P.16 この想い届きますように
今日は、音楽コンテストが行われる。
春祭り以来、僕とカノンは、あれっきり一緒に遊ぶことはなかった。
何度も誘おうと思ったのだが、カノンのことを想うと、決して誘うことなんてできなかった。
僕にできることは、応援してあげることだけ。見守るだけ……
何もしてあげられない自分が、とても情けなかった。
今日、僕の呼びかけで集まったメンバーは、仁、吉沢さん、真之介、山本さんだった。
僕たちは、会場に着くと、受付でお金を払い、指定された席に座り、コンテストが始まるのを待った。
客席は既に、独特な緊張感があった。
こんなところで、カノンも演奏をするのか……
そんなことを考えていると、なぜだかこっちが、緊張してきた。
「内藤氏。山下殿の出番は、まだなのでしょうか?」
ソワソワしながら、僕に尋ねてきたのは真之介だった。
「てか、まだ始まってないでしょ!」
僕がツッコむ前に、吉沢さんがくすっと笑いながら真之介にツッコミを入れた。
こいつ……できる。
「カノンは良いな〜。こんな所で演奏できて……」
羨ましそうな表情でそう言ったのは、山本さんだった。
確かに、同じ音楽部でありながら、カノンだけ音楽コンテストに参加できるなんて、羨ましいと思うのは当たり前だ。
「私の分まで、カノンには頑張ってもらわないと!」
「カノンは、やってくれるさ」
僕はついそんなことを言ってしまった。
「いや〜、カノンは幸せで羨ましいね」
「内藤氏も、なかなかやりますな!」
山本さんと真之介は、僕の方を見ながら、くすくすと笑っていた。
待て待て。
いつ、僕とカノンがそういう関係だなんて分かったんだ。
思い当たる人物は、一人しかいなかった……
僕は、仁の方を向くと、仁は俺じゃないという顔をしてみせた。
じゃあ、誰が……
そんなことをしている間に、コンテストはついに始まった。
音楽コンテストという名だけあって、ピアノだけではなく、サックスやフルートなど、色々な楽器が登場した。
聞き入ってしまうぐらい、どの演奏者達も、本当に凄い上手だった。
カノンは大丈夫だろうか。失敗しないだろうか……
僕はそう思ったが、カノンのことを信じることしかできなかった。
緊張しないで、練習通りやれば、必ず成功するはずだと。カノンだったらできると信じた。
そして、ついにカノンの出番が回ってきたのだ。
ステージ場に立つカノン。
カノンは少し緊張した様子で、演奏の準備に取りかかっていた。
「ついに、山下殿の出番ですな!」
真之介は小声でありながら、テンションが最高潮に達していた。
山本さんや吉沢さんは、カノンの様子をじっと見つめていた。
「カノンちゃん、ちゃんと演奏できれば良いんだけどね。楽しみだ」
仁もカノンの事を食い入るように見ていた。
カノンは演奏の準備が終わると、席に着く。
手に付いた汗を拭き、楽譜を確認する。
今日のために、カノンは毎日毎日、一生懸命頑張ってきた。
受験勉強と両立していかなければならないので、大変だっただろう。
勉強の時間を作っては、コツコツと受験勉強をし、それが終われば、またピアノの練習。
遊ぶ時間なんて、これっぽっちも、カノンにはなかった。
それでもカノンは、一度も弱音を吐かず、頑張っていた。
僕は、一生懸命になって練習をしているカノンの姿を何度も見てきた。
だからこそ、成功させて欲しかった。
今までの努力が全て、この場で報われることを願って……
カノンは、深呼吸を一つすると、演奏を開始した。
