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琥珀色の心  作者: 柴垣菫草
第十二章 足洗い
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足洗い<19>

 晴茂と太陰(たいおん)が、伊香保の北外れにある神社の境内に姿を現した。朱雀(すざく)は神社の奥にある高い木の枝にいた。神社はひっそりと静まり返っていた。


「おやっ、ここは(もぬけ)の殻ですわよ」

「そうだな、何の気配もない。朱雀、どうだ?」

晴茂は、上を見上げて言った。


朱雀が降りてきて、スズメの姿に変わると、晴茂の肩に止まった。

「妖気も何もありません」

ここには、何の痕跡もない。


「では、足洗いの屋敷に行くぞ」


 次に晴茂と太陰が姿を見せたのは、最初に妖怪足洗いが出た御手洗家の裏納屋の前だ。納屋の中に入ってみた。荒れた納屋の中にも気配はない。以前は、直ぐに分かる妖気が漂っていたのだが、今は全く気配がない。


晴茂は、例の掛け軸を探した。妖怪足洗いが封印を解かれて抜け出たと言った掛け軸だ。確かに多くの掛け軸が散らばってはいるが、その掛け軸だけが見当たらない。


「あらぁ、晴茂様、やはり分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)も足洗いも、偽物だったのかしらねぇ」

太陰は納屋の中をうろつきながら呟いた。


しかし、伊香保の神社といい、この納屋といい、これ程までに気配を消し去るとは、桁外れの妖術を使うのか。これだけ痕跡が消されてしまうと、探索の方法がない。


晴茂が諦めようとした時、上空を舞っていた朱雀から念が届いた。『山の中に妖気の痕跡がある』と言う。二人は、直ぐにその場所に向かった。


 朱雀の待つ場所は、御手洗家から南へ下がった森の中だ。小川が流れる湿地があった。朱雀は、スズメの姿で晴茂を誘導した。湿地を過ぎた森の斜面、小さな(ほこら)がある。その祠が遠くに見える場所に朱雀が止まった。


「確かに、妖気だわ」

太陰が呟いた。その祠は、狸の棲家なのだろうか。


「もう少し近づかないと、何の妖気か分からないですわねぇ。朱雀、探れないかしら?」

朱雀が晴茂を見た。晴茂が頷いた。


朱雀は、スズメの姿のままで祠に近づいた。低木の枝から枝へ飛びながら、祠の直ぐ上の木に止まった。そこで様子を探った朱雀の言うには、古狸(こり)の妖気を感じると。


「朱雀、中に古狸がいるなら、追い出してくれ」


朱雀は、火の玉を燃やすと、羽根で風を起こし、祠の中へ朱雀の火を送り入れた。暫くして、大きな狸が祠から飛び出してきた。祠からやや離れた所に、晴茂がすくっと立つ。それを見た古狸は、ぴょんと飛び、若い男に変化(へんげ)した。人間に見つかっては厄介だと思ったのだろう。


 晴茂は、すたすたと若い男に近づいて言った。

「おやおや、古狸(ふるだぬき)の妖怪ではないですか。ほら、僕ですよ。御手洗家の納屋で会った…」


若い男に変化した古狸は、じぃっと晴茂を見て、思い出したように言った。

「ああ、あの時の陰陽師」


「あなたの棲家はここだったのですか」

「ああ」


「ところで、足洗いの古狸はどこにいますか。会って聞きたいことがあるのです」

「ああ、あの古狸。知りませんよ、居場所は…」

「知らないって…、でも、足洗いのやり方を教わったのですよね」


「いいや、別に教わった訳ではありません。わたし達、古狸は、予め足洗いの知識はありますから…。それをやっただけですよ」


「でも…、あの時、あなたは、白髪の老人の姿をした古狸と一緒にいて、しかも掛け軸の話までしたじゃないですか。掛け軸から封印を解いて出てきたと…」


「ああ、そうですが…。わたしが、足洗いをして、陰陽師に見つかって逃げようとした時に、突然あの古狸が出てきたんです。わたしはてっきり古狸の先輩だろうと思ったまでで、それまでも、その後も、会ってもいませんし、話もしていませんよ」


太陰が、晴茂の横に姿を見せた。古狸の男は、急に現れた太陰を見て驚いた顔をした。

「あらっ、古狸さん、そんなに驚かないでよ。怪しい者ではありませんわ」

そう言ったが、太陰のその風体は現代ではけっこう怪しい。


「お聞きしたいの、古狸さん。その白髪老人に化けた狸って、本当に古狸でしたかしら。もしかして、何者かが古狸に化けていたとか…」

古狸の男は、さあぁと言って首を傾げた。


晴茂も太陰も、この古狸は確かに狸の妖怪で、しかも掛け軸から出てきたという足洗いの妖怪や、分福茶釜とは無関係だと感じた。この古狸の男にこれ以上聞いても何も出てこないと、諦めた時だった。


「そういえば…」

「なあに、古狸さん。何かありましたかしら」


「ああ、何とも言えませんけど…。陰陽師なら知っているでしょうが、我々、狸の妖怪は、何物にでも化けます。けど、知らない物には化けられません」


「はいはい、よく知ってますわ。妖怪の中で、他の物に化ける能力は、古狸さんが一番ですわ。それはそれは素晴らしい変化(へんげ)の術でございますわ」


古狸の男は照れ臭そうに頭を()いた。

「いやいや、そうですか。わたしの今のこの姿も、妖怪になって初めて会った人間の姿です。見事なものでしょう…」

古狸の男は胸を張った。


「あっ、いやいや、そんなことではなくって…。あの白髪の老人ですが、…。わたしは、あの老人の後ろに立つことが多かったのです。その時にですね、あの老人の白髪を透かして見える首の後ろがですね、…やけに黄色かったのを覚えています。黄色の縞模様です。


狸の妖怪が変化(へんげ)するのは、人間なら実際に存在する人間の姿そのものに寸分(たが)わず化ける訳です。と言うことは、白髪で首筋が黄色い縞模様の老人が実際にいるはずですが…、首の後ろに、あんな黄色い筋を持つ人間がいるのだろうかと…、感じました。いやぁ、いるんでしょうね、きっと…」


太陰は、話を聞きながら、顔を曇らせた。

「それは…、もしかして…」


太陰が、近くにあった木の幹を手の平ですっと撫でた。

すると、木の幹が黄色と黒の縞模様になった。そして、すぐに元に戻った。


「こんな感じでしたかしら?」

「ああ、びっくりさせないでください。でも、そんな模様でした」


土蜘蛛(つちぐも)…?」


晴茂と太陰が、同時に呟いた。

白髪老人に化ける古狸、元々は土蜘蛛の妖怪…なのか。


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