P.14 君といつまでも……
「かえで〜!」
下の階にいる母さんの声で、僕は目を覚ました。
体を起こし、目覚まし時計を見る。
−AM8:34−
「マジかよ……」
今日は日曜日で、学校が休み。
土曜日は部活練習があるので、完全に休めるのはこの日曜日だけ。
だから、こんな朝早くに起こされた僕の気持ちは最高レベルで悪かった。
なんでこんな休日に……と、愚痴りながらも、布団からゆっくり出ると、自分の部屋を出て、一階に下りた。
「困ったのよ〜。ぜんっぜん、テレビがつかなくて」
一階のリビングに行くと、母さんはテレビのリモコンを持ちながら、困った表情を見せていた。
「壊れちゃったんじゃないかしら……」
「ちょっと、リモコン貸して」
母さんからリモコンを受け取ると、早速テレビに向かって電源ボタンを押してみる。
反応なし。
「やっぱり、テレビ壊れちゃったのかしら……」
母さんがそんなことを言っている間に、僕はテレビに付いてある電源ボタンを押した。
−今日の天気は、晴れの予報です。さて、全国の週間予……−
「お、ついたじゃん」
恐らく、リモコンの電池切れだろう。
「あらあら。リモコンが壊れちゃったのかしら」
母さんは、再び困った表情をした。
僕の母さんは、機械に対して非常に弱い。
例えば、録画にしろ録音にしろ、どうやってやるのかが分からず、いつも父さんに任せている。
パソコンに至っては、電源の消し方……シャットダウンの仕方が分からず、コンセントから引き抜こうとする有様だ。
「多分、リモコンの電池切れだと思うよ。」
「あらそうなの?」
なんとも淡泊な返事だな。
僕は、リモコンから電池を取り出した。単三電池2本で動いてるみたいだな。
「母さん。新しい電池は?」
「えーと……お父さんに任せているから……どこにあるのかしら……」
どんだけ父さん任せだ……
父さんは、日曜日も働いているので今はいない。
僕も電池がどこにあるかなんて、全く検討もつかなかったので、父さんが帰って来ないと、これ以上どうにもならなかった。
「じゃあ、父さんが帰ってくるまで、我慢するしかないね」
僕は母さんにリモコンを返し、自分の部屋に戻ろうとした。
「楓。ちょっと、電気屋まで行って、買ってきてくれないかしら?」
今なんと……
「ちょっと、リモコンがないと不便なのよ〜。だから、お願い!」
母さんは、いつもこうだ。
料理や洗濯など、家事はしっかりやるのに、こういう部分は人に任せようとする悪い癖がある。
「いや、今日は学校が休みだから、もうちょっと寝ていたいんだけど。」
僕は、面倒くさそうな表情をし、母さんに言った。
「ひ、酷いわ!楓をそんな子に育てた覚えは……」
「はいはい。行ってきますよ」
僕がそう言うと、母さんは満足そうな顔をしながら言った。
「そう?行ってらっしゃい」
なんて親だ。
僕は出かける準備をし、家を後にした。
僕の家から電気屋は、そう遠くはない。
自転車で10分かかるかどうか。それぐらい、近いところにある。
住宅街を抜けると、線路がある。踏切がないので、陸橋を渡り、ずっと真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐ進んだ先に電気屋がある。
名前は“スマイリー電気”略してスマ電である。
凄くローカルな電気屋であるが、品物は豊富で、他の電気屋と比べても値段設定がとても低く設定してあるので、何か家電製品を買うときはいつもこの店を利用しているのだ。
家から外に出ると、既に日は昇っていた。
4月という事もあり、それほど寒くはなく、なかなか気持ちがよかった。
「ったく、めんどくさいな〜……」
僕は車庫から自転車を取り出し、スマ電へと向かった。
途中、野良犬に襲われ、もの凄いスピードを出したこともあり、予定よりも早く陸橋へ到着した。
腕時計を見ると、まだ9時を過ぎた頃だった。
「この時間じゃ、店開いてないっての。」
僕は、自転車から降り、陸橋を登った。
頂上までつくと、丁度、電車が陸橋の下を通過するところだった。
僕は、電車が通り過ぎるのを橋の上から、じっと眺めた。
