P.11 亀裂
翔太が学校を休んでから、丁度一週間が経った。
僕と仁は、翔太が休んで一日目や二日目ぐらいまでは、風邪でも引いたんじゃないか。脳天気な翔太のことだから、何かちょっとしたトラブルでも起こしたのではないかと、笑い話のネタにしていた。
だが、三日、四日と日が経っても、翔太が学校に来ることはなかった。
僕たちは、少々心配になり、メールを送った。だが、翔太からメールの返事が来ることは一度もなかった。
2時間目の休み時間。
僕たちがいる教室は、翔太がいないからなのか、いつもよりも静かな雰囲気に感じられた。
これほど翔太という人物は、2−Aのムードメーカー的存在として、大きく活躍していたのかと、この時ばかりは、ひしひしと感じることとなった。
「翔太の奴。どうしちまったんだ?」
僕がいる席に仁は来ると、心配そうな表情をしながら、僕に尋ねた。
「んー、どうしたんだろうね。メールの返事も来ないし」
僕も、なぜ翔太が学校を休んでいるのか、検討もつかなかった。
翔太は、ちょっとやそっとの病気では、学校を休む奴ではない。僕たちが高校一年の時、翔太は風邪を引いて熱があるのにも関わらず、学校を休むことなく登校してみせた。
「風邪で学校を休むなんて、風邪に負けたみたいで嫌だ」と話していたぐらいだ。
だが、そんな翔太も、一度だけ学校を休んだことがあった。それは、お婆ちゃんが風邪を引いて、熱を出したときだった。
自分のことはお構いなしなのに、お婆ちゃんのことになると、なぜか熱くなる翔太。
だから、今回もお婆ちゃんが風邪を引いて休んだのではないか。と、僕と仁との間で予想したのだが、それにしても、一週間経った今でも、翔太は学校を休んでいる。これは、不自然であった。
もちろん、この日も翔太は学校に来ることはなかった。
水曜日の朝。翔太が学校を休んで8日目になった。
「翔太の奴。どうしたんだろうな?」
「何か、大きな事件に巻き込まれたんじゃないの?」
翔太の異常な欠席の多さに、僕や仁たちだけじゃなく、2−A全体が、翔太を心配するようになっていた。
体育祭が、来週あるというのに、肝心のムードメーカーがいないとなると、2−Aのテンションも上がらないだろう。
−翔太どうした?みんな待ってるぜ〜−
−病気になったか?見舞い行ってやるから、連絡ぐらいよこせよな−
僕と仁は、翔太にしつこいと思われるぐらいの、メールを送った。
だが、翔太からメールが送られてくることは一度もなかった。
心配だった。最初は、すぐ学校に来るだろうと思っていたのに、もう8日も経っている。
僕や仁だけじゃない。真之介や吉沢さん、カノンだって、翔太が学校を休んでからというもの、相当心配している様子だった。
朝の会のチャイムが鳴った。
僕たちは自分たちの席に戻り、担任のいっちーが来るのを待った。
チャイムが鳴り終わってから何分か経ったあと、いっちーが教室へと入ってきた。
「内藤氏。磯辺先生の様子が、おかしいですよね?」
隣の席の真之介が、首を傾げながら僕に尋ねた。
確かに、いっちーの表情はいつもの機嫌の良さそうな表情ではなく、暗く険しい表情だった。
誰か、悪いことでもしたのだろう。
ふと、いっちーのあとに続いて、教室へ入ってきた人がいた。
「翔太!」
僕と仁は、ほぼ同じタイミングで席を立ち、同じセリフを言った。
翔太と、8日ぶりの再会だった。
「……」
「翔……太……?」
だが、今日の翔太は、いつもの翔太ではなかった。
いつもなら、テンション全快で教室に入ってくる翔太が、今日はやけに大人しい。
それに、病気になった人みたいに、体は痩せ、やつれている様子だった。
「宮本、内藤。とりあえず、座りなさい」
「はい……」
僕と仁は、いっちーの指示通り席に座った。
なんだ、この違和感は……どこかで見た光景と似ている気がする……
「どうしたのでしょうか、秋山氏……元気がないみたいですね」
真之介も、随分と心配した様子で、翔太のことを見ていた。
いや、僕や仁、真之介だけじゃなかった。
2−Aにいる誰もが、翔太を心配そうな目で見ていたのだ。
翔太は、下を向き、暗い表情だった。
「みんなも、分かっていると思うけど……翔太は、ここ一週間ほど学校を休んでいたわよね?」
確かに休んでいた。それがどうしたというのだ。いったい、何があったんだ……
僕たちは、食い入るように、いっちーの話を聞いていた。
「それがね……」
いっちーは、一息呼吸を入れたあと、再び喋り始めた。
「翔太のお婆ちゃんが、先週、亡くなったの」
!?
まさか……嘘だろ?!
あの、元気そうだった翔太のお婆ちゃんが死んだ?!
