Last Page.あの日のあたる場所で
時間が経つのは早いもので、あれから丁度半月が経った。
僕たちは、それぞれ違う道を歩んだ。
岡田真之介と内山信輝は、同じ大学に入学したみたいだ。
その大学で、また新たな仲間を作り、その仲間達と漫画研究部を設立し、キャンパスライフをエンジョイしているようだ。
もちろん、部長は真之介。あいつの事だから、きっとたくさんの仲間に囲まれ、楽しくやっているだろう。
内山も真之介がいれば、恐らく大丈夫だな。
カードについて熱く語れる友達ができることを、僕は祈っているよ。
吉沢愛莉は、某有名大学に入学した。
そこで吉沢さんは、様々な国の語学を学びたいそうだ。
日本だけではなく、色んな国の言葉を学び、コミュニケーションをとりたいのだという。
吉沢さんらしい考えだ。
もし、今度会うときは、英語を一つ、僕にも教えてくれ。最高の発音で言ってやろうじゃないか。
宮本仁は、スポーツで有名な大学に入学した。
高校から始めた陸上を極めるために、日々努力しているみたいだ。
仁のことだ。きっと、将来はプロの陸上選手として活躍するだろう。
親友として、ライバルとして、僕は応援している。
秋山翔太と、最近連絡をとった。
僕は、やっと翔太に、メールを送れたのだ。
翔太は、ちゃんと就職できたみたいだ。料理人の卵として、毎日下積み生活を送っているのだという。
忙しくてなかなか地元に帰れないと、愚痴をこぼしていた。
ゆっくりで良いさ。落ち着いたら、地元に戻ってくれば良い。
僕たちは、どれだけ離れていても親友なんだから……
一流の料理人になったとき、僕と仁に、何か料理を作ってくれ。期待しているからな。
そして僕もまた、自分の道を歩んでいた。
高校三年生で、必死に勉強をした結果、なんとか第一志望の大学に入学することができた。
前々から、工業分野に興味があったため、工業科の大学に入学した。
もちろん、大学の講義は、今までに勉強したことがないものばかりだったので、とても難しい内容だった。
授業時間も、50分から90分に変わり、集中力が今まで以上に必要になった。
だが、やり甲斐はあった。
高校の時のように、やりたくないことをやるのではなく、自分がやりたいことを学び、知識を得るのだから。
毎日が充実した日々だった。
友達もつくることができたし、成績も今のところ良い。
高校の時のように、この先が不安で恐いなんて気持ちは、今の自分にはこれっぽっちもなかった。
「まずい、遅刻する!」
今日は、いつも以上に寝過ぎたみたいだった。
僕は急いで大学に行く準備をし、苺牛乳とパンを持つと、玄関を出て、車庫に向かい、車庫から自転車を取りだし、家を後にした。
僕が通う大学は、自宅から通えるところにある。
もちろん、電車を使わなければ行けないのだが。
それでも、自宅から通えるなんて、自分にとっては好都合だった。
やっぱり、自宅が一番落ち着ける場所だしね。
駅に到着した僕は、駐輪場に自転車を置き、駅の入り口へと急いだ。
次の電車の発車時刻は8時30分。
僕は、現在の時刻を確認した。
−8:25−
なんとか、間に合いそうだ。
定期券を買っているので、切符を買うなんてことはしなくて良い。
僕は、改札を出て2番ゲートへ向かった。そこに待っていたのは、長い階段だった。
この階段を上れば、僕が通う、大学付近の駅に止まる電車が待っている。
僕は、急いで階段を上った。
急ぎすぎたためか、僕は鞄を落としてしまった。
しかも、追い打ちをかけるかのように、鞄から中身が出てしまったのだ。
なんてこった。
僕は、慌てながら鞄からあふれ出た教科書や筆記用具を鞄の中に戻すと、再び階段を上り始めた。
汽笛が鳴る。
僕が、階段を上りきった時には、8時30分の電車は扉を閉め、発車していた後だった。
僕は、走ったために上昇した心拍数を下げるため、深呼吸を一度すると、次の電車が来るのは何時なのか確認した。
−8:50−
ここから大学の駅まで、電車で20分はかかる。
そこから大学まで徒歩10分だ。
僕が受ける講義の開始時間は9時10分。間に合うはずがなかった。
「なんだかなぁ……」
仕方がない。遅れてでも良いから行くか。
僕はため息を一つし、次の電車が来るのを待った。
ふと、空を見上げると、空は雲一つない天気だった。
