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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第四章 枕と夢(枕返し)
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枕と夢<19>

 その頃、琥珀は冴子と里美と一緒に部屋にいた。経立(ふったち)が里美を狙っているのが明らかになった今は、琥珀はこの二人を守るのが使命だ。冴子と里美は屈託のないお喋りを続けているが、琥珀は周りへの警戒に神経を使っている。


 あの堀田が彭侯(ほうこう)だとは思わなかった。堀田には妖気は感じなかったからだ。晴茂が彭侯を使って経立を結界に封じる算段をしているはずだ。計画が決まれば、晴茂から何らかの知らせがあるはずだ。そして、それにも対応しなければならない。琥珀は、周りへの警戒と晴茂らの計画の予測で、冴子と里美のお喋りはうわの空だ。


「ねえねえ、琥珀ちゃん。聞いてるの?」


里美がやや大きな声で琥珀に話しかけている。

「えっ?えええ、何?」


「もうぉ、聞いてないんだから。ぼぉっとしてぇ」

「いいえ、あのぉ、ご免なさい。ちょっと、別の事を考えてたから…」

「ほら、ねっ、冴ちゃん。やっぱりいるんだよ。いなきゃ、こんなにぼぉってしないもの」


「うふふっ。あのね、琥珀。里美が考えるに、琥珀はこんなに可愛いから、きっとボーイフレンドの一人や二人はいるんじゃないかって…」


「ボーイフレンド?」

「そうよ、好きな人」

「好きな人?」


「またぁ、とぼけて、白状しちゃいなさい」

「いいえ、とぼけては…ないけど、…」


「里美。私は小っちゃい時から琥珀を見てるけどね、この娘は意外と関心がないんだよ、その方面には。それに今は、修行の身だしね、そうだよね、琥珀」

「あっ、はい」


さすがに冴子は、琥珀が晴茂の妹で小さい頃からの幼馴染だと、話を合わせてくれている。里美は、琥珀が気になるようだ。

「ええぇ、修行の身って?何を修行しているの、琥珀ちゃん」


「言っちゃうよ、琥珀」

「えっ!あっ!」

「琥珀はね、『人間とは何か』、『女とは何か』、この疑問に答えるべく修行をしていまーす」


琥珀は冴子を止めようとしたが遅かった。しかも、琥珀の悩みをそのまんま言ってしまっている。ボーイフレンドなんかの話題よりはいいけれど、それにしても直球勝負の発言だ。


「うっわぁああ、すっごい修行だね、それは」

里美も驚いた。女の子三人でお喋りするような軽い話ではないじゃないか。


 しかし冴子はある意味で、この琥珀の悩みは今の自分の悩みに重なると感じていたのだ。冴子も、人生に迷ってこの体験学習に来ている。『人間とは何か』って言うほど重いものではないけれど、これからの自分の生き方を探りに来たのだ。


「うん、でも、そんな事って、…時々は考えるよね」

しばらくの沈黙の後、里美も神妙な表情で言った。


「そうでしょ。里美は将来、どうしたいの?結婚して子供産んで、…平凡な家庭の主婦?」

「そうよね。普通に年を重ねれば、そうなるのかなあ」

「でも、それでいいのか?って心の中では思ってるよね」

「そうそう。今は女だからどうのこうのって言わない時代だけどね。かと言って、女が自立するって、まだまだハードルが高いんだ」


「平凡な家庭って、…、何となく古びた響き。でもねぇ、…、平凡じゃない人生も怖い」

「琥珀ちゃん。どうしてそんな難しい問題に取り組んでいるの?」


里美に聞かれて、琥珀は素直に答えた。

「お兄ちゃんに、『人間になれ』って言われた。だから、『人間とは何か』が分からないと、人間になれない」


「うわぁあ、晴茂さんって、哲学者なの?妹にそんな事、普通、言う?じゃあ、『女になれ』も、言ったって事?」

琥珀は、頷いた。


「すごいっ!私、晴茂さんを尊敬する」


「あははは、里美。そんな尊敬する程の者じゃないよ、晴茂は。割に淡泊な性格だよぉ」

「でもさ、妹にそんな話ができるのは、尊敬に値するよ」

「うん、まあね」

冴子は、少し違うけどなあと思いながら、それでもある面では尊敬できるかなと思っても見た。


「人間ってさぁ、…」

琥珀が、思いつめた表情で語り始めた。


「生まれて来たときは、いっぱい可能性を秘めているんでしょ。いっぱいって言うか、無限の可能性を持ってるんでしょ。でも、人間って、瞬間瞬間でその可能性を少しずつ失ってゆくんだよね。


だって、時間は戻らないんだし、やり直しができないから、人間って。だから、少しずつ夢が小さくなってしまう。可哀そうな存在です、人間って」


「えっ!どういう事?」

冴子は、琥珀の言っている内容が分からなかった。


「例えば学校に入学する時って、入る学校以外で起こるかもしれない可能性を捨てるっていうか、別の将来を無くしてその学校に入学するんでしょ。ううん、学校に入学しない人生もあったはずなのに、それも捨てるんでしょ。


