」
いっちーが教壇につき、そう言うと、おはようございますという声が教室全体に響き渡った。
「今日も、元気な声でよろしい!先生は、嬉しいぞ」
いっちーは、一通り生徒の様子を見ながら、今日も満足げに、出席をとりはじめた。
僕は、部活でのラン15周と、真之介とのやりとりで、すでにグロッキー状態となっていた。
出席も取り終わり、いっちーの朝の話が始まる。
「お、いっちー、今日は政治について語ってるぞ?」
隣の席に座っている仁は、そんなことを言いながら、僕に話しかけてきた。
「ふーん」
つか、それがどうしたって話だ。こちとら、15周走らされて、体力的に限界な挙げ句、真之介のあのギラギラした目で精神崩壊状態だ。
一方、15周走ったとは思えないほど、ぴんぴんしている仁の姿が隣にはある…
「つか、よく元気でいられるよな」
皮肉を込められるだけ込めて、僕は仁にそう言った。
「まぁな。おかげさまで」
逆に、憎たらしい返事が返ってきた。これ以上、仁と話しても自分がどんどん、やつれていくと思い、とりあえず、寝ることにした。ごめんね、いっちー。今日も、いっちーの伝えたいこと、分からないや。
僕が、そろそろマジ寝モードに突入しようとした頃、いっちーの話が終わった。
「それで、今日はみんなに、嬉しいお知らせがあるわよ」
「なんだなんだ?結婚か?」
翔太の声だ。
教室からは、笑い声が響き渡る。仁も、クスクスと笑っていた。
僕は、依然として寝る体勢を崩さなかった。
「お知らせっていうのは、今日から、1−Aに転校生がくることになりました。」
おおお…という、驚きの声ともとれる、いや、歓声ともとれる声がシンクロしていた。
僕も、転校生と聞いて、少し寝る体勢を崩し、ぐったりした顔を教壇の方へ向けた。
「楓、寝あと付いてるぞ?」
仁は、ケラケラと、僕の寝顔を見て笑っていた。
「うっせ、生まれつきこういう顔なの!」
僕は、そう言い返したが、それもそれで嫌な話だ。
「いっちー、転校生ってさ、女の子?」
また、翔太の声だった。
いっちーは、翔太のくだらない言葉に、クスっと笑い、また話を続けた。
「以前は、北海道の高校に通っていたのだそうだけど、親の都合もあって、こっちに来たみたい。詳しい話は彼女から聞いてみて」
いっちーの言葉遣い、“彼女”から意味すること、つまり、転校生は女の子だということが分かった。
「うぉぉ、オナノコだ!!」
翔太は、いきなり席を立ち、ガッツポーズをしてみせた。
「おい、翔太、必死になり過ぎ」
「翔太きもーい」
教室からは笑い声と、罵倒に近い言葉が、翔太を包み込んでいた。
翔太は、これが俺の本職だと言わんばかりの、満足した表情をしていた。
「翔太ってやつは、どうも、笑われるのが好きらしいな」
僕がそう仁に言った。
「あいつらしいっていうか、なんていうか。ああじゃなきゃ翔太じゃないだろ」
仁は、冗談とも本音ともとれる言葉を言った。が、確かに考えてみれば、あいつらしい。
この1−Aのムードメーカーといったら、一番先に名前が出てくるのが、秋山翔太である。
それは、1−Aのほとんどの生徒がそう思うに違いないだろう。
なんか馬鹿な奴だな。おかしい奴だと思われながらも、翔太は、ムードメーカーという存在としてみんなに認知されている。それも、1年も経っていないのに。
僕は、ふと翔太のことを羨ましく思うことがある。
人目を気にせず、生きていくって、簡単なようで、凄く難しい事だ。
こうしたら、誰かに嫌われるんじゃないか。何か悪いことでも言われるんじゃないか。そんな感情を、人はもっているのだと思う。差がつくのは、そのことに気づいているか、気づいていないかってこと。
自分には到底できないこと、みんながためらうことを、翔太は、朝飯前かのようにやってしまう。それは、人目を気にせず、自分らしく生きられる強さを持った、翔太だからこそできることなのだ。
「んじゃ、早速転校生に入ってきてもらおうかな」
いっちーはそう言い、ドアを開け、廊下にいるであろう、転校生に入ってとの合図を出した。
その転校生は、スッと教室に入ってきた。
転校生が入ると、一斉に歓喜の声が響き渡った。それも、今まで聞いてきた歓喜の声より大きく、甲高いものだった。
周囲では、可愛いとか美人とかそんな声が響き渡っていた。
「おい、楓。すげぇ転校生が入ってきたな。」
考え事をしていた僕を、現世へ引き戻してくれたのは、仁のこの一言であった。
「ん?」
状況がよく掴めない。
仁は、淡泊なリアクションをとった僕を見ながら、呆れた表情をした。
「ん?じゃねぇよ。ほらよく見てみろよ。正真正銘の美少女転校生だぜ?」
左の席にいる仁の方から、前方の方へ、視線を向けた。
そこには、いっちーと、噂の転校生の姿があった。
背は165cmといったところか。髪は長めで、サラサラしている感じだ。髪色は少々茶色であるが、地毛であろう。体型的には、いっちーと比較しちゃ可哀想であったが、太ってはなく、それでいて痩せすぎてもない。顔は小さく、目元も、鼻元も、口元も……いっちーが美人であるとしたら、この転校生は可愛い系と言った方が適切な感じがした。
そのことよりも、僕はどこか違和感があった。それもかなり重大な。
「どうした?」
何か、考え事をする僕を見た仁は、そう声をかけた。
「いや、なんか引っかかるんだ……」
「もしかして、一目惚れか?把握した。協力するぜ」
仁は、ニヤっと笑いながらそんなことを言っていたので、僕は慌てて否定した。
ハイテンションで舞い上がる翔太をスルーし、いっちーは、自己紹介をするようにと、その転校生に声をかけた。
転校生は、少々恥ずかしそうに、クラス全体を見渡し、一呼吸をおき、喋り始めた。
「皆さん、はじめまして!今日から、この学校、この教室でお世話になります。山下カノンです。よろし……」
「カノン!!!」
僕は、そう大きな声を出しながら、席から立った。
本能であったのだろう。自分が大きな声で転校生の名前を言ったのも、急に席から立ったのも。
今、いっちーの隣にいる山下カノンという女性が誰なのか、自分の中で引っかかっていたもの、違和感というものが一瞬にしてなくなった時、僕は本能で、そうしてしまったのだ。
クラスのみんなは、急に席から立ち、大きな声を出した僕の方に視線を向けていた。
恥ずかしさはない。僕は、確認するかのように、山下カノンの方に、視線を向けていた。
「え……」
山下カノンも、驚いた様子で僕の方を見た。
少し間をあけ、山下カノンは、ふと何かに気づいた表情をした。
「嘘……か、かぁくん?!」
やっぱりそうだ。
この転校生は、山下カノン。あの山下カノンに間違いなかった。