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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第一章 予兆
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予兆<24>

 九尾のその言葉に晴茂は冷静さを取り戻した。晴茂は、気を集中し母の心に入った。これまで晴茂を育て、生み、そして身籠った静枝の過去を辿(たど)って行った。そして、遠い過去に九尾のキツネの姿をした静枝を見た。姉の九尾もいる。そしてお(ばば)様と呼ばれる九尾もいる。そして、お婆様の九尾の妹が、即ち母静枝の叔母が何と安倍晴明の妻となっている。晴茂は心の中で、『もう止めろ』 と叫んでいた。安倍家は九尾のキツネの血族なのか。


「どうですか、晴茂さん。私たちとの関係が分かりましたか」

女性の姿をした九尾は優しい顔で言った。

「古くからキツネと人間は仲良く暮らしていました。特に百年生きたキツネは九尾となって、人間に生まれ変わる事もできるのです。その静枝さんのように人間となって一生を終える九尾のキツネは昔から多くいます。九尾のキツネとなった者は妖術を習得しその修行を積むことになりますが、更に千年を生きると仙弧(せんこ)となり神通力も備わります」

「……」


 晴茂は、九尾のキツネの説明は不要だと心で訴えた。それでも、九尾は続けた。

「私たちキツネは、人間に幸運や福を与えたり、一緒に難敵を倒したりしてきました。そして人間の社会では、私たちキツネは神の使いだとしてお稲荷様に祀られるようになったんです。決して、キツネと人間は敵対するものではなく、むしろ一体化したものなのです。もちろん、九尾の中には野弧(やこ)と言って悪さをするキツネもいますけれどね、それは人間だって同じこと。悪さをするのは人間の方が多いかもしれませんね」


 時晴が続けた。

「晴茂、私が陰陽師になった翌年、隣町の妙輪寺裏の山の中で、静枝と会った。静枝は山の中を歩き回った様子で、ひどく疲労していて、私はてっきり山で遭難をしたのだと思った。隣町の医者に診てもらったら、しばらく休めば元気になると言われ、家に連れて帰った。どうやら静枝は過去を思い出せない記憶喪失になっていたようだ。ただ自分の名前は静枝だと言い、あとは何を聞いても分からない様子だった。その時は既に私の両親は他界しており、私は芦屋家と一家のようにして暮らしていた」

晴茂は初めて聞く話だ。父、時晴の目を見つめて、晴茂は聞いていた。


「しかし私も安倍家の一人として、静枝と結婚をしてもう一度安倍の家を継いでゆく事にした。そしておまえが生まれた。おまえは生まれた時から既に陰陽師としての資質があった。小さい時から昆虫や動物を無意識のうちに操っていたからな。そして十年ほど前、三人で御栗山にあるダム湖に遊びに行ったことがあった。そこで、静枝は過去の微かな記憶が甦ったのだ。私は初めて静枝が九尾のキツネだと聞かされた。そして静枝の姉がこの山のどこかで封印されていることも聞かされた。何とか姉の九尾を助けてくれと静枝に頼まれ、私はあちこちを探し回った。


芦屋家の甚蔵にも相談をした。もちろん静枝が九尾だとは言っていない。この近くで結界を張って妖怪を封じている場所を聞いたのだ。それと言うのも、この近くには芦屋家の九字紋(くじもん)結界が多い。甚蔵がなにか知っていると思ったからだ。しかし、芦屋家は、そもそも妖怪は全て敵で、撲滅させなければならないと言う家風だ。安倍家は逆で、妖怪でも邪悪でなければ敵対せずに一緒に暮らしてゆくものだと言う家風だ。私と甚蔵は、その事で喧嘩になった」


「それで、甚蔵おじさんと親父は、口もきかないのか」

「そうだ。私にはおまえのように素晴らしい式神はいない。それからは、九字紋結界を見つけては、結界を破って九尾を探した。そして、一年前にやっと御栗山のおまえが見つけた九字紋結界からお姉さんを救い出したのだ」


 父、時晴の話を聞きながら、晴茂はやっと落ち着いてきた。しかし、自分が九尾のキツネの血をひくとは、まだ信じられない。その時、静枝は涙を流しながら畳に額が着くほど深く頭を下げた。