日の光が、僕のいるホームを照らす。
僕は、自分の顔に左手を翳した。
とても眩しい……だが、11月という寒くなる季節。日の光はとても温かいものだった。
「かぁくん!」
ほんのかすかな声だ。聞き間違いかもしれない、それぐらい小さな声がしたように感じた。
“かぁくん”と、僕のことを呼ぶ人は、この世で一人しかいない。
だが、“彼女”は、もうここにはいない。遠く、離れた場所へ行ってしまった。
だから、聞き間違いだってことぐらい、分かっていた。
それでも、僕は後ろを振り返った。
もしかしたら……そう、願って……
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僕は、その場に膝をつき、泣いた。
僕の目からは、自分でも驚くほどの涙が溢れていた。
遅かった……全てが遅かった……
カノンの想いを知ったのも。
僕が自分の、本当の気持ちに気づいたことも。
そして、カノンに本当のことを言おうと決めたことも。
全てが遅かった……
カノンに気持ちを伝えられないまま、カノンは行ってしまった。
チャンスは、たくさんあった。
カノンに気持ちを伝えられるチャンスは、数え切れないほどあったのに。
僕は、チャンスがなくなって、初めて気づいた。
もっと早く、自分の気持ちをカノンに言っていればと。あの時、カノンの気持ちをしっかり最後まで聞いていればと……
だが後悔しても、カノンはもう戻ってこない。
取り返しのつかないことをしてしまった……
「楓……くん?」
!?
この声は……
僕は、足の痛みをぐっと我慢すると、無理矢理立ち上がり、辺りを確認する。
辺りには、次の電車が来るのを待つ客がいた。
そして、その中に、ある一人の女性が僕の方を見ていた。
肌は白く、髪の毛はセミロングで。
まるで人形のように可愛い女性だった。
僕のよく知る人だった。
いつも、優しい笑顔を見せてくれる人だった。
僕の初めての友達になってくれた人だった。
涙を流し、僕に平手打ちをした人だった。
「カノン……」
そう、僕の事に気づき、僕の名を呼んだのは山下カノンだった。
でも、どうして……
吉沢さんの話だと、さっき出発した電車に乗る予定ではなかったのか。
「さっきの電車に乗るはずだったんだよね?」
僕がそう言うと、カノンは首を傾げながら答えた。
「ううん。次の電車だよ……?」
なるほど……
吉沢さんの奴め……
僕は、カノンの話で把握することができた。
吉沢さんは、敢えて僕を急がせるために、一つ早い電車の出発時間を教えたのだ。
なんて憎いことをしてくれる……
「楓くん、大丈夫?」
カノンは僕のボロボロになった姿を見て、心配そうに言った。
だが、今でもカノンは僕のことを“楓くん”と呼んでいた。
そりゃそうだ。
僕は、カノンを傷つけてしまったのだから……当然の事だ……
「カノン、話がある」
「え?ちょ、ちょっと……」
僕は、カノンの腕を持ち、駅のホームでも人が少ない場所へ移動した。
なるべく人がいないところじゃないと、緊張して、自分の気持ちをうまく伝えることができないと思ったからだ。
この辺りで良いか……
僕は、なるべく人がいない所に行くと、カノンの腕を放し、カノンをじっと見た。
カノンは、僕から視線を逸らし、下を向いていた。
それでも僕は、カノンから目を逸らさなかった。
もう、逃げないって決めたから……
僕は、ぐっと手に力を入れた。
いざ、カノンに自分の気持ちを伝えようとすると、緊張してしまう。
僕は、なんて臆病者なんだ……
それでもカノンに言わなければ……自分の気持ちを。
本当の気持ちを言って、どう思われるかなんて分からない。
だが、言わなければ駄目だと、そう思ったのだ。
これが、ラストチャンス。これが僕に残された最後のチャンスなんだ……
「カノンがさ、ある雨の日。図書室で僕に質問をしたのを覚えてる?」
僕の問いかけに答えることもなく、カノンは黙り、下を向いていた。
「あの時、僕は何も答えることができなかった。いや、答えられなかった……」
「……」
「カノンは、こう言ったよね。あの頃に戻りたいって……」
そう、僕たちが高校2年生になったあの雨の日の図書室で、カノンは僕に一つの質問をした。
“かぁくんは、もしあの頃に戻れるなら、戻りたい?”
