P.12 体育祭
僕と仁と翔太の関係は、亀裂が入り、元に戻ることはなかった。
翔太の別れの日だけが刻々と近づく……数日も経たないうちに、翔太は僕たちの学校から姿を消すのだ。
今日も一人片隅、翔太は誰と喋るわけでもなく、教室から見える空をじっと眺めていた。
僕は複雑な気持ちだった。
翔太が学校をやめるのが、どうやっても変わらない事実だとするなら、笑顔で送り出してあげたかった。
だが、そう思うたびに、翔太が言っていたことが僕の頭を過ぎるのだ。
“友情なんて使うか使われるかの関係だ”
と。
僕は、この言葉を聞いたとき、本当にショックだった。使うとか、使われるとか。一度も考えたことはなかったし、翔太がそんなことを口にするなんて思ってもいなかったからだ。
だが、事実。翔太は、あの時そう言った。親友だと思っていた関係が、跡形もなく、見事に崩れた瞬間だった。
こんなに絆とは、もろいものなのだろうか……
今日は体育祭の日だ。
体育祭。僕たちの高校では、特別なルールがあった。
体育祭に参加可能な学年は2学年のみ。
クラス対抗戦で、色々な競技で順位を付け、得点を競い合う。
得点は1位が10点。2位が5点。3位が3点。4位が1点となっている。
最後、残った2クラスが、ドッジボールをし、真の1位を決めるというものだ。
もちろん、事前に自分の出る種目は決めておく。ちなみに、僕が出る種目は、男子400mリレーと綱引きだ。
仁は走り幅跳び、高跳び、長距離走、リレーなど、様々な種目を受け持つことになった。
目指すは優勝だ。
優勝すれば、商品券1万円が、優勝したクラスの生徒全員に配られるという豪華企画だ。
僕と仁は、優勝するべく、この日のために体調を万全に仕上げてきた。僕たちに敵などなかった。
体育祭当日。天候は雲一つない、見事なまでの晴天であった。
開会式が終わり、ようやく体育祭が開幕した。
体育祭の前半戦。どのクラスも一歩も譲らない展開を見せていた。
だが、体育祭が中盤になる頃には断然Cクラスがトップの座に立っていた。
さすがは、Cクラスだ。根性のねじ曲がった奴も多いが、運動神経の良い奴も豊富に揃っているだけはある。
次いでAクラス。Dクラス。Bクラスと並んだ。
1位と2位との差は、およそ50ptまで離されていた。
だが、とりあえず2位になれば、最後の決勝戦には出られる。
男子では、仁が、ずば抜けた運動神経で、他クラスを圧倒したが、僕たちのクラスで運動神経が良いのは、仁と田端洋平だけだった。
他はというと、真之介や内山など、オタク揃いであるため、なんとも戦力的には低くなってしまう。
女子では、空手部部長の吉沢さんや、剣道部の根本さんが活躍を見せた。
また、カノンも音楽部でスポーツが不得意とのことだったが、それでも一生懸命頑張っていた。
「カノンおつかれ」
僕は、障害物走から帰ってきたカノンに、事前に買っておいたジュースを手渡した。
「かぁくん、ありがとう!」
カノンは疲労していた様子だったが、嬉しそうな表情を僕に見せてくれた。
次の種目は400mリレーだ。
それが終われば、一旦休憩が入り、そこから上位2クラスが決まる。そして、決勝戦へ。
僕たちは、現在2位ではあるものの、このリレーでビリになれば、2位から3位、4位へと転落する可能性もあり、油断はできない状況だった。
Aクラスの400mリレーの走者は、僕と仁と田端。それに、今日腹痛で欠席した陸上部員の代理で真之介が急遽参加することとなった。
これは、酷い結果になりそうだ。
僕は、嫌な予感を抱えながら、ストレッチを入念に行い、リレーの準備をした。
そして、リレーは始まった。
第一走者は僕だ。
スタートの合図とともに、僕は全力で走った。Cクラスの生徒が僕を追い抜いていく。
なんとか、引き離されないように100mを全力で走り、真之介へとバトンを渡した。
頼むぞ!真之介!
