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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第三章 伸上り
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伸上り<4>

 もう、夕刻だ。真弓が晴茂に聞いた。

「晴茂さん、今夜はどこのホテルに泊まるのですか。この近所ですか」

「あっ!」

晴茂は、うっかりしていた。琥珀と自分ならどこででも寝れると思い、宿は予約していない。


「あれ、兄ちゃん、泊まるところ決めてないの?」

琥珀は、晴茂の方を見ながらにやっと笑いながら、わざと聞いた。

「ああ、いやあ、参ったなあ。もう一度、筆司さんに聞いて来るよ」

親切な筆司さんだ。知り合いのホテルに電話をし、何とか二部屋を確保してくれた。


少し遠いので、わざわざタクシーまで呼んでくれた。晴茂は何度も礼を言うとタクシーに乗り込んだ。

「真弓さん、すみません。すっかり宿は忘れてました」

「いいえ、晴茂さん。こんな旅行の方がおもしろいわ」

「兄ちゃん、大事な真弓さんなんだから、しっかりしてよね」

琥珀は、真弓がいる時には晴茂の妹を演じて、そんな横柄な口がたたけるので、にこにこしながら言った。


 ホテルに着いて、真弓と琥珀が相部屋で晴茂は別の部屋に分かれた。夕食をホテルで食べた後、晴茂と琥珀はカワウソの毛で作られた筆を前にして考え込んだ。真弓は別の部屋でくつろいでいる。


 晴茂は、腕組みをして考えていたが、ぼそっと言った。

「琥珀、この筆から妖気は出ていないが、カワウソの霊を呼び出してみるしかないな」

高入道(たかにゅうどう)がカワウソの変化(へんげ)した妖怪なら、この筆毛の霊が何か知っているかもしれませんからね」

「それは分からないが、今はそれしか手掛かりがないし…」

「はい、晴茂様」


「霊を呼び出すから、何か異変を察知したら、真弓さんを守れよ、琥珀」

「はい」


 晴茂は呪文を右手に吐くと、ふっとカワウソの筆に飛ばした。何事も起こらない。数十年前に死んだであろうカワウソだ。しかも、その毛だけなのだ。容易に霊を呼べないのも当然だ。

「やはり、難しいか。人の霊ではないし…」

そう言うと、晴茂は気を静め、もう一度、呪文を飛ばし念じた。筆の毛が薄く光った。すると、薄らとカワウソが姿を現した。今にも消えそうな薄い影だ。


「私を呼んだか?」

「聞きたいことがある」

カワウソはしっかりとした姿を取れていない。ぼんやりとしたカワウソの姿だ。かなり弱い霊なのだろう。琥珀は、気をカワウソの霊に集中していた。


「おまえは、高入道を知っているか?」

「知っているとも」

「おまえが、高入道に変化(へんげ)したのか?」


「なに?私の霊力が強くないのは、分かるはずだ。高入道に変化(へんげ)するだけの力はない」

「最近この近くで、高入道が現れている。誰の仕業か知っているか?」

「知らないぞ。私たち日本カワウソはもうこの世にはいない。おまえ達、人間に滅ぼされた。変化(へんげ)できるカワウソがいるとは思えない」


「おまえは、その筆のカワウソの毛だ。その毛の主はどこにいる?」

「私の身体は、既に朽ちている。この世に、残っていない」

「もう一度聞く。誰が高入道に変化(へんげ)したのだろう?」

「この筆のように、毛が残っているなら…。それが集まって束になれば、おまえと一戦交えることも出来るかもしれぬ」

そう言うと、弱いながらもカワウソの目が光って敵意を示した。琥珀はそれを察知し身構えた。


「はははは、そこの女。私の力は弱いと言っているではないか。構えるまでもない」

「体毛でも集まれば妖気が出ると言うのか?」

「そうだ。(たば)のように集まっておればの話だがな。高入道に変化(へんげ)もできるだろう」

「そうか」

晴茂は、用が済んだのでカワウソの霊を消そうとした。


「待て」

カワウソの霊は残る力を振り絞って話を続けた。


「昔、私たちカワウソと人間は、共に暮らしていた。悪さをするやつがカワウソにも人間にも時々いたが、それはお互い様でな。概ねは一緒に暮らしていた。それがどうだ。人間が、私たちカワウソが棲めない土地にしてしまった。おまえ達、人間の欲の所為(せい)でな。


こんな自然豊かな国土を、なぜコンクリートやアスファルトで固めないといけないのだ。食べ切れもしない食料を、なぜたくさん作らなければならないのだ」


絶滅したカワウソが、人間に警鐘を鳴らす。

「人間のやっていることは、いずれおまえ達人間も滅ぼすことになる。人間は、なぜ自分の手足を使わなくなったのだ、なぜ私たちカワウソと歩いたり走ったりしなくなったのだ。おまえ達人間も、私たちと同じ動物だったのだと、気付く日が来るだろう。その時には既に、おまえ達人間も住めない土地になっているのだろうよ」


そんな話が終わる頃には、カワウソの姿は薄くなって消えかかっていた。晴茂は、右手をかざし、「とうっ」と呪文を飛ばしカワウソの霊を消した。


「晴茂様、カワウソは本当に絶滅したのでしょうか」

「私には分からない。しかし、絶滅していないとしても、もう彼らが生き延びる場所は少ないのだろうな」

「可哀そうです」

「長い目で見れば、自然の摂理だな。しかし人間は、他の生き物も同じ生命だと、もっと感じないといけないよな」


 琥珀は、カワウソ達が可哀そうで泣き出しそうになった。人間の所為(せい)で生きる場所も奪われ、餌も奪われたのだ。自分が人間になった事を誇らしげに感じていた琥珀だったが、人間の本性をカワウソに聞かされた思いだ。


 頂点に立った者は、何よりも謙虚にならなくてはいけないと、カワウソは教えてくれたのだ。

「琥珀、どうした?大丈夫か?」

「はい、晴茂様」

「明日は、この筆を返しに行って、カワウソの毛の束を調べよう」

「はい」

「じゃあ、真弓さんをよろしくな」

「はい、晴茂様」


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