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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第二章 人間へ(猫又)
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人間へ<17>

 琥珀は、いくら下級の式神だとしても、こんな時には怒りという感情が溢れ出てもいいのではないか、と考えていた。時々真弓さんを見舞うのが晴茂の指示ならば、気が乗らなくてもまあやってもいい。


しかし、その後で晴茂が付け足した理由の部分は、琥珀としては納得できない。「がさつ」、「女であることを忘れる」って、よくもそこまで言ってくれたね、と感じる。晴茂と二人だけの間なら、そんな非難はあるかもしれないけど、他人の山原真弓にそこまで言わなくても、…琥珀はそう思った。


 式神にはそんな侮辱的な言葉も甘んじて受けなさいって言うのだろうか。そんな怒りが込み上げる琥珀だが、下級式神としての自制心なるものが、爆発を抑えている。いいや、そんな感情の高ぶり自体を、琥珀は理解できないでいる。はっきりと感情を意識できるのが、琥珀には解せないのだ。琥珀の頭の中で、式神としての無感情と今の自分の感情という相容れない言葉が押し問答をしているのだ。


 やっと二人は晴茂のアパートに戻った。長い夜だったなあ、と晴茂は欠伸(あくび)をしながら琥珀を見た。山原の家からここに帰る間、琥珀の顔はきつくなったり、涙目になったり、目が宙をさまよったり、思いつめた顔になったりしている。もちろん一言も口はきいていない。


 晴茂には、琥珀の心がはっきりと見えるのだ。悩んでいるんだなと心配をしていた。ある程度は、話すべきだろうと考えた。それに、こんな危ない事をさせるのなら、多少呪術は与えないといけないな、とも考えている。


「琥珀、どうした?悩み事でもあるのか?」

「いいえ、晴茂様。式神は悩みませんっ!」

琥珀は、式神としての役割と存在を、式神は悩まないと口にした。


でも、それは真実ではない、と気持ちは揺れている。

「僕はおまえを造った張本人だぞ。そんな僕が、おまえが悩んでいるのを分からないはずはないではないか。もっと素直になれ、琥珀」

「はい」

「琥珀、言っておかねばならないことがある」

「はい、晴茂様」


「僕はおまえに人間の式神になれと呪術をかけた。そして、おまえに人間の心を与えた。琥珀、…おまえは人間になればいいのだ」

「えっ?はい、…?えっ!」

琥珀は、晴茂の言っている意味が分からなかった。


人間になればいいって、琥珀が人間になる?


「琥珀、おまえに人間の心を与えたと言っているんだぞ」

「あっ、はい、…?」


ますます琥珀の頭は混乱してきた。心があるって、式神に心があるなんて?


「琥珀、もっと分かりやすく言うよ。おまえは、今、いや昨日ここで目覚めてから、何度泣いた?何度怒った?ほら昨日食べたパンに好き嫌いがあっただろ?大天狗に会った時、おまえは恐かったと言っただろ。そしてもっと早く助けて欲しかったと僕に言ったね」

「ああ、はい、…、ええっとそれは、…」


琥珀は、そうそう、それで悩んでいるのだ、と思った。式神が、そんな事を感じてはいけないのだ。いや、感じないのだから。


「琥珀、それが『心』だ。おまえに心があるから、そんな感情が湧いてくる。それでいいのだ。その感情をどう表現するかは、人によって違うが、感情そのものを否定してはいけないんだ、琥珀」

「えっ!」


「もう一度言うぞ。おまえに、人間の心を与えたんだ」


「では…、泣いてもいいんですか?怒ってもいいのですか?怖がっても、…、嫌いでも、好きでも、…いいんですね」

「そうだ。そのことでおまえが悩んでいるのも分かっている。心を与えたんだから、それが自然なんだ。悩む必要はない」


 琥珀は頭の中が晴れ渡る気がした。人間の心を貰ったのだ。だから感情が出て来てもいいんだ。しかし、まだ引っ掛かる事がある。『でも、私は式神なんだろ?』と言うことだ。心を持つ式神と言うと、琥珀は考えた。そうか、天后(てんこう)天空(てんくう)と同じと言うことか…。


「晴茂様、分かりました。感情が出て来ても、それが琥珀の心なんですね。でも、琥珀は式神です。と言うことは…、琥珀は、天后や天空やその他の天将と同じになるのか。」

「琥珀、おまえは天将にはなれない。天将はそれぞれの役割を持った一種の神だ。おまえは、神ではない。でも、おまえは彼らと同じように感情と意思を持った人間になったのだ。ただ、今のおまえは呪力がない」


「琥珀は天将と同じ存在かぁ」

「琥珀、ちょっと待て!おまえは頭がいいはずだ。よおく聞いて理解してほしい。式神十二天将は、獣神と人神に分かれる。分かるな、例えば玄武は獣神で天后は人神だ」

「はい、分かります」


「人神は、元々人間だった。獣神は元々獣だった。それら各々が長い年月、修行し徳を収め呪力を持ち、そんな経験の末に、天将として陰陽道で認められた訳なんだ。これは遠い昔に決められたことだ。だから、十二天将には、元々心があった。ここまでは分かるな」

「はい、晴茂様」


「さて、琥珀。おまえは、元々は無生物の石だ。そこがまず違う」

「はいっ」

「そして、僕は、おまえに心を与えて『人間になれ』と呪術をかけた。獣神には『人間になれ』とは言っていない。人神は元々人間だ。そういう違いだ。例えばおまえと天后は同じ存在ではないよな。おまえと玄武も同じ存在ではないぞ。この違いをよぉく整理しておいてもらいたい」


「はい、晴茂様。…?よく分かりました。簡単に言うと、琥珀は、天后と玄武の間のような存在ですね。でも、心を与えられたのですから、そこは随分と差がある、っていうことですね…」

分かったのかどうか、何とも言えないのだが、自分の心を与えたのだから、物分かりが良いはずだと晴茂は思った。


「さて、琥珀。もう一つ言っておかねばならないんだ。琥珀に与えた心は、男も女もない、性別のない心なんだ。でも、琥珀の身体は女だから、女としての心はこれから自分で経験して造ってゆかねばならない。だから、真弓さんをおまえの先生にと思って、さっきあんな提案をしたんだ。分かってもらえるかな」

「そういうことですか、晴茂様。でも、突然あんな話しを言い出すので、混乱した」

そうだったのか、と琥珀は納得した。


 晴茂は眠くなってきた。腹も減ったなと思う。

「琥珀、少し寝るよ。何か食べる物を作っておいてくれや。買って来てもいいし。そこに財布あるよ」

そう言うや否や、晴茂は寝てしまった。そうだね疲れたんだね、一晩中、山の中を歩き回ったのだから、と琥珀は思った。


 ふぅう、悲しいかな、琥珀は眠くない。仕方ないな、昨日のお昼まで寝てたんだから。さて、何か買ってこようと思ったのだが、こんな恰好では外に出られないなあ、晴茂様も無責任だ、と少し腹を立てた。そんな自分の感情を感じて、琥珀は、『そうか、腹を立ててもいいんだ』とほほ笑んだ。


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