と。
何も言えないでいる僕を見て、カノンはこう答えた。
“私は、あの頃に戻りたい……”
と。
あの意味が分からなかった。なぜ、カノンは、あの頃に戻りたいのだろうかと。
僕は、小学生の頃、散々な虐めを受けていた。なぜ、その頃に戻らなければならないのだろうかと。
カノンの言っていることが分からなかった。
「僕も、やっと答えが見つかったよ」
でも、今ならその意味が少し……少しだけど分かる。
だから、僕もちゃんとあの時の質問の答えをしたい。
「僕は……あの頃に戻りたくはない」
僕がそう言うと、カノンは一瞬だけ、僕の方を見た。
だが、僕と目線が合うと、再び目を逸らし、下を向いた。
「カノンと一緒に遊んだこと、一緒に話したこと、一緒に過ごした時間……あの頃の思い出は、本当に忘れられないものなんだ」
「……じゃあ、なぜ?」
カノンは、ようやく口を開いた。
その声は、今にでも途切れそうな、重く悲しい声だった。
「だからこそさ!」
「……」
「あの頃に戻って、何かをやり直したい事なんて、僕には何もない。幸せだったと思えるから……」
そう。
あの頃に戻って何かをやり直さなくても、十分、幸せな日々だった。
カノンと一緒に笑ったり、一緒に遊んだり、時には喧嘩だってしたこともあった。
そんな日々が、僕は幸せだった。
それだけで、僕は虐められていても、辛くなんて感じなかったし、毎日が幸せだった。
だから、あの頃に戻って、やり直すことは何もないんだ。
僕の大切な思い出として、心の中に在り続ければ……戻る必要なんてない。
「そんなの……」
カノンは、僕を睨みつけるように見た。
「そんなの、綺麗事だよ!」
カノンが僕に初めて見せる顔だった。
感情的になるカノン……カノンの表情はまるで、僕に敵意があるようなものにすら感じられた。
僕は、驚き、言葉につまった。
そんな僕を見て、カノンは、少し間をおき、重い口を開けた。
「小学生の時……私が学校を休んだ月曜日のこと……覚えてる?」
「ああ……」
もちろん、覚えているさ。
あの日は、とても強い雨が降った月曜日だった。
その次の日、カノンは学校に来て、学校から去ることをクラスメイトに告げた。
「あの日は、凄い強い雨だったよね……でもね……私……学校に行ったんだよ?」
僕は、耳を疑った。
カノンが月曜日に学校に行った……?
そんなこと、全然分からなかった。
「放課後に、楓くんを待ってたの。いつ、楓くん来るんだろうって……」
「嘘だろ……」
いつ、どこで待っていたんだ……僕の帰宅道と、カノンの帰宅道は、途中まで一緒なはず。
もし、カノンの言っていることが本当なら、僕はカノンに会っていたはずだった。
だが、どう考えてもカノンとは会っていない。なぜだ……
僕は、記憶を辿った。
眠っていた記憶を呼び覚ますかのように、僕は頭をフル回転させた。
……そうか。……思い出した……
その日は、強い雨が降っていたこともあり、僕は親に連絡を取り、車で家に帰ったのだ。
どおりで、カノンを見かけることすら、できなかったはずだ。
「私、その日ね……楓くんに、伝えたいことがあったんだよ?」
カノンは、どこか寂しい表情で僕を見つめた。
カノンの寂しい表情を見るだけで、僕の心は締め付けられるように苦しかった。
「引っ越してしまうことも……楓くんの事が……好きだってことも……」
!?
