予兆<5>
晴茂と圭介は八時きっかりに神社の境内に来た。神社の入り口には、薄ぼんやりと常夜灯が灯っていたが、月明かりもなく神社内は真っ暗だ。圭介の持つ懐中電灯の心細い明かりだけが頼りだ。二人は砂利道を奥へ進んだ。ざくざくと二人の足音だけが聞こえる。甚蔵は社務所の縁に腰を下ろして待っていた。二人が前に立ち止まったのを確認して、甚蔵は「では行くか」と裏山に入って行った。晴茂も圭介も、どこへ行くのかと聞こうとしたが、すでに甚蔵は熊笹を避けながら細い山道を登り始めていた。
二人は顔を見合わせて急いで甚蔵の後を追った。更に、辺りは真っ暗になった。圭介が懐中電灯で先を照らすのだが、甚蔵は明かりがなくてもすたすたと登って行く。若い二人が道なき山の中を苦労をしつつ甚蔵の後を追う。十数分登ると祠の前で甚蔵は止まった。
この場所は晴茂も圭介も知っている。子供の頃から山で遊んだ二人なので、この祠は覗いた事がある。祠には昔から注連縄が張られている。この祠の中に入る事はご法度だ。二人も小さい頃からそのように躾けられた。この祠に入った人は二度と出て来ないとの大昔からの言い伝えだ。こんな夜に来たことはない。圭介の懐中電灯の明かりに浮かび出る洞窟の入り口が、いかにも不気味に見える。
祠の前に立った甚蔵は、持ってきた蝋燭に火を点すと、「電灯を消せ」と圭介に言った。そして腰を折ると祠の中に入って行った。またしても、晴茂と圭介は驚いて顔を見合わせた。この祠に入ってもいいのか?これまで甚蔵は、祠には入るなと説教をする大人の筆頭格だったはずだ。祠の中から甚蔵の声がした。「二人とも入って来い!」
背をかがめて祠に入ると、湿った空気が顔に絡みついた。背を低くして蝋燭の明かりが見える方向に進むと洞窟の中にある広場に出た。広さは三十畳くらいだろうか、かなり広い。洞窟の天井は、所々は岩が出っ張って低いが、晴茂が飛びあがっても手が届かない高さだ。『こんな広さだったのだ』と晴茂は心の中で呟いた。
誰にも話してないが、晴茂がこの洞窟に入ったのは、これが二回目だ。晴茂が中学に入学した年の夏、冴子と二人で洞窟に入ったことがあった。晴茂は気が進まなかったのだが、男勝りの冴子に押し切られて、掟を破ってこの祠に入った。
その時、この広場までは来たと記憶しているが、この広場に入った途端に冴子が吐き気をもよおし、倒れてしまったのだ。冴子は全身を小刻みに震えさせ、苦しそうに蹲ってしまったのだ。
晴茂は、祠からは二度と出られないという言い伝えに恐怖を感じ、慌てて冴子を抱きかかえながら必死の思いで祠を出た。祠の外でしばらくすると冴子は正気に戻り、「どうしたの?」と聞く。どうやら、祠に入った事も記憶にない話しぶりだった。
そんな不思議な経験を晴茂は思い出していた。あの時、慌てて祠を出ようとしていた時、洞窟の奥から「晴茂」と呼ぶ声が聞こえた気がした。晴茂は恐ろしくて振り返らなかった。それ以上に冴子の容態の方が心配で必死だったのだ。
甚蔵は、広場を横切って進んだ。その広場の突き当りには、さらに奥に小さい穴が開いている。その前で甚蔵は岩に腰を下ろした。二人にもそこに座れと促した。よく見ると、この広場はあちこちに腰を下ろすのにちょうどよい形の岩が椅子のように並んだりしている。また、床面は非常にきれいに平面に削られている。誰かが何かの目的でこの広場を作ったようだ。