僕は、一音一音、丁寧に聞いていく。
凄かった。
決してお世辞ではない、カノンは信じられないぐらい、素晴らしい演奏をしていた。
丁寧に弾くだけじゃない。音の中に力強いものが、繊細な何かがあった。
あの夏休み……
僕がカノンの演奏を聞いたのは、あの夏休み以来だったが、こんなに上手だっただろうか。
いや、やはりカノンは上達したのだ。
休日も部活の練習。放課後も部活の練習。そうやって、毎日毎日努力をし、着実に力をつけたのだ。
カノンは自信に満ちあふれた顔をしていた。まるで、演奏を楽しんでいるかのように。
カノンの演奏している様子を、僕はじっと見つめていた。
そして、カノンの演奏は無事に終了したのだった。
コンテストの結果、惜しくも優勝を逃したが、見事な3位入賞だった。
それでも、3位に入賞できるなんて、立派だ。
周りは、凄腕演奏者でいっぱいなのに、その中で3番目に入ったのだから。
僕は、結果が出た後、カノンの元へと向かった。
すぐにでもお祝いの言葉をかけたかった。
お疲れ様。今度は、ゆっくり休んで、一緒に美味い飯でも食いに行こう。
と、そう声をかけたかった。
最高の労いの言葉をかけてやりたかった。
だが、僕の前に現れた人物は意外な人物だった。
「やぁ、楓くん」
笑顔を見せ、僕に声をかけた人物は、堺先輩だった。
「堺……先輩?」
僕は堺先輩に、コンテスト会場から少し外れた、公園へと呼び出された。
コンテスト会場から外へ出ると、日の光が差し込み、心地よい風が流れていた。
僕と堺先輩は、公園へと到着した。
平日ということもあり、公園には人があまりいなかった。
僕たちは、噴水の近くにあるベンチに座った。
「急にどうしたんですか?」
僕は、早く用件を終わりにしたかった。カノンに早く会って、労いの言葉をかけたかった。
慌てた様子の僕を見た堺先輩は、にこっと笑うと、手に持っていた缶コーヒーを僕に手渡した。
「いただきます」
僕は、堺先輩から缶コーヒーを受け取ると、早速喉の渇きを潤した。
「山下さん……」
「え?」
堺先輩は、ベンチから立ち上がり、僕の方を向いた。
「楓くんは、山下さんのこと……どう思う?」
!?
僕は、飲んでいたコーヒーを吹き出してしまった。
「すみません……」
その様子を見ていた堺先輩は、少し笑みを見せたが、急に真剣な表情になった。
その表情は、少し恐怖さえ感じるものだった。
たった一つだ。たった年齢が一つ上だっていうだけで、ここまで恐怖すら与えられる表情をつくれるなんて……
さすがは、堺先輩といったところか……
「単刀直入に言うよ」
僕も、ベンチから立ち上がり、塗れたベンチを拭いた。
そんなに、吹き出したことが悪かったことなのだろうか……
そんなことを思いつつも、堺先輩の方を向いた。
堺先輩は少し間をあけ、再び話し始めた。
「俺は、山下さんが好きだ」
「えっ……」
堺先輩の思いも寄らぬ発言に、僕は、自分の耳を疑った。
唖然としている僕に、追い打ちをかけるように、堺先輩は話した。
「楓くんには、一言言っておこうと思ってね」
「……」
僕の表情を見ながら、堺先輩はにこっと笑った。
なんだか、その表情がたまらなく嫌だった。
「堺先輩は……」
「ん?」
こんな事を言って良いのか分からなかった。
でも、堺先輩の笑顔を見ると、なぜか悔しかったのだ。
「堺先輩は、カノンの何が分かるんですか?」
そう……
堺先輩とカノンが出会ったのは、たったの2年間ぐらいだ。
それなのに、どうしてそんなに好きだなんて軽く言える?