僕は、電車を見るたびに思い出してしまう。
翔太は今頃何をやっているのだろうか。ちゃんと、生活しているんだろうか。
そして、僕たちのことを忘れてはいないだろうかと。
翔太とは、メールのやりとりをしたことは、今までにほとんどない。
メールをしなくても、学校や翔太の家に遊びに行けば、飽きるほど話せたからだ。
だが、今は違う。
翔太は、もう遠いところへ行ってしまった。いつ、帰ってくるかも分からない。
だから、メールをしようと思ったことは何度もあったが、実際にメールを送ったことは一度もなかった。
新規メール作成ボタンを押し、本文を作ろうと思っても、そこでいつも止まってしまうのだ。
翔太に、なんてメールをしたら良いのか、分からなかった。あの頃は、そんなことも考えず当たり前かのように話していたのに……
ふと、現世に戻り、腕時計を確認する。
−11:24−
なんてこった。
気づいたときには、およそ2時間が経過していた。
こんなところで、思いに老けている場合ではなかった。
一刻も早く家に帰らないと、母さんにまたなんて言われるか分からないからな。
僕は、陸橋を降りると、再び自転車に乗り、スマ電へと直行した。
−スマイリー電気−
田舎町にしては、なんともでかい建物だ。
僕は、自転車をスマ電の駐車場の端に止めると、店の中へと入った。
店内も、本当に広く、どこに何があるやら一目では分からない。
しかも、日曜日だということもあり、店内は多くの客で溢れかえり、うるさいぐらい賑やかだった。
とりあえず、電池コーナーに行けば良いんだよな。
僕は、小物が売っていそうな所へ小走りで向かった。
「とにかく、人が多いな……」
人混みをかき分け、電池売り場を探す。
だが、なかなか電池が売っているところが見つからない。
「電池どこだよ……」
つか、なんで僕が電池のために、こんなに必死になってるのかが、とても馬鹿らしかった。
そもそも、僕はリビングのテレビなんて使ったことがない。
それに、日曜日という1週間に1度しかない貴重な休日をこんなことのために半分使うのか。アホかと。馬鹿かと。
だんだん、ストレスが貯まってきた頃、誰かとぶつかってしまった。
ぶつからないように、気を付けていたつもりだったが、ちょっと集中力をきらしてしまったようだ……
「すみません。大丈夫ですか?」
僕は、ぶつかってしまった人の方を向き、すぐに謝った。
その人は、驚いた表情をしていたが、僕には誰だか分からなかった。
こんな可愛い女性と知り合いだっただろうか……
「ええと……どこかで、お会いしましたっけ?」
僕がそう言うと、その女の子はクスっと笑った。
「かぁくん、私のこと忘れちゃったの?」
かぁ……くん……?
そう、僕のことを呼ぶ人は、この世で一人しかいなかった。
「って、カノン!?」
「気づくの遅すぎ!」
学校では制服着用が義務づけられているので、カノンの私服を見たのは小学生の時以来、久しぶりだった。
さらにカノンは、髪の毛を束ね、ポニーテールにしていたので、カノンだと気づかなかったみたいだ。
いつものカノンも可愛いが、今日のカノンは、より可愛かった。
「ごめん。寝起きでさ……」
なんて理由だ。我ながら思った。
「ところで、カノンは何しにスマ電へ?」
僕がカノンに訊ねると、カノンは恥ずかしそうな表情をした。
「ちょっと……ね。」
カノンは僕から視線を逸らす。
「なんだよ。ちょっとって。」
僕は、カノンが向いた方を見た。
そこには、様々な携帯電話が並んでいた。
「ん?携帯……?」
カノンは、僕の方を向き、恥ずかしそうに、うんっと頷いた。
話によると、カノンは携帯電話を買いに、スマ電へ来たみたいだった。
今の今まで、携帯電話を買ったことがなかったらしい。
とても意外だった。社交性があり、行動力が人一倍にあるカノンが、携帯電話を使ったことがないなんて。
なぜ、今になって携帯を買うことになったのかというと、部活などで連絡を取り合う際、携帯電話があれば、外出中に連絡がきても、すぐに分かることができるからだという。
