P.15 二人の時間
高校三年生にもなると、クラスでは受験モード一色になっていた。
塾の模擬テストの結果について話す者や、カリカリと音を立てて勉強をする者もいる。
もちろん、就職を目指す者も、面接の本を読んだり、就職雑誌を読んだりしていた。
必死になっているクラスメイトを横目に、僕は何一つやろうとはしなかった。
何かをしなければならない。
そうは思っても、何をしたら良いべきなのか、分からなかったのだ。
僕には夢や希望がないのかもしれない。
就職して働きたいとも思わないし、大学へ行って、何かを学びたいとも思っていない。
むしろ願うとするなら、このまま高校生活を続けていきたい……
でも、時間は冷徹なもので、1分また1分と過ぎていくのだ。
僕と仁と翔太の三人で遊んでいた時は、翔太の家でいつも遊んでいたのだが、翔太がいない今は、仁の家で遊ぶことが多くなった。
今日も、放課後の部活練習がないのを良い事に、僕は仁の家にお邪魔していた。
「楓もなかなかやるじゃないの!」
自分のベッドに座りながら、興味津々に僕の話に耳を傾ける仁。
「そんなことないって。……ただ、遊びに行くだけだよ」
「遊びなんてもんじゃない。それはデートって言うんだ」
仁は、にやっとしながら僕の方を見る。
「ちが……」
僕のズボンのポケットから着信音が鳴り響く。
マナーモードにするの忘れてた……
「お、噂をすれば何んてやら……ってやつか?」
仁がそう言っているのを横目に、僕は携帯を取り出し、内容を確認する。
送信者は……“山下カノン”
本文を見る。
−じゃあ、今度の日曜日の11時、陸橋のところで待ち合わせね!−
返信ボタンを押し、本文を作成する。
−了解。遅れるなよ〜−
送信っと。
「楓。顔がにやけてるぞ?」
「え、嘘?!」
気づかなかった。
真剣にメールをしていたつもりだったのに……
「まぁ、そんな楓も、俺は好きだぜ?」
「だから、仁に好かれても嬉しくないって」
僕が、軽快なツッコミをすると、仁はクスっと笑った。
「でも、言ってくれて嬉しかった。ありがとな!」
仁にだけは、ちゃんと言っておきたかった。
協力してくれるとか、見返りがほしいとか、そんなことを期待して言ったのではなく、一番信頼できる友にだけは、言っておきたいと、そう思ったからだ。
仁は、僕の話を最後まで真剣に聞いてくれた。それだけで、僕は仁に話して良かったと思うことができた。
「俺も、できる限り協力する」
もの凄い真剣な顔で、そう僕に言う仁。
「いや、気持ちはありがたいけど、仁に協力をお願いするほどのものじゃないさ」
何を言っているんだとばかりの仕草を仁はとった。
「楓がカノンちゃんと幸せになることが、俺の幸せでもあるんだ。そうだろ?」
そうだろ?って聞かれても……違うだろと。
「あ、あはは。じゃあ何かあったら頼むわ」
僕がそう言うと、仁は自分の胸をぽんっと叩いて、どこか自信のある表情をみせた。
「任せなさい!」
その言葉は、なんとも頼もしく、なんとも恐ろしいものだった。
カノンと約束をした日は、お互いの部活がない日曜日。
その日は、丁度、この町で有名なイベント、“春祭り”というものが行われる。
桜の散る景色がとても綺麗だ。それに、数多くの露店が連なっており、そこに一日中いても飽きない。
春祭りは、桜の満開が過ぎた頃、一年に一度だけ行われ、毎年、多くの客で賑わう。
僕は去年、仁と翔太とで春祭りに参加したのだが、カノンが一度も行ったことがなかったため、即決したのだった。
カノンと二人きりで遊ぶなんて、夢のようだった。
高校にカノンが来てからというもの、二人きりで遊んだことはないと言っても良い。
でも、今回は二人だけで遊べる。
それを考えただけで、僕は本当に幸せだった。
金曜日の朝。
カノンと約束した日まで、あと2日。
僕は、通学の途中、偶然にもカノンの姿を見つけ、声をかけた。
今日は、お互い朝の部活がなかったため、同じ時間帯に登校したみたいだった。
カノンも一人で登校していたので、カノンと一緒に歩きながら学校へと向かった。
「春祭り楽しみだな〜」
「人がたくさんいて、迷子になるかもね」
「かぁくんじゃあるまいし、迷子になんかならないもんね!」
カノンは、僕の方を向くとアッカンベーとしてみせた。
「けっ。どうせ、方向音痴ですよ〜」