カノンと一緒にいた時間は、僕の方が長い。でも、僕は一度も好きだなんて言葉、口に出したことはない。
でも、堺先輩は、簡単に好きだと言ってみせたのだった。
「何を分かって、カノンを好きだって言えるんですか?」
堺先輩は、僕が熱くなっているのとは反対に、いつも通りの冷静な感情だった。
「確かに、楓くんよりも、山下さんと知り合ったのは最近なのかもしれない」
「じゃあ、どうして……」
「俺は、これからの山下さんと一緒に過ごしていきたいんだ。」
「これ……から……?」
堺先輩は優しい笑顔を見せた。
まるで、好きな人を想いながら話しているかのように……
「過去なんて、どうでも良い。これから先のことを、好きな人と……山下さんと、共に歩んでいきたいんだ」
全てを否定されたみたいだった。
僕とカノンの昔の思い出を。今までの思い出を……
でも、僕はそれ以上、堺先輩に何も言えなかった。
完全に僕の敗北だった。
“好き”って感情の深さは、一緒にいた時間の長さじゃない。どれだけ、好きな人を想うことができるのか。
堺先輩は、そのことをすでに知っていたのだ。
僕は、一緒にいた時間の長さにこだわり、大事なことを忘れていたのだ。
カノンのことなんて想ってなかったんだ……。僕は、自分が良ければそれで良いと思っていたんだ……
そんな自分がとても恥ずかしく、惨めに思えた。
結局この日は、敗北感だけが残ることになった。
堺先輩が僕に衝撃的な事を話して、一日が経った。
僕は、いつも通り、学校へと登校した。
もちろん、昨日のことは忘れようとしても忘れられずにいた。
仁に、そのことを話したら気にするなと言っていたのだが、どうやって気にせずいられるというのだ。
教室に入ると、いつも以上に、教室全体が賑やかだった。
僕は、自分の席に着き、鞄を机の横にかける。
「内藤氏、内藤氏!」
朝っぱらから、ハイテンションで僕に話しかける真之介。
「申し訳ないんだが、気分が乗らないから、話はまた後にしてもらえるかな?」
我ながら、なんとも紳士的な応対だ。
それでも、真之介は僕に話しかけてきた。
いい加減うるさかったので、仕方なく耳を傾ける。
「ニュースなんですよ!それも大ニュース!」
「分かった分かった。で、何?」
「ほら、山下殿を見てください。」
僕は、真之介の言われたとおり、カノンの席の方に目を向けた。
「!?」
カノンは、髪の毛をばっさり切っていたのだ。
カノンの特徴とも言える長い髪が、今では、肩ぐらいにまで切られていた。
僕は、いてもたってもいられなくなり、自分の席を立ち、カノンがいる場所へと向かった。
カノンは、僕のことに気づいた。
「あ、かぁくん、おはよう!」
「おはよう」
「髪の毛、ばっさり切ったんだ〜!」
カノンは、どこかいつもと様子が違かった。
いつもよりも落ち着きがないような、いつもよりも違う雰囲気があった。
今日のカノンは、とにかくおかしかった。
「どう?似合うかな?」
「……うん、似合うと思うよ」
「そっか、良かった〜」
カノンが、遠い存在になってしまった気がしてならなかった。
この感覚は、いったい何なのだろうか……。
僕はとりあえず、自分の席に戻り、正気を取り戻そうとしていた。
何かの勘違いだ。
昨日、あんなことがあったから、自分がどうにかなっているんだ。
僕は、自分にそう言い聞かせ、動揺を隠そうとしていた。
すると、教室に仁が入ってきた。
仁は、僕が席に座っていることに気づくと、少々小走りで、僕の方に来た。
「楓、おはよ!」
「おう、仁。おはよう」
仁は僕の方に近寄ると、急に真顔になる。
「楓、一つ報告がある。」
「なんだよ、彼女ができたってか?」
僕の冗談を軽く流した仁は、辺りを一度確認し、僕の耳元で呟くように言った。
「昨日……堺ってやつが、カノンちゃんに告白したみたいだぞ」
「は?!」
僕は、仁の衝撃的な発言に、思わず大きな声を出してしまった。
クラスのみんなは、僕の方に視線を送る。
「い、いや、なんでもないんで。あは、あはは。」
なんでもないわけがなかった。
堺先輩は、僕と話しをした後、カノンに告白をしたらしい。
カノンがどんな返事をしたのかは分からないが、なんという急展開だ。
僕は、事実を受け止め切れそうになかった。
カノンを再び見ると、カノンは、吉沢さんたちと昨日のことについて話していた。
その表情はやはり、いつものカノンではなかった。
今日の僕は、何事も集中してやることができなかった。
授業中も清掃の時も、仁達と話している時ですら、僕はカノンのことが気になった。
堺先輩の告白を受けて、カノンはどう返事をしたのだろうかと。
堺先輩の想いは、本気だった。
あの時、堺先輩と話して思った。堺先輩は、カノンのことを本当に好きなんだと。
