人間へ<5>
晴茂は貴人を呼び出し、ここまでの話をした。貴人は、相変わらず空中に浮いたまま、静かに話を聞いていた。
「判りました、晴茂殿。危なっかしい太陰の悪智恵だ」
「ああ、思い付かなかった策だ。何とかなるか、貴人」
「まず心を移す術そのものは、そんなに難しくない。問題は、元あった心と新たに移された心がどのように折り合うのか。それは私にも読めない。二つの心がうまく嵌る場合もあるし、全く合わずに支離滅裂な心となるかだ。要はどちらの心が強いかによるのだが、その後の一生を二つの心で競い合いを続ければ、その人物は可哀そうなものになる」
「それは、心が二つでも三つでも同じことだな」
「幸いなことに、琥珀殿の現在の心はまだ未熟で、か弱い。いや、まだはっきりとした心になっていないと思われる。そうであるならば、新たに与えた心が完全に琥珀殿を支配する事ができるだろう。だから、琥珀殿には二つも三つも心を移さない方がいい」
「なる程、そうだな。でも、その時は容姿が違うけど、同じ心、同じ性格の人間が出来上がるので、それは問題とならないか?」
「同じ知識、経験、感情、性格が移されても、それはその時だけだ。その後の人生で、別々の経験を経て、二つの心は徐々に違うものに成長する。それ程、困るものではない。確かに似た二人には違いないが、…」
貴人の説明に晴茂も大裳も頷いた。晴茂はもうひとつ聞いた。
「心を取られる元の人物はどうなる?心がなくなるのか?」
「心を取るのではない。心を模写するのだ。本物の心は、その人の中に依然としてある。心配は無用だ」
晴茂は、安心して頷いた。
「では、晴茂殿、誰の心を琥珀殿に移すのか?」
貴人が聞いた。
「え?あ、まだ考えていないな…」
「晴茂様、誰かこれはと言う女性はいませんか?」
大裳は晴茂の顔を覗いた。
「そうだなあ、性格も考え方もよく知っているのは、冴ちゃんかなあ」
「冴ちゃん?芦屋冴子ですか?その人は止めた方がいい」
貴人は即座に晴茂の提案を却下した。
「芦屋家は、道満の血統だ。安倍家と同じ陰陽師の家系だが、根本的な考え方が違う。その血統の心を琥珀殿に移せば、後々晴茂殿が困る事態が起きる」
「ええ?うん、そうか。芦屋家は妖怪を根絶やしにするのが家風だな」
「もっと他に、女の友達はいないのですか、性格のいい娘は?晴茂様」
と、大裳が言う。
「ううん、いないこともないけど、深く知らない人ばかりだなあ」
「晴茂様はあまり女性にもてないのですか?」
「馬鹿を言うな、大裳。そりゃあ、いるけど。誰って決めるのは難しいよ」
晴茂は考え込んでしまった。
悩んでしまった晴茂の側で、大裳はぶつぶつと独り言を言っている。貴人はそんな二人を宙に浮いて見下ろしている。
「あっ、晴茂様。晴茂様のお母様はいかがですか?」
突然、大裳が提案した。
「お母さんか、ううん、ちょっと無理があるかなあ。琥珀が母と同じ性格っていうのは、どうもすっきりしないなあ」
「そうですか。そうでしょうねえ」
晴茂は、又しても考え込んでしまった。普通に考えても、その人と瓜二つの性格を持つ人間を造ろうとした時、なかなか全ての性格や感情を肯定できる人など思いつかない。例え馬が合う友達でも、少しは嫌な面があるものだ。そこを考え出すと、なかなか決めきれない。
暫くして、貴人が提案した。
「晴茂殿。難しい選択ですね。全てがしっくり来る他人なんかいない」
「ああ、そうなんだ」
「一層の事、晴茂殿自身の心を移す手がある」
「なっ?僕自身を?」
「でも、貴人。晴茂様は男だぞ。女の心ではないじゃないか」
大裳が驚きの表情で言った。
「ふふふふふ、別に男も女も関係ない。扱うのは心だ。常識、性格、感情、経験、それに知識だ。女か男かは、その後の経験でどうにでもなる。女らしさは、琥珀殿がその気なら、後の人生で獲得できる」
「そうか、貴人。男でもいいのか」
「そう、晴茂殿。但し、女性には女性特有の経験がある。男が知らない経験だ。それは、誰か女性を琥珀殿の友達にして教えてもらえばいい。それこそ、芦屋冴子でもいいし、晴茂殿のお母様でもいい」
誰かを決めかねていた晴茂は、さすがに貴人らしい良い提案だと思った。
「多少嫌な面があっても、それは自分の性格なんだから、納得もできるというもんだ。それで行こう、貴人!」
「ふふふふ、そうしますか。他人に迷惑をかけない方法だ」
貴人は、にこにこと笑っている。
一件落着で、大裳は帰った。残ったのは晴茂と貴人、そして二人の前に置かれた琥珀石だ。




