足洗い<12>
「ええ?その猿は、どこから来たんだ?」
六合が聞いた。イヌ鷲は知らないと答えた。
「それなら、経立、…いや、その猿は、この近くにいるのか?おい、イヌ鷲、その猿がどこにいるのか知らないのかっ」
天空が再び興奮し始めた。
あの時…、逃げる経立を追っかけた天空剣には、確かに手応えがあったのだ。経立は死なないまでも、深い傷を負ったはずだ。再び経立として甦れるのは万に一つもないと、天空は考えているのだ。
そんな天空の興奮を横目に、太陰がイヌ鷲に聞く。
「イヌ鷲さん、その猿ね、…この天空が仕留め損なった猿なら、経立っていうのよ。あなたの話を聞く限りでは、経立かもしれませんけどねえ、でもね、経立はね、あなたを妖怪に変化させられるような妖術は持っていませんわ。
妖術でないのならば、…何か、呪いのかかった品物があったはずだわ。その品物が、あなたに作用して妖怪になってしまったのですわ。それしか、考えられませんわよ。イヌ鷲さんが妖怪にさせられてしまった時、その猿は何か持っていたのではございませんこと?」
「いやぁ、別に…」
「あらっ、何もなかったのですかぁ。それは不思議ですわねぇ」
晴茂も、太陰と同じ考えだった。
「イヌ鷲、その猿に貰ったのは、野兎だけか?何度か会っているんだ、何か他に貰った物はないのか?」
六合が聞く。
「貰った?…?そういえば、…」
「何だ、何を貰った?」
「酒を…」
「酒?」
「ああ。二回目だったか、三回目だったか…、会った時に、その猿は酒を持ってきて、飲めって言って置いていった」
「おおお、それかもしれんな。なっ、太陰、どうだ、太陰」
六合が太陰の顔を見て聞いた。
「あらっ、その猿がお酒を持ってきたの?なかなか気が利く猿じゃあないの。そりゃあ、イヌ鷲さん、大喜びでしたわねぇ」
「いや、わたしは酒は飲みません」
「あらいやだ、お酒、飲まないの?飲んでないの、そのお酒。ふぅううん」
太陰が口元に手を持ってきて呆れた表情をした。
六合はがっかりした顔で言う。
「じゃあ、それではないな、その呪いの品物は、…他に何か…」
「他には…、何も貰ってませんよ」
その時、太陰が天を仰ぎながら、ぶつぶつと何か言い始めた。
「うーん、それですわ、きっと。それしか貰ってないのでしょ。そうですわねぇ…」
「だから、イヌ鷲は酒を飲んでいないんだ、太陰」
「そうよね、それはいけませんわよね。お酒は飲むものですわ。飲まないなんて…、ねえ、琥珀ちゃん。お酒でしょ…、猿がね…、持ってきて…、置いていったのですわよ。でも…イヌ鷲さんは、飲まなかったのですわ…ね…、うっぷぅぅぅ」
「…」
この太陰の表情、問題解決の兆しだ。みんなは太陰の次の言葉を待った。
「イヌ鷲さん、そのぉ…うつわ…は?」
「う つ わ ?」
「もうぅ…、ほらっ、お酒が入っていた器ですわ。徳利とか、酒樽とか、…何にお酒が入ってたのかしら?」
「ああ…、徳利でした。」
「そっ…それは、どこへ?」
天空が聞いた。
「ええ、貰ったのはいいけれど、飲まないので捨てました」
「えっ、捨てた?どこへ…?」
「この檜の天辺からぽいと捨てました」
それなら、この近辺にある。天空と六合、それに天后と琥珀が、徳利を探しに四方に散った。その徳利か酒に、何者かの呪いがかかっているかもしれない。そして、それがイヌ鷲を妖怪に変えたのかもしれないのだ。
琥珀は檜を見上げた。この大木の天辺から捨てたのなら、かなり遠くへ落ちたかもしれない。琥珀は、谷の方向に進んだ。気を研ぎ澄ませながら、檜から離れる方向に山の傾斜を下へ降りて行った。
斜面の角度がきつくなってきた。これなら徳利がもっと転がってしまう。琥珀は、その辺りでは一番低い所まで来た。窪地になっている。木々の枯葉が長年積み重なって腐り柔らかい腐葉土の足元になっていた。
あれは、…。琥珀は、半分ほど枯葉に埋もれた白い陶器の器を見つけた。形は徳利のようだが…、白地に青く模様が見える。妖気は感じない。琥珀は、そこに飛び、陶器の器を手にした。
やはり徳利だ。片手で持つには少し大き過ぎる程の徳利だ。口の部分に太い麻紐が付いている。徳利の栓は外れたのだろう、中身は空っぽだ。琥珀はもう一度気を集めたが、妖気や呪いは感じない。しかし、こんな場所に徳利があるとすれば、イヌ鷲の捨てたものだろう。琥珀は、晴茂に徳利を見つけたと念を飛ばした。
琥珀は、両手で徳利を持ち、正面に掲げて青い模様を眺めた。これは文字か?はっきりとした文字ではないが、デザイン化された文字のようだ。
『呑』と読める。その裏にも模様は続いていた。琥珀は、くるくると徳利を回し、もう一つの文字を見た。琥珀は、しばらく眺めて、『酒』か?と思った瞬間だった。琥珀の左の乳房に激痛が走った。