その想いは生半可なものじゃなく、真剣だった。
結局、全てにおいて集中することができず、気づくと放課後になっていた。
僕は、いつも通り、教室で部活練習のための準備にとりかかる。
「……」
今ですら、僕はカノンのことで頭がいっぱいだった。
髪の毛を短く切ったカノン。いつもと、どこか雰囲気の違うカノン……
あんなに近くにいたカノンが、急に遠いところへ行ってしまったみたいだった。
「かぁくん!」
「うぉっ!」
急にカノンの声がしたので、僕は驚いた。
カノンは、僕の驚いた様子を見て、くすっと笑った。
「そんなに、驚かなくても良いのに!」
「いや、普通にびっくりするよ……ところで、部活は?」
カノンはうんっと頷き、下を向いた。
何かまずいことでも言ってしまっただろうか……
僕がそんなことを思っていると、カノンは再び僕の方を向いた。
「ちょっと……時間良い?」
珍しいカノンの誘いを、断るわけがなかった。
僕たちは、この高校で一番景色の良い、屋上へと向かった。
ドアを開けると、気持ちいい風が僕たちを出迎えてくれた。
なんか、同じようなことが前にもあったような……
僕とカノンは、屋上から夕陽が沈んでいくのを眺めた。
空は夕陽色に染まっており、とても幻想的だった。
「昨日は、おつかれさん。」
「え?」
カノンは、僕の方を見た。
カノンに見られると、どうしても緊張してしまう自分がいた。
だが、昨日言いそびれた事を、ちゃんと言わないと……
「あと……おめでとう」
「ありがとう!」
カノンは、笑顔で僕にそう言った。
その笑顔は、優しく、とても癒される、いつものカノンの笑顔だった。
この笑顔を見たとき、僕はどこか安心した気持ちになった。
僕とカノンは再び、屋上から校庭を眺める。
校庭では、すでに部活練習が始まっていた。
もちろんテニス部員も、準備体操をし、練習の準備を始めていた。
僕は、それでも良かった。練習のことよりも、カノンと一緒にいたかった。
カノンと二人きりになって、こうして話をしていたかった。
「昨日ね……」
カノンは夕陽を見ながら、話し始めた。
「私、堺先輩に告白されたの」
「……」
カノンからその事を聞くと、なぜだか凄く切なくなった。
やっぱり本当だったんだと。
僕は、ショックを隠せなかった。手や足が震え、今にでも泣きだしてしまいそうな感情になった。
「凄く、嬉かった。でも……」
「付き合っちゃえよ」
僕は、カノンの話が終わる前に、心にでもないことを言っていた。
カノンが、堺先輩にどう返事をしたのかが、聞きたくなかったのかもしれない。
「え……?」
驚いた表情で僕を見るカノン。
「そんなに、堺先輩の事が好きなら付き合えば良いだろ。」
「そんな……」
「髪を切ったことも、いつもより妙にテンションが高いことも、全部、堺先輩に告白されたからだろ?」
「待って。そんな、違うよ……」
僕は、なぜか感情的だった。
カノンの言葉が全然聞こえなかった。
全て、僕の予想にしか過ぎないこと。僕が勝手に思っていたことを、カノンに言っていた。
「そりゃそうだよな。堺先輩は、格好いいし、勉強もできるし、ピアノも上手だし。そんな男に告白されたら、嬉しいよな。」
カノンは黙ったまま下を向いていた。
素直に言えば良いじゃないか。
堺先輩が好きだって。
僕みたいな、どこにでもいるような男より、堺先輩のことが好きなんだって。
「もういい。堺先輩と、どうぞお幸せ……」
パンッっという音と同時に、僕の左頬に痛みが走った。
そう、カノンが僕の左頬に平手打ちをしたのだ。
「っ……何する……」
僕は、カノンの方を向いた瞬間、それ以上何も言うことができなかった。
カノンは、泣いていた。
僕は今まで、カノンが泣いた表情を見たことがない。
いつも元気で、明るい笑顔のカノンしか僕は見たことがなかった。
だが、カノンは僕を見て泣いていたのだ。
その表情はとても印象的だった。
僕を睨みつけるように……それでいて、とても悲しんでいる表情だった。
「酷いよ……」
「……」
「こんなの……酷すぎるよ……」
カノンはそう言い残し、この場を去った。
僕は、なんて事を言ってしまったんだ……。
カノンの本当の気持ちを聞くことなく、自分が勝手に思ったことをカノンに押しつけただけ。
僕はカノンを泣かせてしまった。
カノンが好きだ?……何を馬鹿なことを言っている。
僕にそんな権利はない。
カノンを傷つけてしまった奴が、カノンを愛することなんて許されやしないのだ。
僕は、左頬に手を添え、その場に立ち尽くしていた。
カノンはこの日以来、僕のことを“かぁくん”とは、呼ばなくなった。
それは、どんなに辛い虐めよりも、どんなに酷い罵倒よりも、されてほしくないことだった。
次回更新予定日:2月27日