何気ない、普通の会話だった。
でも、カノンと話しているだけで僕は心が癒された。
カノンの表情や態度一つ一つが、僕に元気を与えてくれる。
でも、僕からカノンに与えてあげられるものなんて、あるのだろうか……
僕は、何事も中途半端にしてしまっている。
受験や就職のことなんて、これっぽっちも考えていないし、本気でやりたいことがあるわけでもない。
そんな中途半端な僕が、カノンにしてあげられることは何だろうか……
僕は、カノンの元気な笑顔を見ながら、そう考えていた。
「かぁくん、どうしたの?」
僕のおかしい態度に気づいたカノンは、僕の顔をのぞき込むようにして、訊ねた。
「い、いや。何でもないって。」
急にカノンの顔が近づいてきたので、僕は少々緊張してしまった。
「変な、かぁくん。」
カノンはくすっと笑った。
「山下さーん!」
ふと、男の声が、僕たちの背後からした。
僕たちが、声のする方を向くと、そこにいたのは、堺先輩だった。
「堺先輩!?」
カノンは、驚いた様子だった。
堺先輩は、僕たちの通っている高校を卒業し、大学へ入学した。
堺先輩の通う大学は、僕たちの学校に近い場所にあり、英語科や工業科、音楽科など、様々な学科がある。
もちろん、頭が良くなければ入れない大学だ。
堺先輩は、その大学の音楽科へと入学したというのを、以前にカノンから聞かされたことがあった。
「先週から探してたんだ。良かったよ、見つかって」
あははっと笑いながら、堺先輩は深呼吸を一度し、呼吸を落ち着かせていた。
「堺先輩、急にどうしたんですか?」
「ああ、実はね……」
堺先輩は、自分が持っていた鞄から、ある紙を取り出し、カノンに手渡した。
カノンは、紙を受け取り、それを見る。僕も、内容が気になり、カノンと一緒にその紙を見た。
−第57回 音楽コンテスト−
「これは……?」
カノンが、堺先輩に尋ねる。
堺先輩は、うんっと頷いた。
「山下さん。このコンテストに出てみないかい?」
「え……」
カノンは、とても驚いた表情をした。
それもそうだ。卒業した堺先輩が急に現れ、何かと思えば、音楽コンテストの誘いだったとは。
誘われたカノンもびっくりしていたみたいだが、聞いていた僕も驚いた。
「俺の大学のサークルで、今度、このコンテストを手伝うことになったんだ。」
「手伝う……?」
「あぁ。アシスタントとしてね。そこで、山下さんのことを話したら、是非参加してみないかって。」
「そんな……」
カノンは事実を受け止められないでいる感じだった。
僕も、カノンになんて声をかけて良いのか分からず、ただ、堺先輩の言っていることを聞いているだけしかできなかった。
「それに、このコンテストは、とても有名なコンテストでね。ここで数多くの有名ピアニストが誕生しているんだ。」
「なのに、私が……ですか?」
堺先輩は、そんなことないという仕草をした。
「山下さんだったら、大丈夫。どうかな?やってみる気はあるかい?」
カノンは、再び、堺先輩から受け取った音楽コンテストのパンフレットを見た。
何秒か見た後、カノンは堺先輩の方を向いた。
「……はい!私で良ければ!」
カノンは、やっぱり凄い。
僕が、もしカノンだったら、断っていた。
こんなレベルの高いコンテストに出場するなんて、リスクがありすぎる。
失敗すれば、笑い者。成功して当たり前だ。
それなのに、カノンは、やりたいと言ったのだ。
「そっか!ありがとう。山下さんだったら、やってくれるって思ったよ!」
堺先輩は自分の事のように、嬉しそうな表情をした。
「じゃあ、コンテストの事とか、課題曲、練習も含めて、今度の日曜日、どうかな?」
「日曜日……」
カノンは、堺先輩がそう言うと、困った表情で僕の方を見た。
そう、その日曜日というのは、カノンと約束した日。春祭りに行く日だった。
「ん?どうしたのかな?」
何も知らない堺先輩は、カノンの様子を見て、不思議そうにしていた。
「いや、あの……」
説明しようとしても、うまく説明できずにいるカノン。
そんなカノンを見ていた僕は、つい思ってもいなかったことを言ってしまった。
「やった方が良い。僕の事は良いからさ。」
「でも……」
カノンらしくない表情だ。
僕は、カノンを後押ししたい。そう思った。
「……応援してるからさ。悔いのないようにやった方が良い。」