部活も最近、忙しさが増し、それに伴って連絡も増えただろうから、当然のことだろう。
携帯電話の購入のアドバイスをしてくれたのが堺先輩だというのは、ここだけの話さ。
「そっか。じゃあ、僕も一緒に見てあげようじゃないか」
「え、一緒に見てくれるの?助かる!」
「任せなさい。きっと、カノンにぴったりの携帯を見つけてあげようじゃないの」
僕は、どこか自慢気になっていた。
といっても、携帯を選ぶとなると、数分で決まるものではない。
会社だって、BUやCOCOMO。それにHARDBANKなどあるし。
値段によっては、使える機能が様々であるし、色や形も様々である。
僕は、独断と偏見で、カノンに似合いそうな携帯を見つけ、カノンに見せた。
「なんか、色が派手じゃない?」
そうきたか。
活発な性格だから、そのイメージで少し派手目な色の携帯を選んだのだが、違っていたようだ。
「んー、カノンは何かこだわりとかある?」
「こだわり?」
「うん。例えば、機能が豊富な携帯が欲しいとか。色とか形とかさ。」
カノンは、様々な携帯電話を見ながら少し間をあけ、喋った。
「シンプルな柄で、メールと電話ができれば……」
「了解。それさえ分かれば、選びやすい」
僕は、カノンのリクエスト通りのものを探した。
要望さえ分かれば、選ぶのなんて容易いものだ。
「これなんてどうよ?」
僕がカノンに見せたのは、COCOMOのスマート携帯。
色は白一色で、なんともシンプルなデザインである。
「良いかも!」
「ほら、しかもこの携帯、すげぇよ。新機能ついてるんだってさ。」
「へぇ〜。どんな機能なんだろうね」
凄いとは言ったものの、確かに何の機能が新しく導入されているのか、さっぱりだ。
「んん……と、とりあえず、新しい機能さ!」
「そのまんまじゃん!」
携帯電話を一緒に探しているだけなのに、とても楽しい時間だった。
この時は、僕の母さんが天使に見えた。
母さんが電気屋へ行けと言わなかったから、こうしてカノンと一緒にいることはなかっただろう。
「じゃあ、これにしようかな」
カノンは、僕が勧めた携帯を手に取ると、手続きをしに、カウンターへと向かった。
僕はその間に、携帯電話が並んでいるすぐ近くのストラップ売り場へ向かった。
そこには、様々なストラップが置いてあった。
「んー、どれにしよう」
こう、たくさんのストラップが置いてあると、どれを買って良いのか迷ってしまう。
でも、これはカノンに聞くことはできない。ちょっと、びっくりさせたいからな。
僕は、悩んだ挙げ句、購入を決めたストラップを手に取り、レジへと並んだ。
僕とカノンは用事を済ませると、スマ電を後にした。
腕時計を見ると、午後2時過ぎだった。
携帯電話を選ぶのにこんなに時間がかかっていたとは、思いもよらなかった。
「かぁくん、本当にありがとう!おかげさまで、携帯買えたよ〜」
カノンは嬉しそうな表情だった。
「いやいや、お役に立てて嬉しいよ」
僕は、駐車場の端にとめておいた自転車を取り、カノンと並んで、陸橋のある方へと歩いた。
カノンも自転車でスマ電に来たみたいで、二人で自転車を押して歩いた。
「そういえば、カノンは、携帯の使い方わかる?」
「使い方?」
「うん、メールの送信の仕方とか……メアドの設定とか」
「えっと……」
カノンは急に立ち止まり、携帯電話の説明書を取り出し、読み始めた。
「うーんと……5ページか……」
「って、カノン。ちゃんと教えてあげるから、説明書こんなとこで読まないの!」
「あ、あはは。ごめん」
カノンは恥ずかしそうに苦笑いをした。
なんとも、初々しかった。
僕も、最初携帯電話を手にしたとき、何がなんだか分からず、あたふたしてたな。
そんなことを思いながら、僕はカノンに、携帯電話の使い方をできるだけ分かりやすく、丁寧に教えた。
「じゃあ、ちゃんとメール送れるか、試してみる?」
「そうだね!でも、どうやって?」
「僕の携帯……」
ふと、僕は言葉に詰まった。
なぜか、急に恥ずかしい気持ちになったのだ。
「かぁくん、どうしたの?」
不思議そうに、僕のことを見るカノン。
