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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第二章 人間へ(猫又)
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人間へ<18>

 晴茂は空腹で目を覚ました。時計を見ると、一時間も寝ていない。ああ腹が減ったと台所の冷蔵庫を覗いたが、何もない。それはそうだ。年末年始の帰省からこのアパートに帰って来て、例の猫又(ねこまた)事件だったのだから、買い物もできていない。買い出しに行くかと思い、はたと気が付いた。


 おや琥珀はどこだ。そうか、琥珀が買い物に行っているのだな、と晴茂は考えた。それなら、少し待ってみようと、顔を洗いに風呂場に入った。あれっ、琥珀の着ていたショートパンツと胸当てが脱ぎ捨ててある。あいつ何を着て出かけたのだろう。


 その時、玄関のドアーのキーをガチャと開錠する音が聞こえた。首を出して玄関を見ると、見知らぬ男が入って来た。その男は晴茂を見ると、こう言った。

「晴茂様、起きてましたか。食べ物を買ってきた」


よく見ると琥珀だ。しかも、晴茂の服を着ている。帽子まで被って、サングラスをかけて、何だこの格好は。

「琥珀、おまえその格好で買い物をしてきたのか」

「はい、晴茂様」


 その姿を説明してみると、まず青色のハンチング帽子、サングラス、緑色のTシャツ、長いので裾を何重も折った黒っぽいジーンズのパンツ、黄色い靴下、その上からぶかぶかに大きい茶色のダウンのジャケット、赤い首巻。なんと面白い取り合わせだろう。


「変な格好か?晴茂様のを適当に借りたんだ」

「変な格好と言うより、あやしい格好だな」

「でも、人間ってこんなに着るのですね。暑くないか?」

そう言って、琥珀は帽子を取りサングラスを外しテーブルの上に置いた。


続いて、首巻、ジャケット、靴下をぽいぽい脱ぎ捨てた。ジーンズも脱ぎ始めた。

「おいおい、そこで脱ぐのか?」

「はい、晴茂様」

「あっ、…」

晴茂が、止める間もなく、ジーンズとTシャツまで全部脱いでしまった。


晴茂は、琥珀色に透き通った肌の裸体に見惚れた。『僕自身が造ったとはいえ、琥珀の裸は本当に綺麗だなあ』 と素直に思う晴茂だ。しかし、琥珀の裸姿は何度か見ているとは言え、こうあからさまにやられると困ったものだと思う。


よく見ると形の良い左の乳房にやや大きいほくろがある。こげ茶色の薄いほくろだ。形は蜘蛛(くも)の姿に見えなくもない。これは琥珀石に閉じ込められた蜘蛛の影響なのか、晴茂はその形を脳裏に刻んだ。


「風呂場におまえの服があったぞ」

「はい、晴茂様」

晴茂は、自分が女である事を琥珀はまた忘れているのか、とため息を吐いた。風呂場から飛び出してくると琥珀は明るい声で言った。

「やはり、晴茂様から頂いた、この服が一番いいよ」


 晴茂は、風呂場から出てきた琥珀の姿を見て、なぜかホッとした。そうだな、この姿が一番似合っているなあ、と思うのだった。

「とりあえず、出来合いのものを食べましょう。夕食は、何か作るから。料理の本も買ってきた」

琥珀は、さっさとテーブルに座ると、出来合いの弁当を取り出して、自分の前に置いた。晴茂の方を見て弁当を差し出した。

「晴茂様、これでいいですか。それとも、こっち?」


「琥珀、それよりこの脱ぎ捨てた服はどうする?その前に、買って来た物で冷蔵庫へ入れないといけない物はないのか?」

「あっ、そうだ、晴茂様」

琥珀は床に正座し、晴茂に手をついて謝った。琥珀は人間になろうとしているのだが、その前に晴茂様の式神だと反省していた。


琥珀は買って来た物を分けて冷蔵庫に入れ、散らかした服を片付けた。それを見ながら晴茂は、琥珀は僕の心を持っているんだよな、すると自分もこんな性格なのかなと、変に分析をしているのだった。


二人は、とりあえずの食事をした。晴茂は、好みの物ばかりで満腹し、このアパートへ帰って来てからやっと落ち着いた気持ちになれた。琥珀は、世話をする式神らしく食事の片付けをやっている。


 そして、それが終わったのを見計らって晴茂が、琥珀に言った。

「琥珀、そこへ座ってくれ。おまえに呪力を与えようと思う」

琥珀は、晴茂の前に正座して、神妙に聞いている。


「猫又の騒動でも分かったと思うが、陰陽師の式神はやはり危険が付き物だ。壊れてもいい式神なら呪力は必要ないが、琥珀、おまえは人間になったのだから、壊れてはいけない。護身の五芒星(ごぼうせい)の術だけでは危険を逃れることはできない。異界の生き物と戦う能力が必要だ。分かるか、琥珀」

「はい、晴茂様」


「それに、人間になるためにも呪力が必要だ。人は生まれてから人間としての経験や知識を積み重ね、十数年をかけて大人の人間に成長する。おまえは、その十数年を飛ばして、人間の心を与えられ、人間の身体を与えられた存在だ。いわば造られたロボットだ。


これから個性のある人間としておまえは進化しなければならないが、それに十数年を費やす訳にはいかない。その為に、呪力が必要だ。おまえが、本物の人間になるために僕はおまえを鍛える。それが、おまえを造った僕の務めだと思っている。いいか、琥珀」

「はい、晴茂様」


神妙に返事をしながら、琥珀の目には涙が(にじ)んでいた。晴茂様が、こんなに琥珀を心配してくれていると思うと、涙が出てくるのだ。与えられた身体、与えられた心なら、この人のために壊れてもいいと、心に深く刻んだ琥珀だった。

「あ、それから、もう一つ」


琥珀のそんな決意を知ってか知らずか、晴茂は、付け加えた。

「おまえに与えた心には、男、女の性別がないことは、教えたよな」

「うん、はい」

「もっと、女だと自覚しないといけないぞ。明日から週に二回くらいは真弓さんに会って、女の自覚をしてくれよ」

琥珀は女を自覚しろと言われても、それがどんなことなのか分からない。


しかし、真弓さんには好感を持っているので、会うことは何の問題もなかった。琥珀は、涙を拭きながら、笑顔で答えた。


「はい、晴茂様。そうします。女性になる。琥珀は人間の女性になります」


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