「晴茂、本当にご免なさい。私のような者が母親で、本当に許してください。あなたやあなたのお父様を騙すつもりはなかったのです。ただ私は、人間になりたかった。人間になって、妖怪と人間が一緒に暮らしていけるように、少しでも役に立てればと思っただけなのです」

静枝は涙で声にならない。


 暫くして、ようやく続けた。

「あなたのような可愛い子供も授かり、お父様の優しさとあなたを育てる楽しさと、私は本当に人間になれて良かったと思っています。でも、…でも、あなたが、もし私を許せないと言うなら、私はあなたの言う通りにします。この世から消えろと言うなら、それもできます。本当に、ご免なさい」

畳に大粒の涙が落ちていた。静枝の言葉で、三人の間には張り詰めた空気が広がった。


九尾のキツネだった母は本当に人間になりたかったのだろう、そして人間になった母も、そしてその母を助けた父も、純粋に人間同士として愛を育んだのだろう。晴茂は、そう思った。自分の幼い頃の記憶を辿ってみても、優しい母と父、楽しそうな父と母しか思い出せない。やはり、この人は僕のお母さんなんだ。晴茂の心が、和らいでゆく。母が九尾の一族であろうが、なかろうが、晴茂の母だ。


「お母さん。許すも何も、僕はお母さんの息子です。それ以外、何もありません。ただただ、僕を生んで、育ててくれたお母さんです。手を上げてください」

晴茂の言葉を聞いて、静枝は更に泣き崩れたのだ。時晴も涙を浮かべていた。女性の姿の九尾は静枝のそばに寄り、「よかったね」と抱きしめた。


 九尾のキツネ、時晴、静枝、そして晴茂は、今後どうするかを話し合った。まず、芦屋家には九尾のキツネとその他の妖怪は、晴茂が結界に封印したという事にする。芦屋家の家族全員は九字紋結界が破られ、九尾のキツネなどの妖怪が出て来たことを知っているからだ。芦屋家は妖を退治するのが先祖の道満からの家風だ。妖怪を見逃すことは出来ない。


 そして、九尾は御栗山で、()異獣(いじゅう)そして白坊主などと人里離れて暮らすことにした。時晴が壊した芦屋道善の九字紋結界に封じ込まれていた妖怪は、九尾が集めて統率する。特に、芦屋甚蔵と圭介には近づかせないように見張る。しかし、時晴が破った結界から出た妖怪の全てを九尾も集めることは出来ないかもしれない。そして、その中に邪悪な妖怪がおれば、晴茂が退治することにした。


 そして最後に九尾が話し出したのは、琥珀のことだった。

「晴茂様、あの式神は獣神ですか?」

「いいえ、琥珀石に生気を吹き込んだ単純な式神です。琥珀はほとんど呪力を持ちません。」


「私は、あの時に琥珀を攻撃しました。それは琥珀に異常な気を感じたからです。確かに呪力はないかもしれませんが、私を攻撃する意思がありましたよ。その後方にいた十二天将の天后(てんこう)には、強い呪力を感じましたが、私への敵意は弱いものでした。ですから私は天后を攻撃しなかったのです。私の攻撃を引き出すほどの敵意が琥珀にはありました」


 天后も同じようなことを晴茂に告げた。晴茂は何か間違った生気を琥珀に与えたのだろうか。そんなはずはないのだが。

「分かりました。一度確かめてみます」


 その夜、九尾は山へ帰って行った。安倍家も晴茂が陰陽師になり、新たな出発が始まる。翌日の大晦日、晴茂は芦屋甚蔵に九尾のキツネとその他の妖怪を封じ結界を張ったと伝えた。圭介も夕方には修行の場から帰り、安倍家、芦屋家は新しい年を迎えた。


 正月四日には、冴子の計画したパーティーが神社の境内で行われる。それを聞いた晴茂と圭介は、「ええ?本当にやるの?」とややうんざりしたが、冴子は意気揚々と準備を始めていた。参加者は、晴茂、圭介、冴子を含めて十五名ほどだ。言いだしたら決して引かない冴子の性格を知っている連中の集まりだ。


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