僕は、その事実を認めることができなかった。
翔太の方を見ると、翔太は黙り、ただただ、下を向いていた。
教室は一時騒然となった。
それもそうだ。翔太のご家族が亡くなったと聞いたのだから。衝撃を受けて当然。このリアクションは想定されることだ。
いっちーが、消火活動に入り、なんとか教室は静けさを取り戻した。
「翔太の友達は分かっていると思うけど、翔太はお婆ちゃんと二人きりで暮らしていたの。」
そうだ。翔太は、お婆ちゃんと二人で暮らしていた。
翔太の母は、翔太が小さい頃、精神の病で自殺をし、父は、度重なる出張で家を出たままだった。
翔太の面倒を見ていたのは、お婆ちゃん。ただ一人だった。
「お婆ちゃんが亡くなって、ここで生活するのが困難になったらしいわ。」
僕は、いっちーの言っている意味がよく分からなかった。
結論から言うと、どういうことなのだろう…
すると、僕の心を見透かしたように、いっちーは話を続けた。
「だからね。体育祭が終わったら、翔太はお父さんと一緒に住むために、この学校をやめることにしたのよ。」
やめる!?翔太が、学校を?
これもまた、認めたくない衝撃的な話だった。
再び、教室が騒がしくなる。
「ほんとかよ、翔太!!!」
そんな中、仁の声が、教室全体に響き渡った。
僕もその声に驚き、後ろを振り返る。
仁は、席から再び立ち、じっと翔太の方を見ていた。
「おい、本当なのかよ!」
「宮本。ちょっと、落ち着きなさい」
「これが落ち着いて聞ける話かって!おい、翔太!」
仁は、今までにないぐらい、感情的になっていた。
感情的になっていたのは、仁だけじゃなかった。僕も、もちろんショックを隠しきれないでいた。
手や足は震え、言葉に詰まる感覚だ。
なぜだ。どうして、やめるなんて事になっている。それも体育祭後にやめるなんて、1週間とちょっとしかないじゃないか。
「……本当さ」
「何だって?」
仁がもう一度、翔太に聞き返す。
僕も、前を向き、翔太の方に目を向けた。
「磯辺先生が言っていたことは、全部本当だよ」
翔太から出た言葉は、耳を疑うようなものであった。
クラスは1時間目の授業が終わった今も、騒然としていた。
バン!っと、机を叩くような音。
休み時間だというのに、僕たちの教室はその音で、シン……と静まりかえっていた。
僕も、何が起きたのか辺りを見回すと、仁が翔太の机を叩き、翔太に問いつめている光景があった。
「どういうことだよ、翔太」
「どうって、さっき話した通りさ」
翔太は、何を言っているんだという表情を仁に見せていた。
どう見ても、いつもの翔太ではなかった。
「そうじゃねぇよ。なんで、俺たちに何も言わなかったんだよ」
「……」
翔太は再び黙り、下を向いた。
「おい、人の話聞いてんのかよ!」
仁は翔太の胸ぐらを掴んだ。
教室からは、悲鳴ともとれる声が聞こえる。
「やめなよ、仁。やりすぎだよ?」
さすが、生徒会長の吉沢さんだ。
翔太と仁のもめ事に気づくと、すっと仲裁に入ってきた。
「ちょっと、黙っててくれ。これは、俺たちの問題だ」
部外者は近寄るな。そう、言っているようだった。
圧倒的な威圧感だ。
さすがの吉沢さんも、これ以上何も言えないみたいだった。
真之介やカノンも、仁と翔太の様子を黙って見ていた。いや、黙って見ていることしかできなかったのかもしれない。
「翔太が心配で、メールだって何回も何回も送ったりしたんだ。俺だけじゃない。楓だって、お前のことが心配で……」
「……にが分かるんだよ……」
翔太は仁の顔を睨みつけるような目で見ると、再び大きな声で言った。
「お前に、何が分かるんだ。って言ってんだよ!」
「……」
「ばっちゃんはな、俺の大事な人だったんだよ。この世で一番大事な人だったんだよ!大事な人が急に消えちまったんだ!」
翔太は、体を小刻みに震わせ、それでも仁を睨みつけるように見た。
「分かるか?それが、どんな気持ちか、仁に分かるかよ!」
「分からないさ!だけど……だけど俺たち……親友だろ?なのに、なんで何も言わないで……」
「親友だ?」
翔太は、仁の話を横切り、鼻で笑った。
「笑わせんなよ……何が親友だよ。何が友情だよ。結局、友情なんて、使うか使われるかの関係しかないん……」
もの凄い音がした。
仁が、翔太を殴ったのだ。
翔太は、勢いよく転倒し、その勢いで近くにあった机もいくつか倒れた。
教室からは、またしても悲鳴のような声が聞こえ、騒然となっていた。
僕は、唖然とその光景を見ていたが、仁が翔太を殴った時、ふと我に戻り、仁を止めに入った。
「見損なったぞ!お前ってそんな奴だったのかよ!」