真之介はバトンを受け取ると、腕をぐるぐる回しながら走っていった。なんて、格好悪い走り方だ。
予想通り、真之介はCクラスに距離を離されるだけではなく、BクラスDクラスの生徒にも抜かされていた。
ボロボロになりながらも、真之介は田端へとバトンを渡した。
田端は無表情で、走り始めた。
早い。
田端は予想以上に足が速かった。
ダントツでビリだったのだが、田端の俊足で、400mリレー現在3位のDクラスとの差をこれでもかというぐらい縮めたのだった。
それでも、一人も抜かすことなく、仁へとバトンを繋いだ。
さぁ、残るは仁だけだ。
仁は、田端からバトンを受け取ると、唇を一度舐め、ニヤっと笑い、全力で走った。
僕は目を疑った。
仁は、信じられないスピードでDクラスに追いつき、軽く追い越した。
「さすが仁!!」
「このまま、Bクラス、Cクラスも抜いちゃえー!!」
「頑張れー、仁!」
Aクラスの生徒から仁は歓声を浴びていた。
だが、仁は表情を変えず、このリレーを楽しんでいるかのように、全力で走っていた。
結局、Cクラスを抜かすことはできなかったものの、2位を維持することができた。
「さすが仁だな」
「いやいや、田端や楓の頑張りがあったからだぜ」
仁はそういうと、ニコッと笑い、タオルで汗を拭いた。
休憩時間になり、放送が流れる。
−皆さん、体育祭ご苦労様です。今から、20分間の休憩時間です−
20分か……食堂で飯を食べるにはちょっと短いなと、仁たちと話していると、再び放送が流れた。
−今から、オタクダンサーズによる、アニソンパレードを開始します−
オタク……ダンサーズ?
アニソン……パレード?
僕は何か嫌な予感がした。その予感は、すぐに的中することとなった。
体育祭の行われている校庭の中央には、いつの間にか特設ステージが設けられ、そこに現れたのは、何人ものむっさい男達だった。
その中にいたのが、内山と真之介だった。
「いきますぞー!ふぉーーーー!!!!」
真之介のかけ声と共に、様々なアニメソングが流れ、むっさい男達は揃って踊り始めた。
なんてこった。
てか、真之介の奴。いつの間にステージなんかに……
悪夢のような舞は休憩時間の20分間、ずっと続いた。
僕のリアクションとは裏腹に、周囲のオーディエンスは、大爆笑。テンションもヒートアップしていた。
休憩も終わり、上位2クラスが発表された。
1位はもちろんCクラス。2位は、リレーで頑張った甲斐もあり、僕たちAクラスであった。
上位2クラスが決まると、すぐに、決勝戦の準備が始まった。
ドッジボールのルールも少し変わっていて、外野はない。サドンデスマッチで、ボールを当てられた者は、そこで姿を消していくことになる。
頭にヒットした場合はノーカウント。
どちらか先に、選手がいなくなった時点でゲーム終了。残っていたクラスの優勝となる。
以前は、女子生徒も参加させていたのだが、保護者からのクレームが相次いだため、今年からは男子生徒だけのガチンコバトルとなった。
決勝戦の準備が終わるまでに、僕たちは作戦を立てていた。
とりあえず、ボールがこちらにきたら、仁にボールを回す。
相手から来たボールは取ろうとせず、とにかく避けること。
僕はふと翔太の存在に気づく。
翔太は一人、コートの片隅で、ボーっと、試合が始まるのを待っていた。
翔太……
Bクラス、Dクラスはすでにギャラリーとして、決勝戦を見ていた。
当然のこと、BクラスもDクラスも、Aクラスの応援をしていた。
わき上がる歓声の中、ついに決勝戦が始まった。
さすがにCクラスは強豪で、次々にAクラスの男子を撃破していく。
それに対し、Cクラスの男子はほとんど無傷状態だった。
このままでは、負けてしまう。
仁はそう思ったのか、ボールを避けるのをやめると、全てのボールを取りにいった。
「よぉ、お前、宮本仁って言うんだっけな」
仁は、Cクラスの生徒に話しかけられた。