僕は、自分にできる最高の作り笑いをカノンにしてみせた。
「……うん。……ごめん。」
カノンは何か言いたそうだったが、それ以上何も言うことはなかった。
なんて、馬鹿なこと言っちゃったのだろうか……そう思ったが、これで良かったんだ。
カノンは、ピアノが大好きで、去年の夏休みも、友達と遊ぶことなく、音楽室でずっと練習をしていた。
僕がカノンの練習風景を見たのは一度だけだったけど、一生懸命練習していた。
僕がカノンの邪魔をする権利はない。
音楽コンテストに出るためには、今よりもっともっと練習しなければならない事ぐらい、僕にでも分かる。
ここで、無理に引き止めてしまえば、練習の邪魔をしてしまうことになる。
もう、カノンの邪魔をするのは嫌だった。
そして、何事もなく、日曜日は訪れた。
この日は、見事なまでの晴天だ。
だが、カノンは部活の練習で、春祭りには一緒に行けない……
「だからって、俺の家にかけ込むなよ。」
「まぁ……ええやん?」
僕は、何もすることがなかったので、お決まりのように仁の家に行った。
僕が、金曜日の事を仁に話すと、仁は呆れたような態度をとった。
「そこは、引き止めておくべきだろ。」
「でも、カノンの邪魔をすることはできないよ」
「……ったく。しゃあねぇな。」
仁はそう言うと、急に着替え始めた。
「どうした?」
「どうしたも、こうしたも……ちょっと出かけてくる」
お前って奴は……。
僕が、カノンと遊べなくて寂しがっているのに、一人で出かけるとは何事だ。
「じゃあ、僕も行くよ」
仁は首を横に振った。
「楓は、ここでお留守番!」
仁はそう言うとにこっと笑い、部屋から出て行った。
追いかけて行きたかったが、そのうち戻ってくるだろうと思い、何か時間つぶしになるものはないか探した。
「おお、PS4じゃん!」
仁の家に、最新ゲーム機PS4があるとは……
僕は、こう見えてもゲーマーだ。
今まで、様々なゲームをしてきたが、PS4でゲームをしたことはない。
ソフトを見てみると、意外にもスポーツ系のゲームが一つもなかった。
あるのは、シューティングやテトリス……
って、テトリスとかPS4でやらなくても良いだろうに……
そんなことを思いつつも、僕はテトリスをプレイしてみた。
だが、これがなかなか面白い。
シンプルでありながら、奥が深い。さすがはテトリス……
気づくと、1時間ぐらいはプレイしていただろう。
僕がテトリスに熱中していると、僕のズボンのポケットにあった携帯が鳴った。
僕は、めんどくさいと思いながらも、ポケットから携帯電話を取り出した。
電話だ。
発信者は仁……
「もしもし?」
「楓か?急にすまん!ちょっと俺の部屋使うから、家帰ってくれ!」
「なんだよ、散々待たせておいて、それはねぇだろ?」
(むしろ楽しんだが……)
「急に使うことになったんだ。すまん。今度、飯奢るからさ!」
「……分かったよ。」
「じゃ、そういうことで!」
なんとも失礼な電話だ。
ちょっと出かけてくるから留守番してろと言われて待っていれば、今度は帰れと。
なんとも理不尽なことだ。
今度、高級料理でもご馳走にならなきゃ納得がいかんな。
僕は、そんなことを思いながら一人、自分の家へと帰ったのだった。
家に帰ったところで、やることが何一つなかった。
1週間に1度の休日だっていうのに、何もすることがない。
ゲームもなんか飽きたし、漫画だって、すでに読み飽きている。
だからといって、受験勉強をする気にもなれないし、他の友達と遊ぶにしても、真之介と遊んだら、なんだか負けのような気がするし、翔太はもういないし……田端とは、部活仲間であるが、そこまで仲良くはないし……。
カノンは今頃、堺先輩と一緒にピアノの練習、頑張ってるんだろうな……
僕はそんなことを思いながら、自分のベッドに横になっていた。
僕は携帯のバイブ音で目が覚めた。
気づかないうちに眠っていたようだった。
僕は、ベッドから起きあがると、机の上に置いた携帯電話を確認した。
今度はメールだった。
送信者は……また仁か……
−すまん、楓!ちょっと、先生に呼び出されちゃってさ。一人で行くのも気まずいから一緒に来てくれ。16時に正門で待ってるからな−
「拒否権なしかよ……」
僕は携帯を再び机に置くと、自分のベッドに横になった。
今日は、仁に振り回されてばっかりいるような気がしてならなかった。
