予兆<9>
「それはそうと、あの白坊主はどこから来たのでしょう。妙輪寺あたりに封じ込めた結界があるのでしょうか。おじさん、知らないですか?」
「このあたりは我々陰陽師が代々住んでいた土地だから、異界の者は近づかないはずだが、……」
「そう、そうなんですよ。だから、どこかの結界が破れたんですよ、きっと。あの近くの結界が。でも、白坊主なんて小物の妖怪ですね。やつらだけが出て来るとは思えません。どこかにもっと厄介な妖怪が潜んでいるかも知れない。それに、結界が破れたのなら誰がどうやって破ったのか」
「この土地では、昔から魔除けの呪術が埋め込まれているからな、妖怪は自由に動けないはずだ」
「そうか、魔除けが働いているんだ。だから、妙輪寺の楠に集まっているんだ」
晴茂には陰陽師としての知識が、晴明によって注ぎ込まれたようだ。穴の中に入る前には言葉すら理解できなかった晴茂だが、今では甚蔵を上回る知識になっている。白坊主の扱いをどうすればいいか、晴茂には分かっているようなのだ。
問題は、なぜ白坊主が現れたのか、あるいはずっと前から妙輪寺には住みついていたのかだ。以前から住みついていたのなら、甚蔵が見過ごす訳はない。だから、どこかの結界が破れて、最近異界から出てきたとしか思えない。そして、結界が破れたのなら、そこには白坊主だけが封じ込められていたわけではないだろう。他の妖怪もいるはずだ。
晴茂は肩の朱雀にブツブツと話しかけた。朱雀は飛び立つと一直線に出口に向かい飛び去った。
「上空から破れた結界の場所を探すように朱雀を働かせました。今夜中には分かるでしょう」
甚蔵は、朱雀を使う晴茂を目を丸くして見るしかなかった。
しばらくして、穴の入り口が青く光った。そして圭介が這い出してきた。
「圭介!大丈夫か!」
甚蔵は駆け寄った。すっかり憔悴している。
圭介は、『頭が痛い!』と、か細い声で甚蔵に訴えた。甚蔵は、自分の経験から最も辛い時だと思った。『しっかりしろ、圭介!』と励ますのが精一杯だ。甚蔵は回復の呪文を何度も唱えたが、効き目はない。圭介は、頭の中心が割れるように痛い、それに道満の声が、道満の呪文が頭の中を駆け回っている。手足も痺れて思うように動かない。穴を出たところで頭を抱えながら唸っている。
そんな様子をしばらく見ていた晴茂は、圭介に近づくと、甚蔵に言った。
「もういいかもしれない。甚蔵おじさん、少し離れてください」
甚蔵が離れると、晴茂は右手の手の平に呪文を一言吐くと、その手の平の呪文を圭介に向かってふぅっと息で飛ばした。
圭介の苦しみが徐々に戻ってゆく。晴茂は屈んで右手を圭介の頭に当て、『とうっ!』と気合を入れた。圭介は目を開けた。手足の痺れも、頭痛も消えた。道満の声も聞こえない。気分が晴れてゆくのを感じた。
「圭ちゃん、どう?もう、大丈夫だろ」
晴茂の声で圭介は我に返った。甚蔵が駆け寄って圭介の顔を覗き込んだ。
「晴茂、親父、…何か気分がいいよ。」
圭介のそれまでの苦しみ様からは想像できない明るい笑顔で答えた。そして三人は手を取り合って笑った。甚蔵は、晴茂の回復の術を見て、改めて晴茂の実力の高さを認識したのだ。