「あ、いや、なんでもない。」
なんでもないわけがなかった。
僕の鼓動は、早くなっていた。
「ぼ、僕の……携帯に送ってみて。メアド……教えるから……」
凄くぎこちない言い方をしてしまった。
カノンは僕を見ながら、笑みを浮かべ、うんっと頷いてくれた。
なんだか、凄く嬉しかった。
別に、告白をしたわけじゃないし、何か凄いことをしたわけでもない。
第一、カノンは僕の友達だ。
友達にメールアドレスを聞くのなんて、朝飯前なはずだ。
でも、相手がカノンになると、どうして緊張してしまうんだろう。
どうして、メールアドレスを交換して、こんなに嬉しいと思うんだろう…不思議で仕方がなかった。
カノンにメールアドレスの登録の仕方を教えながら歩いていると、陸橋に到着した。
頂上に行くと、また電車が通過するところだった。
カノンは立ち止まり、電車が通過するのをじっと見つめていた。僕も、カノンと同じように電車を見つめる。
「秋山くん。今頃どうしてるのかな……」
カノンは、通過していく電車を見つめながら、呟くように言った。
「翔太のことだ。元気にしてるさ。」
電車はもの凄いスピードで陸橋の下を通過していく。
「時々ね、こうやって電車を見ていると、秋山くんのことを思い出すの」
「へ、へぇ〜。」
「私、秋山くんとあまり話したことなかったけど、凄く立派だと思う」
「……立派?」
「うん……お婆ちゃんの死を受け入れて、前を見て進んでいけるなんて、凄く立派だよ」
まるで、自分はそんなことできませんっと言っているように聞こえた。
でも、カノンはしっかり前を見て生きているじゃないか。
僕とは違い、後ろを振り向かず、どんなに辛いことや悲しいことがあっても、前を見て進むことがカノンにだってできているじゃないか。
電車は、もう陸橋を通過してしまっていた。
最近の学校の話をしながら、僕たちは陸橋を降りた。
「じゃあ私、早速家に帰って、メール送るね!」
カノンは、笑顔を見せた。
「あ、カノン」
「ん?なに?」
「……いや……なんでもない。」
「さっきから、かぁくん、おかしいぞ〜」
カノンは、僕のぎこちない様子を見て、笑っていた。
僕はカノンに、このまま一緒に帰ろうと言いたかった。
だが、なぜか口にだして、声に出していうことができなかった。
「今日は、本当にありがと!」
カノンはそう言うと、自転車に乗った。
「カノン!」
「?」
カノンは僕の方を振り向く。
僕は、ポケットから、電気屋で買ったストラップを取り出すと、カノンに渡した。
「え、これ……私に?」
「ほら……うん……その携帯シンプル過ぎるだろ。だから……いや、ついでだよ、ついで。」
「ありがとう、かぁくん!可愛い熊さんだね」
カノンは熊のキャラクターストラップを手に、嬉しそうな表情を見せていた。
もっとカノンと一緒にいたい。もっともっとカノンと話していたい。
僕は、カノンの嬉しい表情を見ながらそう思った。
でも、もうカノンと二人きりになることは、恐らくないだろう。
カノンと二人きりになれたのは、偶然。そんな偶然が続くとは思えない。
カノンは部活や受験で今よりもっと忙しくなり、二人きりになるどころか、話すことだって難しくなるかもしれない。
そんなのは嫌だった。
カノンの笑顔がもっと見たかった。これで終わりだなんて、嫌だった。
「カノン……」
カノンは、笑顔で僕の方を向いた。
「今度は……」
「……?」
「今度は、一緒に、どこか美味い飯でも食べに行こう。」
ついに、言ってしまった。
僕の心臓は、とてつもない早さで動いていた。
ドクドクっと、音を立てて動いているかのようだった。
カノンは、驚く様子をしたが、すぐに、にこっと笑った。
「うん、良いよ!」
カノンから、その言葉を聞けただけで、僕はこの上ない幸福感に満たされた。
また、カノンと遊ぶことができる。一緒に過ごすことができるんだ。
今さらだが、僕はやっと、自分の気持ちが分かった。
僕はカノンのことが……
テレビのリモコンの電池を買い忘れたことに気づいたのは、家に帰ってからだった。
次回更新予定日:2月22日