そんな……
カノンの話を聞いた瞬間、僕の体は小刻みに震え始めた。
カノンは、一度だけじゃなく、二度も僕に告白しようとしていた……
それなのに僕は……
「でも、楓くんは来なかった……。私の気持ちは……届かなかったの」
カノンは涙を流していた。
それでも、僕のことを睨むような目で見ていた。
その表情がとても、切なかった……悲しかった……
僕は、自分自身を憎んだ。
僕は、カノンの気持ちを二度も踏みにじってしまったんだ……
最後の別れの日ですら、僕はカノンと喋ろうとはしなかった。
“さようなら”と言うのが恐くて……
“ありがとう”と言ってしまえば、カノンが学校から去っていくのを認めてしまう気がして……
僕は、それが恐くて逃げていた。
カノンは、逃げずに、自分の気持ちと向き合っていたのに。僕と向き合おうとしてくれていたのに……
「かぁくんは、幸せだったのかもしれない……でも、私は……」
カノンは、言葉に詰まり、下を向いた。
カノンが立っていた地面は、カノンの涙の雫で濡れていた。
あの頃に戻って、ちゃんと気持ちを伝えたいと、カノンは思っていたんだ……
僕は、それなのに“あの頃に、戻りたくない”と、平気で言ってしまった。
もちろん、カノンの気持ちを理解した上で、言ったつもりだった。
だが、やはり、僕は何もカノンのことを……カノンの気持ちを分かってはいなかった。
「……僕は、今の今まで、カノンのことを、誰よりも知っていると思ってた」
小学生から、カノンとは友達で。
カノンと友達になってから、僕は、ほとんどカノンと一緒に行動をしていた。
休み時間は一緒に遊び、放課後は一緒に帰り……だから、僕は、カノンのことをたくさん知っていると思っていた。
知らない事なんてないと、そう思うぐらい、カノンのことは知っているつもりだった。
「でも、僕は何も分かってなかった。分かろうとしてなかった……」
でも、それは勘違いだったんだ。
僕は、カノンのことを何一つ理解してはいなかった。分かってはいなかった。
「カノンと一緒にいる時間は、たくさんあったのに……カノンがこんなに近くにいたのに……僕は、カノンのことを分かっていなかった……」
カノンと一緒にいる時間は、誰よりも多くあったはずなのに、僕は何も分かっていなかった……
「僕の好きな人が、悩み、苦しんでいたのに……僕は、気づいてあげられなかった。それどころか、自分の気持ちに嘘をついて、逃げていたんだ」
僕は、カノンの笑顔しか見てなかった。
カノンは、いっぱいいっぱい悩んでいたのに……それでも、笑顔を僕に見せていたってことすら、僕は気づかなかった。
ただ、カノンの笑顔を見ているだけで良いと思っていたんだ。
だから、カノンの本当の気持ちを理解することもできなかった。
「そして、勝手に焦り、自分の勝手な思いこみを無理矢理押しつけ、好きな人を……傷つけてしまった」
自分の気持ちに嘘を付き、カノンに本当の事を言えないでいる時、堺先輩が現れた。
堺先輩は、素直に自分の気持ちを認め、カノンに告白した。
僕は、焦った。自分が情けなかった。
挙げ句の果てには、カノンを傷つけさせてしまう結果となってしまった。
「それでも、謝ることも、本当の気持ちを伝えることだって、僕はしなかった。」
明日やれば良いさ。
明日があると、僕は、それでもカノンに本当の事を言えることができなかった。
謝ることも、好きだっていう言葉も……
「恐かった……好きな人に、僕の本当の気持ちを伝えてしまうことが……恐かったんだ。」
結果のことばかり考え、僕は逃げていたんだ。
本当に辛い思いをしたのはカノンだったのに、僕は自分が一番辛い思いをしていると思っていた。
「臆病者だよな……最低な奴だよな……」
僕は、感情的になってしまったみたいで、言葉が出なかった。
でも、言わなきゃいけないんだ。
どんなことがあっても……カノンに伝えなきゃいけない。
「カノン……」
カノンは、涙を流しながら、僕の方を向いた。
「謝って済むことじゃないのは、十分承知さ。それでも、言わせて欲しい……」