仁の家に遊びに行ったのが最後、留守番させられ、家に帰らされ、挙げ句の果てには付き添い役を任される始末だ。
なんだか、今日は付いてない日だ。
時計を見ると、15時を過ぎていたので、出かける準備をし、学校へと向かった。
正門に到着すると、そこには仁の姿がなかった。
僕は時計を確認する。
-15:50-
少し早かったが、普通頼んだ奴が少し早めに来るってのが定石だろ。
ここまで、仁のことがむかついたのは初めてだ。
仁が来たら、ちょっときつく言ってやろう。僕は、そう思った。
何分かして、僕に話しかけてきた人物は意外な人物だった……
「かぁくん?」
僕は、声のする方を向いた。
そこに立っていたのは、カノンだった。
「カ、カノン!?」
僕は、何がなんだか分からなかった。
僕のことを呼んだのは仁なのに、なんでカノンがいるのだろうか……
「え……と……、どうしたの?」
とりあえず、状況を確認しないと。
僕は、カノンに訊ねた。
「宮本君が、練習中に来て……」
カノンの話で全てを理解することができた。
仁は、僕とカノンを会わせるために、わざわざカノンに会いに行き、僕を誘導したわけか。
「仁の奴……」
ふと、僕の携帯が鳴る。
携帯を取り出し、確認すると、仁からのメールだった。
−春祭り、まだ間に合うぜ。行ってこい!−
「お前ってやつは……」
僕は、仁に謝りたかった。
仁は僕のために、丸一日潰してくれた。
それなのに、僕は、仁が僕のことを利用していると勘違いしていたのだ。
そんな奴じゃないことぐらい知っているのに……ごめん、仁……そして、ありがとう……
「カノン、行こう!」
僕は、カノンの腕を持ち、春祭りが行われている場所へ向かった。
「ちょ、ちょっと、かぁくん!?」
カノンは驚いている様子だったが、僕は気にせず走った。とにかく走った。
春祭りは17時で終わってしまう。学校から春祭りの場所まで、走っても30分はかかる。
間に合うかどうかは分からなかった。
でも、僕は走った。カノンと一緒に。
仁の苦労を無駄にはしたくなかった。そして、高校生最後の春祭りをカノンと一緒に……
どれぐらいの時間、走ったのだろうか……
僕たちは、春祭りの行われている場所に到着した。
だが、露店はもうどこも閉まっていた。
時計を確認すると、16:50ジャストだった。
「あと10分あるのに……」
少しでも良い。カノンと一緒に遊びたかった……
だが、春祭りは、もう終わってしまった。なんだか悔しかった。
せっかく仁が頑張ってくれたのに……せっかく、カノンと二人きりになれたのに……
僕は、桜の雨にうたれながら、肩を落とした。
ドーン!
大きな音が鳴り響いた。
「かぁくん、見て!」
カノンが指さす方を見ると、上空には綺麗な花火が打ち上がっていた。
「花火!?」
4月末だというのに、花火か……
花火が上がるには少し明るい空だったが、それでもとても綺麗だった。
僕とカノンは、花火をじっと見ていた。
何を喋るわけでもない、ただじっと花火が打ち上がるのを見ていた。
「かぁくん」
ふと、カノンが僕に話しかけた。
「ん?」
「今日は、ありがとう」
僕は、カノンの方を向いた。カノンは、とても優しい笑顔だった。
「あは、あはは。露店閉まってて、なんもできなかったけどね。」
カノンはううんっと首を横に振った。
「それでも良いの」
「え……?」
花火は今も上空にこれでもかというぐらい打ち上げられていた。
「かぁくんと一緒に、花火が見れただけで、嬉しいから……」
「カノン……」
「あはは。なーんてね!」
カノンはにこっと笑うと、再び上空を見上げた。
僕の心臓は間違いなく早く動き始めた。耳元でドクドクと脈うつ感じが分かる。
僕は、ありったけの勇気を振り絞り、カノンの手を握った。
カノンの手は僕の手よりも、一回りも二回りも小さかった。
それなのに、カノンの手はとても温かい。
この手を離したくはなかった。
カノンは、一瞬だけ驚いた様子を見せたが、カノンもぎゅっと僕の手を握ってくれた。
「カノン、今度はさ……」
「うん……」
「今度はもっと、一緒にいよう……」
盛大に打ち上がる花火を、僕たちは手を握り合ったまま、ずっと見続けていた。
二人だけの時間。
僕とカノンだけの時間。
いつまでも、続くと良いな。
次回更新予定日:2月25日