確か奴は、根崎と言ったか。柔道部にいる根崎だ。
「そうだが、なんか文句あんのかよ」
「いいや。ただ、運動神経がめちゃくちゃ良いらしいじゃねぇか。」
「んー……まぁ、“君より”は、あるかもね。」
ふふっと仁は笑ってみせた。
「一生、その態度ができないようにしてやるよ!」
根崎は、仁に向かって思いっきりボールを投げつけた。
柔道部に入っていると言うこともあり、根崎の投げたボールは、力のある早いボールだった。とても、僕には取れそうにない球だ。
しかし、いとも簡単にボールを取ってしまう仁。
「で、なんだっけ?」
仁は、鼻で笑いながらそう言って見せた。
格好良かった。
自分の運動神経を自慢するわけでもない。人を見下すことも決してしない。
それでいて、運動神経が抜群だなんて、格好いいにもほどがあった。
根崎は、胸くそが悪かったのか、仁たち、Aクラスを罵倒し始めた。Cクラスのお決まりのパターンだ。
「俺はまだ、本気を出してねぇだけだ。俺の本気ボールを食らったら、お前ら……死ぬぜ?」
「……うあーっ!」
急に翔太の叫ぶ声がした。
僕たちは、驚き、翔太の方を向いた。
翔太は小刻みに震えながら、しゃがみ込んでいた。
どうしたというのだ。
根崎が罵倒しただけで、なぜ、こんなに怯えているんだ。いつもの事じゃないか。
僕は考えた。鈍感な頭をフル回転させ、考える。
そうか……
僕は気がついた。
翔太が急に怯えた理由がなんなのか。
確か、根崎が仁に向かって罵倒したとき「死ぬ」と言った。
それが原因だと、僕は直感的に思った。
“死”なんて言葉、普段の会話の中ですら、最近では使う人が多い。
「殺すぞ」とか「死ね」とか。そんなことを当たり前のように言う。
そういう奴に限って、“死”というものを、間近で経験したことはない。
翔太は、大切だった人を失った。それも、この世で一番大切だった人をだ。だから、翔太にとって“死”とは、言葉ですら恐怖のなにものでもないのだ。
翔太は一人コートにうずくまると、ガタガタと体を震わせていた。
それを見ていた根崎は、見下すように翔太を見た。
「はは!だっせ!こいつ、怯えてるじゃん」
ひとさし指にボールを乗せ、そのボールを回転させながら、笑みを浮かばせ、翔太を見る根崎。
根崎だけじゃない。Cクラスの全員が、翔太を見て笑っていた。
ただ罵倒しただけなのに、怯え、コートにうずくまっている。なんて弱虫な奴だ。なんて臆病な奴だ。
そう言っているかのようだった。
「……はぁ……はぁ……」
翔太は、あまりの恐怖に意識が飛ぶ寸前だった。
Aクラスの生徒達、それにDクラスやBクラスも、翔太のことを心配そうに見守っていた。
それでも、Cクラスは翔太のことを見て、笑っていた。
僕は、仁の方を見る。
仁は、下を向き、必死に感情を抑えている様子だった。
本当ならば、仁はCクラスの奴にがつんと一言、言い返しているだろう。
だが、今の仁は、下を向き感情を抑え、翔太のことを庇おうとはしない。僕は、その理由がなんとなく分かった。
そう、仁もまた、“友情なんて使うか使われるかの関係”という言葉が頭を過ぎっているのだろう。
もう、親友なんかじゃない。もう、友達なんかじゃない。仁はそう自分に言い聞かせて、感情を押し殺しているのだ。
本当にそれで良いのかよ。仁。
僕たちの絆って、そんなにもろく、儚いものなのかよ……
違う……絶対に違う!
翔太は、2−Aのムードメーカー的存在で。いつも僕たちに笑顔を見せ、ハイテンションで、元気を与えてくれた。
共に笑ったことも、共に泣いたことも、喧嘩したことだって僕は覚えている。
お婆ちゃんのことが大好きで、翔太の家に遊びに行くと、いつもお婆ちゃんの話を楽しそうに話していた。
そんな翔太が……僕たちを“使う使われる関係だ”と、そう思うはずがない。
翔太は、一人で何もかも背負っていこうとしているんだ。
僕は、一人震える翔太を見ながら、ぐっと拳を握った。
次回更新予定日:2月14日