人間へ<6>
貴人は晴茂に話し出した。
「晴茂殿、これから心を写す技をかける。これは私のみ使える技だ。私は晴茂殿の式神だが、私のほとんどの技は晴茂殿は使えない。いくら修行を積んでも難しいだろう。しかし、これだけは知っておいて欲しい。私は生き物の心を自分の体内に取り込むことができる。一旦取り込んだ心は私の心で如何様にでも制御できる。私の体内で、取込んだ心を殺すことも出来るし、癒す事も出来る。心を変形させることも出来る。この技で私は他の生き物や妖怪をどのようにでも扱うことができる」
貴人は淡々と語り、晴茂も耳を傾けた。
「ここで話しておきたいことは、他の心を体内に取り込むと、私の心はそれを抑え込むために少しづつ痛む。相手が強い心であればある程、私の心は傷つく。そんな技だ」
「技を掛ければかける程、貴人は弱ってゆくと言うことだな」
「そう、晴茂殿。だから、晴茂殿はこの技を使えないし、もし出来るとしても使ってはならない」
「うーん。では今回の琥珀の件も、あまりやらない方がいいのかな」
「晴茂殿、私はあなたの式神だ。そんなことで躊躇はしない。それに、琥珀殿の心は、先ほども言ったようにまだまだ未熟。私の心はほとんど弱らない。晴茂殿の心は、とても強いが、私が抑え込む必要がない。晴茂殿自身がそれを望んでいるのだから。私が伝えたいことはただ一つ。この心を扱う私の術は、術をかけられる方も、かける方も非常に危険だと言うこと、それを理解しておいて頂きたい」
「分かった。貴人」
貴人はにっこりほほ笑んだ。やはり、大人なのか子供なのか、男なのか女なのか、よく分からない顔立ち、容姿だ。
「この術では、晴茂殿は心を与える側だから、ほとんど何も感じない。琥珀殿は、心を入れられる側で、一昼夜は意識がない。意識が戻った時には晴茂殿の心が琥珀殿の中で支配している。では、心写しを施す。琥珀殿を呼んでください」
晴茂は、石に生気を飛ばし琥珀を呼び出した。
「晴茂様、お呼びでしょうか」
「ああ、ここに座ってくれ」
琥珀は晴茂の横に座った。貴人が近づいて来た。
「晴茂殿、雑念を捨てて心静かに」
そう言うと、貴人の目が光り出した。白い光だ。何者も侵せない純粋の白い光だ。光は徐々に強くなってゆく。
そして、貴人は顔を徐々に晴茂の正面に向けた。貴人の目から出た純白の光が晴茂の目に重なった時、晴茂には一瞬、貴人の心が見えた気がした。そして貴人の身体全体からぼぉっと白い光がにじみ出てきた。そして光ったままの貴人は、白い光に包まれながら空中を移動して琥珀の背後に回った。貴人からにじみ出している光の強さが増してきた。次の瞬間、貴人の出す光がすっと琥珀の身体に吸い込まれた。
琥珀は意識を失い、そのまま後ろに倒れた。貴人は琥珀を支えながら、晴茂に言った。
「晴茂殿、手を貸して!お、重い…」
「ああ、そうだな」
晴茂は、琥珀を抱きかかえると部屋の隅に寝かせた。ベッドから上布団を取るとそっと全裸の琥珀に掛けてやった。
「晴茂殿、終わった」
「うん。でも何も感じなかった」
「晴茂殿の呪力は相当強い。私が心を写した時、晴茂殿も私の心が見えたはず」
「ああ、一瞬だけど」
「そんな人は初めてだ。この術で私が心を見られたのは、晴茂殿だけだ」
「でも、何が何か分からなかったが、…」
「晴茂殿がもし邪悪な敵なら、あの瞬間に私の心を破ることができる」
「ええっ!そんな」
「もしかすると、晴茂殿は私の術を使えるかもしれぬ。恐ろしいお方だ」
貴人は晴茂を、『この方は安倍晴明より強い呪術師なのか』と感じたのだ。
あの時、晴茂の心は貴人の心の中に写された。心と心が重なった時、原理的には双方向でお互いが相手の心が見えるはずだ。しかし貴人が仕掛けた術だから、相手が貴人の心を見る時は、何の前触れもなくほんの一瞬だ。心をよほど平静に保っていなければ、貴人の心は見えないはずだ。例えば、放心状態にあるとかだ。晴茂の心はそれ程までに雑念を払い無心になれるのだ。心が平静であればある程、呪力は増すし、呪術も強いものとなる。
「晴茂殿、琥珀殿に与えた心だが、まず晴茂殿の陰陽師としての経験、知識、そしてそれに関連するものは消した。それに、琥珀殿は女なので、晴茂殿の男としての経験も消した。それ故に、今の琥珀殿は性別のない存在だ。琥珀殿が生まれてから今日までの記憶は残してあるが、その時々に感じた感情は消した。後は琥珀殿が如何に経験を積み知識を増やし、独自の心を醸成してゆくかだ。
その為に必要なら、あるいは式神として必要なら、晴茂殿が琥珀殿に呪力を与えても良いだろう。お分かりだと思うが、琥珀殿は式神だが、これで心身ともに人間になった。極めて稀な存在だ。琥珀殿がどのような人間式神に成長するのか、私にも分からない。目覚めた琥珀殿を、晴茂殿は人間として扱えるはずだ。単純な式神と人間としての式神の違いも顕著に出てくるだろう。我々六神の天将との違いも再確認できる。では、私は戻る」
「あ、ちょっと待ってくれ」
「まだ何か」
「さっき、僕にも貴人の術が使えるかもしれないと言ったな。それは、どういう意味なんだ」
「ふふふふふ、私の術は、人や生き物の心を体内に取り込み、それを自分の心で制御するものだ。そう説明したはず。晴茂殿は、既に自分の心を制御できる。生まれ持った能力だ。他人の心を取り込むことさえできれば、晴茂殿は取込んだ心を制御できる。そういうことだ」
「人の心を取り込むには…?」
「晴茂殿、止めた方がいい。私の術は、自分の心を犠牲にして成り立つ。陰陽師として大事な存在の晴茂殿が使ってはいけない呪術だ。そのために、天将貴人が式神としてあなたに仕えている」
「ああ、そうだな。分かった」
貴人は、そうは言ったものの、晴茂はいずれこの術を会得するだろうと感じた。
それが晴茂の命取りにならなければいいが、いやその時は自分が犠牲にならねばならないと貴人は決意した。
「では、戻る」
そう言って、貴人は消えた。晴茂は、部屋の隅で眠っている琥珀を見ながら、これで良かったのだろうか、と自問していた。既に日は暮れようとしていた。




