枕と夢<9>
冴子は夕食後の自由時間で、粘土の造形をもう少しやりたいと提案した。どうやら粘土細工造りに完全にはまってしまったようだ。里美も賛成したので、晴茂も止む無く付き合う事とした。もう少しやりたいと言うだけあって、冴子は動物、昆虫、魚など色々な形を上手に造ってゆく。しかも、どれも動き出しそうな見事な出来栄えだ。子供の頃から一緒に遊んだ仲だが、冴子にこんな特技があったとは初めて知った晴茂だ。
遠藤が、そんな三人を見つけて近寄ってきた。冴子の作品を見て、ほうっ、と声を上げた。芦屋さんは美術系の大学ですかと遠藤に聞かれ、冴子は頬を染めながら嬉しそうに否定している。里美も結構上手だが、冴子の腕前には敵わない。晴茂は、全く形にならない。遠藤が、冴子の作品を参考にして、焼き物にする場合はここはもう少し太めにするとか、形造りの基本を一通り教えてくれた。
冴子は最後に、やや大き目の花器を造った。轆轤を使わないならこんな風に造るのかしら、と見よう見真似で造ったのだが、暫くすると粘土の重みで形がやや崩れてくる。大きいものは難しいわね、と言いながらも粘土細工に没頭している。晴茂と里子は、一生懸命に粘土と格闘している冴子を見ながら、もう終わろうと言えずに困ってしまった。
二人は、手持無沙汰でお茶を煎れたり、コーヒーを煎れたり、世間話をしながら冴子を見守った。しばらくして、冴子が、「どう?これ」と納得できた花器を指差した。
「冴子さん、すごいじゃない」
「これは、いい」
晴茂と里美は、素直に褒めた。
「えへへっ」
冴子は、我ながら良い形で仕上がったと思った。何かを造り上げると言うのは、やはり気持ちがいいと冴子は満足した。三人で出来上がった冴子の作品を話し合った。そして晴茂が、明日もあるのでもう片付けようと、終わる切っ掛けを作った。
「あら、もうこんな時間なの?シャワーも浴びたいし、終わろ、終わろ」
冴子は、そそくさと片付けだした。晴茂と里美が、文句を言わず待っていたことなど感じていない風だ。晴茂は、これが冴子の悪いところでもあり、良いところでもあるのかと再認識した。里美は、晴茂の顔を見て苦笑いをした。
琥珀は、二人が部屋に戻るのを見計らって、天井裏に潜んだ。シャワーを浴びて、二人は布団を敷いた。体験学習二日目でかなり疲れている様子だ。冴子が、今夜は私がこちらに寝るね、と言って昨夜とは場所を変わった。しばらく、二人は布団の中で東京の話や大学での話などをしていたが、会話も途切れ眠ったようだ。
琥珀は、全神経を集中して警戒した。日にちが変わっても何事も起らない。昔からよく使われる丑三つ刻になった。今の時刻で言うと午前二時だ。こんな山の中ではさすがにこの時刻になると静寂そのものだ。琥珀の下で寝ている二人の寝息が聞こえる。
そんな時だ。空気がふっと動くのを琥珀は感じた。何かが動いた!