仁は、僕の腕を払うと、教室から出て行った。
翔太は、仁に思いっきり殴られたからなのか、倒れたまま動かなかった。
吉沢さんも、仁と翔太のやりとりに見入ってしまったらしく、今さらながら翔太の方へと駆け寄ってきた。
「ごめん、吉沢さん。翔太のこと頼むわ。」
僕は吉沢さんに翔太のことを任せると、仁を追いに教室を出た。
こんなに感情的になった仁を見たのは初めてだった。
見た目は不良っぽいが、根は凄く良い奴で。
自分の悪口を言われても平気でいられるくせに、僕や翔太の悪口を言っている奴には無気になる仁。
僕や翔太だけじゃない。偏見せず、誰に対しても優しく接することのできる仁が、翔太を殴ったのだ。
僕は、仁を探した。
授業なんてどうでも良かった。とにかく、仁に会わなきゃ。そう、思ったのだ。
だが、2時間目の授業を潰して探しても、仁の姿はどこにもなかった。
仁と会えたのは、放課後だった。
僕は、職員室に呼び出された。なにやら、今日のもめ事の当事者として、事情を聞くとのことだった。
僕が職員室に入ると、仁の姿があった。仁は、いっちーに酷く説教をされているみたいだった。
仁は、僕の存在に気づくと、照れ笑いをしてみせた。
仁の様子を見たとき、僕は、なんだか安心した。いつもの仁に戻っていたから。
感情的で、人を威嚇するような状態ではないのだと、確認できたからなのかもしれない。
なんとか説教と事情聴取が終わり、僕たちは職員室を後にした。
「ごめんな、楓」
照れ笑いをしながら、仁は僕に謝った。
「なぁに……謝る事なんてないさ」
放課後ということもあり、廊下を歩いても、人とすれ違うことはほとんどなかった。
僕たちは、鞄を取りに自分たちの教室へと向かった。
「なぁ、楓……」
「ん、どうした?」
「ちょっと、付き合ってくれないか?」
急にどうしたのだろうか……
だが、迷うこともなく、僕は仁に返事をした。
「良いぜ」
僕たちは、自分たちの教室に戻り、鞄を取ると、学校の屋上へと向かった。
屋上に到着し、扉を開けると、スーッと心地よい風が僕たちを出迎えてくれた。
空は夕陽でオレンジ色となっていて、なんだか幻想的である。
「んー、やっぱり屋上は気持ちいいな!」
仁は背伸びをしながら、気持ちよさそうに言った。
「だな。今から、ぐっと寒くなるんだろうな。」
「また、夢のないことを。」
仁は僕の発言にふふっと笑った。
そして、空を見ながら、大きく深呼吸をし、屋上から学校全体を見渡した。
「俺たちがさ……」
「ん?」
僕は、仁の隣の位置で、仁と同じく学校全体を見渡した。結構高いんだな…ここ。
「俺たちが出会って、友達になってから、まだ2年しか経ってないんだよな」
「まだ、それしか経ってないのか…」
「でも、俺はこの高校に来て、絆の深さって年数なんかじゃないんだ。って、思えたんだ。本当に友と呼べる存在に出会えたと思えたから……」
仁は少し間を置き、再び話し始めた。
「でも、俺だけだったのかな……」
「え?」
「俺だけが、楓や翔太のこと、親友だと思ってたのかな……ってさ」
そんなことないって、言いたかった。
でも、翔太が見せたあの態度が僕の頭を過ぎると、僕は仁に何も言うことができなくなった。
「なんか俺、凄くダサいよな〜。一人で親友ぶってたのかって。」
仁は笑っていたが、その横顔はどこか寂しく、悲しい表情であるかのようだった。
「僕は……親友だと思ってるよ。今でも。仁や翔太のこと。」
僕が今言えることは、これだけだった。
「親友を殴っちまった……俺は……最低だよ」
仁は、自分の拳を見つめていた。
この時、仁の本当の気持ちが分かったような気がした。
仁は、決して翔太に対して、怒ってなどなく、僕と同じ気持ちだったのだ。
親友だと思っていた翔太の態度が寂しかっただけ。
翔太のお婆ちゃんが亡くなったことも、学校をやめることも。無論、僕たちにできることは何もなかったのかもしれない。でも、一言言って欲しかった。それが、本当に残念だった。
翔太は言った。“友情なんて、使うか使われるかの関係だろう”と。
僕たちは、それだけの関係だったのか。
一緒に飯を食いに行ったり、ゲーセンで遊んだり、なんてことない会話で楽しんだり。時には喧嘩し、時には笑い合った。
それ全てが、偽りだったのだろうか。
日が沈むのを僕たちは、ただいつまでも見続けていた。
この日から、僕と翔太と仁の関係には、大きな亀裂が入った。
休み時間に喋ることも、一緒に帰ることも。一緒に遊ぶことだってしなくなった。
無情にも、翔太との別れは、刻々と近づいていた。
次回更新予定日:2月13日
第一話分掲載予定