僕の本当の気持ちを込めて、僕はカノンに言った。
「辛い思いばかりさせて、ごめん……」
「……」
カノンから目を逸らすことなく、僕は力強く言った。
「カノンのことが、好きです。」
「かえで……くん……」
まだ、言い足りない気がしてならなかった。
もっともっと、カノンに自分の想いをぶつけたい。
人の目なんて気にせず、僕は大きな声で言った。
恥ずかしさなんて微塵もなかった。
「カノンのことが、好きで好きで、どうしようもないぐらい、好きです!」
僕の気持ちを、カノンに言えた瞬間だった。
結果なんて、どうでも良かった。
もし、カノンに、僕の気持ちが伝わらなくても……届かなかったとしても……
カノンには、ちゃんと言いたかった。
誰よりもカノンのことが好きだと。誰よりもカノンのことを愛していると。
泣きやんでいたカノンの顔は、再び涙でいっぱいになっていた。
僕は戸惑った。
また、カノンのことを泣かせてしまったのか……
また、カノンに傷をつけてしまったのかと……
カノンは、あははっと笑い、涙を拭いてみせた。
その笑顔は、あの頃の……いつもの、カノンの優しい笑顔だった。
僕は、カノンのその表情を見たとき、どこか安心感を感じていた。
久しぶりに、カノンの温かい笑顔を見れたから……
「かぁくんってさ……」
「?」
カノンは、駅のホームから見える空を見上げながら、僕に語りかけるように言った。
「ほんっとーに、人見知りが激しくて、冷たい態度しかとれなくて、友達いなくて、虐められっ子で……」
「おま……」
「でもね……かぁくんは、逃げなかったよね」
「え……?」
カノンは、再び僕の方に顔を向ける。
その表情は、まるで太……
「かぁくんは、私にとって太陽だったんだよ?」
「何言ってんだよ……僕なんて……」
カノンは、ううんっと首を横にふった。
「かぁくんの通う高校に転校してきて、私は本当に嬉しかった……」
カノン……
カノンも、そんな風に想っていてくれたのか……
「自分のことは、消極的なクセに、友達のことになると熱くなって……でも、空回りして……」
「空回りは余計だっての」
僕が、的確なツッコミを入れる。
カノンはくすっと笑った。
「でも、私は、そんなかぁくんが、好きなんだ……」
「え……」
僕の鼓動は、急激に早くなった。
カノンは、僕のことをじっと見つめる。
こんなに、カノンのことを愛おしく感じたのは、初めてかもしれない。
それぐらい、僕はカノンのことが好きだったんだと、今さらながら思った。
「かぁくん……好きだよ……」
すっと、カノンは僕に近寄り、顔を近づけた。
僕たちのいる駅のホームに、電車が通過した。
僕の唇に、カノンの唇が触れていた。
カノンの唇は、とても柔らかく、とても甘かった。
いつまでも、こうしていたかった。
僕は、カノンの事をぎゅっと抱きしめた。
この手を離したくなかった。
カノン……僕は、カノンのことが好きだ。
カノンの全部が好きだ……
もう、泣かせやしない。もう、傷つけやしない。
僕が、カノンを一生守るんだ。
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やはり、聞き間違いだったみたいだ。
そこに彼女の……カノンの姿はなかった。
電車が来た。
電車の扉が開き、僕は、その電車に乗った。
それでも、声のする方へと、僕は目を向けていた。
学校に向かう学生や、会社に向かう社会人。
様々な人たちが行き交う中、どれだけ探しても、カノンの姿を見つけることはできなかった。
汽笛が鳴り、電車の扉が閉まる。
「カノン……」
悲しくなんてない。
寂しくなんてない。
今は、遠く離れてしまっているけど、必ずまた会える。
その時は、ちゃんとしたデートをしよう。一緒に美味しいご飯を食べて、一緒に遊ぼう。
時には喧嘩もして、時には笑い合って……
あの高校の時のように、修学旅行の時のように……
みんなと笑い合い、騒ごうじゃないか。
電車は、ゆっくりと動き出す。
約束だよ……
必ず会おう……みんなの待つ、あの日のあたる場所で。