琥珀は、部屋の中を雑念を払って探った。異様な気だ!どこから現れたのか、青い寝間着姿の小さい男が里美の枕元に立っている。背丈は小指の爪ほどだ。髪の毛は白髪だが老人ではなさそうだ。「枕返しか!」と琥珀は心で呟いた。
見ているうちに、寝間着姿の男の背丈が大きくなっている。床の間に置かれている一輪挿しの花瓶ほどの大きさになった。琥珀は、そうか枕返しは小さくなれるのか、晴茂様が柱の中も調べろと言ったのは、こういうことかと気が付いた。突然現れたのも、小さ過ぎて動いても気が付かなかったからだ。今の大きさなら、琥珀はすぐに発見できただろう。晴茂の推測は正しかった。里美の身体の異変は枕返しの仕業だ。
枕返しは里美の顔を覗いている。琥珀は、音も立てず気配を消して部屋の隅に降りた。枕返しは、気を強めて身体から黄色い光を放ち始めた。いかん!枕を返すつもりだ。
琥珀は、青龍の稲妻を右手から放った。弱い稲妻だったが、それに打たれた枕返しは、いとも簡単にその場に倒れた。琥珀は、五芒星に枕返しを閉じ込めると、枕返しを抱えて部屋を出た。冴子も里美も、すやすやと眠っている。
琥珀からの念力で呼ばれた晴茂が姿を見せた。例の雑木林だ。
「やはり、枕返しだな」
五芒星に捕縛された枕返しを見て、晴茂は言った。そして、右手を差し出して回復の呪文を唱えた。枕返しが、目を覚ました。きょろきょろと辺りを見回し、晴茂と琥珀に気が付いた。
「誰だ!まさか、俺が見えるのか?」
「陰陽師、安倍晴茂だ。これは式神、琥珀だ」
「なっ!」
枕返しは、気を強めた。身体を小さくして逃げようとしたようだ。
「枕返し、無駄だよ。その五芒星の中に封じ込められていては、術は使えない」
枕返しは、五芒星の中でもがいた。
「無駄だ、枕返し。身体もあまり動かないだろう」
枕返しは色々試したが無駄だと分かり、観念したようだ。枕返しは、起きている人間を目の前にするのも、人間にこんな風にやり込められるのも初めてのようだ。
「俺をどうしようと言うのだ」
「なぜ、里美さんを枕返しするのだ?おまえは精霊だろう。人間と共生しているのではないのか」
「へへん、人間と共生?俺は人間は嫌いだ」
「枕返し、おまえ達は人間が作った建物の中に住んでいる。座敷童もそうだ。そもそも人間と一緒の空間でなければ生きてゆけない。
おまえたち精霊は、人間の善や美や優しさを代表して存在しているのだろう。そりゃあ多少の悪さもするけど、おまえの心の中には悪はないはずだ、枕返し。何故、里美さんを狙う?」
「ふぅーん、あの女は里美と言うのか。今回は息の根を止めてやろうと思ったんだがな。残念だが、俺の心には悪が棲んでるんだぜ」
「狙う相手は誰でもいいのか、枕返し。息の根を止めようとする人間の名前も知らんのか」
「誰でもいい訳じゃない。俺は、あの女を…」
そう言いかけて、枕返しは森の奥を見詰め、怯えた。
晴茂も琥珀も、同時に森の奥に妖気を察知した。
何物か分からないが、鋭い目が光った。「危ないっ!」と晴茂は、枕返しを掴むと空中へ飛んだ。琥珀も、横に飛び退いた。
妖気の玉が枕返しのいた場所で炸裂した。琥珀は、右手から稲妻を放った。そして木の梢に飛び乗り、目が光った場所に数発の稲妻を立て続けに放った。
「琥珀、もういない」
晴茂に促されて、琥珀は木から降りた。晴茂に掴まれた枕返しを見ると、恐怖の所為か、気絶していた。晴茂は、「世話の焼けるやつだ」と言いながら、回復の呪文を飛ばした。目覚めた枕返しは怯えて震えていた。
「何者か知らないが、枕返し、おまえが狙われたようだな」
「…」
「おまえが里美さんを狙ったのは、今の妖怪と関係あるのか?」
「…」
「どうした?そんなに今の妖怪が怖いのか」
「いや、俺だけなら怖くないさ、しかし、…」
枕返しは、やっと口を開いた。そして、晴茂も予期しない妖怪の名前を言ったのだ。
「俺の妹が経立の人質になっているんだ。もう、妹が殺されるかも知れない」
「何?今のは経立かっ!」
経立とは、千年近く生き延びた猿が変化をした妖怪だ。悪智恵があり、長く伸びた全身の毛を木の樹脂と砂で固めて強固な鎧のようにしてまとい、素早い動きと強い腕力を持つ妖怪だ。全身を覆った毛の鎧は、鋼の剣も鉄砲の弾も通さないと言われる。しかも、すこぶる凶暴だ。
晴茂でも、簡単に倒せない相手だ。山奥に棲み、人里に現れては人間の若い女をさらって喰らう。
「何故、こんな所に経立がいる?」
「何故、経立がいるのかって、…知るもんか、そんなこと」
「おまえの妹が人質になっているのは何故だ?」
「うるさいやつらだなぁ」
「枕返し、おまえには経立は倒せんだろう。妹も救えない。僕が救い出してやる。だから、経緯を教えてくれ」
「まあな、優れた陰陽師なら経立にも立ち向かえるだろうな。でも、凶暴なやつだぞ」
「経立が凶暴なのはよく分かっている。それよりも妹を助けるのが先だろう。何故、人質なんだ?」
「分かったよ。どこから話せばいいんだ?えーっと、…」




