伸上り<13>
二日後、晴茂と琥珀の姿が再び広島市の例の文房具店の前にあった。山辺と言う人を知ったのが、この店の親父さんの話だったので、まずはここから始めることにした。文房具店の店主の話をまとめるとこのようになった。
山辺さんとは山辺菊子と言う。筆造りの名人だったのだが、筆製造の組合には入っていなかった。組合に入っていないと言うより、筆製造から締め出された人、言わば仲間外れにされた人のようだ。
しかし、彼女の造る筆は著名な書家等から評価が高く、是非筆を造ってほしいと言われ、細々と筆造りをしている晩年だった。
山辺菊子が亡くなったのは五年前、享年六十五才だった。カワウソの筆は、亡くなる前に、ある有名な画家から、微細な線を描く硬めの筆の注文が特別にあったのを、山辺さんがカワウソの毛で造ってみようと試みたもののようだ。カワウソの毛は、山辺さんが若い頃に集めたものがあったらしく、硬過ぎる素材なので使わずに保存されていたのだ。
その画家は期待通りの筆先だと喜んだようで、その時に二十本ほどを製作し十本をその画家が買った。残りの十本は色々と店に出したが売れなかったようだ。その後は気の向いたときに時々注文を受けていたようだが、あまり筆造りをしていない。
亡くなったのは肝臓の病気らしいが、長く患っていた様子はなかった。息子さんは近くに家を建てて住んでいる。孫と会うのが楽しいと話しているのを、この店主は覚えていた。
「それで、そのカワウソの毛ですが、なぜ集めていたのでしょうか」
「いやあ、そこまでは知りませんが、そりゃあ筆造りの名人と言われた人ですから、色々な動物の毛を集めていたのでしょう」
「でも、カワウソはもう五十年も前には数少なくなって絶滅の危機だったのですから、菊子さんが二十才前に集めた事になりますよ。その頃は、さすがに名人ではなかったでしょう」
「そうですね。でも、菊子さんの親父さんも筆造り職人でしたから、そんな影響もあって集めてたのではないですかね」
「筆製造の組合から締め出された経緯は、ご存知ですか」
「いいえ、知りません。まあ、山辺さんは頑固者で、ちょっと変人の感じはしましたけどね。私どもは、山辺さんの筆をあまり扱ってませんのでね、噂のような話しか知りませんよ」
二人は礼を言って文房具店を出た。
やはりカワウソの毛は元々山辺菊子が持っていたのだ。それが今は筆司の倉庫にある。この点も経緯を調べる必要がありそうだ。そして、山辺菊子の怨念の原因が、筆職人の仲間から締め出され、それを恨んだものだとの、推測も成り立つ。
次に二人は、琥珀が故郷の川に帰したカワウソの毛を探すことにした。琥珀は、カワウソの故郷、ダム湖の上流に晴茂を連れてきた。
「この辺りだと思います、晴茂様」
「よし、探そう」
琥珀はすぐに、川岸に沈んだ木の枝に絡まっているカワウソの毛を見つけた。束になったカワウソの毛が、ゆったりと揺れている。
「琥珀、霊を呼び出すんだ」
「はい、晴茂様」
琥珀は、水に揺れるカワウソの毛に両手をかざし呪文を唱えた。なかなか霊が現れない。琥珀は気を静め無心で呪文を唱えた。カワウソの姿が現れた。二匹、いや三匹のカワウソだ。この毛は、一匹のものではなかったのか、と琥珀は気付いた。
「誰だ、わしらを呼んだのは?うぅん?おまえはあの時の小娘か」
一番大きいカワウソが言った。
「そうだ。聞きたいことがある」
「ああ、知っているなら答えるぞ。おまえは、わしらをこの懐かしい場所へ戻してくれたからな」
「おまえの、その毛は、誰が集めたのか?」
「そんな話か。わしらの毛を集めたのは菊さんだ。もう五十年も前になるか」
「山辺菊子さんか」
「ああ、そうだ。みんな菊さんが集めて保管していた」
「菊子さんが、おまえ達を捕獲したのか?」
「いやいや、菊さんは優しい人で、餌になる魚が減ってわしらが困っている時に、家から食べ物を持って来ては食べさせてくれていたよ。この辺りのカワウソがみんな集まってな、菊さんが来るのを待っていたもんだ。あの頃は菊さんも若い娘さんでな、そう今のおまえと同じくらいの歳だったかのう」
「では、誰がおまえ達を捕獲したのか?」
「捕まえに来たのは何人もいたな。わしらの毛皮は高く売れるそうだ。そりゃあそうだよな。水の中で生きているわしらの毛皮は二重構造になっているからな。自分で言うのも何だが、上等の毛皮だぜ」
「菊子さんがおまえたちに餌をやり、おまえたちが集まって来た所を捕獲されたと言うことだな」
「結果的にはそうだが、菊さんはわしらを集めるために餌をくれた訳じゃない。現に、他のやつらがわしらを捕まえに来た時には、菊さん、わしらをかばって逃がしてやってくれって必死で頼んでくれた」
「そうだ、そうだ。菊さんは、そいつらに蹴られても殴られても、わしらを助けようとしてくれたのじゃ」
別のカワウソも同調した。
「わしらが毛皮にされてからも、可哀そうにと言って、すこしでも毛を残そうと菊さんが頼んでいたのぉ」
カワウソ達は、口々にそう証言した。
晴茂が替わって聞いた。
「菊子さんが保管していたおまえたちの毛が、なぜ筆司の納屋にあるのか?」
「うん?おまえさんは、誰じゃ?」
「陰陽師、安部晴茂といいます。この娘、琥珀は、僕の式神です」
「ほっほぉ、陰陽師ですか。道理で妙な術を使うのですな」
カワウソは、納得した顔で話を続けた。
「なぜ筆司が手に入れたか詳しい経緯は知らないが、あいつが菊さんから取り上げたんだ。カワウソの絵筆が高く売れると聞いたのだろうよ」
「菊子さんは何故おまえたちに高入道になれと言ったのだ?」
「菊さん、訳は話してくれなかった。わしらもあいつらに毛皮にされたのだから、一泡吹かせれば気が治まると思ってな、協力したんだ」
別のカワウソも発言し出した。
「菊さんは、わしらを助けようとしたので、あいつらからいじめられていたのじゃないか?そんな恨みもあるはずだぜ」
「あんた方は、菊さんの霊を懲らしめようとしてるのか?それは、止めた方がいいぜ。余程の恨みがあったんだろう、菊さんの怨念は強い。そう簡単に静まらないぞ」
三頭のカワウソは口々に言った。
「ああ、そのようだ。しかし、菊子さんが亡くなって五年になる。何故今頃になって恨みを晴らそうと思ったのか?何か知っているか?」
「それは分からないな。わしらは菊さんが亡くなったのも知らなかった」
「そうか。菊子さんの霊は丁重に弔ってやりたい。おまえ達も、この故郷で安らかに眠ってくれ」
晴茂が呪文を飛ばすと、カワウソの霊は消えた。晴茂と琥珀は合掌し、カワウソを送った。




