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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第五章 橋姫
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橋姫<10>

 大小たくさんの墓石が並ぶ。なる程、お沙世の墓石があると思われる一画は墓石も古く、彫られた字は判読ができそうもない。


「それ、そこの大きい墓石があるじゃろ、それは寛政十一年と読めるので、お沙世もその頃じゃ」

「分かりました。この辺りで探ってみます」


 晴茂は呪文を唱え始めた。長屋(ながや)坊は、その様子を少し後ろから眺めていた。ややすると、墓石が一つずつ順に微かにぽっと明るくなるのを目撃した。晴茂は、小声で呪文を唱え続けている。ふぅっと明るくなって直ぐに元に戻るもの、明るくなって暫くはそのままのもの、晴茂が墓石と会話をしているように見えた。


 琥珀は、晴茂の横で片膝を付き緊急事態が起こった場合に備えている。天后(てんこう)は、やや離れて反対方向を向いて立ち、これも緊急事態に備えていた。お沙世の持ち物など生前に使っていたものがあれば、もっと簡単に霊と交信できるのだが、余りにも古すぎるのでそんな物はない。晴茂はひとり一人の霊と交信をしているのだろう。


 目を閉じながら呪文を唱えていた晴茂の目がきりっと開いた。それと同時に、ひとつの墓石がこれまでの微かに明るくなった変化ではなく、明らかに白く光り出した。晴茂は、呪文を止め、その墓石に向かって語りかけた。


「お沙世さんですか」


墓石はやや光を増した。


「僕は陰陽師安倍晴茂と言います。尋ねるべき事柄があり、無礼にもお呼びしました。お姿をお見せください」


光っていた墓石から白いぼんやりとした明かりが抜け天高く飛んだ。目を戻すと、墓石の前に一人の婦人が立っていた。


「おおっ!」

長屋坊は、驚いて数歩後ろに下がった。


 現れた婦人は、現実の人間のようにしっかりとした姿だ。三十路をやや過ぎた年齢だろうか、顔立ちがきりりとした面長の美人だ。お沙世の視線は真っ直ぐ晴茂に向いている。


「二百年を過ぎてから呼び出されるとは思ってもみなかった。安倍の陰陽師、何か尋ねる事がおありか」

お沙世の霊は、しっかりした声を出した。


「あなたが、火喰い鶏の生贄として婆娑(ばさ)橋を渡った時、綾小路(あやこうじ)様を見たのは事実ですか」

「ほほほほ、あまり思い出したくない話です。綾殿は見ました」


「その時、綾殿はどなたかと一緒でしたか」

「そうでしたね。殿方と一緒でした。殿方は、あなたと同じ陰陽師」


それを聞いた琥珀、天后の目が一瞬驚いた。晴茂は平然と相槌(あいづち)を打つ。


「やはり…」


「おや、知っていましたか。あの広場の生贄の小屋で震えていたわたくしを、三日目に帰ってもいいと言ったのも、その陰陽師」

「なる程。ところで、綾殿は橋姫と呼ばれる妖怪だと知っていましたか」


「もちろんその頃は知りません。綾殿は、一番のお友達でしたから。橋の守り神だと知ったのは、わたくしが死んでからです」


「綾殿は、その陰陽師に惚れてしまったのですか。自分が封じられると分かっていながら、陰陽師の許を離れられなかった。あなたを救いに陰陽師が小屋に来たとき、綾殿も一緒だったのですね。そして、綾殿は陰陽師に裏切られた。そういう事ですか?」


晴茂は、自分の推理を話した。


「ほほほほ、そこまで分かっているなら、わたくしを呼ぶ必要はなかったでしょう。でも、最後のところは違います。綾殿は陰陽師に裏切られたとは思っていなかったでしょう。きっと結界の中で陰陽師が来るのをずっと待っていたのでしょう。今でも待っているはずです」


「そうですか。裏切られたとは思っていない。それを聞いて安心しました。綾殿は今、結界が破れて自由の身です。お沙世さんは綾殿に会われますか?」


「そうですか、綾殿は自由の身になったのですね。でも、わたくしにしてみれば、もう過ぎ去った事…」

「お沙世さんは、火喰い鶏に会った事はないのですね」

「会った事はありません。火喰い鶏がわたくしを知っていたかどうかは、分かりません」

「有難うございました。僕の知りたいことは、ここまでです」


 お沙世の霊は、逆に晴茂に頼むことがあった。


「安倍の陰陽師とやら、あなたは火喰い鶏や綾殿を封じた陰陽師とは、違う気持ちをお持ちです。綾殿の心を静めてやってください。綾殿は妖怪には違いありませんが、邪悪なものではありません。純粋な心を持っていると、わたくしは今でも信じております」


「分かりました。ご安心ください。僕もそのように考えています」

「それから、綾殿に会うのなら、これを…」


お沙世の霊が手を晴茂の方に差し出した。その指先から純白の真珠玉が(こぼ)れ、白く光りながら宙に浮いた。


晴茂はそれを手の平で受けた。何と美しい真珠だろう。いかなる汚れも洗われるような純白だ。真珠玉を晴茂が受け取ったのを見届けたお沙世の霊は、すっと姿を消し、元通りの墓石が並ぶ風景に戻った。


 晴茂は真珠玉を愛おしく握りしめた。橋姫は嫉妬心が出ていないのだ。むしろ自分を封じた陰陽師に恋焦がれているのだ。それなら、それ程手強(てごわ)くない。


晴茂は、まず火喰い鶏と橋姫を封じた芦屋家の陰陽師が誰か、調べる必要があると考えた。江戸時代中期だから今の当主である芦屋甚蔵(じんぞう)に聞いても分からないだろう。これは芦屋家の開祖道満(どうまん)に聞くしかない。


『道満とは話したくないが、仕方がないか』

晴茂は、琥珀と天后を残して故郷の修行の(ほこら)に飛んだ。


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