冴子さん、里美さんは、今は信楽にいるけど、信楽に来なかったら東京で素敵な人に会ったかも知れないでしょ。ここへ来るって決めて行動した途端に、東京で起ったかも知れない可能性を捨ててるんですよ。だから人間って、もし何々ならって、いつも考えるのじゃないのかなあ」


「ああ、…うん、そうだね」

里美が頷いた。


「えっ!そんな事、考えた事もなかったわ。そんな事を考えながら生きてる?」


冴子は、そう言いながら、『少しずつ可能性が小さくなってしまう』という琥珀の言葉を頭の中で繰り返していた。


「私なんか、そんな経験もないけど、…」


琥珀が小さく(つぶや)いた。琥珀は、人間として生きる式神として造られたのだが、本来持つはずの人間の可能性を始めから狭められているのだ。それは、晴茂が命じた『人間になれ』という言葉と矛盾すると、琥珀は薄々気が付き始めたのだ。人間は、本来もっと自由奔放なはずなのに、と琥珀は考えている。


「何か人生の大きなイベントがあるたびに、その他の多くの可能性を捨てて、その何かに決めているのが人間っていう存在か。そうなんだね。さすが、修行中の琥珀ちゃん、考えてる内容が深いよ」

里美は、琥珀を見ながら感心している。


 しかし冴子は、つい半年前に人間として造られたという式神琥珀の話に、強烈なアッパーパンチを喰らったのだ。冴子は、今までそんな考え方をしたことがなかった。これまで何気なく生きてきた自分の甘さに、恥ずかしさが湧き出てくる。冴子は言葉が出なかった。そんな冴子を置き去りにして、里美と琥珀の話が続いた。


「なる程ね。と言うことは…、琥珀ちゃん。自分の決断は、知らず知らずのうちに多くの可能性を捨てている…、その裏を返せば…、決断とは多くの可能性から、たったひとつを選択したってことなのよね。それって、すごい貴重な重大な選択をしたってことになるわね。だって、可能性を捨てるのと引き換えに決断するんだから、…っていうことね」


「『人間になる』って、そういうことなのかな、って思っている」


「うわぁ、何かを決めるって、後ろにそんなすごいものが隠れてるんだ」

「冴子さんも里美さんも、そうなんでしょ。人間だから…」


「あははは、そうなんだ…けど、…そんなに真剣に考えたことはないよ。生活の中で普通にやっている行動は、結構いい加減に決めてしまうよね。後でしまったって思うけどね」

「そうなんだ…」


「うん。私なんか、大学を決める時は、ちょっと考えたかな。うん、考えた。別の大学もいいなあって思ったよね。でも、試験に合格したところが、まずは候補だからね。考える余地なし!ってやつね。あははは」


「私は、あまりいい加減に決められない。だから、人間になれって言われるのかなあ」


「いやいや、琥珀ちゃん。いい加減に決めないっていうのは立派な考え方だよ。みんな、いい加減は駄目だって思ってるんだからね。でも、私なんか、やはりいい加減に進んでしまうんだよね。これは生まれ持った性格だから、一生治らないかなあ」


「えっ!性格?…ですか?」

「そうそう、性格は大きいよ。几帳面な性格、ちゃらんぽらんな性格、そう簡単に治らないよ。ほら、離婚の原因でも性格の不一致って一番多いじゃない」


 琥珀は、またひとつ気付いた。人間として造られた時から、琥珀は性格も既に与えられているのだ。私はどんな性格なのだろう、琥珀は聞いてみた。


「里美さん、私の性格ってどんなのですか?」

「ええ?琥珀ちゃんの性格?いやあ、まだ会って間がないから分からないよ。それに、自分の性格を聞く人は、あまりいないよぉ」

「そうですか」


その時、琥珀の心に晴茂の念が届いた。晴茂が呼んでいる。

「あっ!私、ちょっと外の空気を吸ってきます」

「ええっ、ひとりで大丈夫」

「はい」

「里美、大丈夫だよ。この娘は、時々ひとりで外を散歩するんだ。行っておいで琥珀」

冴子の言葉に押されて、琥珀は部屋を出た。そして、晴茂が待つ例の小屋へ飛んだ。


 里美と冴子の話は、琥珀が抜けても続いた。

「琥珀ちゃんって、見た目より随分大人だよね」

里美が感心した顔で冴子に言った。

「うん。そうだね」


 冴子は琥珀に、人間とは何か、女とは何かを追々教えてやると偉そうに言ったのだが、穴があれば入りたいほど恥ずかしかった。琥珀の方が人間としてしっかりしているではないか。冴子は、人間とは何かなんて、琥珀に教えることはできないと思うのだ。こんな自分ではいけない。琥珀の悩みを聞いたことで、冴子の悩みが徐々に晴れて行く、明るくなって行くのを感じていた。


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